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若頭とその側近の話 3
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「というわけで御大の生誕祭のときの人員の配置はこれで」
「…常盤、質問」
「なんだ」
ある夜、皐月とその配下たちが普段使用する部屋にて、常盤がその他大勢の男を前に話を終えた。
最前中央に座る市居は手を上げた。
上げた手をそのままおろして常盤の傍らでぼんやりと魂が抜けた姿の皐月を示す。
「皐月様、聞いてないけど」
「…わかってるからいいんじゃないか…」
常盤が珍しくメンドクサそうに言葉を返した。
呆けた皐月を見つめ市居が立ち上がって皐月の側に行く。
そばにしゃがめば目の前で手を振った。だが反応は薄い。一体何があったのだろうか。
市居はじっと皐月の目を見つめる。多分昨夜も俊介と共に過ごしたのだろう。いつもなら、またうざがられた、と凹んでいるのに今日に限ってはそれもなく今の時間まで動いていた。
「若はいつものことだとして、若頭に話すっていう約束はどうなったんだ。今の話だとそれは若頭には言えないだろう」
「言えないでしょうね。そもそも皐月様自身が話すつもりがないから」
「下手すると皐月様が死んでしまうのでは…」
「殺させない」
市居と常盤の声がかぶる。
二人よりも長く組にいるほかの配下たちは二人がどうしてそう言いきれるのかわかったものではない。
とはいえども、生誕祭の時に皐月が立てた計画は市居と常盤ですら不安がなくしきれない。
しかも肝心の皐月は現在魂が抜けたような状態である。
市居は唸った。
皐月に何があっても死なせることはないが、二人にも予想できないことをしでかすのが皐月なのである。
複数の予想を立てたとしてもいともたやすくそれをすり抜けて行ってしまう。
今までにも皐月はそういったことを何回もしてきた。
「とはいってもなぁ…皐月様ー?若様ー?………あ、若頭」
「ひょっ?!」
何度呼びかけても反応のない皐月に呆れた市居はふっと顔を上げてそう口にした。
瞬時に皐月が立ち上がって俊介の姿を探した。
それを見てその場にいた誰もが、やっぱりかぁとつぶやく。
そもそも皐月があんな状態になるのは俊介が関わること以外にない。
「皐月様、話聞いてました?」
「話…えっと…」
「常盤…」
「…御大の生誕祭にて、皐月様が行うことと人員の配置については説明を終えました。皐月様のことですからおそらくはきちんとわかってらっしゃるかと思いますが、何分生誕祭にて反対勢力を一掃するので」
「常盤、わかってる、わかってるから」
呆れた市居に促されるようにして常盤が口を開く。皐月はそれを聞き流してから俊介の姿がないことを確認した。
ほっと息をついてから自分を見るいくつもの視線から逃れるように立ち上がる。
俊介にフェラチオをされてその動揺が尾を引いているなどどうしていえようか。
もごもごと顔を背けて何かをつぶやく皐月だが頭をがしがしとかいて再び腰を下ろした。
「俺の、わがままで、ごめんな…俺が若頭になってればお前たちももう少し立場はよかっただろうに…」
「…皐月様が若頭」
「ないよなぁ…」
「若頭って柄じゃないし」
「お前たち、俺が何も言わないと思って言いたい放題」
「お前がそれこそ、こーんな小さい時から見てるんだぞ、俺たちは」
「市居と常盤にも話して聞かせるんだけど、お前が若頭のために生きてるようなもんだってのは誰もが知っているから今更だ」
皐月は口をつぐむ。
組で本格的に動き始めて配下として加えた男たちだが、彼らは皐月よりも長く組にいる。
皐月の今までを知っているため今この時しんみりとしたところで気にしないものばかりである。
御大や俊介にはないものを持っているのではないかと期待してそのあとについていくと自分たちで決めた。多少俊介にデレデレしているところは目をつぶったとしても、それ以上のものを皐月は持っている。
「なぁ、皐月よ。今度の生誕祭で、万一にもお前が若頭に話さなかった作戦のことがばれたらどうするんだ」
