霧の街

木村

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霧の街

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「霧の中で出会った相手を家に招き入れてはいけない。それは人ではないかもしれないから……。……、
この土地で昔から言われていることです。まあ、要するに不審者注意、ということですね。霧の日は、とにかく視界に頼ると危ないんですよ」

 引っ越し初日、大した荷物もなく、すべきこともなかったので、家の近くを散歩していた。そこで、この辺りの氏神を祀っているという神社を見つけ、参拝をしていたら、「観光の人?」と声をかけてきたのが、この宮司さんだった。人当たりの良さそうな顔立ちで、人当たりの良さそうな笑顔で、人当たりの良さそうな声で……なんというか、私――湯崎(ゆざき) 菫(すみれ)とは真逆の人だ。
 だから、無視もできず、ぼんやりと相槌を打つ。

「今日も午後からは霧が出る、という予報です。慣れるまでは気を付けて」
「……はぁ……」
「あ、そうだ。名乗ってませんでしたね。俺はここの宮司で、雪谷ゆきやと申します」
「雪谷さん……あ、私は……」
湯崎ゆざきさん、ですよね。越して来られた方。噂になっているので……あっ、こういうの、田舎特有で嫌ですか? あの、嫌な意味じゃないんですよ。みんな、歓迎しています」

 そうですか、と返し、肩にかけていたトートバックをかけ直す。気まずすぎて今すぐ帰りたい。こういうのがうまくできるなら、東京でもうまくやっていた。できないからここにいるのに。

「お友達になりませんか?」
「……は?」
「俺も、移住者です。きっとお役に立てるかと……それに、友達欲しかったので」

 私が何も答えないでいると、決まりですね、と彼が笑った。何が決まったのかもわからないまま、彼の差し出した手を握る。冷たい手だ。

「よろしくお願いします」
「……はぁ……」

 そうしてなんとか彼の別れ、帰路についた。

(もう家から出たくないな……)

 新しい我が家は木造二階建ての、よく言えば流行りの古民家で、悪く言えばボロ家だ。でも内覧でこの縁側に座ったとき、『ここだ』と思った。それで、この家を買い、ほんの少しだけ手入れをして、この街に越してきた。

(……この街なら肌に合うと思ったのに、あの宮司……あそこはもう行かないでおこう……)

 そもそも、この家に越してきたのは、人生の殆どに疲れてしまったことが原因だ。
 思い返せば、私は生まれたときからだめだった。物心つく前に両親が死に、気がついたら親族をたらい回しの生活。それでも何か一芸でもあれば愛されたものを、とにかく不器用で、何をやるのにも人の倍はかかり、しかも出来が悪い。何もできないのだから愛されることもなく、愛されないからこそ愛することもない。誰のことも信用できず、出来もしないのに、一人で抱え込む。そうして袋小路だ。だから、根本的にまともな人間になれない……人の形をしただけの人でなし、……それが私だ。
 そう自覚して、逃げることにした。
 幸いにして僅かだが蓄えもあり、細々暮らしていけば死に逃げられる算段がついた。だから東京から離れ、全国津々浦々暮らすように旅しながら、私でも住める土地を探して、一年。
 私はようやく、この縁側にたどり着いたのだ。

「あ……」

 夕暮れとともに霧が出てきていた。縁側から、霧に滲む夕日を眺める。

「霧……」

 一年の殆ど、霧に覆われているこの土地には、他では生きにくい人間が呼び寄せられるように集まってくるのだと、移住を決めてから聞いた。でもきっと『本当に』そうなのだろう。だって、その気持ちはよくわかる。

(あぁ、この霧……この霧だけは、どんなに愚かな人間も受け入れてくれる……)

 縁側で体を横にして、霧に手を伸ばす。

「きれい……」

 霧だけに染まる世界。しっとり湿っていく手。明るい人に話しかけられただけで疲れた心が眠りたいと言う。

「いいか……ほんの少しなら、眠っても……」

 ほんの少しだけ、そう思って目を閉じた。



 霧の中で出会った相手を家に招き入れてはいけない。それは人ではないかもしれないから。



 霧の中、縁側で眠る女の傍に佇む『者』がいる。
 後ろ姿を見るに、背丈は二メートルを超えている。人によく似た形をはしているが、しかしどう見ても人にはないものがある。
 まず、その頭部。
 絹糸のように細く艶めく白銀の髪は床につくほど長く、その時点で人らしからぬ風貌ではあるが、それよりもその頭にある、『立ち耳』。狼を彷彿とさせるその獣の耳は、ふるふると震え、飾りではないことは明白だ。
 そして、もう一つは『尾』だ。
 その者が身につけている着物は灰青色で艶があり一級品であることはわかるが、同時に裾の方は傷んでおり、年月を感じさせる。そんな着物の尻の部分に切れ込みがあり、そこからとても長い尾がでているのだ。そのものはその長い尾を自らの体に巻き付けて、まるで装飾品のようにしていた。
 つまり、それは『異形』だった。
 そんな者がそばにいるとも気が付かず、女は眠っていた。何をされても気が付かないほどの……『不自然なほどの』……深い眠りに。

