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あたしの手が

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 ログハウスに戻ると、一ノ宮以外の全員が一堂に会していた。
 しかし、真剣な顔つきなのは椿だけだった。
 大和は無表情で感情が読み取れない。他の面々は、コーヒーを啜ったりパサパサのパンをかじったりしている。

「一ノ宮さんがいないって、そんな騒ぐことですかぁ? どうせその辺散歩してるんでしょ」
 三井が片眉を上げる。ピンクのパイル生地のパーカーとショートパンツという寝間着のような出で立ちだが、化粧はばっちりだ。
「……その辺とやらにいなかったよ、一ノ宮さん。ボク、カメラテストを兼ねてログハウス周辺……湖の方まで行ってきたケド、まるでいなかったもん」
 四条がぼそぼそと答える。伍川も頷いた。
「六人部、お前、何か知らないか。昨日、一ノ宮ちゃんと二人で抜け出しただろ」
「あちゃーバレてましたか」
 六人部がコーヒーカップをソーサーに戻して、
「湖まで一緒に行ったんですけど、ちょっと離れた隙にいなくなったんですよ、アイツ。先に帰ったんだと思い込んでました」
 と、さらっと答える。
 携帯電話にかけてみたかと問いに、電源が入ってないようだという返事。じんわりと、場の空気が重いものになる。

「……ま、最悪、夕方までに戻ってくれりゃいーんだケドね。どこ行ったのやら」
 六人部が肩を竦める。すると、ずっと静観していた大和が口を開いた。

「一ノ宮さんの部屋、行ってみませんか」


 大和の提案に賛成したのは、七虹と椿、そして仁藤と伍川だった。あとの三人は呆れ顔で、ソファから動こうとしなかった。
 一ノ宮にあてがわれた寝室は、二階の最奥にある。
 鍵はかかっていなかった。ドアを開けると、ひんやりと湿った空気が頬を撫でた。
 六畳ほどの、ベッドとシングルソファー、ドレッサーにもなる大きな鏡がついているデスクがあるだけの簡素な部屋。
 特に変わったところは無いと七虹は見受けたが、
「おかしいですね。ベッドがちっとも乱れてない」
 大和がそう言った。仁藤が同意する。
 確かに、ベッドのシーツにはシワひとつ無く、薄い掛け布団も畳まれたままだ。更に、シングルソファーに置かれた大きなボストンバッグは、開けられた様子が無い。
「ってことは、一ノ宮ちゃんはゆうべこの部屋に戻らなかったってコト?」
「だと思います」
 大和がカーテンと窓を開ける。妙に爽やかな風が、室内に入り込んで場の空気のようなものを白々しくさせた。
 理屈ではなく、何か起こっている――そんな予感が、ぞわりと。
 唐突な不安感を噛み締めていると、椿が隣に立った。
「大丈夫ですか」
 椿が黒目がちな瞳を向けてくる。
 小羊を思わせる無垢な双眸。七虹の緊張が、少し和らぐ。

「一度、湖の方まで行ってみませんか。何か手がかりがあるかもしれない」

 大和の提案に、今度は全員が賛成した。三井と四条は面倒くさがっているのを隠そうともしなかったが、一応捜索に参加する。
 鳥の羽音と鳴き声、葉のざわめきで満ちる森の中を歩いて、例の湖にたどり着く。
 こんなことが無ければ、かなり快適な散歩コースだったに違いない。
 ユスリカやオニヤンマなどの水棲昆虫が集まる湖は、静謐そのものだった。しかしあちらこちらに藻が浮き、水は濁りに濁っていた。
 これでは子どもも遊ぶ気になるまい。昨日訪れた家族の子どもたちは、近づきもしなかったのではないだろうか。
 幼い頃から水泳を習っていて、今も泳ぐのが好きで得意な七虹だが、ここの水には絶対に入りたくないと思った。

「……ひーちゃん、ここだよね。『人魚』がいるとこって」

 椿が大和にこっそりと話しかける。
 あんな創作話を信じるなんて、本当に純粋な子だな、と七虹は呆れた。
 伍川が声を張り上げ、一ノ宮の名前を呼ぶ。森全体が音楽ホールに変化したかのように反響した。
 七虹も何か手がかりが、一ノ宮がいた痕跡がないか湖の縁辺を探しながら歩くが、突然、足を滑らせた。
 悲鳴と共に尻餅をつく。片足を水中に突っ込み、スカートの裾が濡れた。
「やだ……」
 恥ずかしさに頬を赤らめると、ぷか、と浮かぶものが目に入った。
 細長い筒状のものが数本、水面に浮いている。
 タバコだった。

「一ノ宮の銘柄だ……」
 六人部が呆然とつぶやいた。
 浮かぶタバコのうち、いくつかは千切れ、細かく粉砕された葉が一塊になって流れている。
 むしったというより、噛みちぎったような痕だった。

「吐き出したのかも」
「えっ?」

 七虹が聞き返すが、椿は大和に言ったようだ。彼に耳打ちする。
「タバコはおいしくないから、吐き出したのかも」

 何の話だ。まさか、『人魚』が――とでも言っているのだろうか。
 本気で『人魚』がいるとでも思っているのだろうか。
 純粋を通り越して、奇妙だ。
 このふわりとした雰囲気の、年より幼げな少女に、初めて不信感を覚えた。

「一ノ宮さん、もしかしたら湖の中に落ちたのかもしれませんよ」
 七虹は不安を振り払おうと、きわめて現実的な意見を出した。
「えーそんなのあるワケないって。ねぇ、もう疲れたから帰りたいー」
 三井が甘えた声で駄々をこねる。が、誰も返事をしなかったので、彼女は膨れっ面になり、ぷりぷりと大股でログハウスに戻ろうとした。
 数歩歩いたところで、三井は、ぬかるみの地面にヒール靴を履いた足をとられた。
 七虹よりも派手に転び、ネイルをした手を藻の中に突っ込む。ピンクのパーカーが泥だらけになった。
「痛ったぁーい」
 うつ伏せの状態でよくそんな鼻声が出るものだ。七虹が感心しかけつつ、助け起こそうと歩み寄った時だった。

「ぷぎゃあ!!」

 豚のいななきのような悲鳴が上がった。
 次にザパッという水音。両方三井からだった。彼女が起き上がり、汚水から手を引き上げる。
 それは真っ赤に染まっていた。
「三井ちゃん!?」
 仁藤が呼ぶ。
 痛いと泣き叫ぶ三井の右手は、手の小指側の側面――小指球と呼ばれる箇所が失くなっていた。肉をえぐりとられ、夥しい量の血が流れ、湖の青黒い水面とピンクの袖を鮮烈な赤に変えていく。

「あたしの手が、手がぁ!」

 パニックになっている三井に一目散に駆け寄ったのは、大和だった。
 彼は素早く手ぬぐいを巻いて止血する。その間も三井は手足をばたつかせて痛がり、大和の手を焼かせた。

「何だよ、この湖! ピラニアでもいんのかよ!」
 六人部が惑乱のまま喚いた。
 伍川はオロオロとし、仁藤は棒立ちだった。
 四条はいつの間にかカメラを構えている。叫喚する三井の苦しむ顔を、そのカメラに収めている。
 そして椿は、水面を凝視していた。大きな両目を刮目して、何かを見極めようとじっと見つめる。
「ログハウスに戻りましょう!」
 椿が鋭く言い放った。これまでの彼女には無い真剣さで、有無を言わせない迫力をはらんでいた。
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