嫁ぎ先、選べます

みや いちう

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五章

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ここは、どこであろう。また、自分は同じ夢を見ている。あの狭苦しい鏡の間に連れてこられる。そしてない出口を探し求め、あらず、何者か自分を追いかける声と剣を恐れ、自決する。
  そんな夢を、マリアンヌは見ていた。
 震える手でナイフを握ったその冷たい感触、首にナイフが入る瞬間、血が喉より大量に拭きこぼれるのを、激痛と共にどこか茫然と見つめる自分。
(これで、いいの。これで……)
 「い、いや」
(これで、永遠にあの人は、わたしの、もの)
「いやあああああ」
  自分の悲鳴で眼が覚めた。マリアンヌは今、冷たい部屋のベッドに寝かされているらしかった。氷色のシーツに、氷色の部屋の調度。どこか血生臭い匂いが漂う。それもそのはずだった。自分の喉と、足首に血の手形がべったりはりついていた。おそらくこの血は、先ほど殺されたカトリーヌのものであろう、と思った。
(ここはきっと、あの城、だわ)
 そのマリアンヌの勘はよく当たっていた。ここは先日、子供たちがさらわれた時に訪った城、冷たく、禍々しい雰囲気に包まれた古城であった。
(ともかく、はやくここを出なくては)
 そこで。
(って、あ、れ……)
 マリアンヌは次には愕き目を見開いた。
 「ん……」
  冷たいベッドから起き上がると、そこには美しき魔族の青年が眠っていたのである。それも、この上なく美しい寝顔をして。
 「え、うそ……ええええええ」
  これにはもう、仕方ないとばかりに鼻血を吹き出し、マリアンヌの血でルシフェールは真っ赤に染まった。彼はその生臭さの中で目覚めた。
 「おお、おはよう私のマリアンヌ、いい夢を見たかな」
 「すごい! 致死量の鼻血を浴びてなおその美しい笑顔!」
  マリアンヌが驚きあきれていると、ルシフェールがひとしきり笑って、それから静かな口調で話し出した。
 「いや、分かってはいると思うが、私は何もしていないよ。ただ、私がここにいないと、あの子がお前を縊り殺してしまうからね。お前を守っていたのだ。許しておくれ」
  あの、子? それに首を一度かしげたマリアンヌではあったが、すぐにそれがこの黒き腕を遣う闇の娘だと言うことは分かった。それから、ルシフェールが出会ってからずっと、守っていてくれたのはその娘の魔手からだ、ということも、賢いマリアンヌはすぐに悟った。
 「ルシフェール様」 
マリアンヌは威儀を正して、椅子に腰かけ、ルシフェールのまなざしを受け止めた。
 「お願いでございます。あの子、とは、いったいどなたなのでしょう。ミカエル様を恋い慕う、その、恐ろしき、悲しい娘のことを、わたくしにも教えて頂きとうございます」
 「……」
  ルシフェールは少々驚いた風だった。が、すぐに、
 「そうであった。マリアンヌは美しいばかりでなく、聡い娘であったのだな。よい、全てを話そう。お前には、我が妹、ディアーヌのことを、全て、話そう」
 「我が妹、ディアーヌ……様。そのお方は、いったい……」
 「ディアーヌ、そうディアーヌは……」
  それから、ルシフェールの回想は静かに始まっていった。


 あれはいつのころだったのだろう。そうは遠くない昔、春の、野山が緑に爽やかに香り、城の庭園に植えた花々が美しく匂い立つ日のことだった。今より少し若かりしルシフェールはまた、城内の庭園で猫の死体を見つけた。赤毛の、まだ子猫である。その死体は弛緩して、だらりと紅い舌を垂らしている、細い首はねじ曲がり、まるで何者かに強い力で縊り殺されたかのようだった。
