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2.檻の外で始める生活
24.避難先にて
しおりを挟む灯は心臓が破裂しそうになるスピードで通りを走る。
大通りに出た。
並木の葉はほとんど散っている。
あとは真っ直ぐ数百メートル走るだけだ。
もう警察は来ているのだろうか……?
不安で竦みそうになる脚を奮い立たせ、灯は足を進める。
……と、ふいに後ろから誰かに肩を叩かれる。
「っ……!!」
灯は叫び声を上げそうになる。
「栗栖灯様ですかな?」
心地良く通る男性の声に呼び止められ、灯の背中に冷たい汗が流れる。
振り向くと、眼鏡を掛けた老紳士がニッコリ微笑んでいる。
白髪を後ろに撫で付けるようにセットして仕立ての良いスーツに身を包んでいる。
灯はその気品ある老紳士に見覚えがない。
「なんで俺の名前を……?」
「説明している時間はありません。私の車にお乗りなさい」
その顔に意地悪な企みは全くない。
灯は少し迷ったが、その老紳士を信じて誘いに乗ることにした。
脇道に停められた、黒いコンパクトカーの助手席に灯は乗る。
老紳士は運転席に座る。
車は発車し、大通りから脇道に出て、黄丸のビルから遠ざかっていく。
老紳士は灯に話しかける。
「響一郎様のことでしたら安心なさい。私と明石黄丸様とで協力して安全なところへ連れて行きました」
「ええっ?! 警察が来る前にですか?」
「ええ。藤江という男が、色羽様の手先だということは、約1週間前には把握しておりました。逃げる場所も、逃げる手順も、響一郎様と私、黄丸様とで何度も確認しておりました。私の知り合いの警察官からの報告を受けてのギリギリの救出となってしまいましたが……」
「そうだったんですか……」
自分の知らないところでそんな話が進んでいたことに灯はショックを受ける。
白手袋を嵌めた老紳士の運転は神経が行き届いていて、揺れがほとんどない。
車は曲がり、山の方へ向かう道に入る。
「申し遅れましたが、私は上天神家の使用人の林です。響一郎様がお生まれになってからは、響一郎様の身の回りのお世話を主に担当させていただいていました。響一郎様からは『じいや』と呼ばれております」
「あ! 貴方が響ちゃんの『じいや』なんですね!」
灯が響一郎と屋敷を出たとき、色羽や音二郎のばあややじいやはいたが、響一郎のじいやは不在だったことを思い出した。
「でも、林さんは上天神家にお仕えする立場なのではないですか? 勝手に動いて大丈夫なんですか?」
浮かんだ疑問をそのまま聞いてしまう灯に林は前を向いたまま微笑む。
背筋を伸ばしハンドルを握る姿はどことなく誇らしげだ。
「立場としてはそうなります。私は響一郎様を捕らえ、色羽様に身柄をお渡しせねばなりません……しかし、私は響一郎様の親代わりでもある、と自負しております。響一郎様の御身を脅かすものがあればお守りするのが私の使命です。今、響一郎様の御身を脅かしているのは、色羽様をはじめとする上天神家の方々です……ですから、私は進んで上天神家の裏切り者になりました……どんな処罰も甘んじて受ける覚悟はできております」
その横顔から、灯は林の強い意志を見る。
山の中を走る長いトンネルを抜け、車は何回も曲がった末に、田んぼの中にポツンとあるアパートに着く。
土地の所有者が家賃収入を期待して建てたアパートらしいが入居者は誰もいないのだ、と灯は林から聞く。
同じドアが等間隔で幾つか並ぶ中の1つのドアを林は開ける。
灯の胸は高鳴る。
ドアが開く。
「暗く短い廊下と小さなキッチンの先に電気のついた部屋が見える。
靴を脱ぐ時間ももどかしく、灯は廊下を走り抜けて部屋に着く。
「響ちゃん!」
「灯!」
響一郎は部屋の床にノートパソコンを置いて胡坐をかいている。何か作業をしていたらしい。立ち上がって灯を迎える。
長い脚が伸びて一気に灯の背を越える。
響一郎は白いシャツに黒いジャケット、グレーのワイドパンツを履いている。
髪も伸びているなりに顔に上手く流していて、いつもよりよそ行き風だ。
久々に部屋を出るため、時間がないなりに見た目を整えたのだろう。
灯はそんなことを一瞬考える。
しかし、それが一転怒りに変わる。