「平謝りする」
「…若頭がそれで許すとは思えねぇけどな」
うん、と誰しもがうなずいた。
まぁ、そうだろう、と市居が続けた。常盤も、約束を破ればなおのこと、ととどめを刺す。
撃沈しながらも皐月は話すわけにはいかないのだと告げた。
皐月は俊介を守るために動いている。守って、そして自分も生きて俊介のそばにいたい。
未だ、好きとの言葉を得ていない。ちゃんと自分もまじめに伝えられていない。
この仕事が終わったら、なんて映画のように考えてはだめだと首を振る。
お約束通りならば仕事の最中にお陀仏必至である。
「まぁなんだ。生誕祭の時はお前が立てた計画の通りに動いてやる。そうすりゃ向こうも同じように動くんだろ」
「……実際人間だから、百パーってわけじゃない。だけど、話の通じる幹部には伝えて了承も得ている。いい加減俺としても毎年毎年毎年…くそ親父の誕生日にかこつけて襲ってくるやつらの相手をする気力はねぇしな」
「それは同意できるな」
男たちが笑う。
皐月も目を細めて笑ったのち、市居と常盤に目配せした。心得たように二人は準備に入る。
静かに部屋を出たところで二人そろって息を止めた。
牙城を後ろに従えた俊介が腕を組んでそこに立っている。できることなら回れ右をしてこのまま部屋に戻りたい。だがそれをしてしまえば室内にいる皐月と配下である男たちに俊介がいたことがばれてしまう。
たらたらと脂汗を流しながら二人は顔を見合わせた。
聞いていたのだろうか。もしそうだとしたらいったいどこから聞いていたのだろうか。最初からなんてことになってしまえば皐月の計画はそこでお陀仏である。
言葉を紡げない二人を冷ややかな目で見つめた俊介は影のように付き従う牙城へ視線を向けた。
「…牙城。ほかの者に命じろ。皐月の配下の男たち、及び足立、早乙女、和田の各組の動向を注視しろと。それとお前は御大の生誕祭まで皐月が俺の部屋に来ないように邪魔しておけ」
「わかりました」
「…皐月に言うな」
俊介はそれだけを言うと牙城を連れてその場を離れて行ってしまう。
息を吐き出してしゃがみこんだ二人は俊介の圧から逃れるために何度も深呼吸を繰り返した。おっかないとはこのことか。
あれは完全に最初から聞かれてしまっていたパターンだろう。こちらが立てていた作戦がばれてしまったのはともかく皐月のひそやかな楽しみまで奪われてしまった。
「どうするかなぁ」
「皐月様の飲み物に強力な睡眠薬でも混ぜたら気にしないだろうか…」
「いや、あいつは結構野生の勘が働くから無理だな」
「無理か…」
重たいため息が揃う。二人は腰を上げて河嶋のもとへと向かって行った。
二人の行く先を遠目で確認した俊介は自嘲気味に笑って歩き出した。夜も更けだすころ合い、寝なければ明日に差し支える。
「俺はバカだと思うか、牙城」
「何をもってして馬鹿か、というところが明確でないので答えかねますが」
「自分が好いた男に好かれているのにそれを足蹴にしてあまつさえ嫌いだという態度をとったうえに、あいつの邪魔をしているところだな。俺のために、とやっているのはもうわかったことだ。だが」
言葉を切った俊介は皐月の傷だらけの体を思い出す。
死ななかったのが奇跡のような場所に傷があった。やはり裏稼業に携わるもの、人体の急所ぐらいは把握しているのだろう。死ななかったのはひとえに皐月の若さと執念、それから上條の腕のおかげかもしれない。
だが、皐月が御大の生誕祭で考えていることの全貌がわからない今今度もその程度で済むかは謎である。
幹部一同が勢ぞろいし、御大に祝いの言葉を告げる。そこに俊介はいることができるが、皐月をはじめとした幹部の部下たちはそばにいることはできない。
祝いの席であるから武器なども持ち込みはできない。そんな約束はあれども守られたことはない。
一年の内でもっとも俊介が神経をすり減らすのが御大の生誕祭であった。
「若頭…若を追い出していいんですか」
「なぜだ」
「近頃若とともにいる若頭の血色がいいように思えます。以前と比べたらよく眠れているのではないかと」
