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2.檻の外で始める生活
13.プライドの置き場
しおりを挟む灯と響一郎は、最低限の荷物と共に、黄丸の車でビルのある一室に移動した。
最上階に近い、35階である。
夕食に黄丸に買ってもらった惣菜を2人で食べる。
ベランダの柵はガラス張りで、街が一望できる。
その夜景の美しさに灯は息を呑む。
星1つない空の代わりに星を散りばめたような下界……
「とりあえず、部屋を出られて一安心だね」
「そうだな。警戒は緩めてはならないが……」
角切りのローストビーフやエビとアボカドのサラダなどを2人でつつき合う。
「黄丸のおかげで、仕事続けられそうだよ。アカシジュエリーのSEさんにリモートで作業できるようにして貰えるんだって。俺の居場所が分からないように、セキュリティもしっかりしてくれるって」
灯は目を輝かせて話す。
灯は中学受験専門の学習塾で事務をしている。
灯は高卒ではあるが、勉強を教えるのは上手な方なので子供たちに質問されて個別に教えたりもする。
灯は子供たちと関わる仕事が好きだから、続けることが出来て嬉しかった。
「そうか……俺は何しようかな……」
響一郎が寂しそうな顔になるのを見て、灯は切なく思う。
将来は社長になることを約束されていた響一郎だったが、今や自分が何をすべきなのかも分からなくなっている……
「パソコンで出来る仕事もあるんじゃない? 調べてみたら?」
「そうだな。探してみるよ」
灯は自分の提案が受け入れられて良い気分になる。
「いつまでこんな暮らししなきゃいけないのか分からないけど……希望は捨てないでいようね。黄丸も色々手立てを考えてくれているみたいだし……」
「灯はすごいな。良い友達に恵まれて……灯の人徳だな」
響一郎は微笑む。
灯の服だと手足が短過ぎて飛び出てしまうので、黄丸の服を借りて着ている。
黒のトレーナーとジョガーパンツはぶかぶか気味だが、そういうルーズな格好も良いなぁ、と灯は思う。
「黄丸は本当に良いヤツだよ。俺らが再会した記念にペアカラーをプレゼントしてくれるって言ってくれてるし」
「ペアカラー?」
「今時のΩ同士のカップルはペアの首輪を付けて楽しむみたいだよ。ほら!」
灯はスマートフォンに保存した黄丸のペアカラーの写真を響一郎に見せる。
響一郎は眉を寄せてそれを見る。
「天の川みたいでしょ。2人で付けたら、ここから見える夜景みたいにきれいだと思うなぁ」
響一郎の表情が明らかに曇る。
「俺は、ちょっと……」
「あんまり好きじゃない?」
「いや、デザインとかの問題じゃなくて……」
響一郎は気まずそうにする。
灯は響一郎の言っている意味が分からず、聞いてしまう。
「デザインじゃなかったらどういう意味?」
「しばらく外に出ることないだろうし、今あるので良い」
「今あるのって、RED専用の、国の登録番号付きのヤツでしょ? それよりはこっちの方が何倍も良いと思うけど……」
響一郎は不満そうな顔をする。
灯が納得いかないのが気に入らないようだ。
「それで良いんだよ、俺は。俺は、普通のΩじゃないから」
響一郎の様子から傲慢さが滲み出る。
そういうことか、と合点し、灯は冷ややかな目を響一郎に向ける。
REDとして、響一郎は家族やそれに近い人々に酷い目に遭わされた。
人間らしい扱いとは程遠いところにいた。
しかし、それでも、元々上流階級のαしかREDにはなれないのは確かだ。響一郎はそこにプライドがある。
「俺は生まれつきのΩとは違う」と響一郎は考えているのだ。
灯は響一郎の考えを見て取り、落胆した。
翌日にはリモート勤務の環境を整えてもらって、灯は元の仕事に復帰した。
「栗栖くん、なんで休んでいたの?」と子供たちに口々に聞かれて困ったが、それもまた嬉しかった。
灯が仕事をしている間、響一郎はネット上で出来る仕事を探したり、家事をしたりしていた。
ある日、夕食を2人で取っているとき、響一郎がとても落ち込んでいた。
あからさまにため息を吐いたり、荒っぽい箸使いをしたりする。
「響ちゃん、何かあったの?」
「やっぱり俺はΩなんだ……クソっ、色羽のヤツ……殺してやりたい」
響一郎が色羽を殺したいと思う程憎む理由は充分にあるが、どうも様子がおかしい。
灯は話を聞いてみる。
「良い仕事があったから受けてみようと思ったんだ……でも、高度なプログラミング言語が必要で……勉強してみたけど上手くいかない。このままだと辞退しないといけないな。あぁ……Ωになったから頭が馬鹿になったんだ。畜生」
響一郎は拳で机を叩く。耳障りな音が響く。
「こんな馬鹿なΩの頭で生きるくらいなら、いっそ早く自殺して、色羽を呪い殺せば良かった!」
灯は呆れ果てながら響一郎に言う。
「Ωが馬鹿なんじゃなくて、響ちゃんが馬鹿なんだろ? Ωのせいにするなよ。迷惑だ」
辛辣な灯の言葉に響一郎は愕然とする。
「確かにΩはαやβよりも能力が劣っているとされているけど……でも、響ちゃんは優秀なαとしてずっと生きてきて、上流階級のαしか受けられない教育も受けられてきたじゃないか。俺ら生まれつきのΩには縁がないような……」
灯の怒りは止まらない。
「そりゃ、優秀なαたちから見たら、Ωは大したことない頭しているように見えるかもしれないけどさ……俺だって頑張ってるんだよ。それで何とか今の職場では認められてる……響ちゃんだって、Ωになって仕事し始めたのはつい最近じゃないか。もっと頑張ってみないと頭の出来なんて分かりっこないよ。それに、実力以上の仕事を受けて後から出来ません、っていうのは社会人失格だろ? そんなのΩ関係ないよ。ちゃんと勉強してから仕事受けろよ」
灯に叱られた響一郎は、耳まで真っ赤になって小さくなる。
もともとは響一郎が灯を助けて、高校に行かせてくれて、今の仕事に就けるようにしてくれたのだ。
灯にとって、響一郎は社会人としてずっと憧れの先輩だった。
しかし、今は立場が逆転し、灯が響一郎を叱責している。
響一郎は立つ瀬がない。
「ごめん……」
響一郎は小さな声で謝った。
数日後、また2人で夕食を取っているとき、響一郎から灯に報告があった。
「前の難しい案件は断ったよ……向こうは良い顔しなかったけど、安請け合いした俺が悪いから丁重に謝った。今は自分の実力範囲内の仕事をしながら、勉強もしているよ。ちょっとずつ成長していかないと名……」
響一郎は恥ずかしそうに微笑む。
「そうか……」
灯は響一郎が自分の言うことを聞いて、間違いを修正してくれたことが嬉しかった。
少しずつ、2人の関係は変わっていく……
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