「……どうせ、星のように遠くで光るものなのだろう?」

 異形がポツリと話し出す。

「手に収められて、囲い込んで、仕舞えてしまいそうなほど小さく、けれど美しい光。だけど、どうせここにはないのだ。だから私の手では触れられない……こんなにも焦がれているのに、こんなにも願っているのに、私には決して与えられることはない……そのくせ、ひらひら、ゆらゆら、蜃気楼の中で踊り続ける……こんなに愛しているのに……こんなにも望んでいるのに、……お前はいつもそうして姿だけ見せては……私に期待ばかりさせて……」

 異形は振り始めた雪のように真っ白だった。それは肌ではなく、ビロードのように、柔らかく白い毛に覆われているのだ。爪さえも白い、その真っ白な手を持ち上げる。異形の指先は震えていた。

「なあ、……お前、……どうせ、そうなんだろう……?」

 異形は真っ白な手で、眠る女――菫の頬に触れた。

「あ」

 爪先で触れ、怯えるように離れ、そうして、今度はゆっくりと掌で、確かめるように触れる。

「……あぁ……」

 衣擦れの音を立てながら、異形は菫の傍らに腰掛ける。

「やっと、……帰ってきてくれたのか」

 異形は何度も何度も菫の頬を、髪を、首を、肌を撫でる。
 はらり、と異形の目から涙が落ちる。
 異形の目は青い光を持っていた。この世のものとは思えないほど透き通った光を持つその瞳から、はらはらと、とめどなく、涙がこぼれていく。

「お前……やっと……私の元に……」

 異形は菫の頬を両手で包んだまま、眠る菫の身体に覆いかぶさる。異形の豊かな尾がその身から離れて、菫の身体に、まるで蛇のようにまとわりついていく。

「本当に待たせおって……この……あぁ、言ってやりたいことは無数にあったはずなのに、お前を目の前にしたら何もかも、もうどうでもいい。……何もかも……過去の苦しみは今やもう、……祝福に変わった」

 歌うように、呪うように、祝うように、異形は菫に語りかける。しかし菫は眠っている。辺りの霧はどんどんと濃くなっていく。けれど菫は眠り続ける。

「……おかえり、私の愛しい人」

 異形は、眠る菫の唇に唇を寄せ、ついばむように触れる。彼女が目覚めないことなど気にもとめず、異形は菫に口付ける。眠っているからこそ抵抗のない菫の唇を舌で開き、その白い歯の間に入り込み、くちくちと音を立てながら、菫の口内を味わう。人のものよりもずっと長く、ずっと厚く、ずっと冷たいその舌で、異形は菫の中に入り込む。
 それは愛撫にも、捕食にも見える光景だった。
 もし菫は眠っていなければ、決死の抵抗を見せたろう。しかし、彼女は眠り続け、大人しく異形にその身を委ねる。それどころか菫は異形の口付けに、身を熱くし、はふはふと息をしながら、無意識の内に異形の舌に舌を絡めていた。

「ん、……ふふ、口付けが好きか。……いや、私の唾か……くく、そうだな、人には甘かろう……」

 異形は耳を震わせ、目を細め、幸せそうに微笑んだ。ちゅる、と異形の舌が抜かれると、菫の舌はそれを追いかけ、口は物足りなげに開かれる。

「はしたなく、なんと愛らしい……ほら、飲むと良い……」

 異形も口を開け、とろり、とろり、と菫の口に涎を垂らす。彼女はそれを、砂漠で差し出された水であるかのように、素直に、従順に、幸せそうに嚥下した。

「は、……あ……」

 異形のものを飲んだ彼女は顎を上げ、胸を反らし、『その先』まで求めるように、膝をすり合わせ、小さく喘ぐ。
 異形は彼女の様子に、息を吐くように笑う。

「……ふふ……そうだな、これだけでは足らぬか。もっと私が欲しいか。……そうだな、私も、とても足りない……足りるはずもない…」

 異形は菫の体を尾で抱き上げ、真白の手で菫の服に触れた。白い爪はみるみる内にするどく伸び、菫の服に突き刺さる。

「こんな汚らしい邪魔なものをまとって……、……いっそ、お前の腹ごと切り裂いてしまおうか。お前の血肉は温かろう……ふふ、……お前の血肉は甘かろう……」

 異形はわざとらしく低い声を出した後、クスクスと笑いながら、菫の服だけを切り裂いた。深い霧の中、菫の服が破られる音だけが響く。菫の服だったものはあっという間に庭に落とされ、そこには異形の尾に包まれ、裸で眠る菫が残った。

「体毛が無いと、こうも……肌に……触れられるのか……、ふふ、……始めから食べる準備をしてくれているような身体だな……」

 異形は菫の身体を尾で包んだ上で自分の膝に乗せると、たまらず、といった勢いで彼女の喉に吸い付いた。スルスルと滑るような毛皮の異形の肌を楽しむように、菫は眠りながら異形に身を擦り寄せる。そして同時に、異形はそんな菫の無防備な肌を楽しむように、その手を、その尾を、その舌を、その歯を這わせていく。

「は、……うまい……甘露のようだ……、なんと愛らしい……は、……ふふ……汗をかいているな……うっかり食い殺してしまいそうだ……お前の肌……なんと柔く、甘いのか……」