 「また、か」
  その子猫を手厚く葬ってやったあとで、気鬱を抱えながら庭園を歩いていると、ふいに薔薇の香りが迫ってきた。
 「お兄様!!」
 「お前は……」
  振り返ると、真紅の薔薇を抱きかかえた美しき妹、ディアーヌがこちらへやってきていた。その美しさは魔族でありながら光り輝くようであった。
  黒い髪はうねって腰まで届き、その黒の瞳は黒曜石をはめこんだように暗い輝きに満ち、その真紅の唇は、彼女の情熱のありかをありありと示していた。
 「ディアーヌ、かわいそうに、また子猫が殺されてしまったよ」
 「まあ、お兄様もお義姉様もあの子を可愛がっていらしたのに……」
  ディアーヌは心底悲しそうな顔をする。ディアーヌはまっすぐで、心優しい娘であった。普通、魔族の王族の娘と忌まれ、嫁入り先も十七になっても見つからず、友の一人も出来ない哀れな状況では、もっと荒んでもいいのに。彼女は慈愛深く、優しい心根の女子だった。小さい頃に両親に放っておかれたせいもあろうか、少し、寂しがり屋ではあったけれど。
 「そんなことより、お兄様、いよいよ婚儀が迫ってきましたわね! おめでとうございます」
  ディアーヌが弾けるような笑顔でそう言うと、ルシフェールも少し、顔をほころばせた。
 「そうは言っても政略結婚であるし……あちらは私のような、魔族の者など厭であったろう。いくら鄙の王国の末娘とはいえ、かわいそうなことだと思う」
  ルシフェールがちょっと切ないような表情を見せると、ディアーヌはぶんぶんと首を振った。
 「いいえ、そんなことはございませんわ! お兄様はこの地上で一番お優しく、お美しくて素敵ですわ! 妹のわたしが断言するのですもの! 間違いございませんわ」
  義姉様が、ちょっぴりお羨ましいくらいよ、と言って微笑むディアーヌ。そのディアーヌは、知らなかった。義理の姉になる姫エヴァは、ディアーヌと親しくしていたが、その実彼女をいたく忌んでいた。
 『あの娘は少しおかしいのではないですか? 』
   薄闇の延べられた朝のベッドで、ルシフェールに彼女はそう漏らしたことがある。
 『何を言うのだ、姫』
 『だって、わたしたちがこの部屋に入ってすぐ、隣室にこもってしんとしているというのですよ。召使に聞きましたから間違いはござませんわ。あの娘は聞いているのですわ。私たちの声を』
  ルシフェールはそんなまさかと、告げたかったが、言えなかった。
 『お姫様が少し変なのでございます』
  とは、確かに彼自身、下女から聞き及んでいたのだ。最近、彼女の悪口を言った召使から奇妙な死に方で死んでいる。ドレスに血のような染みが付いている。まるで子猫が口から吐くくらいの――小さな吐血したような、染みが。
(寂しがっているのか、あの娘は……)
「ねえ、お兄様。今度は、お義姉様はいついらっしゃるの? わたし、お義姉様はお美しくて、お優しくて、大好き!」
  はっと、ルシフェールは現実に引き戻された。眼の前には、この上なく美しく笑むディアーヌ。
(何を思っているのだ私は。この娘はたった一人の私の可愛い妹じゃないか)
「次は残念ながら婚儀の前までお預けだ、ディアーヌ。手紙でお前が会いたがっていると、書いておくよ」
 「よろしくお願いしますわ、お兄様! ああ、婚儀の日が楽しみ!」
  おや、と思ったので、ルシフェールは少しおどけてみせた。
 「おやおや、お兄様っこだと思っていたのに、婚儀の日が楽しみとは、兄離れが進んだかね」
 「えっ」
 「それとも、誰か、よい人でも出来たのか?」
  くくく、と笑うルシフェールへ、ディアーヌがもうっと上目使いで怒ってみせる。そこで、侍女の一人が部屋に入り、二人に膝まづいて告げた。