「そうだな…憎たらしいことに寝れている。それこそ夢すら見ない…気づけば朝だ」
「それはいいことでは」
「……牙城、女を抱いたことは」
「あります」
「男を抱いたことは」
「まあ、あります」
「男に抱かれたことは」
「ありません」
「だろうな…」
広くがっしりとした肩幅、同様に太い腕と首、一見すれば牙城はボクサーだったのだろうかと思われるほどにしっかりしている。
色々と吐かせるときは自分の肉体での力業も使うというし、それ専用の道具も使うというから人は見た目には寄らない。
「若頭は若に抱かれたのですか」
「驚くほどに直球だな…隠したところで無駄だろうけど。どうしてそうわかった」
「先ほど若頭は、自分が好いた男に好かれて、とおっしゃいました。若頭が自ら動くことのほとんどは若のためでもあります。それと男に抱かれたことは、との疑問から答えを出してみました」
「…わかりやすいか」
「正直に言うと」
牙城の素直な言葉に俊介は言葉を切ってから笑い出す。
牙城にすら気づかれてしまうというのにどうして皐月は気づかないのだろうか。
「…二十年も前の約束なんて、とうに時効だろうな」
「何か契約を交わしているのなら時効というものはあるかもしれませんが、そうでない口約束ならば時効はないかと」
ぽつりとつぶやいた言葉に牙城が返事をした。
独り言のつもりだったため返答が返ってきたことに驚く。後ろをちらりと見ればいつものように感情の浮かばぬ顔だった。
書面を交わしたのならば時効もあるし、記憶もあったかもしれない。だが、その約束を交わした時、皐月はまだ経ったの五歳で、書面ではなく小さな指輪を交わしただけだったのだ。
子供の口約束、そう思えればよかった。時を重ねて皐月とともにいる時間が増えるたびに自分の中に積もっていった想いが、もうただの口約束であるとは思わせてくれなかった。
「それでは、若頭、自分はここで。先ほどの指示、組員に伝えておきます」
「あぁ。ほかの幹部たちの配下には知られるな」
「わかりました」
牙城と部屋のそばで別れる。
庭を見ながらあの約束を交わした場所はどこだったかと考える。
あれは皐月が七五三の祝いをする前だった。とすると、まだ春先から夏場あたりだろう。
その時組員何人かを連れて御大が旅行に出かけた記憶があった。もちろん皐月の遊び相手でもある俊介も一緒だった。
牧場でも行ったのだったか。詳細を思い出すことはできなかった。
部屋に入り、普段書類仕事をする際に使用している隣室へと進む。
机と服をかけているクローゼット、鏡台、本棚がある。必要最低限しかものはなく、殺風景でもあった。
しかし本棚には数個、写真立てが置かれている。子供の時分に皐月と撮影したものばかりだが、そこに写る自分はどこか幸せそうに笑っているのが見て取れた。
机に近づいてID認証の引き出しを開ければ、中から黒い箱を出した。手のひらほどの大きさのそれを開ければ中にはガラス玉が入っている。
「…もうこんなになってしまったか…ガラスの中でも変色してしまうものなんだな」
きれいに磨かれた球体には茶色く変色した指輪があった。
それがかつて鮮やかな緑色の葉と白い花でできていたことを覚えている。皐月に手渡された約束の証は俊介の指には少し大きいものだった。
ガラス玉に唇を寄せて元のように箱へ戻す。
ふたたび引き出しに鍵をかければ椅子に腰かけて窓から暗い空を見上げた。御大の生誕祭まで残り一週間を切った。
皐月の邪魔をするつもりはないが、皐月を危ない目に合わせるつもりもない。
むしろ皐月を悩ませる相手に対して俊介が容赦する必要もないだろう。
「先に御大に謝っておくか」
今年の生誕祭では血を見せてしまうことになるかもしれない。御大のことだから、暁らしい、なんて笑うかもしれない。
俊介としても長く面倒を見てくれた人の祝い事であるからでいる限り穏便に済ませたい。くあっとあくびをこぼす。
そろそろ皐月がくるかもしれない、と思い腰を上げるものの自分が牙城に出した指示を思い出してあげた腰を下ろした。これから一週間は寝不足になるかもしれない。ケガに気を付けなければな、と自分に喝を入れ椅子へと身を沈めた。
