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14. 一生、ファンのままで
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「コタローくんだっけ? 俺、もうドルオタじゃないんだけど」
とNさんに言われて、言葉を失ったし、表情だって固まった。
(まじで?)
どうしよう。完璧なプランにほころびが生じてしまった。
今日この人、従兄弟のにーちゃんの友人であるNさんに『取材』して、それを元に『シナリオ』の補強をするつもりだったのに。
「ていうかテツ……君の従兄弟に頼まれたからノコノコ来たけど、取材って何の?」
「おれ、映画監督志望なんです。今は専門学生ですけど!」
きっぱりと言い放った。取材する際、『映画監督志望』であることをはっきり伝える。自分に課したルールだ。
「第二次Jホラーブームを作り出すのが、おれの使命なんです!」
ついでにこの壮大な夢も。目的も。目標も。会う人全員に言っている。
そして大抵の人は引かれる――のだが。
「……ってことは、心霊現象とか詳しい?」
Nさんは大真面目な顔で言った。ごく普通の企業に勤める一般的なサラリーマンと聞いている。年は従兄弟と同じ三十歳。
第一印象は、『ドルオタっぽくない』だった。ペンライトは片手一本しか持たなさそうと言うか。
専門学校に提出する課題に『アイドルものホラー』のショートフィルムにしようと決めた時、ちょこっとドルオタの方々の生態は一応調べた。
Nさんは、それにまったく当てはまらないのだ。
「……まあ、そこそこ」
おれはすごく曖昧に答えた。三度の飯とおやつよりホラー映画をたしなむ身であるが、心霊現象に詳しいかと言われると……
けれど、ここで首を横に振ったらダメな気がした。
その直感は当たった。Nさんは神妙な顔つきで、自身の鞄……やはりごく普通のビジネスバッグを開き、おれに中を見せてきた。
そこには。
「ペンライト……?」
太めのスティックタイプのペンライトがあった。中のフィルムの色は緑。いかにも女子アイドルらしいきゃるるんとしたロゴで、『PRISM*PRINCESS』とグループ名が印刷された。
「ドルオタじゃないんですよね?」
Nさんが頷く。
否、普通のドルオタは仕事用の鞄にペンライトは入れない。だっておれもいわゆるホラー映画マニアだけど、DVDは持ち歩かない。
Nさんが重苦しそうに口を開いた。
「元ドルオタだよ。二年前に卒業したんだ。推しが解散して――死んでしまったから」
ざわ、と風がさざめいた。
待ち合わせだった駅前の喧噪が、一瞬だけやんだ。
*
じっくり取材するためにゆっくり座れるカフェを予約した。のだが。
「ここ、メイドカフェ?」
「はあ。ドルオタだからこっちの方が楽しんでもらえるかなって……」
ここは、従業員がアイドル活動をするコンセプトのメイドカフェだ。CDをリリースしたりライブしたり、結構売れているらしい。
余計な気を回しすぎたかな、と思ったけれど、
「……まあ、手っ取り早くていいかも」
とNさんはカフェの入り口へ歩を進めた。突然飛び出した謎の発言。首を捻ると同時に、おれは少しワクワクしていた。
中に入ると、パステルピンクとホワイトのストライプの壁に、カラフルな造花とレースのきゅるるんとした空間が広がっていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
可愛くて元気なメイドさんとのやりとりもそこそこに、おれたちは奥まった席に案内された。
店内はメイドさんたちの曲が流れ、壁に取りつけられたモニターにはMVがひたすら映り、あちこちから客のはしゃいだ声が上がる。男ばっかかと思いきや女子もいて、外国人観光客もいる。
Nさんは、モニターのひとつをじっと見ていた。
昔を懐かしんでる……ようには見えなかった。
コーヒーが運ばれて、『おいしくなぁれ』の魔法もかけてもらって、
「コタローくん」
Nさんはおれに呼びかけて、話を始めた。
「確かに俺は、二年前――二十八歳までドルオタだった。『PRISM*PRINCESS』っていう地下アイドルのグループを推していた」
いわゆるメジャーデビューを果たしてないアイドルのことだ。
『PRISM*PRINCESS』は、十六歳から二十歳までの七人の女子で構成されたグループで、Nさんの地元では人気があったそうだ。
「俺の推しは最年長のA花って子。メンカラーは緑で、まあ、縁の下の力持ちというか、花束におけるかすみ草というか……目立たない側の子だった」
