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はじまり

ぎゅっとされて、ぎゅっとなる

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 翌日も変わらず、職場がやばくてやばくてやばかった。(迫真)

「店長代理ー、この雑誌って毎月十五日発売ですよね?」
「それは前号から隔月刊になった」

「店長代理! ご出版社のご営業のお方がお見えになっておられます!」
「お見えです、でいいよ。頑張って敬語を使おうという心意気は立派だけど」

「お世話になっております~! 海峰さん、店長さんの代理になったそうでお疲れ様です! つきましては当社、このたび刊行フェアを予定しておりましてどうか棚をいただけないかと!」
「もう場所はいっぱいでして」
「そんなことおっしゃらずに! こちらポップですポスターですチラシです! どうか! 何とぞ! うちの本にスペースを!」
(十枚ずつもらっても飾るとこねーよ!)

「店長代理、こちらのお客様の客注が見当たらないんだけどー」
「あっ!」


 ――という具合に。
 非常にやばかったが、それでも昨日とは異なる点がひとつだけある。

「先輩、お疲れ様ーす。オレの体どーぞ!」

 残業をこなそうとエナジードリンク片手に事務所に戻ると、空丘が待ち構えていた。その満面の笑みは天井のLEDよりもまぶしい。
 同じくフルタイム勤務だったくせになんでこんなに元気なんだ。

「……変な物言いすんなよ」

 憎まれ口を叩くが本能には逆らえず、海峰はエナジードリンクをほっぽり出し、フラフラと進んだ。

「悪い。ちょっと力入れていいか?」
「いいっすよ、ぎゅーってしちゃってください。――って、うぉっ、ほんとに強っ! 先輩、クソ細いのに腕の筋肉すご!」

 毎日アホみたいな量の本を運んでいるので当然だ。紙は木なのである。

「……クッソ、なんであんなくだらねーミスしたんだ俺」
「客注品、間違って他の人売っちゃったこと? 大丈夫っすよーお客さんのおばあちゃん、再入荷まで待ってくれるって笑って言ってたじゃないっすかー」
「だとしてもさぁ……!」
「ハイハイ分かってますって。先輩は凡ミスした自分が許せないんでしょ」

 ポンポンと背中を叩かれて慰められる。

「先輩の完璧主義なとこカッケーですけど、程々にしないとブッ壊れますよ」
「……」

 なんと返せばいいのか、正直迷う。
 こんな若造に諭され、反射的に反発心は芽生えるが。
 でもその言葉は、手のぬくもりは、海峰の胸の奥にあるとても柔らかい部分にそっと触れた。手当てするような優しさで。

「……ガキ扱いすんなっての」

 腕をゆるめて体を離した途端、ギョッとした。
 空丘の顔が近い。薄い色の瞳に自分が映るのが分かるほどに。彼のまつ毛の意外な長さを知るほどに。

「悪い」

 妙な気まずさを覚えて小さく謝る。
 当の空丘は唇が触れそうな距離になっても、微塵も動揺しなかった。

「いえいえー」

 変なやつだ。
 やっぱり妙に逸る鼓動を抑えて、海峰はそう締め括った。



 ――三日目のハグは、初日のように座ったままにした。
 回転椅子に座って手を広げると、空丘が軽く腰を折って被さってくる。

「お疲れ様、先輩」

 耳元でそう囁かれ、「ふゃっ」と、つい変な声が出てしまった。
 直後、それを空丘にヘラヘラ指摘され、蹴っ飛ばさざるを得なくなったが。


 そうして迎えた四日目。
 今夜、定期便のチョコレートが届く。

 さらり、と海峰の髪を撫でて、空丘が聞いた。

「……先輩ってさ、草食系? 肉食系?」
「恋愛的な意味なら、草食」
「そうだと思ったー」

(どういう意味だ)
 空丘らしいゆるい返し。だが、どこか含みがあるような。
 すると、空丘がパッと体を離した。
 いつもより時間が短い気がして、認めたくはないが名残惜しく感じた。認めたくはないが。

「今日でラストっすねー」
「そうだな」

 帰宅したら、マンションの宅配ボックスに届いているであろうチョコレートを思い浮かべる。
 嗜好品ではなく精神安定剤となったそれを、やっと食べられる。
 待ちわびていたはず、だったのだが

(なんか……そんなに嬉しくないような)

 形にならないモヤモヤを持て余していると、空丘が帰り支度を始めて、

「そーいや先輩、エリアマネさんからお達しがあったんですけど、俺、来週から別の店に行くんで」

 と、いつもの軽い調子でサラッと重要なことを告げた。
 初耳だった。

「どこに!?」
「隣の県の大型店っす。あそこが大規模な棚卸するんで、ヘルプ行ってきます」
「いつまで?」
「しばらくの間っつってました」
「聞いてねーぞ」
「言ってませんからねー。つか、俺も今日知りました」

 またあのエリアマネージャーのタヌキ野郎の仕業か。
 自分への店長代理任命といい、上の連中はどうしてこうも突然で身勝手でこちらの都合を考えないのか。
 怒りを覚えるが、先に考えなくてはならないことがある。

「先輩」

(コイツが抜けた穴をどう埋めるか……)

「先輩って」

(パートさんの誰か、フル出勤してもらえるよう頼むか?)

 考えるのに必死すぎて、つい空丘の呼びかけを流してしまった。

「……先輩」

 ふいに語調を強められ、顔を上げて空丘の方を向く。
 ひどく物言いたげな表情だった。
 少し責めるような、……寂しさが混じっているような。

「悪い。何だ?」
「もういーです」

 こちらへの不満を隠そうともせず、空丘は断ち切るように背を向けた。

「んじゃ、お疲れっした」

 明るい声なのにどこか寒々しい。
 彼のそんな声を聞くのは初めてで、……何故か、胸がぎゅっとなった。
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