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1.木津①

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 今日の化学の授業中、辺見憂へんみゆうはずっと寝ていた。


 教師は注意しない。
 クラスメイトも誰も彼に興味を持たない。



 俺は友達にその話を振ってみる。
「辺見、最近授業中寝てばっかりだな。あいつ、ぼっちだからノートも借りれないし、どうするんだろうな?」
 俺はヘラッと笑う。


 3人……葉名はな美々みみ能登のとは異物でも見るような目で俺を見る。
「本当に性格悪いな、木津。心配している振りして、面白がっているだけだろうが」
「そもそも俺ら辺見なんかに興味ねぇし。存在すら忘れてたわ」
 美々、葉名ともに冷めた顔で言う。


 いつものことだ。
 俺の発言はいつも他の3人に馴染まない。どこか浮いてしまう。
 3人と俺は形だけは4人グループだが、実質3人と俺の間には壁がある。お情けで入れてもらっているように思うこともある。

 でも、俺はこのグループに形だけでも入っていることに満足している。
 俺はクラスでも一番ではないが上の方のグループに入っている。隠キャばかりのグループに入ったり、ましてや辺見みたいにぼっちになるよりも何倍もマシだ。
 俺はなんだかんだで小学生のときから高校生の今まで、何とかこのポジションを保てている。

 俺は喋るのを止めて、3人が話をするのを眺める。
 またすぐに喋りたくなって入ってしまうのだが……



 帰り、俺は靴箱で靴を履き替える。

 有名スポーツブランドの赤いスニーカーだ。蛍光色でよく目立つ。
 最近買ったお気に入りだ。

 その靴を履いて、俺は電車に乗り、自宅の最寄駅で降りる。
 改札前に見知った顔を見る。

「辺見、待ったか?」
 俺が声を掛けると、辺見は嬉しそうな顔をする。
「ううん」
「ふぅん」


 俺はさっさと歩く。辺見は慌てて付いてくる。
 10分程歩き、俺はある一軒家の門に入る。

 大きい家だが、古い日本家屋だ。広い庭にある木々は剪定されているが、地面には雑草が生い茂っている。


 俺は持っていた鍵で引き戸を開ける。
 馴染みのある匂いが俺を包む。
 辺見も黙って付いてくる。

 暗い廊下を歩き、2間続きの和室に入る。
 廊下に近い方の間は仏壇と箪笥がある部屋で、南側の間には介護用ベッドがある。


「おばあちゃん、来たよ」
 俺が言うと、テレビを見ていたおばあちゃんの顔がパッと明るくなる。
 おばあちゃんは白髪の多いグレイヘアで、紫色のワンピースとカーディガンを着ている。足元はハイソックスと模様付きの靴下を重ね履きしている。いつ見てもお洒落なおばあちゃんだ。

勇夢人ゆめと、いつもありがとう。毎日あんたと会えるようになって、本当に嬉しいよ」
 おばあちゃんは辺見にも声を掛ける。
「憂くんも本当に……申し訳ないねぇ。毎日ここに来てもらって、掃除やら食事やら……何から何まで世話してもらって……親御さんは心配していないかい?」

 俺の後ろに立つ辺見はふわりと笑う。
 辺見は俺よりも20センチ程身長が高いが、細い体とサラッとした茶色がかった髪、女の子のような顔立ちのために、威圧感は全くない。
「大丈夫です。俺がやりたくてやっていることですから」

「そうかい。ありがたいことだねぇ。お駄賃弾んどくよ……今日は何からしてもらおうかねぇ?」
「おばあちゃん、庭の雑草が伸びているから、2人で草むしりするよ」
 俺はそう言うと、辺見の腕を引っ張って玄関に連れていく。靴を履き替えて、庭に出る。


「倍速で終わらせてくれ」
 俺は縁側の側の沓脱石(くつぬぎいし)に腰掛け、脚を組む。
 2人で、とおばあちゃんには言ったが、最初から辺見に全部やらせるつもりだった。

 辺見は何も言わずに俺の言いなりになる。

 早くはないが遅くもないペースで辺見は作業する。
 1時間ほど経って、俺は立ち上がって言う。
「半分は終わったな。まだまだすることはあるぞ」



 辺見は掃除機をかけたり、拭き掃除をしたり、夕ご飯を作ったりした。
 おばあちゃんには俺と辺見の2人でしていると言っているが、おばあちゃんの目がないところでは全部辺見にやらせている。

 食べ終わった食器を流しに持っていったら、あとは洗い物をして終了となる。

 俺は辺見に熱いお茶を入れてやる。
 それだけは俺が率先してやる「ねぎらい」だ。
 昭和感溢れるキッチンで、俺たちは向かい合い、古臭いイラストが描かれた湯呑みでお茶を飲む。


