上 下
6 / 13

6

しおりを挟む
 甘やかす物言いだった。
 ふと、トーノにはもしかしたら弟か妹がいるのかもしれないと思った。
「いいよ」の答え方に年季が入っている。オレも年の離れた弟妹によく言うから、分かる。
「……トーノは、『つばき産婦人科』に住んでるんだよな?」
「うん」
「親が経営している、とか?」
「ううん。親戚でもないし、元は縁もゆかりもないよ。――千風、新聞読む?」
「全然。新聞どころか、ニュース番組も観ない。テレビつまんねーからネットで自分の好きな動画ばっか」
 父親には叱られるんだけど。「高校生になったんだからちょっとは世相に目を向けろ」って。どの口がそう言ってんだか。
「ああ、それでか」
 トーノが納得したように手をポンと叩く。
「去年の秋頃、この病院に不祥事が起きたんだ。そこそこ大きなニュースになりそうだったんだけど、いっときだけで即揉み消された」
「不祥事って何。医療ミス?」
「ううん、自動車事故。院長の娘がスリップ事故を起こして、通行人の親子を轢いたんだ。母親はふたりの兄妹を女手ひとつで育てるシングルマザーだった」
 その事故の話を、聞いたことがある気がした。
 だけどオレの思い当たるそれが、トーノの言う件に該当するのか自信がない。それだけありふれた、今この瞬間にもどこかで起こっていそうな『事故』だった。

「母親も娘も即死して、息子だけが残された。天涯孤独になった息子を院長は引き取った。治る見込みの無い病気で、二十歳までは生きられないだろうって言われている悲惨な少年を」
 あっと息を飲む。頭の中ですべてが繋がった。
「分かる? それが俺。遠野永一郎なんです」
 いたずらっぽい笑みを浮かべて、トーノがあっさりと説明した。
 時間にすれば時計の秒針の一周分。本人にとっては天地がひっくり返るような出来事を、百文字かそこらにつづめた。

「贖罪というよりは世間様へのパフォーマンスなんだけどね。名誉を少しでも回復したかったみたいで。でも俺も行くところ無かったからふつーに承諾したよ。まさか病院に住むとは思わなかったけど」
「病院の……病室で?」
「いいや。寝床は医者用の仮眠室。わざわざ俺のために部屋を用意するのはもったいなかったらしくて」
 麦チョコを食べながら、雑談をするみたいに、トーノが現在の自らの境遇を明かす。

「もしごく普通の健康体だったら、学校に行かせて成人まで面倒を見てたんだろうけど、俺はこんなんだから。最低限の痛みへのケアさえすればいいんだから、そういう意味ではラッキーだったのかもな、アノヒトタチ」

 一粒ずつ取り出すのがもどかしくなったのか、トーノが麦チョコを一気に口の中に流し込む。リスみたいに頬を膨らませて、麦チョコの食感とシンプルな甘さの関係性を言及しているのを見ているうちに、オレは。

(何だよ、それ……!)
 ぐつぐつと、腹の底が熱くなっていた。

「そんなテキトーな扱いされてムカつかねーのかよ!」
「わっ、びっくりした」
 トーノがびくっと肩を竦ませる。その呑気な態度にも苛立ちを覚えた。
「お前、完全に被害者じゃん。なのにそんな、……まるでペットみてーな」
 いいや、今日びペットの方がよっぽど大事にされている。
 会ったこともない院長やその娘にも腹が立つが、当の本人があっけらかんとしているのが気に喰わない。

「何で千風が怒るんだ……」
 マジになったオレを、トーノが不審がる。知るかそんなの。当たり前だろそんなの。
「お前が怒らないからだよ。怒って当然の扱いをされてるのに、のほほんと受け入れやがって」
 トーノはきょとんと、ガキみてーに目を丸くする。
 本当の本気で、オレが言うまで思いもしなかったことらしい。
 どんだけボケっとしてやがんだ。自分に対して、無頓着すぎる。
 だんまりを決め込んで睨みつけるオレに、トーノはぽそっとつぶやいた。

「……怒って当然、か」

 そんな感情は忘れていた――とでも言わんばかりだった。

「千風は俺のために怒ってくれるんだね。久々だ、そんなこと」
 見たことのないような儚い笑み。
 トーノを形づくる輪郭が妙にぼやけて、希薄になっていく気がした。そんな錯覚を振り払うために、オレは殊更強く言った。
「いいように解釈すんな。ムカついたからそう言っただけだ」
「あはは、そうだよね。ごめん。ありがとう。千風は優しいな。好き」
「ゴホッ!」

 驚きのあまり肺から空気が競り上がって、咳が出てしまった。
 謝罪の次が感謝でその次は誉め言葉で、何で最後に「好き」なんて言葉が出てくるんだっ!

