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16. 赤子の穴

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 やっと自由に外出して、自由に友達と会っていいと許された。
 大喜びで私たちは、以前からずっと行ってみたいと話していた場所に集まった。

「カコ、久しぶりー!」

 待ち合わせ場所――町の隅にあるだだっ広い空き地に着くと、既にメイ、ニナ、そしてサラがいた。
 私たちは手を取り合って喜び合う。
 現在時刻は午後十時。あたりは真っ暗だけど、憂鬱で塗りつぶされた私の心は一瞬で晴れた。

 今年の春先に、日本――いや、世界中である感染症が流行った。
 そのせいで、卒業式も入学式も中止になり、やっと入った高校も休校になり、外出すらままならない日々を送ってきた。
 七月に入ってから外出禁止令が解かれ――私たちは、さっそく遊ぶことにした。

「でも久々の再会が夜で、しかも肝試しってのはどーなの?」
「いーじゃん。ずっと来たかったし、この……『赤子の穴』に」 

 赤子の穴。
 それは、私たちの住む町にささやかれる怪談だ。

 町の隅にあるこの空き地。
 マンションが建つ予定だけど延期が続き、雑草だらけで荒れ果てているココには、 

 大きな 穴 がある。 


「すごく深いね、この穴。底が全然見えない」
 私が言うと、メイとニナが頷く。
 空き地の奥にある穴は、申し訳程度の低い柵に囲まれていた。『立入禁止』という赤い文字が夜目でも目立つ。
 ゾクゾクした。
 まっくらな穴を覗き込んでいると、意識がフッと無くなるような、底にいる誰かがこちらを見ているような、様々な妄想が脳内を駆け巡る。
 ドキドキした。汗がひとすじ、首筋を流れる。

「……ねぇ、もう帰ろうよ」 
 そう言ったのはサラだ。
 私はギョッとなった。さっきは再会の喜びで気づかなかったけれど、ふっくら体型だったサラがひどく痩せている。
 自粛期間中、私は太ったけども……羨ましいより先に心配になる。そんな痩せ方だった。

(そういえばサラ、去年からちょいちょい体調崩して、学校も休みがちになってたな……) 

「やーよ。この耳で聞くまでは帰らないんだから!」
 強情なニナが言い切った。

 『赤子の穴』の怪談。

 午前零時、 
 この穴から赤ちゃんの泣き声が聞こえてくる。

  ーーというものだ。 

「なんで赤ちゃんなんだろ?」
 疑問を漏らすと、ニナが答えた。
「昔、この辺りは花街だったんだって。うっかり妊娠した遊女が堕胎できなかった子どもをこっそり産んで、この穴に棄てたらしーよ」 

 そうして棄てられた大量の赤子たちが、
 死してなお親を求めて泣き叫ぶ。 

 私は思わず、
「最悪……昔の人って残酷なことするよね。ね、サラ」

 と同意を求めたけど、サラは真っ青な顔で首を振るだけだった。 
 怖がりだな、と少しばかり呆れた。 

 本当のこと言うと、私は怪談なんて信じてなかった。
 ただ、何か特別なことがしたかった。
 感染症のせいで外に出れない、友達に会えない、楽しみにしていた高校生活やイベントがことごとく中止になり、私たちは飢えていたのだ。
 『思い出』になりそうな、出来事に。

(夏の夜に友達と肝試しなんて、サイコーにエモいじゃんね)

 どうせ何も起こりはしない。
 でも、それでいい。
 笑って「こんなことしたよね」って話すようなことがしたい。
 去年、友達とタピオカの行列に何時間も並んだのと、根本は一緒だ。

(だからサラも、そんな怖がらなくてもいいと思うんだけど……)

 サラのガリガリの腕はずっと震えてる。
 私は心配になって、『赤子の穴』の周囲の写真を撮ってはしゃぐニナとメイを確認してから、声を忍ばせた。

「サラ、彼氏とはどう? 一緒に住んでるんでしょ?」
「!」 

 サラには十個上の――社会人の彼氏がいる。
 サラは親が嫌いだ。去年からその彼氏と半同棲みたいな生活をしている。 

「彼氏っていうか……親とかがうるさい、かな。あたしのこと厄介者扱いしてたくせに」

 やっぱりか。
 私はサラの手を握って、

「社会人と中学生が……もう高校生だけど、恋愛してるっていうと、嫌なこと言うやつもいるけどさ。私は応援するよ」
「カコ……」
「だってサラと彼氏さんは、愛し合ってるんでしょ?」 