「…常盤、質問」
「なんだ」
ある夜、皐月とその配下たちが普段使用する部屋にて、常盤がその他大勢の男を前に話を終えた。
最前中央に座る市居は手を上げた。
上げた手をそのままおろして常盤の傍らでぼんやりと魂が抜けた姿の皐月を示す。
「皐月様、聞いてないけど」
「…わかってるからいいんじゃないか…」
常盤が珍しくメンドクサそうに言葉を返した。
呆けた皐月を見つめ市居が立ち上がって皐月の側に行く。
そばにしゃがめば目の前で手を振った。だが反応は薄い。一体何があったのだろうか。
市居はじっと皐月の目を見つめる。多分昨夜も俊介と共に過ごしたのだろう。いつもなら、またうざがられた、と凹んでいるのに今日に限ってはそれもなく今の時間まで動いていた。
「若はいつものことだとして、若頭に話すっていう約束はどうなったんだ。今の話だとそれは若頭には言えないだろう」
「言えないでしょうね。そもそも皐月様自身が話すつもりがないから」
「下手すると皐月様が死んでしまうのでは…」
「殺させない」
市居と常盤の声がかぶる。
二人よりも長く組にいるほかの配下たちは二人がどうしてそう言いきれるのかわかったものではない。
とはいえども、生誕祭の時に皐月が立てた計画は市居と常盤ですら不安がなくしきれない。
しかも肝心の皐月は現在魂が抜けたような状態である。
市居は唸った。
皐月に何があっても死なせることはないが、二人にも予想できないことをしでかすのが皐月なのである。
複数の予想を立てたとしてもいともたやすくそれをすり抜けて行ってしまう。
今までにも皐月はそういったことを何回もしてきた。
「とはいってもなぁ…皐月様ー?若様ー?………あ、若頭」
「ひょっ?!」
何度呼びかけても反応のない皐月に呆れた市居はふっと顔を上げてそう口にした。
瞬時に皐月が立ち上がって俊介の姿を探した。
それを見てその場にいた誰もが、やっぱりかぁとつぶやく。
そもそも皐月があんな状態になるのは俊介が関わること以外にない。
「皐月様、話聞いてました?」
「話…えっと…」
「常盤…」
「…御大の生誕祭にて、皐月様が行うことと人員の配置については説明を終えました。皐月様のことですからおそらくはきちんとわかってらっしゃるかと思いますが、何分生誕祭にて反対勢力を一掃するので」
「常盤、わかってる、わかってるから」
呆れた市居に促されるようにして常盤が口を開く。皐月はそれを聞き流してから俊介の姿がないことを確認した。
ほっと息をついてから自分を見るいくつもの視線から逃れるように立ち上がる。
俊介にフェラチオをされてその動揺が尾を引いているなどどうしていえようか。
もごもごと顔を背けて何かをつぶやく皐月だが頭をがしがしとかいて再び腰を下ろした。
「俺の、わがままで、ごめんな…俺が若頭になってればお前たちももう少し立場はよかっただろうに…」
「…皐月様が若頭」
「ないよなぁ…」
「若頭って柄じゃないし」
「お前たち、俺が何も言わないと思って言いたい放題」
「お前がそれこそ、こーんな小さい時から見てるんだぞ、俺たちは」
「市居と常盤にも話して聞かせるんだけど、お前が若頭のために生きてるようなもんだってのは誰もが知っているから今更だ」
皐月は口をつぐむ。
組で本格的に動き始めて配下として加えた男たちだが、彼らは皐月よりも長く組にいる。
皐月の今までを知っているため今この時しんみりとしたところで気にしないものばかりである。
御大や俊介にはないものを持っているのではないかと期待してそのあとについていくと自分たちで決めた。多少俊介にデレデレしているところは目をつぶったとしても、それ以上のものを皐月は持っている。
「なぁ、皐月よ。今度の生誕祭で、万一にもお前が若頭に話さなかった作戦のことがばれたらどうするんだ」
「平謝りする」
「…若頭がそれで許すとは思えねぇけどな」
うん、と誰しもがうなずいた。
まぁ、そうだろう、と市居が続けた。常盤も、約束を破ればなおのこと、ととどめを刺す。
撃沈しながらも皐月は話すわけにはいかないのだと告げた。