「何言ってんだてめー!」
「俺、変なこと言ったかな?」

 わざとらしくトボけてみせる。天然キャラだと思ったけど違うようだ。コイツはなかなか小賢しい。
 毒気を抜かれて熱も冷まされて、オレは深いため息をついた。
 なんかドッと疲れた……。
 そんなオレをトーノはにこにこして見るし、なんかもうヤだコイツ……。

 壁に背中を預けて、毒のない話題を振る。
「妹と、仲良かったのか?」
 するとトーノは、途端に満面を明るくさせ、
「うん。とても元気で優しい子でね。『えーちゃん』って呼んで慕ってくれる」
「へぇ、名前呼びなんだ。うちは『とおる兄ちゃん』って呼ばせてる」
「千風、とおるって言うんだ」
「今更すぎんだろ。最初に名乗ったっつーの」
「ごめんごめん。……妹、ちょっと千風に似てるよ。目が大きくて表情がくるくる変わるところ。あと、俺によく物をくれるところ」
 そう言ってトーノは、ポケットから手のひらサイズのピルケースを取り出した。
 見覚えがある。
 痛み止めの薬が入っているヤツだ。
 不透明なピンク色のケースで、リボンやうさぎの小さなシールがぺたぺた貼られている。
「これも妹がくれたんだ。可愛いだろ」
 くるっと裏返すと、『とおの えいいちろう』と拙い文字での記名があった。
「字ぃうまいな」
「だろ?」
 妹の名前も教えてもらった。『遠野チカ』だと聞いて、オレは驚きを隠せなかった。
「千風の名前を聞いた時、心が震えたよ。久しぶりに」
 最初からやたら懐っこかったのはこのせいだったのか。奇妙な偶然に感心した。
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

片桐くんはただの幼馴染

ベポ田
BL
俺とアイツは同小同中ってだけなので、そのチョコは直接片桐くんに渡してあげてください。 藤白侑希 バレー部。眠そうな地味顔。知らないうちに部屋に置かれていた水槽にいつの間にか住み着いていた亀が、気付いたらいなくなっていた。 右成夕陽 バレー部。精悍な顔つきの黒髪美形。特に親しくない人の水筒から無断で茶を飲む。 片桐秀司 バスケ部。爽やかな風が吹く黒髪美形。部活生の9割は黒髪か坊主。 佐伯浩平 こーくん。キリッとした塩顔。藤白のジュニアからの先輩。藤白を先輩離れさせようと努力していたが、ちゃんと高校まで追ってきて涙ぐんだ。

初恋はおしまい

佐治尚実
BL
高校生の朝好にとって卒業までの二年間は奇跡に満ちていた。クラスで目立たず、一人の時間を大事にする日々。そんな朝好に、クラスの頂点に君臨する修司の視線が絡んでくるのが不思議でならなかった。人気者の彼の一方的で執拗な気配に朝好の気持ちは高ぶり、ついには卒業式の日に修司を呼び止める所までいく。それも修司に無神経な言葉をぶつけられてショックを受ける。彼への思いを知った朝好は成人式で修司との再会を望んだ。 高校時代の初恋をこじらせた二人が、成人式で再会する話です。珍しく攻めがツンツンしています。 ※以前投稿した『初恋はおしまい』を大幅に加筆修正して再投稿しました。現在非公開の『初恋はおしまい』にお気に入りや♡をくださりありがとうございました!こちらを読んでいただけると幸いです。 今作は個人サイト、各投稿サイトにて掲載しています。

鬼ごっこ

ハタセ
BL
年下からのイジメにより精神が摩耗していく年上平凡受けと そんな平凡を歪んだ愛情で追いかける年下攻めのお話です。

十七歳の心模様

須藤慎弥
BL
好きだからこそ、恋人の邪魔はしたくない… ほんわか読者モデル×影の薄い平凡くん 柊一とは不釣り合いだと自覚しながらも、 葵は初めての恋に溺れていた。 付き合って一年が経ったある日、柊一が告白されている現場を目撃してしまう。 告白を断られてしまった女の子は泣き崩れ、 その瞬間…葵の胸に卑屈な思いが広がった。 ※fujossy様にて行われた「梅雨のBLコンテスト」出品作です。

『これで最後だから』と、抱きしめた腕の中で泣いていた

和泉奏
BL
「…俺も、愛しています」と返した従者の表情は、泣きそうなのに綺麗で。 皇太子×従者

台風の目はどこだ

あこ
BL
とある学園で生徒会会長を務める本多政輝は、数年に一度起きる原因不明の体調不良により入院をする事に。 政輝の恋人が入院先に居座るのもいつものこと。 そんな入院生活中、二人がいない学園では嵐が吹き荒れていた。 ✔︎ いわゆる全寮制王道学園が舞台 ✔︎ 私の見果てぬ夢である『王道脇』を書こうとしたら、こうなりました(2019/05/11に書きました) ✔︎ 風紀委員会委員長×生徒会会長様 ✔︎ 恋人がいないと充電切れする委員長様 ✔︎ 時々原因不明の体調不良で入院する会長様 ✔︎ 会長様を見守るオカン気味な副会長様 ✔︎ アンチくんや他の役員はかけらほども出てきません。 ✔︎ ギャクになるといいなと思って書きました(目標にしましたが、叶いませんでした)

キサラギムツキ
BL
長い間アプローチし続け恋人同士になれたのはよかったが…………… 攻め視点から最後受け視点。 残酷な描写があります。気になる方はお気をつけください。

鈍感モブは俺様主人公に溺愛される?

桃栗
BL
地味なモブがカーストトップに溺愛される、ただそれだけの話。 前作がなかなか進まないので、とりあえずリハビリ的に書きました。 ほんの少しの間お付き合い下さい。

処理中です...