だから好きになった。
Nさんはそう言った。
「狂ってたなぁ、あの頃は。毎週末、地下にある狭いハコに通って、CD何枚も買って、何回も握手に並んで、緑色のペンラを振り回して喉が裂けそうになるくらいA花の名前を叫んだ。
――“自然に可憐、ナチュラルガールのA花!”って」
メンバーの紹介ソングの歌詞を、Nさんは口ずさむ。
期せずして、モニターの中のメイドさんも紹介ソングを唄った。ファンが愛と気合いと情熱を込めて、世界の中心で推しの名を叫ぶ。
「で、そのグループにメジャーデビューの話が持ち上がったんだけど……」
Nさんの表情がふいに翳る。
「ピンクのY菜が……ああ、一番人気のセンターがデキ婚しちまったんだ。もう大炎上した」
(……うわぁ)
容易に想像できる。その衝撃を。男たちの阿鼻叫喚を。
「デビューの話も消えて、とうとう解散に追い込まれちゃってさ」
最悪な結末だ。
センターのメンバー以外で行われたラストライブで、Nさんは身も世もなく大号泣した。当然だ。
もう少しでみんなの――ファンの、グループの、運営の夢が叶うところだったのに。
何よりA花さんが心配だった。誰より努力したA花さんが罪も無いのに頭を下げる姿に、Nさんの胸は潰れた。
A花さんともう会えなくなる。
悲しい。寂しい。まっくらで死んでしまいたい――と、当時のNさんは顔を覆ったのだそうだ。
「最後の握手会で、俺はA花に言ったんだ。『解散しても、俺はA花ちゃんのファンをやめない』って」
――一生、君のファンでいる。
そう熱い涙をこぼすNさんに、A花さんは真珠の涙を浮かべて頷いてくれた。
けれどその数日後。
A花さんは、事故で亡くなった。
そうしてNさんは、ドルオタを卒業することに決めた。 ……けれど大量のCDやDVD、グッズは捨てられず、押し入れの奥に仕舞ったのだという。
「……しばらくして、おかしなことが起こり始めた」
ジジジッ
急に店内のスピーカーが雑音まじりになった。メイドさんの甲高く舌っ足らずな歌声が、濁る。
「電源を切ったコンポから、勝手に曲が流れたんだ。『PRISM*PRINCESS』のメドレーが」
コンポにはBluetoothなどの機能は無いそうだ。
「気がつくと、部屋の隅にA花のブロマイドが落ちてた」
グッズはすべて押し入れの奥に仕舞ったはずなのに。
「朝起きたら、枕元にA花のアクリルスタンドがあった」
アイドルの全身写真をアクリル板に印刷したグッズらしい。
手のひらサイズの小さなA花さんの笑顔。それを見たNさんは、呼吸の仕方を忘れかけた。
「……極めつけはPCで動画サイトを観ていた時だよ……こないだ結婚式場の紹介動画だった。それを観ていたら、突然画面がゆがんで」
ザザザッ
店内のスピーカーがまたおかしくなった。途端にざわめきが起こる。
周囲を見回すと、いちばん大きいモニターの映像がゆがみ、そして……
「『PRISM*PRINCESS』……?」
まっくらな画面に、レインボーカラーのロゴが浮かんだ。
Nさんが見せてくれたペンライトと同じだ。
――プリズムプリンセス……?
――何それ……聞いたことない。
――おい、スタッフ。なんか知らねーの混じってんぞ。
注意されたスタッフが動き、モニターをいじくろうとした途端、ポップな曲調が流れ出した。 かと思いきやノイズ混じりになり、マイクのハウリングみたいな耳障りな音が響き渡る。
店内はしっちゃかめっちゃかになった。
耳をふさぐおれを尻目に、Nさんはだらりとした姿勢で、モニターを見つけた。
「……やっぱり……」
Nさんがそう言った瞬間、画面が切り替わった。
『紹介ソングいっきまーす! みんな! コールよろしくね!』
画面にピンクの衣装を着た女の子――直感でデキ婚したセンター・ピンクのY菜さんだと分かった――がペンライトを三本持ちするファンたちを煽る。
うぉおおおお、と野太い鬨の声。カフェ内の客は、身に覚えがありすぎて見入ってしまったようだ。
次々とメンバーを紹介する歌詞が流れ、そして、
ある場面で映像が止まった。
緑色の衣装を着た、ボブカットの女の子が前に出る瞬間で。
ジジジジ……
ノイズが混じる。
客席のファンたちを見ているはずの、緑色のアイドルの顔が、
ジジジジ……
砂嵐まじりの画面で、アイドルの顔の向きがゆっくり変わる。
ジジジジ……
アイドルは『こちら』を見ていた。
カメラではなく、『こちら』に目の焦点を合わせてきた。
見開いた目と、吊り上がった口元で、アイドルはおれたちに笑いかける――
ガタン!