 異形は菫の肌に吸い付きながら、何かに酔ったように、嬉しそうに声をこぼす。そんな異形の唇によって『献身的』に愛撫された菫の身体は、さらに熱を帯び、汗ばみ、そうして『蜜』をこぼし始めた。

「……あぁ……濡れているな……大きくなったな……女になった……、……私の妻になるにふさわしい……女に……」

 自分の腿にこぼれたその蜜を見て、異形は満足そうに笑った。

「ふふ、……そうだな。お前も飢えているのに……すまない、焦らしたな……」

 がり、と鋭い音がなった。

「お前の中は私の爪には耐えられまい。少し待て……ふふ、これでいい。さぁ……」

 異形の爪はすっかり鳴りを潜め、初めからそうであったように白く丸く、深爪をしていた。異形は菫の蜜口に、己の薬指をゆっくりと、しかし遠慮なく突き立てる。じゅぷ、と、空気と液体の混ざるいやらしい音が鳴った。

「狭いな……お前の管は私を受け取るには、初過ぎるか。……なに、焦ることはないさ。……お前は私を受け入れられる、……ほら……『開いてやろう』」

 異形の指は勝手知ったるように菫の中に触れる。その淫靡な指の動きは、最初こそ優しさがあったが、すぐに発掘でもするかのように乱暴に、そうして『的確』になっていく。

「ふあっ、あっ、んんっ……!」

 眠りながらも菫が声を上げてしまうほどに、その異形の手つきはいやらしく、『的確』であった。

「愛らしい声だ……もっと、聞かせておくれ……」

 悩ましく呻く菫の身体を尾で包み、全身で愛撫をしながら、異形は菫の中を広げていく。

「そんなに胸を反らさずとも、愛してやろう」
「ひっあっあんっ」
「柔らかい乳房よ……」
「ひぃっ……!」

 異形に乳首を甘く噛まれ、揉まれ、同時に陰核の裏側を中から刺激され、菫は高く喘ぎながら、しょろと潮を漏らした。その潮をまとった異形の指が、また菫の中に挿し込まれる。二本の指で激しく中をこすられると、菫は甲高く喘ぎながら、またしょろしょろと漏らした。

「は……、……なんと……かぐわしい……お前の蜜……」

 異形は菫の身体を尾で高く持ち上げると、自分の眼前に、濡れそぼった彼女の蜜口を晒すように足を広げさせた。

「あぁ……ふ、ぁ……」

 恥部を晒した菫は眠りながら恥じ入るような小さな声をこぼす。異形は嬉しそうに笑うと、長い舌を出し、腫れ上がった菫の陰核を舐め上げた。

「やぁっああ!」
「……もっと、鳴け」
「ふ、ぁ……ひぃっ!」
「ふふ、もっとだ……」

 中は指で広げられ、陰核は吸い上げられ、休みなく与えられる快楽に菫は喘ぎ続ける。

「ふあっ……ああっ……あんっ……んんっ……」

 空気、愛液、欲に濡れる汗が混ざり合い、静寂の霧の世界の中で、淫靡な音が、まるで一編の調べのようだった。

「ひゃんっ……ふぁ……あっ……」
「なんと甘い声を、……たまらない……」

 菫がこぼす嬌声に、異形は獣のように唸る。

「……ずっと、……この時を待っていた……」

 ずぷ、と指が抜かれる音と、感極まったような異形の声。

「はっ……うぁぁっ!?」

 ジュプ、と音を立てて、異形の性器が、眠る菫の中に押し込まれた。

「はっ……あついなっ……」

 異形は熱い息と色に帯びた声をこぼしながら菫の中に入り込み、人のように腰を揺らす。異形の尾が二人を強く結びつけたまま、淫靡な音が響き渡る。

「愛してる」

 まるで祝いのように。

「やっと……この手に……」

 まるで呪いのように。

「……おかえり、……愛しい……愛しい……お前……」

 歌うように異形は言葉を落とすと、眠る菫の唇に吸い付いた。

「ん、ん、んん………!」
「くっ……」

 霧の中、いやらしい水音を立てながら、眠りながら達した女の体に、異形は熱い子種を注ぎ込んだ。



 ――目を覚ますと、まだ霧が出ていた。

「……あ、縁側で寝ちゃったんだ……」

 昨日縁側でちょっと横になったまま眠ってしまっていたらしい。自分――湯崎菫の軽率さにため息が出そうだ。

「はぁ……引越しで疲れてたかな……」

 身体を起こすと、何か、甘い香りがした。

「甘い……香水?」

 その甘い香りは洋菓子とは違った。といっても花とも違う。デパートでするような美容品とも異なる。しかし、『甘い』。

(なんでこんな甘く……なんでこんなに……『甘くて』、……、『ドキドキ』するんだろう……)

 匂いとしては苦みすらあるその匂い、だが寝起きにも拘らず鼻を鳴らしながら、その匂いを求めてしまうほど『甘く』、……つまりそれは『蠱惑的』なものだった。すんすんと鼻を鳴らしながら立ち上がり、家に入る。縁側の戸を閉めようとして、気がついた。