皐月は俊介を守るために動いている。守って、そして自分も生きて俊介のそばにいたい。
未だ、好きとの言葉を得ていない。ちゃんと自分もまじめに伝えられていない。
この仕事が終わったら、なんて映画のように考えてはだめだと首を振る。
お約束通りならば仕事の最中にお陀仏必至である。
「まぁなんだ。生誕祭の時はお前が立てた計画の通りに動いてやる。そうすりゃ向こうも同じように動くんだろ」
「……実際人間だから、百パーってわけじゃない。だけど、話の通じる幹部には伝えて了承も得ている。いい加減俺としても毎年毎年毎年…くそ親父の誕生日にかこつけて襲ってくるやつらの相手をする気力はねぇしな」
「それは同意できるな」
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皐月も目を細めて笑ったのち、市居と常盤に目配せした。心得たように二人は準備に入る。
静かに部屋を出たところで二人そろって息を止めた。
牙城を後ろに従えた俊介が腕を組んでそこに立っている。できることなら回れ右をしてこのまま部屋に戻りたい。だがそれをしてしまえば室内にいる皐月と配下である男たちに俊介がいたことがばれてしまう。
たらたらと脂汗を流しながら二人は顔を見合わせた。
聞いていたのだろうか。もしそうだとしたらいったいどこから聞いていたのだろうか。最初からなんてことになってしまえば皐月の計画はそこでお陀仏である。
言葉を紡げない二人を冷ややかな目で見つめた俊介は影のように付き従う牙城へ視線を向けた。
「…牙城。ほかの者に命じろ。皐月の配下の男たち、及び足立、早乙女、和田の各組の動向を注視しろと。それとお前は御大の生誕祭まで皐月が俺の部屋に来ないように邪魔しておけ」
「わかりました」
「…皐月に言うな」
俊介はそれだけを言うと牙城を連れてその場を離れて行ってしまう。
息を吐き出してしゃがみこんだ二人は俊介の圧から逃れるために何度も深呼吸を繰り返した。おっかないとはこのことか。
あれは完全に最初から聞かれてしまっていたパターンだろう。こちらが立てていた作戦がばれてしまったのはともかく皐月のひそやかな楽しみまで奪われてしまった。
「どうするかなぁ」
「皐月様の飲み物に強力な睡眠薬でも混ぜたら気にしないだろうか…」
「いや、あいつは結構野生の勘が働くから無理だな」
「無理か…」
重たいため息が揃う。二人は腰を上げて河嶋のもとへと向かって行った。
二人の行く先を遠目で確認した俊介は自嘲気味に笑って歩き出した。夜も更けだすころ合い、寝なければ明日に差し支える。
「俺はバカだと思うか、牙城」
「何をもってして馬鹿か、というところが明確でないので答えかねますが」
「自分が好いた男に好かれているのにそれを足蹴にしてあまつさえ嫌いだという態度をとったうえに、あいつの邪魔をしているところだな。俺のために、とやっているのはもうわかったことだ。だが」
言葉を切った俊介は皐月の傷だらけの体を思い出す。
死ななかったのが奇跡のような場所に傷があった。やはり裏稼業に携わるもの、人体の急所ぐらいは把握しているのだろう。死ななかったのはひとえに皐月の若さと執念、それから上條の腕のおかげかもしれない。
だが、皐月が御大の生誕祭で考えていることの全貌がわからない今今度もその程度で済むかは謎である。
幹部一同が勢ぞろいし、御大に祝いの言葉を告げる。そこに俊介はいることができるが、皐月をはじめとした幹部の部下たちはそばにいることはできない。
祝いの席であるから武器なども持ち込みはできない。そんな約束はあれども守られたことはない。
一年の内でもっとも俊介が神経をすり減らすのが御大の生誕祭であった。
「若頭…若を追い出していいんですか」
「なぜだ」
「近頃若とともにいる若頭の血色がいいように思えます。以前と比べたらよく眠れているのではないかと」
「そうだな…憎たらしいことに寝れている。それこそ夢すら見ない…気づけば朝だ」
「それはいいことでは」
「……牙城、女を抱いたことは」
「あります」
「男を抱いたことは」
