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第32話 何それ、嘘ってどういうこと?

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 何それ、嘘ってどういうこと?
 ちょっと、音夢が言ったことが理解できない俺だったりするんですけど……。

「橘君、わからない?」

 音夢がこちらをチラリと見返して、そんなことを言ってくる。
 そして、ゆっくりとミツの方を指さして、再度俺に向かって問いかけてくる。

「あそこにいるのは、誰?」
「誰、って、そりゃあミツだろ。どこからどう見ても」

「そうよね、三ツ谷君よね。私達が知ってる、三ツ谷浩介君だわ」
「だから、そうだって言ってるだろ。ありゃミツだよ」

 俺が重ねて答えると、音夢は笑みを深めた。

「それがおかしいのよ」
「は? 何がよ?」

「だって、今の三ツ谷君曰く、人じゃなくなって別人同然になったんでしょ?」
「まぁ、ミツはそう言ってたが……」

「三ツ谷君が別人になったなら、どうして私達は今、違和感を覚えていないの?」
「……あ」

 そう、か。そういうことか。
 ここでようやく、俺は音夢の言わんとしていることを理解した。

「ねぇ、三ツ谷君。私達は今のあなたを見て、三ツ谷君であることに何の疑問も感じていないわ。でもそれっておかしいわよね。あなたが別人になったなら、私達が真っ先に感じるべきなのは『本当に三ツ谷君なの?』っていう違和感なんだから」
「……懇切丁寧なご説明、痛み入るよ」

 音夢のまとまった解説に、ミツは笑みを消して答えた。
 その感情をが見えない顔つきは、不満を抱いているときのミツに間違いなかった。

「私達を、私をナメないでね、三ツ谷君。二年間会わずにいた橘君でもわかることよ。ずっとそばにいた私が、わからないワケがないでしょ?」
「…………」

 厳しい声で糾す音夢に、これまで饒舌だったミツは完全に黙りこくった。

「何か、あるんでしょう。今の自分から、私達を遠ざけようとする理由が」

 俺達を遠ざけようとする理由。
 そういえば、昔にもこんなことがあったな。高校三年の春先ぐらいだったか。

 あのときは大学受験を控えてる中、ミツが周りから妬まれていじめられてたんだ。
 ミツのやつ、俺達の受験への影響を考えて、一人で我慢してやがった。

 だが感づいた音夢が俺に知らせて、二人で学校中巻き込んで制裁してやった。
 音夢はいじめの証拠を集めた上で学校じゃなく教育委員会に直談判。
 俺はミツをいじめてた連中を狙って、一人ずつ闇討ちして病院送りにしてやった。

 いじめについては学校単位できっちり問題にされた。
 闇討ちにも絶対に素性がバレない形でやったので、俺は完全に逃げ切った。

 結果、ミツに「そこまでやる?」と言われたのは懐かしい思い出だ。
 それを思い出して、改めて俺は悟る。目の前のこいつは、間違いなくミツだ。

「バカ野郎」

 無性に腹が立って、俺はミツを罵った。

「何かあるなら、言えよ。別に、遠慮しあう仲じゃねぇだろうが……!」
「そうよ。三ツ谷君は演技が下手なんだから、私達を騙せるはずがないでしょ」

 うわぁ。音夢のツッコミがキレッキレだ。
 こいつも散々ミツに酷い扱いをされたワケで、腹に据えかねてたんだろう。

「…………」

 ミツは、まだ沈黙を貫いている。

「ミツ……」

 俺は、そんなミツに呼びかけた。
 ミツは前回、今の自分の目的は世界征服であると俺に語った。

 もちろん、俺はそんな戯言を信じちゃいない。
 四千ぽっちのゾンビと、たった数人の異能者で征服できるほど、世界は狭くない。
 俺は、ミツに向かって手を伸ばした。

「もうやめようぜ。何かあるなら、俺も音夢も手を貸すからよ」

 俺達は殺し合った。その事実は変わらない。
 だが、それでもやっぱり、ミツは俺のダチであることも変わらないのだ。

「トシキ。本気で言ってるのかい? 君はその手で、僕が率いる市政府の職員を何人も殺してきたんだよ。それなのに、長である僕にその手をとれって?」
「だったら、おまえが決めろよ。そいつらと俺達と、どっちを選ぶのか。それはおまえがすることであって、俺がどうこう言うことじゃねぇからよ」