「えっ……なに……」

 『股の間から、何かが、垂れる』。

「えっ、これ……って……」

 それは『精液』だった。



 こぼれたものを見たあとすぐ、わけがわからないままシャワーを浴び、『中』に入っていた精液も洗い流した。そしてバスローブを羽織ったところで、『警察に行くべきだった』と気がついたが、証拠はすでに下水の中だ。仕方ないと、ピルを飲み、ため息。

「ピル飲んでるから……まだ排卵じゃない……着床もしないと思う……」

 妊娠リスクは少ないと想いつつ、つい、腹をなでてしまう。

「お酒も飲んでないのに、……そんなことされても起きないぐらい、寝ちゃうなんて……それも……」

 起きたとき、私は裸に着物の上着をかけられた状態だったのだ。その着物の上着は大きさからしてとても大きい男性だろうと、つまり『加害者』のものだろうと察しが付く。しかし、私にそんな大きい知り合いはいないし、引っ越しの挨拶で出会った近隣住人にもそんな大きな人はいなかった。

(どうなってるの……)

 引っ越ししてすぐ、縁側で寝てしまい、起きたら、『事後』。しかも相手はわからない。

「……それでも、警察に行くべき……今からでも……」

 客観的に見たら、そうだとわかる。なのに……。

「わけ、わかんない、……、なんでこんなに甘い……」

 蠱惑的で魅力的な甘い香りは、その上着から、そうして、『自分の肌』から漂っていた。

「花、じゃない……お菓子でもない……」

 でも甘く、耐え難いほど、甘い。

「どう、なってるの……、ふっ、……あっ……んん……」

 その甘い香りを嗅いでいる内に、とろ、と股の間からこぼれるものを感じた。

(精液は流した。汗も全部……流したのに……)

 とろ、と肌を這う触感で、それが愛液であることは確信が取れてしまうほどだ。ありえないことだ。もしかしたら昨晩、記憶もない内にレイプされたかもしれないというのに。

(おかしい、こんな……)

 霧が出ている。まるで、思考を遮るように。今日も、先を隠すほど、濃い霧が覆っている。

「はっ……甘い……ん、ンンッ……」

 気がつけば指を股に伸ばしていた。愛液をすくい上げながら、淫靡に快楽を求める陰核をこすってしまう。

(おかしい、気持ちいい、甘い……甘い、……気持ちいい……なのに……『足りない』)

 どろり、と股からさらに淫乱な期待を背負う蜜がこぼれた――その時――

「湯崎さん」

 ――そんな空気を切り裂く、清廉で涼やかな声。

「宮司の雪谷です」

 玄関の向こうからしたその声を聞いた途端、はっと、意識が戻る。

「あ……」

 気崩れたバスローブ、とろとろと足を伝う蜜、震える膝。姿見に映る自分の顔は、すっかりと欲情している。

「何か、お困りではありませんか」

 確信めいた、彼の声。

「この霧で、……何か、お困りでは?」

 かた、と、玄関の戸が揺れる。

「『私』でしたら、ご相談に乗れますよ」

 優しい声に、玄関に足が向く。
 くもりガラスのはめられた古い玄関扉の向こうに、人影がある。かた、とまた玄関の戸が揺れる。開けてほしいというように、その人影は扉に手をかけ、そうしてガラスに触れているようだ。

「さぁ、……」

 かた、かた、かた、と戸が揺れる。

「ここを開けて……」

 私はその声に応えるために玄関の鍵をおろした――。



 ――霧の中で出会った相手を家に招き入れてはいけない。それは人ではないかもしれないから――



 ――は、と夢から目が覚める。しかし、まだ瞼は開けられない。だって眠くて仕方ないのだ。

(あれ……? また……寝ちゃったの……?)

 ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、ぐちゅ、と粘度の高い水音が響き続けている。そして、その音に気がついたとき、どん、どん、どん、と何かがぶつかる音にも気がついた。そうして、その音の出所がとても近いことに……はっとして瞼を開ける。

「ん……? あぁ、お前、……今度はそのような瞳の色をしたのか。ふふ、……似合っているよ」

 私の眼前に――なにかがいた。

「は……?」

 それは、まるで作り物のように美しい『男』だ。
 きっちり左右対称にできている彼の顔は、切れ長な青い瞳、高い鼻梁、薄い唇が、理想的な位置に置かれていた。
 だが、同時に、一瞬で『人』ではないともわかった。
 人であれば耳があるべき位置から細やかな白い毛が生え始め、まるでたてがみのように長い髪に繋がり、そうして、その毛の間から悠然と生える『立ち耳』。しかもその耳は付けものなどではなく、意思を持って動く。

「あなた……、なにっ……ひぁっ!?」

 まつげがぶつかりそうなほど近くにいるその『異形』に身を引いて逃げそうとした瞬間に、――

「あっうそ、うそ、……ひぁああっ!?」

 『どん』と音を立てて異形の男根が自分の膣に打ち込まれ、『ぐちゅ』と音を立てるほど濡れた中が、それを受け止めていることに――頭がその事実に気がついてしまった。

「いやっ、あっああああっあっ!」

 頭の気付きに合わせるように、体が絶頂する。

(なに、なんで、なんで、なにが……!?)