安心からの涙も零れる。
「なんで何にも言ってくれなかったんだよ!?」
「灯……」
響一郎の顔が悲しげに曇る。
「俺、藤江に酷いこと言われて、すっごく怖かったんだぞ!! みんな俺に何にも言わず勝手に色々話進めて……何なんだよ、一体!!」
喚きながら胸に飛び込む灯を響一郎は受け止める。しっかりと抱きしめながら、灯の被っていた変装用のニット帽を外す。
現れたサラサラした長い金髪を響一郎は撫でながら言う。
「心配掛けて悪かったな。灯が出かけてすぐじいやから連絡来て、部屋を出ることになったんだ」
響一郎の匂いを吸ったり吐いたりして、灯は落ち着きを取り戻していく……
「でも、藤江がスパイだってこと、1週間前には響ちゃんは知っていたんだろ?」
グズグズ鼻を啜りながら灯は響一郎に聞く。
「ああ、知っていたよ」
平然と響一郎は答える。
「じゃあなんで俺に言ってくれなかったの?」
「灯が発情期だったからだよ」
灯はハッとなる。
「発情期明けのお祝いのケーキを2人で食べてから話をしようと思っていたんだが、敵は一歩先を行っていたな」
「ごめん……俺がお祝いなんて言うから……」
灯は自分の能天気さを呪う。
冷静になり、涙も止まる。
「まぁ、灯から藤江の話を聞いたときから、怪しいとは思っていたけどな。あいつは色羽が好きそうなタイプだったから。優秀なβはαに対して不満を持っている人間が多い。そこを突けば簡単に落とせる。色羽は上手く煽てて、利用するだけ利用して捨てるんだ」
「そうなんだ……」
灯は響一郎から離れる。
林の前で響一郎に抱きついている自分が恥ずかしくなったのだ。
響一郎は灯の向こうに立つ林に声を掛ける。
「じいや、ありがとう。感謝しても仕切れないよ」
「滅相もございません。当然のことをしたまでです」
林は事もなげに言う。
「今回のことだけじゃないよ。じいやは、俺がREDにされてから一貫して味方でいてくれた……最初の頃なんて俺、毎日『殺してくれ』って泣き叫んでた。甘えられるのがじいやしかいなくて……その頃のじいやの気持ちを思うと申し訳ないよ」
恥ずかしそうに頬を赤くして響一郎は詫びる。
真面目な顔になった林は少し考えた後に言う。
「辛くなかった、と言ったら嘘になりますが……そう口に出していただけている間はまだ良かった、と後に思いました」
言いにくそうに話す林に響一郎はハッとする。
「響一郎様が私の前で弱音を吐かなくなった後……灯様に他のαを番わせようとされているときが一番辛かったです。元気になったように見えても、不安で仕方ありませんでした。無事に事が済めば、私には何も言わずに私の前から去ってしまうのではないか、と思われたので……」
響一郎は胸に手を当てて言う。
「そうだったのか……確かに、じいやに泣きつくのはやめたけど、心の中では死ぬ気でいっぱいだったからな。じいやは何でもお見通しだな」
響一郎はフッと顔を崩して笑い、林と灯の顔を交互に見る。
「俺は馬鹿だったな。じいやや灯に迷惑掛けまいとして、勝手に突っ走って……結果的に余計に辛い思いをさせてしまった。ずっと、こんな俺は生きていても仕方ないと思っていたんだ。でも……」
離れていた灯に響一郎は自分から抱きつく。
灯の肩を響一郎はギュウウと両腕で締め付ける。
「生きていきたい、って今は思う。俺は、灯と……」
鼻を啜るような音で、灯は響一郎が泣いていると分かる。
「こんなところにまで避難させて申し訳ないけど……」
詫びる響一郎の胸に灯は耳を押し当てて心臓の音を聞く。全身から響一郎の熱が伝わってくる。微かにモクレンの匂いが香る。
色々な感情が押し寄せてきて、灯の目からも再び涙が溢れる。
響ちゃんは林さんには泣き叫ぶ姿を見せていたんだなぁ……
林さんにはなれないけど、俺も響ちゃんの色々な顔が見たい。
俺も、響ちゃんには色々な俺を見せていきたい。
そのためにも、2人で生き延びて、幸せにならなければいけないなぁ……
灯は自分の警戒心のなさを反省する。
そして、決意を口にする。
「俺も、響ちゃんと生きていきたい……」
灯は響一郎の背中に腕を回し、抱きしめる……
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