 「ルシフェール様、お客様がお越しになられましたよ」
  これに、二人は顔を合わせておや、という表情になった。珍しいことであった。こんな、勇者に打ち負かされてから差別され、侮蔑される存在になった、貧しい哀れな魔族を、訪れる者がいるなんて。
 「さては、あいつかな」
  ルシフェールの勘はさすがに鋭かった。城の前庭より、馬車から降りて城へ入ってくるのは、勇者の末裔、王太子ミカエルであった。
 普通、魔族とは誰も好んで親しくしないものを、この王太子だけはしきりにやってきて、憎まれ口をたたいては笑いあって、帰っていく。ルシフェールは、この心優しい王太子が友として好きであった。そして、ディアーヌも。
 「ああ、ミカエル様だわ。本当に、こんなわたしたちと親しくしてくださるなんて、お優しい方……」
   城の窓より彼の登城を垣間見、ディアーヌの頬が赤く染まっていく。
(ああ、この娘が、恋を……)
これに、ルシフェールは哀しく、厳しい態度をとらざるをえなかった。彼女の恋は、禁忌の恋に近しいものだった。光の王太子に、闇の王女が恋をすることは。それはすなわち、破滅を意味する。
 「いけない、いけないよ。ディアーヌ」
 「え?」
  ルシフェールが、戸惑うディアーヌへ寂しげな横顔を向ける。
 「ど、どうして、お兄様……」
 「あいつは勇者の末裔、みなみなから敬われ、尊敬され、愛されるべき存在。だが、私たちは残念ながら違うのだ。私たちのような闇を背負ったものは、決してあれとは結ばれないのだ」
  ルシフェールは今度はまっすぐにディアーヌを見つめた。
 「分かったね。ディアーヌ、あいつのことは、諦めるんだよ」
 「で、ではお兄様……わたしは、わたしは……」
  一人ぼっちになってしまいます。
  そう言外に聞こえた気がしたが、ルシフェールはあえて黙殺して、下女を通じ「今日のところは帰るよう」とミカエルに伝えさせた。
 「ひどい……ひどいわ」
ディアーヌはしばらく蹲って泣いていた。
それからひと月後のことであった。
  華燭の儀が終わり、式の後は盛大な舞踏会となった。盛大な、といっても来るのはたいてい落ちぶれた魔界貴族の面々であったが、それでもこの城に寂しく住む二人の王族には嬉しかった。それに今日は、勇者の末であるミカエルも白の正装姿で来ている。連れているのはおそらくゆくゆくの妃で、赤毛の、大層美しい娘だった。彼は魔族の末たちから、
 「おいおい、お前の先祖にはしてやられたものだ」
  などと軽口をたたかれ、そのたびに笑っていなしている。どちらも禍根を忘れ、楽しそうですらあった。
  ルシフェールはエヴァと共に踊り明かしていた。エヴァの美しさはやはりとびぬけていて、さすがはあのルシフェールの妻だ、という評が多かった。
  ――その時のことを、のちにルシフェールは下女から聞いていた。最初は楽しそうにしていたディアーヌであったが、そのうち一人で、ぶつぶつ何か繰り返すようになっていったという。それはディアーヌにだけ、誰もダンスの誘いをしないことに端を発した。
 「どうして、なのかしら……」
 「どうしてみんな、わたしを置いていくのかしら」
 「わたしは魔族だから、穢れてどうしようもないから、誰もかれも、傍に置いてくれず、ただ、一人ぽっちで……これからも、ずっと、一人ぽっちで」
  最初に異変に気が付いたのはルシフェールであった。ディアーヌがぶつぶつ繰り返すと、そのたびにその黒髪が伸びていき、その目は虚ろになっていった。
 「ディアーヌ……!」
  ルシフェールが顔を白くした。異常事態であった。部屋がありえないスピードで冷えていく。みなも異変に気が付いたようだ。
  「ディアーヌ、しっかりするんだ」