 わけがわからないまま、粉々にちぎれてしまいそうになるぐらいの気持ちよさに身をそらす。それでも気持ちよさが抜けない。知らぬ間に汗だくになっていた私の身体を、白い毛をした何かが強く抱きとめ、その『異形』と私を離さないように包みこんでしまう。イッてるのに、逃がしてもらえない。

「イッ……ううぅうう!!」

 その上、異形はなお『どん』と音を立てて杭のように硬いものを私の奥に押し込み続ける。

「やァっあっはなしてぇ! イッ……てるの、やめて! やだ、やだやだぁ!?」
「おやおや……目を覚ましたと思ったら……」
「ひぁあぁっ……やぁ……!?」
「可愛い声を上げて泣くとは……そんなに嬉しいのか。あぁ、嬉しかろう。私も嬉しいよ……お前の目を見て、睦み合える……嬉しくてたまらない……」

 異形の低い声は優しい。しかし、腰の動きの激しさを止まらない。

(なんなの、こいつ……!)

 咄嗟に、「はなれてよっ」と、その異形の胸を押して、突き飛ばそうとした。だが、そんなのは、その異形にとってはなんの意味もない抵抗だった。突き飛ばすことなどできず、むしろ、異形にすがりついたようになってしまう。

「どうした……?」

 しかし、異形はようやく腰を動かすのをやめ、私の頬を優しく撫でた。にこにこと楽しそうに笑う男の顔をした化け物は、ちゅ、と私の頬にキスをする。そのキスが触れて、泣いていたことに気がついた。

「ん? 悪い夢でも見たのかな?」
「は……?」
「何も怖れることはない。すべて、お前の望む通りにしよう。もう離れない。夢の中でも、お前を損なえるものはもういないよ……私がいる。お前には私がいるんだから……」

 ちゅ、と異形に唇を奪われる。

「愛しい人、私の妻……」

 異形は人の言葉を話している。だが、その言葉の意味は何一つわからない。

「あなた……だれ……」

 なんとか絞りだした私の問いに、異形は笑う。

「私はお前の夫。今となってはそれ以外の肩書に意味はない……」
「なにいってるの……はなれて、……ぬいて!」
「ん……? あぁ、そうか、お前、怒っているのか」

 しゅん、と異形が申し訳無さそうに耳を伏せる。

「お前が起きる前に抱いてしまったのが嫌だったんだな? そうだな……折角の初夜というのに……」
「初夜……? は……? なに、……なんなの……っ!?」

 何もわからないまま、何かもわからない化け物に犯されている、この絶望的な状況にパニックを起こした脳が呼吸の仕方を忘れ、息が詰まる。

「かはっ……」

 苦しむ私を、しかし異形は気にする様子なく、口付ける。ちゅ、とその唇が触れたところから、甘美な気持ちよさが走っていく。そして、ひやり、としたものが下唇に触れた。

(なに……)

 ぬるり、とそれが唇を割り、歯に触れる。

(もしかして、舌……!?)

 歯を噛み締めて拒もうとした。が、どういうわけか、身体に力が入らない。まるで『拒む力を失ったように』。ぬるり、とその舌が口の中に入り込む。

「んっ!? んんっ……!」

 冷たいのだ。人のものとは違う、その冷たい舌先が、熱くなっている自分の口の中を我が物顔で闊歩する。ぐちゅ、と音を立てて入り込み、裏も奥も上も下もなく、私のすべてを味わっていく。

(食われてる……!)

 頭が感じるのは恐怖だ。なのに、身体は疼く。異形のものが入り込んでいる膣が震え、異形のものを締め付けてしまうのがわかる。喉の奥までおかされたあと、ちゅる、と異形が舌を抜いた。

「はっ……けほっ……」
「……眠るお前に、こうして、口付けをしたのだ……」
「は、……う……?」

 口の中が、甘く、そうして、妙に疼く。

「私の唾を飲んだお前は、ふふ、そう、……今のように愛らしい顔をした。もっとほしい、もっとほしいと……」
「そんなことっ……あっ……なに……身体が……」
「それで、ついついもっと与えたくなってしまってなぁ。私はとにかくお前の、甘える顔に弱いのだ。それで、……お前が起きるまで待てなかったのだ。すまぬな……」

 身体が熱い。
 ぞわぞわと情欲が、沸き立っていく。
 感じたことがないほどの……【欲】。

「あんたっ……なにいってんの……なにしたのっ……ひゃああっ!?」

 ぎゅ、と異形の手が胸をつかんだ。それだけで、弾けそうなほど気持ちよく、のけぞってしまう。

「お前の喜ぶことばかりしていたのだよ。ほら、乳房をこのようにされるのが好きなのだろう?」
「やっ、やぁっ……!」
「ここも好きだな? 赤く腫らして、目立たせて……甘くして……私を誘う……」
「やぁああっやっ、あ、んんんん……っ!」

 胸を揉まれながら、乳首を甘く噛まれた瞬間、泣きながら達してしまった。

「も……やめて、はなして……おねがい……きもちよくしないで……」
「きゅうきゅうと締め付けて……子種が欲しいか……そうか、そうか……ならもう一度注いでやろう」
「あ、あう……やぁ……っ!?」