 俺はあくまで、手を差し伸べるだけだ。
 高校のときみたいに、ミツと音夢と、ダチとしてツルみたいだけだ。

「三ツ谷君、あなたが私達に何を隠しているのかは知らないけれど、それで私と橘君があなたを嫌うことはあり得ないわ。それは断言できる。……わかるでしょ?」

 音夢が、俺に続けて言ってくれた。
 手を差し伸べる俺の隣に、音夢が立つ。そして俺達は二人でミツを見据えた。

「トシキ、音夢……」

 ミツは愕然となって、そのまま顔を俯かせる。
 葛藤も、当然あるだろう。ミツのいった通りに、俺は市政府の人間を殺している。

 あるいは、俺の手を取れというのは今のミツには酷な話なのかもしれない。
 それでも俺は言わずにはいられなかった。
 この滅びた世界でまた三人で共に過ごせるのなら、俺はそれを望む。心から望む。

 やがて、十秒ほども経った頃。
 動きを見せなかったミツの気配が、かすかに動いた。

「――バカだな、君達は」

 俯き、こっちに表情を見せないまま呟かれたその一言に、俺は既視感を覚える。

 ミツがいじめを受けたときも、まさにこんな感じだった。
 俺と音夢とでやり返したときに、それを知ったミツは今みたいに俯いていた。

 そして俺達二人をバカだと言って、上げた顔は嬉しそうに笑っていた。
 ああ、覚えてるよ。思い出すまでもなく、覚えてる。
 ホントのところ、余計なことをしたんじゃ、っていう怖さと不安はあったからな。

 その不安を、ミツの笑顔が払ってくれた。
 俺と音夢がしたことは無駄じゃなかったと、そのとき実感できたんだ。
 だからきっと、今回だって――、


「愚かしい。いつまで都合のいい夢を浸っているつもりだい、君達は?」


 だが、告げられたのは侮蔑の言葉で、返されたのは嘲笑だった。
 瞳孔が縦に割れたミツの瞳にねめつけられて、俺も音夢も、揃って言葉を失う。

「特にトシキだ。君は、さも高校のときのことを僕達の黄金時代のように扱うよね。三人でツルんでいたあのときこそが、人生最良のときであるかのように」
「……それが、何だってんだよ」

 ミツから感じる得体の知れない圧に、俺は声をくぐもらせて返す。
 そして、次に聞かされた一言は、思いもよらないものだった。

「僕にとっては、高校の三年間こそ、人生最悪の暗黒期だったんだよ」
「な、に……?」

 今度は、俺が愕然となる番だった。
 その俺の反応を愉しんでるかのようにして、ミツは上ずった声で続ける。

「辛くて、みじめな三年間だったよ。それもこれも、君が僕のそばにいたからッ!」
「……ッンだよそれ、どういうことだよ。ミツ!」
「ククク、フフフフッ、ハハッ、アハハハハハッ、ハハハハハハハハハ!」

 さっきの音夢よりも盛大に笑って、ミツが見開き切った目でこちらを見る。
 その視線に何か感じたか、音夢が顔を青ざめさせた。

「待って、三ツ谷君。何を言うつもり?」
「決まってるだろ、真実さ。ありもしない黄金時代の思い出を後生大事に抱えているバカなトシキに、それが幻でしかないことを、優しい僕が教えてあげるのさ!」
「やめて、やめなさい。それだけは言っちゃダメ!」

