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六章
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◆◆◆◆◆第Ⅵ章
それからひと月、
やがて、魔族と勇者の末同志が、戦争を始めるきな臭い情勢になってきた。今回有利なのは、もちろん勇者側である。この闘いには正当な理由がある。ひとつはアルカスの巫女を、殺した、ということになっている。また、王太子妃の誘拐も、無論大罪にあたるはずだ。さっそく王子側の戦闘集団が入ってきて、そのあたりにいるデビルを倒そうとする。しかし、魔族側はほとんどが不老不死、倒すのは至難の業であった。そこで登場したのが、マリアンヌの母国から捧げられた大砲である。これが弾ければ、いかに命長い魔族であっても木っ端みじんに砕け、復活の光を見ないであろう。
玄関ホールでそのような魔族と勇者側の戦が始まったころ、ミカエルは魔族を斬っては捨て、マリアンヌのいるであろう場所に向かった。それは城の最上階、ルシフェールの部屋であろう。そこに、姫がいる。そして、自分をいびつに愛した怨霊も、確かにいるであろう。
その広い天高い部屋のうちで、ミカエルが叫んだ。
「おい、出てこい、いるんだろう」
その声と共に、マリアンヌと魔族の王太子がゆるりと姿を現した。
「返して、欲しいのか」
「あたり前だ! マリアンヌは我妻。お前にくれてやるものではないわ!」
二人はそれからゆっくりと剣を抜き去り、また剣戟が始まった。マリアンヌははらはらと見守りながら、あることに気が付いた。部屋の床から黒い髪の気がはい出てきている。マリアンヌは不思議と怖くなかった。それが自分を殺めようとした者ではなかった。その苦しみを、その絶望を、知ってから。
「ディアーヌ様」
勇気を出し、マリアンヌが声をかける。
「あなたは、ずっと、つらかったのね」
「……そう」
「一人が、怖くてたまらなくなったのね」
「そう」
豊かな黒髪が徐々にはい出てくるのを、マリアンヌはむしろ慈愛の瞳で見つめていた。
「こんなところで、閉じ込められて、さぞや怖かったでしょう
「怖かったわ」
やがて姿を現したディアーヌは、血走ったまなこでマリアンヌを見やる。
「わたしが、魔族になんかに、生まれたから。わたしは本気であの方を、ミカエル様をお慕いしていたのに。それなのに……!」
ディアーヌの眼には思いがけず涙が浮かんでいた。
「どうして、なの。魔族に生まれるということは、そんなにいけないことなの? だからわたしは、生涯寂しく、これからも寂しく暮らしていかなくてはならないの」
「そんなことはないわ、ディアーヌ」
「あなたに、何が分かるのよ!!」
ディアーヌは大声でわめいた。そして泣いた。 どうして、どうして。マリアンヌは苦しかった。泣きたかった。ただ、ただ恋をしたかっただけだ。ただ、彼女は愛しい人との明るい日々を、夢見ていたかっただけだ。なのに、それは微塵もかなわず、その生涯を終えてしまった。なんて、なんて。
「苦しかった、わ、ね」
マリアンヌの頬を熱い涙が伝っていく。どうしたらよかった? どうしたら、この世から差別はなくせる。どうしたら、このディアーヌのように恋の悲哀に泣きじゃくる娘をたすけられる。
マリアンヌの涙に、ディアーヌのこころの闇が、少しずつ薄れていく。
「わた、しは、どうしたら、よかった、のかしら」
ディアーヌも泣き崩れ、地に黒手をはわせ、床に臥した。
「ねえ、マリアンヌ。あなたみたいな人もいるのね。優しくて、わたしを、差別しないで、いてくれる、人が」
ふいに、ディアーヌが微笑を浮かべたようだった。
「わたし、もっと早く、あなたに出会いたかった」
すると、黒髪が渦を巻いて、その先から床に黒き穴が開いていった。
「ディアーヌ、何を!」
「これは冥界へと続く扉よ。わたしみたいに、魔族でありながら罪深いものは、冥界に落されて、千年閉じ込められ続けるの」
ディアーヌの瞳は最後まで静かだ。
「わたしは、あまりに人を傷つけ、殺した。その罪を、払います」
さようなら。マリアンヌ。お兄様、そして、ミカエル様。
冥界に送られる寸前、その腕をとったものがいる。それは。
「待て、ディアーヌ」
それは実の兄であった。ルシフェールは穴に消えていくディアーヌと共に、滅び去る気でいるのだ。そう思ったとき、ミカエルも、マリアンヌも叫んでいた。
「行くなっルシフェール!!」
「行かないで……ふたりとも!!」
けれど美しい二人は既に微笑を浮かべている。
「ミカエル、どうか、魔族のことも忘れないでやってほしい」
ルシフェールがそう頼むと、ミカエルが沈痛な思いで、ああ、と頷いた。
「ああ、それからマリアンヌ」
それから。
「私は、結構本気で惚れていたぞ、お前に」
ルシフェールの腕の中で、ディアーヌは幼子のように安堵して眠っている。
「お兄様、わたしのこと、一人に、しない?」
「ああ、しないよ。今までは悪かった。これからは、ずっと、一緒だ。誰も恨むでもなく、誰をも妬むではなく、穏やかな、幸せが待っているよ」
穴に吸い込まれていく刹那、マリアンヌの方をちらと見て、ディアーヌは笑った。
「ありがとう」