思わず立ち上がり、後ずさりそうになった時、
Nさんが、鞄の中からあるものを取り出した。
あの緑色のペンライトだった。
「――“自然と可憐、ナチュラルガールのA花”!!」
Nさんがペンライトを振り、そう叫んだ。
A花さんの口上を。
次の瞬間、モニターの画面は元に戻った。メイドカフェのMVが普通に流れる。
何が起こったのか分からないといった様子で、戸惑った空気を醸し出していたけれど、すぐに楽しげなひとときに戻った。夢から覚めたように。何事もなかったかのように振る舞う。
(……こういう時、人間の適応力ってスゲーよな……)
なんて考えていた。
するとNさんが、
「こんな感じなんだ」
百聞は一見にしかず。秒速で理解できた。受容はあまりしたくない。
「BGM代わりに動画を流していたら、いつの間にか『PRISM*PRINCESS』のアーカイブ動画が再生されたり。
しかも他のアイドルの動画なんて目にしたら、即だよ。『ああやって』、A花が『やってくる』んだ」
おれの頭皮が粟立った。
「ペンライトを振って、口上を口にしたらすぐに消える。南無阿弥陀仏ーとか全然効かないけど、これなら一発で」
「有効な祝詞とか呪文って……人それぞれなんですね……?」
おれが呆然とアホなことをつぶやくと、Nさんは苦笑した。
「そうだね」
Nさんが大きくため息をつく。
「『一生』なんて、軽々しく言うもんじゃないな……」
苦々しくつぶやく、言葉。
Nさんはもうすぐ結婚するそうだ。
相手の女性からは口を酸っぱくして言われているらしい。
新居は狭いから荷物を減らせ。
昔ファンだったアイドルのグッズなんか、処分しろ。
「どうしたらいいと思う?」
Nさんが半笑いで尋ねてくる。
だがその視線の先はおれではなかった。アイドルの女の子たちが舞い踊るモニターの画面に向けられていた。
とNさんに言われて、言葉を失ったし、表情だって固まった。
(まじで?)
どうしよう。完璧なプランにほころびが生じてしまった。
今日この人、従兄弟のにーちゃんの友人であるNさんに『取材』して、それを元に『シナリオ』の補強をするつもりだったのに。
「ていうかテツ……君の従兄弟に頼まれたからノコノコ来たけど、取材って何の?」
「おれ、映画監督志望なんです。今は専門学生ですけど!」
きっぱりと言い放った。取材する際、『映画監督志望』であることをはっきり伝える。自分に課したルールだ。
「第二次Jホラーブームを作り出すのが、おれの使命なんです!」
ついでにこの壮大な夢も。目的も。目標も。会う人全員に言っている。
そして大抵の人は引かれる――のだが。
「……ってことは、心霊現象とか詳しい?」
Nさんは大真面目な顔で言った。ごく普通の企業に勤める一般的なサラリーマンと聞いている。年は従兄弟と同じ三十歳。
第一印象は、『ドルオタっぽくない』だった。ペンライトは片手一本しか持たなさそうと言うか。
専門学校に提出する課題に『アイドルものホラー』のショートフィルムにしようと決めた時、ちょこっとドルオタの方々の生態は一応調べた。
Nさんは、それにまったく当てはまらないのだ。
「……まあ、そこそこ」
おれはすごく曖昧に答えた。三度の飯とおやつよりホラー映画をたしなむ身であるが、心霊現象に詳しいかと言われると……
けれど、ここで首を横に振ったらダメな気がした。
その直感は当たった。Nさんは神妙な顔つきで、自身の鞄……やはりごく普通のビジネスバッグを開き、おれに中を見せてきた。
そこには。
「ペンライト……?」
太めのスティックタイプのペンライトがあった。中のフィルムの色は緑。いかにも女子アイドルらしいきゃるるんとしたロゴで、『PRISM*PRINCESS』とグループ名が印刷された。
「ドルオタじゃないんですよね?」
Nさんが頷く。
否、普通のドルオタは仕事用の鞄にペンライトは入れない。だっておれもいわゆるホラー映画マニアだけど、DVDは持ち歩かない。
Nさんが重苦しそうに口を開いた。
「元ドルオタだよ。二年前に卒業したんだ。推しが解散して――死んでしまったから」
ざわ、と風がさざめいた。
待ち合わせだった駅前の喧噪が、一瞬だけやんだ。
*
じっくり取材するためにゆっくり座れるカフェを予約した。のだが。
「ここ、メイドカフェ?」
「はあ。ドルオタだからこっちの方が楽しんでもらえるかなって……」
ここは、従業員がアイドル活動をするコンセプトのメイドカフェだ。CDをリリースしたりライブしたり、結構売れているらしい。
余計な気を回しすぎたかな、と思ったけれど、