  慌ててルシフェールが迫ろうとしても、踊っていたエヴァがその手を離さず、そこにたどり着けない。やがて黒髪はうねって床になだれてはゆらいで。それから彼女は言った。
 「どうして、私だけが一人なの……!! わたしから、これ以上奪わないで!!」
  するとそのとき、にわかにミカエルのパートナーが白目をむいて倒れた。みなが悲鳴を上げながら近寄る。
  その目は白目までめくりあがり、唇は黒に変じ、いかにも苦しさに耐え兼ねたように喉をひっかいた傷が生々しく残っていた。
 「なっなにかしらっあれは」
  エヴァがディアーヌの方を見やる。そこには床を覆わんばかりの黒髪をはやした、怨念のかたまりが、ただ立っていた。その長い前髪にふされた目は、紅い輝きを宿していた。
 「な、なによあの眼」
 「まさかあれは……」
  そこでルシフェールが驚きとおののきに呟いた。
 「あれは、アルカスの乙女のみが持つ紅い瞳……もしやディアーヌは、ディアーヌこそが、アルカスの巫女、だったというのか」
  その禍々しい紅い瞳を見ると、舞踏会の面々は汗をかき、その場を立ち去ろうとする。
 「ぎゃああ化け物!」
 「やはり魔族だ、人の生き死にすら左右させる」
 「あの呪われし魔族を殺そう!」
  そう口々に言いかわす人間たちが、一人、一人とどんどん倒れていく。その首は子猫の如く、押し曲げられあまりの激痛に舌を噛んで、次々に臥していった。エヴァがおののいたのに一瞥し、ディアーヌがにこやかに微笑みかけた。
 「あなたも、わたしからお兄様をとるおつもりだったのよね。だったら、死ぬがいいわ」
 「いっいや、あ、ぐぎいいいい」
  ボキっと、厭な音がしてエヴァの首はもげきった。
 「衛兵を呼べ! ここに穢れた殺人鬼がいるぞ!」
  その声に、ディアーヌが走って逃げだす。ルシフェールが慌てて追いかける。
 「待てっ、待つのだディアーヌ!!」
  ルシフェールや衛兵が城中を探し回ったのち、地下の鏡の間で、破片を喉に突き刺していたディアーヌがのちに見つかった。
◆◆
「それから、ディアーヌ様はどうなさったのです」
  マリアンヌがそう問いかけると、ルシフェールが本当に苦しそうな表情で、話を続けた。
 「一命をとりとめたディアーヌはそれから、この城で幽閉された。暴れる時は手錠に足かせをはめ、動けなくされた。それは彼女が、アルカスの巫女であったと証明されてしまったから。決して他の国に専有されたくなかったからだ。だが、人をどんなにでも縊ることのできる彼女を恐れて、みな下女も怖がって城を去っていき、やがてディアーヌは栄養失調で餓死した」
 「そ、んな……」
  あまりの気の毒な話に、マリアンヌは涙さえこぼれた。そこではたと、あることに気がついた。
 「では、ディアーヌ様亡きあと、ミカエル様に恋情を寄せ、わたくしを殺そうとするのは誰なのです?」
  これに、ルシフェールはつと立ち上がり、外を見やった。
 「ディアーヌは死しても、なお、忘れることが出来なかった。ミカエルの美しい顔や、やさしさや、思いやり、それを忘れられなかった。ゆえに彼女は」
  ルシフェールが、うつむき、小さく口走った。
 「悪霊となってしまった。ミカエルと親しくするものをすべて、縊り殺そうとしている」
  外の冷えた風が、昼のま白い空の下に吹き渡っている。
 「だから、あの男はお前を守ろうと精一杯だった。いつでもディアーヌはミカエルに近づくものを殺すつもりでいる。悪魔になってしまったんだ」
  「な、なんてこと……」
  マリアンヌはしばらく茫然とし、その娘よりの災いを恐れるようになった。




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