 異形の手首をつかむと、恐ろしいほど気持ちがいい肌触りをしていた。体毛に覆われた異形のそれは、まるでビロードだ。それで気がつく。汗だくの自分を覆い尽くす、この気持ちが良い布団のようなものは異形のもので、つまり、恐ろしいほど大きな尾に包まれているのだ、と。

「なに……なんなのぉっ……、なに、っ、だれっ、……だれなの……!」
「子種を出すにはもう少し刺激が欲しい、すまぬな……すぐ出してやる」
「あっあっあっあっ、や、やっぁっ……!」

 話しているのに全く話は通じないまま、化け物が腰を動かし始めてしまう。
 
「愛している」

 泣き喚いて、嫌だと言っているのに。

「もう逃さない、……私の妻……早く、……ここに落ちてこい」

 化け物は私を蹂躙し続けた。



「湯崎さん!」

 体を揺さぶられて目を覚ます。

「大丈夫ですか!?」

 眼前に合ったのは、――宮司の雪谷さんの顔だった。辺りを見渡すと、自分の家の玄関だ。どうやら倒れた私を、彼が抱きかかえているらしい。

「意識ありますか、湯崎さんっ……! 湯当たりかな……湯崎さん! 湯崎さん! 起きられますか!? 救急車っ、いや、俺が運んだ方が速いな。湯崎さん! 病院行きますよ!」

 何度も声をかけられ、完全に目が覚める。

「だい、じょぶ、です、げほっ……大丈夫……」
「えっ、あぁ、意識戻りましたか? ……よかった……」

 ゆっくりと抱き上げられ、体を起こし、玄関の上がり戸に腰掛ける。すいません、と頭を下げると、彼は「いえいえ」と愛想よく言ったあと、くるり、と後ろを向いた。

「雪谷さん……?」
「あのっ、……いや、すいません、その、……服が……」
「服……?」

 ぼんやりとしたまま自分の格好を見る。着崩れたバスローブの合わせから、ぽろんと胸がでてしまっていた。思わず甲高い声で叫んでしまった私に、彼は後ろを向いたまま、何度も謝ってくれた。



「すいません……」
「いえ、こちらこそっ……すいません……その、……ええと……すいません、なんとか記憶を消します……」
「あっ、……そ、……そうしてくださると、助かります……すいませんお見苦しいものを……」
「見苦しくなんか! すごくきれいでしたよ、本当もう絶景でっ……、あ、……、……す、すいません!! 本当にもうすいません、煩悩の塊で……っ!」

 あの後、彼にリビングに上がってもらい、私は大慌てで外着に着替えた。そのとき、私の身体は単なる湯上がりの体だった。それに、脱衣所においていたはずの例の上着もなかった。

(だから、きっと全部【夢】だ)

 そのことにほっとしつつ、しかし、そうだとしても胸を見られたのは【事実】だ。
 気まずい思いで彼にお茶を出し、そして、頭を下げ合うことになった。
 そもそも彼は、移住者が困らないようにと自作したマニュアルを渡しそびれたから家に来てくれたらしい。そしたら、シャワーを浴びた直後の私が鍵をあけて、卒倒。……先程の状態に至ったらしい。

「え、ええと、……あっ、あの、スポーツ飲料水がいいそうですよ。ありますか?」
「い、いえ……多分今、家には……」
「それはよくない! あ、うちの神社にありますから、取ってきますよ」
「そんな……わざわざ大丈夫ですから……」
「大丈夫かわかんないですよっ、一人暮らしの熱中症は怖いんですからね」

 彼はわざとらしく怖い顔をした後、困ったように眉を下げた。
 
「湯崎さんはあんまり、人に頼りたくない……とお考えかもしれませんが、……それでも何か困ったことがあったら、いつでも頼ってください」
「あ……、……その……」
「いや、お気持ちは! ……お気持ちは、よく、わかります。俺も、……その、……人間関係で色々あったので……」

 彼はため息を付いた後、ふ、と笑った。

「だからこそ、ここでは、……怖がらないで頼ってください。俺は、わかってます。他の人達もみんな、わかってます。……俺達は、ここの住人。……仲良くなれなくても、協力して、言葉は悪いけど、……裏切ったりしないで、やっていきませんか?」

 きっとそうだろう、と思わせるほど誠実な顔で、誠実な声で、誠実な言葉だった。

「……ありがとうございます」

 彼の少しおせっかいな言動は、つまり、彼のこの街に対する純粋な好意からくる行為なのだろう。

(下心じゃない。むしろ……私のことを警戒してるぐらいなんだ。だから……うまくやっていきたいんだ)

 そう、はっきりとわかると、逆に安心した。

(それは、私もそうだ)

 だから私は頭を下げた。

「……これから、よろしくお願いします」

 彼は嬉しそうに笑った。



「霧の中の運転は、慣れてても怖いので、本当、すぐ頼ってくださいね」
「はい、ありがとうございます」
「あ、冗談抜きで不審者を見かけたらすぐ呼んでください。この辺、警察とか消防とか、呼んでも全然来ないんで。俺みたいな若いので自警団組んでるんですよ」
「あ、……そうなんですね、わかりました」