そして、アルカスの巫女とその兄は、永遠にこの世に戻ることはなかった。
それからひと月、
やがて、魔族と勇者の末同志が、戦争を始めるきな臭い情勢になってきた。今回有利なのは、もちろん勇者側である。この闘いには正当な理由がある。ひとつはアルカスの巫女を、殺した、ということになっている。また、王太子妃の誘拐も、無論大罪にあたるはずだ。さっそく王子側の戦闘集団が入ってきて、そのあたりにいるデビルを倒そうとする。しかし、魔族側はほとんどが不老不死、倒すのは至難の業であった。そこで登場したのが、マリアンヌの母国から捧げられた大砲である。これが弾ければ、いかに命長い魔族であっても木っ端みじんに砕け、復活の光を見ないであろう。
玄関ホールでそのような魔族と勇者側の戦が始まったころ、ミカエルは魔族を斬っては捨て、マリアンヌのいるであろう場所に向かった。それは城の最上階、ルシフェールの部屋であろう。そこに、姫がいる。そして、自分をいびつに愛した怨霊も、確かにいるであろう。
その広い天高い部屋のうちで、ミカエルが叫んだ。
「おい、出てこい、いるんだろう」
その声と共に、マリアンヌと魔族の王太子がゆるりと姿を現した。
「返して、欲しいのか」
「あたり前だ! マリアンヌは我妻。お前にくれてやるものではないわ!」
二人はそれからゆっくりと剣を抜き去り、また剣戟が始まった。マリアンヌははらはらと見守りながら、あることに気が付いた。部屋の床から黒い髪の気がはい出てきている。マリアンヌは不思議と怖くなかった。それが自分を殺めようとした者ではなかった。その苦しみを、その絶望を、知ってから。
「ディアーヌ様」
勇気を出し、マリアンヌが声をかける。
「あなたは、ずっと、つらかったのね」
「……そう」
「一人が、怖くてたまらなくなったのね」
「そう」
豊かな黒髪が徐々にはい出てくるのを、マリアンヌはむしろ慈愛の瞳で見つめていた。
「こんなところで、閉じ込められて、さぞや怖かったでしょう
「怖かったわ」
やがて姿を現したディアーヌは、血走ったまなこでマリアンヌを見やる。
「わたしが、魔族になんかに、生まれたから。わたしは本気であの方を、ミカエル様をお慕いしていたのに。それなのに……!」
ディアーヌの眼には思いがけず涙が浮かんでいた。
「どうして、なの。魔族に生まれるということは、そんなにいけないことなの? だからわたしは、生涯寂しく、これからも寂しく暮らしていかなくてはならないの」
「そんなことはないわ、ディアーヌ」
「あなたに、何が分かるのよ!!」
ディアーヌは大声でわめいた。そして泣いた。 どうして、どうして。マリアンヌは苦しかった。泣きたかった。ただ、ただ恋をしたかっただけだ。ただ、彼女は愛しい人との明るい日々を、夢見ていたかっただけだ。なのに、それは微塵もかなわず、その生涯を終えてしまった。なんて、なんて。
「苦しかった、わ、ね」
マリアンヌの頬を熱い涙が伝っていく。どうしたらよかった? どうしたら、この世から差別はなくせる。どうしたら、このディアーヌのように恋の悲哀に泣きじゃくる娘をたすけられる。
マリアンヌの涙に、ディアーヌのこころの闇が、少しずつ薄れていく。
「わた、しは、どうしたら、よかった、のかしら」
ディアーヌも泣き崩れ、地に黒手をはわせ、床に臥した。
「ねえ、マリアンヌ。あなたみたいな人もいるのね。優しくて、わたしを、差別しないで、いてくれる、人が」
ふいに、ディアーヌが微笑を浮かべたようだった。
「わたし、もっと早く、あなたに出会いたかった」
すると、黒髪が渦を巻いて、その先から床に黒き穴が開いていった。
「ディアーヌ、何を!」
「これは冥界へと続く扉よ。わたしみたいに、魔族でありながら罪深いものは、冥界に落されて、千年閉じ込められ続けるの」
ディアーヌの瞳は最後まで静かだ。
「わたしは、あまりに人を傷つけ、殺した。その罪を、払います」
さようなら。マリアンヌ。お兄様、そして、ミカエル様。
冥界に送られる寸前、その腕をとったものがいる。それは。
「待て、ディアーヌ」
それは実の兄であった。ルシフェールは穴に消えていくディアーヌと共に、滅び去る気でいるのだ。そう思ったとき、ミカエルも、マリアンヌも叫んでいた。
「行くなっルシフェール!!」
「行かないで……ふたりとも!!」
けれど美しい二人は既に微笑を浮かべている。
「ミカエル、どうか、魔族のことも忘れないでやってほしい」
ルシフェールがそう頼むと、ミカエルが沈痛な思いで、ああ、と頷いた。
「ああ、それからマリアンヌ」
それから。
「私は、結構本気で惚れていたぞ、お前に」
ルシフェールの腕の中で、ディアーヌは幼子のように安堵して眠っている。
「お兄様、わたしのこと、一人に、しない?」
「ああ、しないよ。今までは悪かった。これからは、ずっと、一緒だ。誰も恨むでもなく、誰をも妬むではなく、穏やかな、幸せが待っているよ」
穴に吸い込まれていく刹那、マリアンヌの方をちらと見て、ディアーヌは笑った。
「ありがとう」
そして、アルカスの巫女とその兄は、永遠にこの世に戻ることはなかった。
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