「……まあ、手っ取り早くていいかも」
とNさんはカフェの入り口へ歩を進めた。突然飛び出した謎の発言。首を捻ると同時に、おれは少しワクワクしていた。
中に入ると、パステルピンクとホワイトのストライプの壁に、カラフルな造花とレースのきゅるるんとした空間が広がっていた。
「お帰りなさいませ、ご主人様!」
可愛くて元気なメイドさんとのやりとりもそこそこに、おれたちは奥まった席に案内された。
店内はメイドさんたちの曲が流れ、壁に取りつけられたモニターにはMVがひたすら映り、あちこちから客のはしゃいだ声が上がる。男ばっかかと思いきや女子もいて、外国人観光客もいる。
Nさんは、モニターのひとつをじっと見ていた。
昔を懐かしんでる……ようには見えなかった。
コーヒーが運ばれて、『おいしくなぁれ』の魔法もかけてもらって、
「コタローくん」
Nさんはおれに呼びかけて、話を始めた。
「確かに俺は、二年前――二十八歳までドルオタだった。『PRISM*PRINCESS』っていう地下アイドルのグループを推していた」
いわゆるメジャーデビューを果たしてないアイドルのことだ。
『PRISM*PRINCESS』は、十六歳から二十歳までの七人の女子で構成されたグループで、Nさんの地元では人気があったそうだ。
「俺の推しは最年長のA花って子。メンカラーは緑で、まあ、縁の下の力持ちというか、花束におけるかすみ草というか……目立たない側の子だった」
だから好きになった。
Nさんはそう言った。
「狂ってたなぁ、あの頃は。毎週末、地下にある狭いハコに通って、CD何枚も買って、何回も握手に並んで、緑色のペンラを振り回して喉が裂けそうになるくらいA花の名前を叫んだ。
――“自然に可憐、ナチュラルガールのA花!”って」
メンバーの紹介ソングの歌詞を、Nさんは口ずさむ。
期せずして、モニターの中のメイドさんも紹介ソングを唄った。ファンが愛と気合いと情熱を込めて、世界の中心で推しの名を叫ぶ。
「で、そのグループにメジャーデビューの話が持ち上がったんだけど……」
Nさんの表情がふいに翳る。
「ピンクのY菜が……ああ、一番人気のセンターがデキ婚しちまったんだ。もう大炎上した」
(……うわぁ)
容易に想像できる。その衝撃を。男たちの阿鼻叫喚を。
「デビューの話も消えて、とうとう解散に追い込まれちゃってさ」
最悪な結末だ。
センターのメンバー以外で行われたラストライブで、Nさんは身も世もなく大号泣した。当然だ。
もう少しでみんなの――ファンの、グループの、運営の夢が叶うところだったのに。
何よりA花さんが心配だった。誰より努力したA花さんが罪も無いのに頭を下げる姿に、Nさんの胸は潰れた。
A花さんともう会えなくなる。
悲しい。寂しい。まっくらで死んでしまいたい――と、当時のNさんは顔を覆ったのだそうだ。
「最後の握手会で、俺はA花に言ったんだ。『解散しても、俺はA花ちゃんのファンをやめない』って」
――一生、君のファンでいる。
そう熱い涙をこぼすNさんに、A花さんは真珠の涙を浮かべて頷いてくれた。
けれどその数日後。
A花さんは、事故で亡くなった。
そうしてNさんは、ドルオタを卒業することに決めた。 ……けれど大量のCDやDVD、グッズは捨てられず、押し入れの奥に仕舞ったのだという。
「……しばらくして、おかしなことが起こり始めた」
ジジジッ
急に店内のスピーカーが雑音まじりになった。メイドさんの甲高く舌っ足らずな歌声が、濁る。
「電源を切ったコンポから、勝手に曲が流れたんだ。『PRISM*PRINCESS』のメドレーが」
コンポにはBluetoothなどの機能は無いそうだ。
「気がつくと、部屋の隅にA花のブロマイドが落ちてた」
グッズはすべて押し入れの奥に仕舞ったはずなのに。
「朝起きたら、枕元にA花のアクリルスタンドがあった」
アイドルの全身写真をアクリル板に印刷したグッズらしい。
手のひらサイズの小さなA花さんの笑顔。それを見たNさんは、呼吸の仕方を忘れかけた。
「……極めつけはPCで動画サイトを観ていた時だよ……こないだ結婚式場の紹介動画だった。それを観ていたら、突然画面がゆがんで」
ザザザッ
店内のスピーカーがまたおかしくなった。途端にざわめきが起こる。
周囲を見回すと、いちばん大きいモニターの映像がゆがみ、そして……
「『PRISM*PRINCESS』……?」
まっくらな画面に、レインボーカラーのロゴが浮かんだ。
Nさんが見せてくれたペンライトと同じだ。
――プリズムプリンセス……?