 そんな事を話しながら、玄関まで彼を見送る。まだ、霧は濃い。

「じゃあ、湯崎さん。これからよろしくお願いします」

 そう言って去ろうとする彼の背中を、つい、掴んでしまった。彼は驚いたように目を丸くしたが、すぐ笑顔を浮かべた。

「何かありました?」
「あ、その……、……えっと……夢見が悪くなる、とかあります?」
「夢見が悪い? ……ここに越してきてからですか?」
「え、と、……そう、ですね。だから、この街特有の何かが、あったりするかなって……」

 彼は「んー、引っ越し直後の不安とか、からですかね……」と言いながら首を傾げ、「この街独自、みたいな、伝説とか、噂とかは聞いたことないですね……」と申し訳無さそうに頭を下げた。

「い、いえ、すいません、こんな、どうでもいいこと……」
「いえいえ、夢は大事ですよ。……あっ」
「え?」
「いや、そういえばうちのお祓い、悪夢祓いもあるんですよ」
「悪夢、祓い……?」 

 彼は前髪をかきあげて、「気休めですが、もしよければ」と笑う。私は少し悩んでから「いつ受けられますか?」と尋ねた。彼は私の顔をじっと見て、それから真剣な顔で頷いた。

「本当に困ってらっしゃるんですね? でしたら今からしましょう。俺もかなり久しぶりなので、色々思い出してからになるので、準備に二時間ほどかかりますが……」
「……いいんですか?」
「もちろん。頼ってもらえて嬉しいです」

 彼の誠実な笑顔に、私はほっと息をついた。



「どんな夢なんですか?」
「あ、……」
「あっ、すいません、悪夢なんて人に話したくないですよね。大丈夫です」
「……すいません」

 神社に移動し、彼の禊が終わるのを待ってから、お祓いをした。お祓い自体は彼が言う通り、きっと気休めのようなものだろう。だけど、たしかに気休めにはなり、少し気持ちが楽になった。

「多分……仰る通り、移住に対する不安、だと思います」
「そうですね……何かあればすぐ呼んでください。お祓い、何度でもできるので」
「そんな、お祓いのリピーターになるのはちょっと……」
「それもそうですね、ふはっ」

 彼は楽しそうに笑った。その笑顔につられて、私もつい、笑ってしまった。

「あ、笑いましたね」
「え?」
「やっと笑ってくれた、湯崎さん。ふふ、これで本当に友達ですね」

 自分の顔に触れてみる。

「……そう、ですね。……うん、……」

 こんなに、何の気概もなく笑うのはきっと、子どものとき以来だ。まだ、私が自分の不器用さに気がついていなくて、まだ……ずき、と頭が痛む。

(まだ……なんだっけ? ……ずっとずっと前になにか、あったような……。いや……きっとなんでもない)

 息を深く吸ってから、雪谷さんを見上げて、右手を差し出す。

「改めて、よろしくお願いします」
「……ふふ、よろしくお願いします。律儀だね、『菫』さん」

 急に名前を呼ばれて驚いたけれど、まあいいか、と笑ってしまった。



「こっちが御本堂で、あっちにあるのが稲荷です」
「稲荷、……きつねの?」
「そうそう。お参りします?」
「あぁ、じゃあせっかくなんで……」

 家に送ってくれるついでに、神社も案内してもらってしまっている。雪谷さんは、色々言ってはいるが、それでもとにかく性根がおせっかいな人なのだろう。

(やっぱり気は合わないな……友だちになったにしろ……)

 でも気が合わなくても、彼は私を裏切らないし、私も彼を裏切らず、同じ町の住人としてやっていけるだろう。その安心感はあったから、素直に彼の提案を受けて、その稲荷神社に足を踏み入れる。
 霧の中、無数の赤い鳥居がつらなり、道になる。

「立派ですね」
「写真映えもすると思うんですけどねーマチュピチュ的な稲荷。なんとかバズりませんかね?」
「バズりたいんですか?」
「そこそこにバズってそこそこにお金欲しいです」
「なんて正直な宮司……」

 鳥居を一つ、一つくぐっていく。次第に鳥居が小さくなり、一列で歩くしかなくなる。雪谷さんが自然と後ろに行ったので、私が自然と先を歩く。

「霧が濃いですね」

 先が見えなくなりそうなほど、霧が濃い。

「……神隠しにあいそう」

 くす、と背後で雪谷さんが笑う。

「神隠し、……いやですか?」
「いや? ……いや、ではないかも。……色々、嫌でここに来たぐらいですから……現実より良い世界なら……なんて、ふふ、思うこともあるかも」
「……夢はいつも、現実の先にあります。だから、すべて、現実のことですよ」

 背後で男が楽しそうに笑う。
 
「ここは……いつも……霧が濃い……」
「へえ……いつも濃いところとかあるんですか?」
「あぁ……」

 鳥居をくぐった先に会ったのは、とても小さな社だった。

「ここは、どんな稲荷が祀られてるんですか?」
「まだ、忘れているのか……『私』の社を」

 背中の、とても、近くから【声】がした。

「まあ、幼いお前は忘れっぽかったからなぁ……そこも愛らしい。あぁ、いや、無論今のお前の方が愛らしいさ。いつだって、今のお前が一番だ」

 雪谷さんの【声】は――どうして気が付かなかったのだろう――彼の声は――【あの化け物の声】だ。

「私の子種を流したのか。ふうん……妙な薬を飲んでいるな? ふふ、……そう、まだ妊みたくないか。まあ、それもいい。私はお前のためにあるものだ、お前の願いをかなえよう」

 どく、どくと心臓が脈うつ。

(そんなはずない)

 だってあれは夢のはずだ。

(そんなことあるはずない!)

