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第八章
本来の姿
しおりを挟む長い渡り廊下を、小走りになりながら進んでいく。
先導してくれているクランさんの後ろについて、レイゼン様の居住棟を目指していれば、ふと懐かしい香りに振り返った。
視線を向けた先には、大きな庭園がある。
満開を迎えた数多の桜の樹囲まれた大きな泉には、澄みきった水面が空の青を映していた。
――お祭りの夜にレイゼン様が連れて来てくださった場所だわ。
数日前の記憶を思い出せば、不意に視界が陰る。
天を振り仰ごうとした瞬間、轟音と共に建物を揺らすような強風が吹きつけた。
全てを薙ぎ払うような風が吹き抜けた後、閉じていた瞼を開けば、中庭に差す大きな影が映る。
その影を追って空を見上げれば、そこには大きな翼龍が旋回していた。
遥か上空を飛んでいたそれは、ばさりとその翼を揺らし、滑るように中庭の泉に舞い降りていく。
地上に降りた龍が、薄布を張ったような翅を畳むように風を切れば、泉に波紋が広がった。
全身を覆う黒い鱗は、陽の光を反射して薄らと青に輝いており、頭の上には尖った角のようなものが生えている。
長い尾が水面を叩けば、派手な水しぶきが上がった。
人の何倍もあるその巨体は、まさに物語やゲームなんかに出てくるドラゴンそのもののように見える。
先程の強風で舞い上がった花びらが、龍の背中にひらひらと舞い降りる。
巨大な黒い生き物が黄金色の瞳を細めると、咽喉を鳴らすような音が響いてきた。
その穏やかな眼差しを前に、自然と口が動く。
「レイゼン様、ですか?」
私の声に、黒龍は首を下げ項垂れるような姿勢になる。
その仕草を見た瞬間、気付けば中庭に飛び降り桟橋のほうへと駆け出していた。
桟橋を抜けて、水上の東屋に出る。
顔を覗かせれば、こちらを見つめる黄金色の瞳が目の前にあった。
手を伸ばして黒曜石のような鱗に触れる。
すべすべとした手触りのそれは、一枚一枚が磨かれた宝石のように輝いていた。
「……怪我をされたと聞きました。大丈夫ですか?」
私の声に応えるように、黒龍はその頭を伏せる。
視線を身体に向ければ、肩口から背中に掛けて、抉られたように鱗が剥げて赤黒く染まっている傷口が見えた。
想像していた以上の傷に、思わず唇を噛む。
「……痛かったでしょう?」
これほどの深い傷を、どうやって負ったのか見当がつかない。
身を抉られる痛みを想像して、眉根が寄ってしまう。
言葉が出てこない私を見かねたのか、喉を鳴らした彼は、ゆっくりと翅を広げた。
ふわりと優しい風が、肌を撫でる。
『――聞こえるか?』
突然聞こえた声に、顔を上げた。
「レイゼン、様?」
『ああ』
私の声に、黒龍はその瞳を細める。
それは、音声ではなく直接頭の中に呼びかけるような不思議な声だった。
なにがなんだかわからないままながらも、そんなことは今更気にしていても仕方がない。
ここは異世界で、私は今亜人たちの国に生きているのだ。
驚くことにも慣れたような心地で、黒龍の鼻の頭を撫でれば、また喉を鳴らすような音が響いた。
それがなんだか猫が甘えるときの音のように感じて、思わず頬が緩んでしまう。
「怪我をしたと聞いて、心配しました」
私の声に、黒龍はふんすと鼻息を鳴らした。
『それは、すまなんだ。あやつの気が済むならと無抵抗で受けてしまった』
「でも、こんな深い傷――」
『安心していい。この姿になれば随分と回復も早い。夜には傷を治して、何食わぬ顔で会いに行くつもりだった』
彼がそう言うのなら、実際傷は治るのだろう。
ただ、いくら傷が癒えたとしても、怪我をしたという事実は変わらない。
「どうして、こんなことになったのですか?」
消えない不安が、口から零れ出る。
「レイゼン様がガルファンさんから怪我をさせられるだなんて、通常であればありえないと聞きました。もしかして、私が昨日余計なことを話してしまったせいではないかと……」
おずおずと見上げれば、黄金色の瞳がゆっくりと細められた。
『安心していい。この傷は私の意思によるものだ。けしてそなたのせいではない』
「レイゼン様の意思、ですか?」
『ああ』
ごろごろと咽喉の鳴る音が響く。
『あやつが、そなたを譲れと言ってきたからな』
その声に、思わず目を瞠る。
目の前の黒龍は小さく首を振ると、姿勢を正すようにその首を擡げた。
『私にも譲れぬものはあるのだ』
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