「まあ、あります」
「男に抱かれたことは」
「ありません」
「だろうな…」
広くがっしりとした肩幅、同様に太い腕と首、一見すれば牙城はボクサーだったのだろうかと思われるほどにしっかりしている。
色々と吐かせるときは自分の肉体での力業も使うというし、それ専用の道具も使うというから人は見た目には寄らない。
「若頭は若に抱かれたのですか」
「驚くほどに直球だな…隠したところで無駄だろうけど。どうしてそうわかった」
「先ほど若頭は、自分が好いた男に好かれて、とおっしゃいました。若頭が自ら動くことのほとんどは若のためでもあります。それと男に抱かれたことは、との疑問から答えを出してみました」
「…わかりやすいか」
「正直に言うと」
牙城の素直な言葉に俊介は言葉を切ってから笑い出す。
牙城にすら気づかれてしまうというのにどうして皐月は気づかないのだろうか。
「…二十年も前の約束なんて、とうに時効だろうな」
「何か契約を交わしているのなら時効というものはあるかもしれませんが、そうでない口約束ならば時効はないかと」
ぽつりとつぶやいた言葉に牙城が返事をした。
独り言のつもりだったため返答が返ってきたことに驚く。後ろをちらりと見ればいつものように感情の浮かばぬ顔だった。
書面を交わしたのならば時効もあるし、記憶もあったかもしれない。だが、その約束を交わした時、皐月はまだ経ったの五歳で、書面ではなく小さな指輪を交わしただけだったのだ。
子供の口約束、そう思えればよかった。時を重ねて皐月とともにいる時間が増えるたびに自分の中に積もっていった想いが、もうただの口約束であるとは思わせてくれなかった。
「それでは、若頭、自分はここで。先ほどの指示、組員に伝えておきます」
「あぁ。ほかの幹部たちの配下には知られるな」
「わかりました」
牙城と部屋のそばで別れる。
庭を見ながらあの約束を交わした場所はどこだったかと考える。
あれは皐月が七五三の祝いをする前だった。とすると、まだ春先から夏場あたりだろう。
その時組員何人かを連れて御大が旅行に出かけた記憶があった。もちろん皐月の遊び相手でもある俊介も一緒だった。
牧場でも行ったのだったか。詳細を思い出すことはできなかった。
部屋に入り、普段書類仕事をする際に使用している隣室へと進む。
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しかし本棚には数個、写真立てが置かれている。子供の時分に皐月と撮影したものばかりだが、そこに写る自分はどこか幸せそうに笑っているのが見て取れた。
机に近づいてID認証の引き出しを開ければ、中から黒い箱を出した。手のひらほどの大きさのそれを開ければ中にはガラス玉が入っている。
「…もうこんなになってしまったか…ガラスの中でも変色してしまうものなんだな」
きれいに磨かれた球体には茶色く変色した指輪があった。
それがかつて鮮やかな緑色の葉と白い花でできていたことを覚えている。皐月に手渡された約束の証は俊介の指には少し大きいものだった。
ガラス玉に唇を寄せて元のように箱へ戻す。
ふたたび引き出しに鍵をかければ椅子に腰かけて窓から暗い空を見上げた。御大の生誕祭まで残り一週間を切った。
皐月の邪魔をするつもりはないが、皐月を危ない目に合わせるつもりもない。
むしろ皐月を悩ませる相手に対して俊介が容赦する必要もないだろう。
「先に御大に謝っておくか」
今年の生誕祭では血を見せてしまうことになるかもしれない。御大のことだから、暁らしい、なんて笑うかもしれない。
俊介としても長く面倒を見てくれた人の祝い事であるからでいる限り穏便に済ませたい。くあっとあくびをこぼす。
そろそろ皐月がくるかもしれない、と思い腰を上げるものの自分が牙城に出した指示を思い出してあげた腰を下ろした。これから一週間は寝不足になるかもしれない。ケガに気を付けなければな、と自分に喝を入れ椅子へと身を沈めた。
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