 私は、意を決して、振り返った。

「う、そ……」
「おかえり、愛しい人。ここが我が家だ」

 そこに、いた。

「あ」

 あっという間に、私は白いものに包まれて、『社』の中に押し込まれた。



 霧の中で出会った相手を家に招き入れてはいけない。それは、――全てを狂わせるものだから。



 霧の中を歩く者がいた。ころころと転がるように、ゆっくりゆっくりと前に進む、短い手足をしたそれは、人の子どもだ。一人で出歩いてはいけない年頃であろう、小さな小さな人の子どもだ。そんな子どもが、霧の中、一人。

「お前」

 そんな子どもの前に、大きな人の形をした異形が現れた。

「私の社に何の用があって……こら、唾を飛ばすな。不敬だぞ。おい、どこへ転がるつもりだ……こらこら、待て待て……えぇい、面倒だ。来い」

 異形は尾で人の子を包み上げると、辺りを見渡した。

「……親はいないのか? ……はあー……捨て子はいない時代になったのではなかったか……」

 異形は、とん、と飛ぶと、大本堂の上に立った。その尾に包まれていた人の子は、急に飛んだことに驚き、そうして笑った。きゃらきゃら笑う人の子を見て、異形も微笑む。
 が、しかし――

「……、まさか、廃寺になったのか……?」

 ――そこは廃墟になっていた。

「あー……祟られたいのか、奴らは……どうしてこう……、愚かなのか……くそっ……こうなると私が面倒を見なければならんのか……? どうして、こう……私ばかりいつもいつも割りを食うような……」

 異形は子どもを見て、耳を立てた。

「尾をしゃぶるな! あっ、あー……、べちゃべちゃにしおって……だぁ、もう……」

 異形はうんざひしたように子どもを抱き上げる。

「仕方ない。……お前、私のところに来るか? ふふ、……私の社に入れるなど、人ではありえないことなのだぞ? ……いっそ人をやめるか? ふふ、……どうしてやろうかな……霧の中で……ふふ、良い拾いものをした……」

 霧の中、子どもはただ、純朴な瞳で異形を見上げていた。



「いやっ……あんっ……やだぁっ……はっ、あう、……うっ……」

 小さな社の中はこの世とは違う理(ことわり)で出来ている。だからこそ、菫が引きずり込まれた先にあったのは、美しく整えられた絢爛豪華な屋敷だった。
 そこで菫は今日も、美しくも、恐ろしい、人に似た、しかし人ではない異形に抱かれていた。異形の愛撫はいつも必要以上に優しく、そして、執拗とも取れるほど長い。

「も、やだっ、おわり、おわりっ……!」
「なぜ……?」
「つかれたっ……からぁっ……」
「嘘は良くない。……お前の嘘は最初にお前の喉を汚す。そう教えたろう?」
「しらないっ、……しらないぃっ……!」

 異形に後ろから抱き上げられ、抵抗は全て無視され、ずる、ずると抜き差しを繰り返される。菫の心はとうに折れていた。しかし、折れたからといって待遇が変わるわけではない。

(いつまで……このまま……、……わたし……)

 異形は菫の項を軽く噛むと「愛しい人」と笑う。

「どうして……?」

 笑いながら、異形は、菫の抵抗も、涙も、苦しみも、悲しみも、何もかもを無視して、抱き続ける。

「どうして、わたしなの……?」

 人の形に似ていても、人ではないそれは、クスクス笑う。

「お前は忘れっぽいなぁ……永遠を願ったのはお前ではないか。そうだ……だから、私は永遠にここにいよう。『何度』『お前が』『死んでも』、『ここを守る』」

 異形は菫の名前を呼ぶことはない。

「そのためには、人の真似もしよう……お前のためだ……何もかも全て、お前のため。お前がいるから……世界を続けてやろう。お前の輪廻のために……私は永遠を守ってみせる……」

 決して、呼ぶことはない。

「お前は永遠に私の嫁だ」

 菫は理解した。

(あぁ、きっと、私は最初でもないし、最後でもない)

「……ふふ、輪廻を待つ辛さなど、もはや慣れたものよ……」

 霧の中、死んでもどこにも逃げられぬことを理解した女は、最後の涙を流した。そうして、それから狂ったように異形にすがりつき、その愛を貪り始めた。

「あっ、あっ、あう、あは、ふふ、気持ちいい、あは、あははっ……」

 それは『いつものこと』だ。

「愛しているよ、私の妻。……楽しいかい? ふふ、よかった。……もっと笑って……?」

 それが異形の恋なのだ。
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