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 ……変なヤツがまた変なことを言い出した。

「俺も一緒に死ぬよ。心中しよう」

 そんな、トイレに行くくらいの気軽さで。
 呆れ果てて物が言えない。
 それをどう受け取ったのか、トーノは揚々と続けた。

「ふたりでやるなら首吊りは難しいけど、いい方法があるよ。これなんだけど」
「待て待て待て。おまえ、自分が何言っているのか分かってんのか?」
「もちろん」
 さも当然と言わんばかりの態度に、常識が揺らいで困惑する。
「だって別に構わないよ、俺。遅かれ早かれどうせ死ぬし。言ったとおり悲しむ家族もいないし、未練なんてカケラもないしさ」
「そりゃおまえはそーだろーけど!」
「あ、そっか。友達同士で心中もおかしいか。よし、じゃあ千風。俺の恋人になって」
「ああん!?」

 うわぁ、もうだめだ。脳みそが完全にキャパオーバーだ。

 こんなに軽く扱っていいのか。不謹慎じゃないのか。倫理的にアウトなんじゃないのか。この会話を他人に聞かれたら、ビンタと説教喰らって軽蔑されること必至だ。
 だけど、ここにはオレとトーノしかいない。

「俺は千風のことが好きだよ。初めて見た時から可愛いなって思ってた。だから頑張ってナンパしたんだ」
「あれナンパだったのかよ!」

 トーノが頷く。
 死にかけながらの「俺の命をたすけてほしい」がナンパ。世界一重いナンパだ。

「千風、俺と恋人になろう。そしたら心中してもおかしくないだろ?」
「おかしいだろ……」
「どこが?」
「全部」
「何で? ……千風は俺が嫌い?」

 オレの顔を覗き込むトーノの、縋るような濡れた瞳。動物の愛らしさに訴えるタイプのCMを思い出す。
 保護欲とか、そういう本能を狙い撃ちにしてくる。この数日でほだされたオレのチョロい理性が、ぐっらぐらに揺れる。

「嫌いじゃ、ない……」
「なら、何がだめなの?」
「だってオレたち、男同士だし……」

 借金取りのオッサンのせいで、ホモが本当にあると知った。
 とんでもなく狭い世界の住人だったオレには衝撃的だった。だから、男は女とくっつくものという固定観念の奴隷であるオレは、そういうのはおいそれと受け入れられない。
 だけどトーノは、

「それのどこに問題があるんだ? ――どうせ死ぬのに」

 余計な雑念を一切排除して、問いを重ねた。
 頭をガツンと殴られた気分だった。
 トーノがくりかえし嘯いた台詞。

 ――「どうせ死ぬんだから」。

 すごい。
 この言葉すごい。
 たった一言で、

 自分にも周りにも、とことん無責任になれる……。

 男同士で付き合うことにおける障害は、何と言っても世間体だろう。
 『普通』、つまり大多数じゃなくなることへの、無闇な罪悪感だろう。
 でもこの関係は、誰にも知られることなく終わる。だってオレたちは、すぐにこの世から消えるから。
 だとしたら?
(トーノが、オレの恋人に……?)
 借金取りのオッサンには、生理的嫌悪感が凄まじかったけど、トーノには。
 姿がきれいで、子どもみたいに素直で、変なヤツだけど可愛いトーノなら。
 いいかな、って思えた。

 OKの意を込めて首を縦に振ると、トーノがいきなり抱きついてきた。

「ありがとう、千風。嬉しい、……ありがとう」
 耳元で囁き、背骨を折りそうなくらい強く抱きしめる。
 苦しくて重いけど平気だった。うちにいるチビたちが、駆け寄って抱きついてくるのと全然変わらない。たまらない愛おしさがそこにあった。
 緊張がほどけて、理性も溶けて。オレもトーノの背中に手を回した。

「……あの、さ」
「ん?」
「実はオレ、恋人とか付き合うとか初めてで、だからそーいうこと、全然したことないんだ」

 今なら言えると思った。
 ずっと興味があって、死を決意した直後に、ほんのちょっとだけ引っかかったこと。
「キスとかも、したことない……」
 浮かれポンチにも程がある。
 心中しようって時に言うことじゃない。それともこれは生物としての本能か? 誰か教えてくれ。
 だけどトーノはバカになんかしなかった。……しないようなヤツだから言えたんだけど、照れくさそうに笑って了承してくれた。
「いいよ、しよっか」
 密着していた身体を少しだけ離して、改めて向き合う。
 ちょいちょいとトーノがオレの服や髪を整えて、そっと顎に手を添えた。
「千風、ちょっと顔上げて」
 言うとおりにする。トーノがゆっくり、顔の角度を変えながら近づいてくる。
「なんかお前、慣れてる……? 初めてじゃない……?」
 リードされるとは意外だった。
「うんと小さい頃、同じ病室の子とした。あっ、でも千風の方がずっと可愛いし、好きだよ」
 妙なフォローを入れられ、何事か返す前にそっとふさがれた。
 触れたのは一瞬だった。
 生まれて初めて触れた他人の口唇は、熱くも冷たくもなかった。柔らかいけどどこか固い。一旦離れると、下唇を指でふにっと押さえられ、ちょっと開けるように促される。
 さっきより深めの、濡れた感触のあるキスだった。

 こんなもんか。と拍子抜けしたと同時に、
「千風、真っ赤だよ」
 ひどく照れくさい。心臓が気持ちよくドキドキしてる。

「……もう一回、する?」
 トーノの頬も紅くなってて、面映ゆそうに訊いた。
 オレは茹だった頭で、「うん」と子どもみたいに頷いた。
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