――何それ……聞いたことない。
――おい、スタッフ。なんか知らねーの混じってんぞ。
注意されたスタッフが動き、モニターをいじくろうとした途端、ポップな曲調が流れ出した。 かと思いきやノイズ混じりになり、マイクのハウリングみたいな耳障りな音が響き渡る。
店内はしっちゃかめっちゃかになった。
耳をふさぐおれを尻目に、Nさんはだらりとした姿勢で、モニターを見つけた。
「……やっぱり……」
Nさんがそう言った瞬間、画面が切り替わった。
『紹介ソングいっきまーす! みんな! コールよろしくね!』
画面にピンクの衣装を着た女の子――直感でデキ婚したセンター・ピンクのY菜さんだと分かった――がペンライトを三本持ちするファンたちを煽る。
うぉおおおお、と野太い鬨の声。カフェ内の客は、身に覚えがありすぎて見入ってしまったようだ。
次々とメンバーを紹介する歌詞が流れ、そして、
ある場面で映像が止まった。
緑色の衣装を着た、ボブカットの女の子が前に出る瞬間で。
ジジジジ……
ノイズが混じる。
客席のファンたちを見ているはずの、緑色のアイドルの顔が、
ジジジジ……
砂嵐まじりの画面で、アイドルの顔の向きがゆっくり変わる。
ジジジジ……
アイドルは『こちら』を見ていた。
カメラではなく、『こちら』に目の焦点を合わせてきた。
見開いた目と、吊り上がった口元で、アイドルはおれたちに笑いかける――
ガタン!
思わず立ち上がり、後ずさりそうになった時、
Nさんが、鞄の中からあるものを取り出した。
あの緑色のペンライトだった。
「――“自然と可憐、ナチュラルガールのA花”!!」
Nさんがペンライトを振り、そう叫んだ。
A花さんの口上を。
次の瞬間、モニターの画面は元に戻った。メイドカフェのMVが普通に流れる。
何が起こったのか分からないといった様子で、戸惑った空気を醸し出していたけれど、すぐに楽しげなひとときに戻った。夢から覚めたように。何事もなかったかのように振る舞う。
(……こういう時、人間の適応力ってスゲーよな……)
なんて考えていた。
するとNさんが、
「こんな感じなんだ」
百聞は一見にしかず。秒速で理解できた。受容はあまりしたくない。
「BGM代わりに動画を流していたら、いつの間にか『PRISM*PRINCESS』のアーカイブ動画が再生されたり。
しかも他のアイドルの動画なんて目にしたら、即だよ。『ああやって』、A花が『やってくる』んだ」
おれの頭皮が粟立った。
「ペンライトを振って、口上を口にしたらすぐに消える。南無阿弥陀仏ーとか全然効かないけど、これなら一発で」
「有効な祝詞とか呪文って……人それぞれなんですね……?」
おれが呆然とアホなことをつぶやくと、Nさんは苦笑した。
「そうだね」
Nさんが大きくため息をつく。
「『一生』なんて、軽々しく言うもんじゃないな……」
苦々しくつぶやく、言葉。
Nさんはもうすぐ結婚するそうだ。
相手の女性からは口を酸っぱくして言われているらしい。
新居は狭いから荷物を減らせ。
昔ファンだったアイドルのグッズなんか、処分しろ。
「どうしたらいいと思う?」
Nさんが半笑いで尋ねてくる。
だがその視線の先はおれではなかった。アイドルの女の子たちが舞い踊るモニターの画面に向けられていた。
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