 サラの瞳に涙がにじむ。
 その目も、隈がひどかった。

「ありがと、カコ……実はね、彼氏とちょっとしたことでケンカしたの。そしたら彼、部屋から出てっちゃった」
「えっ?」
「でも、もうすぐ帰ってくると思う。ジャマモノは……いなくなったから」 

 そう言って、サラはそろりと自分のおなかを撫でた。
 その指には、彼氏からもらった指輪が光っている。 

 ジャマモノ?
 何だろう、それは。
 ひょっとして浮気……とか?

「おーい。カコ、サラ!」
「買ってきたお菓子食べよー! シート敷いたから!」 

 メイとニナの呼び声。私はサラを促して、二人の元に向かった。
 コンビニで調達したお菓子を広げた、その時だった。  


 ほぁ……ほぁ、ほぁ…… 


 最初は空耳かと思った、けど。


 ほぁ……ほぁ、ほぁ……


 微かな声が、私たちの耳に届いた。

「今の聞こえた?」
「え……?」

 風の音すら無い。
 街路樹の葉すら沈黙を守る中、


 ほぁ……ほぁ、ほぁ……


 微かな声が、……なき声が、響く。

「聞こえたよね?」
「ね……猫の鳴き声とか?」
「違うよ!」

 メイが否定した。家に生まれたばかりの弟がいるメイが。

「これ、赤ちゃんの――」

 再び、ほぁ……ほぁ、と声がした時だった。

「い や ぁ ぁああああ!!」

 突然、サラが叫びだした。
 サラは耳を抑え、見開ききった目で、口から泡を吹いて、ひび割れた悲鳴を上げた。

「いや、いやぁ! 許してぇ!」  

 サラが立ち上がり、転げながら走って行った。
 私は一瞬だけ呆然とした後、腹の底から強烈な怖気がこみ上げた。
 サラの恐怖が感染ったかのように、同じように叫び、全員でその場から逃げ出した。

 それ以降、私たちがその空き地に近づくことはなかった。


 ――という高校時代の『思い出』が、ふいに蘇った。


 もう十年も前。高校一年生の十六歳、女子中学生と付き合う社会人がマトモだと思うくらい子どもだった私に起こった、唯一の『心霊体験』。

 そう、ずっと……心霊体験だと思っていたのだけど……

 もう一度、私は新聞記事を読み直す。

『**町のマンション建設予定地にある穴から、多数の嬰児の白骨が発見――』

 **町。私が高校生まで住んでいた町。
 いつまでもマンションが建設されない空き地の『穴』。
 私が友達と赤子の声を聞いた、あの……

 ドクン、と心臓が鳴る。

 後から思い返してみると、奇妙な点はあった。

 怪談では赤ちゃんの泣き声が聞こえるのは真夜中の零時。
 けれどあの時、時刻は十一時にもなっていなかった。 

 何より、――サラの異常な怯えよう。
 思い出すことがいくつもある。
 中学の頃、サラは彼氏の家に入り浸っていた。
 そして中学三年生の三学期、サラはずっと具合が悪そうだった。受験シーズンなのに学校を休むことも多かった。

 せっかく入った高校が休校になると知らされた時、サラは言った――気がする。

 ……助かった、というようなことを。

 勝手な思い込みかも知れない。
 確証は何もない。サラとは何年も前に音信不通になった。

 ――でも、もうすぐ帰ってくると思う。
 ――ジャマモノは……いなくなったから。

 そう言って、自分のおなかを撫でるサラの手が、頭から離れない。
 頭を振って、自分の妄想を振り払おうとする。

 考えたくない。

 あの時聞こえた赤ちゃんの声が、もしかしたら幽霊の声ではなくて――

 ……私はそれ以上、考えるのをやめた。
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