 辺見は無言でお茶を啜る。
 ぼっち人間らしく全然自分のことも話さないし、相手のことにも興味を持たない。
 俺の方から口を開く。
「お前、最近授業中眠そうだな。もうここに来るのやめるか?」
 辺見は悲しそうな顔をする。
「家に帰ってから家の家事してるから……」


 それは俺も知っている。
 辺見の親は遅くまで働いていて、家事は辺見がやっている。

「それにしたって、最近酷いじゃねぇか。学生の本分は勉強だろ?」
「最近、お小遣いが欲しくて新聞配達も始めたんだよね。だから、寝る暇がなくて……」 
「馬鹿じゃねぇの? お小遣いなんかいらないだろ。寝ろよ」

 俺は吐き捨てるように言う。
 辺見の顔の悲しみが濃くなる。


 辺見が言いたいことくらい、俺にだって分かる。
 ここ1ヶ月、俺……ではなく辺見は毎日のように俺のおばあちゃん家に来て家事を手伝っている。
 もともとはおばあちゃんの娘であり、俺の母親の姉である伯母が通ってやっていたことだが、俺がやると提案したのだ。
 伯母からは結構な額の報酬を貰っているし、おばあちゃんからもお駄賃が貰える。しかし、実質働いている辺見は1円も貰っていない。俺は辺見から搾取している。

 辺見に俺が金を渡していれば、辺見はバイトする必要もなかったのかもしれない。でも、俺は辺見に金をやるつもりはない。



 そもそも、おばあちゃんの手伝いをわざわざ俺が申し出たのは、辺見にただ働きさせるためだった。



 2学期になったばかりのある朝、俺が登校したとき、辺見は俺に話しかけてきた。
「木津くん、その赤いスニーカー良いね。格好良いし、似合っているよ」

 あのスニーカーを卸して3日目のことだった。
 俺は舞い上がる程嬉しかった。
 かなり自信があったのに誰もスニーカーについて言及してくれなかったから、気にしていたのだ。

 辺見は顔を真っ赤にしていたし、声も震えていた。
 俺のために、勇気を振り絞ってくれたのだろう。

 嬉しかったので、俺は辺見ともっと会話したいと思った。
 友達になりたいと思ったのだ。
 しかし、辺見はぼっちの男だから、普通の友達みたいに話すと俺の「格」が下がってしまう。ただでさえお情けで今のグループにいるようなものだから、そういうことを気にしないといけないのだ。
 
 俺は考えを巡らせて言った。
「俺のおばあちゃん、脚を悪くして家事ができないんだ。お前、手伝えよ」

 めちゃくちゃな話だ。
 スニーカーを褒めたのに、なんで手伝いの要求が返ってくるのか、辺見からしたら訳がわからないだろう。

 しかし、辺見は即答した。
「良いよ」
 その顔は笑っていた……



 ……キッチンで緑茶を飲みながら、俺は向かい合わせに座る辺見の顔を見る。

 女の子みたいな顔だし、肌色は白く、どこか外国人風でもある。長身で体型も悪くない。
 上手くやれば普通にモテそうだが、どうしようもない陰気臭さが素材の良さを打ち消している。


 高校に入って以来、全く友達のいない辺見だ。
 ほとんどの人はそんなこと気にしていないだろうが、俺はチェックしている。
 自分より下の辺見のことが気になるのだ。


 俺の言いなりになるのは、俺と友達になりたいからなのだろう。
 実は俺もそうだ。
 俺は俺のスニーカーを褒めてくれた辺見と友達になりたい。

 最悪の誘い方だが、俺は辺見と話す口実が欲しかった。
 実際、こうして今俺は辺見と2人でお茶することができている。

 しかし、俺は辺見とも距離を縮めることがイマイチできていない。
 俺は結局のところ、嫌がられながらも形だけの友達になってもらうことしかできないのかもしれない。


「もう遅いぞ。さっさと飲んじまえよ」
 俺は乱暴な口調で辺見に言う。
「そうだね。少しでも早くして、今日は早く寝なきゃ」
 辺見は目を閉じて緑茶を飲み切る。

「俺は忙しいから洗い物はお前がしろよ。鍵は渡しとくから、1人で帰れ」
 特に忙しくもないのに、また俺は辺見をいじめるようなことを言ってしまう。
 返事も待たずに引き戸を開けてキッチンを出る。

 俺は戸を閉める。

 2人分の湯呑みを流しに運ぶ辺見の口元が微笑んでいるのが見えた……
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