 音夢が血相を変えてミツを止めようとする。

「うるさい、黙ってくれ、音夢。そもそも君と付き合った理由だってそこに起因してるんだ。好きでもない女と付き合わなきゃいけない苦痛が、君に分かるものか!」
「それとこれとは別でしょう? 今さら蒸し返すことじゃないはずよ!」
「今だから蒸し返すんだよ、音夢!」

 だが、言われたミツは余計にヒートアップして、ますます声を荒げる。
 待てよ、好きでもない女って、何だよ。
 おまえは気恥ずかしそうに照れながらデートのことを語ってたじゃねぇか。ミツ。

 わかんねぇ。わかんねぇよ。
 こいつらは一体、俺の目の前で何を言い合ってるんだ?

「音夢、ミツ。……おまえら。一体、何の話をしてるんだよ!?」
「本当に好きなのはトシキだ、って話だよ」

 耐えきれなくなって俺がわめくと、ミツはあっさりと真実を告げてきた。

「……は?」

 俺はそれがすぐには理解できなくて、音夢の顔を見てしまった。
 バカな俺は「音夢が俺を?」と、思ってしまったのだ。
 いや、バカなだけじゃなく、俺の精神が理解を拒んだ結果の行動だったんだろう。

「…………」

 音夢は、その顔に悲痛なものを浮かべて、俺から目を背けていた。

「嗚呼、言っちゃった、言っちゃった! ついに言ってしまった! ずっと我慢してきたことを言っちゃった。人間だった頃には絶対に言うまいと決めてたことを、ついに言っちゃった! アハハハハハ、アハハハハハハハハハハハハハハハハハ!」

 対照的に、ミツは喜悦にまみれた顔で大笑し、パンパンと手を打ち鳴らした。
 明暗分かれ過ぎた二人のダチを前にして、俺はただ、立ち尽くすしかない。

「これでもう、僕達は後戻りできなくなったね、トシキ」
「ミツ……」

 ミツが、蛇のような目で俺を見て、舌先をチロリと出して唇を濡らした。

「君が抱いてた黄金時代の幻想はこれで死んだ。僕が、君の大事な思い出を穢したんだ。この僕が、君の心の聖域を踏み荒らしてやったんだ、トシキ!」

 心底から嬉しそうに、ミツは語る。
 その表情が、俺の心をどこまでも締め上げて、俺は悲鳴を上げそうになった。

「音夢、おまえは知ってたのか。このこと……」

 いっときでも逃げたくて、俺は音夢へと呼びかける。
 その場に崩れ落ちた音夢は肩を震わせながら、静かに首肯する。

「……話をされたことはないわ。確信もなかった。でも、何となくは気づいてたわ」
「まぁ、三年以上も付き合ってキスの一つもしてないんだから、気づくよね」

 音夢の言葉を、ミツが朗らかに補足した。

「手を繋ぐことも含めて、三ツ谷君は私と『そういうこと』をするのに抵抗を感じてた。それが何となく態度でわかってたから、もしかしたら、って……」
「そう、か――」

 俺は短く返事をするしかなかった。
 それ以外に言葉が見つけられなかった。何て言やいいんだよ、こんなシチュ。

「フフフ、ブチ破ってやった。ブチ壊してやった。トシキがいつもするみたいに! そうか、破壊するってこんなに気持ちいいんだ。今になってやっと気づいたよ!」
「ミツッ……!」

 面白おかしく笑うミツに、俺は拳を握りしめた。
 噛み続けた唇から、ジワリとにじんだ血の味が口の中に広がっていく。

「トシキ、音夢。僕達の過去は死んだ。だから、次は今の君達を殺そう。そして、僕の初恋も、君達との絆も、全て壊し尽くしてやる。本当の意味で僕は人であることをやめるんだ。――君達を殺して、僕は外道として完成する!」

 ミツの姿が変わっていった。
 前にここで会ったときと同じように、肌と瞳は黒くなり、髪が白くなっていく。

「さぁ、ブチ破ってブチ壊し合おう、トシキ」

 歯を剥き出しにして笑い、ミツは俺に手招きをした。
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