4 / 8
二章続き
しおりを挟む
◆◆
「ん……」
マリアンヌが次に目を覚ました場所、そこは地下水路のようだった。汚泥のたまる厭な臭いがする。自分の足元を鼠たちが這う。
「ここ、は……」
マリアンヌはこの恐ろしい光のない世界でも、希望を捨てぬことをやめなかった。どこか、出口があるはず。この、薄汚れたおぞましい世界から、逃げ出す為の――。
「あれ、は……」
歩き出してすぐ、マリアンヌは自分が踏みつけた床が頭蓋骨だということを知った。床は踏みつけてすぐに割れていったからである。
次に踏んだのは大腿骨だった。次には肋骨あらわになった死体だった。最初はおののいていたマリアンヌだったが、そのうち、何も感じなくなっていった。ただ、出口が欲しかった。この薄汚れた世界から抜け出す、出口が、光が、ただただ、恋しかった。
「あ……」
やがて光は見えた。地下水路を閉ざすドアの先は、光が漏れていた。急いてドアを開ける。
そこは鏡が何十にも置かれた、不気味な部屋だった。マリアンヌの眼から、次第に生気が失われていった。ああ、あれほど欲した出口が、どこにも、ない……。この鏡の間は、どこを折れても出口を示さなかった。ただ、虚ろな目をする自分を映すばかりだった。その自分の背後に、何か波打った艶のない黒い髪が、はりついているのにいつからかマリアンヌは気づいた。それは黒い影のようにマリアンヌにぴったりと憑いて、離れなかった。そのうち、それはマリアンヌへ話しかけ始めた。
「ねえ、ねえ」
「あなたはだあれ、わたしはどおこ」
「ねえ、ねえ」
「あなたはどおこ。わたしはだあれ」
「だし……て」
マリアンヌはようやっとそう呟いたあと、おもむろに、鏡を転がっていた石を用い渾身の力で砕いた。そして勢いよくはねた破片の大きいのを取って、その首にあてがわんとした。
くす、くす
この笑いは、誰が発しているのか、あるいは、自分か。
「ここから、私を、出して……」
「マリアンヌ!!」
はっと、マリアンヌは男の声で眼を覚ました。見れば右手にガラス片を強く握っていて、血が出ている。振り返るとミカエルがいた。もうあの黒髪の女はいなくなっていた。
「マリアンヌ……すまない。来るのが、遅れて」
ミカエルの悲痛な面持ちに、マリアンヌは安堵したように涙をこぼした。
「わたくし、誰かとお話ししていたような気がしますの。孤独な、出口を失った魂と……」
「そう、か」
ミカエルがマリアンヌの右手の血を吸い、ぬぐう。それから、力いっぱいマリアンヌを抱きしめた。そのあたたかさは、確かに生きている人間のものだった。
「すまない、すまない……本当に、すまなかった。お前を助けられなくて」
マリアンヌはいまだ悪夢からさめやらない様子だったが、徐々に、涙をこぼすたびに、元の彼女に戻っていった。
「ミカエル様、ミカエル様……」
その時、軍部の一人が、走り寄ってきてミカエルに告げた。
「殿下、子供たちの声が奥の部屋より聞こえてきます!!」
◆
奥の部屋では、うつろな目で泣き出す子どもたちがみなみな無事でいた。
「我が愛しき民たちよ、大丈夫か!!」
「もう大丈夫よ。もう怖くないわ」
ミカエルが子どもたちに声をかけ、マリアンヌが抱き留める。虚ろな目をした子どもたちは、生きている人間のあたたかさに触れ、次第に正気を取り戻していった。一人、また一人と声高く泣き出した。
「ぼ、ぼくたち、怖い女に連れてこられたの」
「あの、黒い手で……」
子どもたちは火のついたように泣き叫んだ。それを軍部やマリアンヌがなだめて安心させる。
「もう大丈夫よ。安心して。もう大丈夫」
その声を背に、ミカエルはある手紙を見つけた。板で打ち付けられた景色のない窓の下、飴色の机に手紙が記されていた。
【あなたはやっぱり来てくれた。永遠にあなたはわたしのもの】
宛名も差出人も不明だったが、ミカエルにはこれが誰によって、誰あてに書かれたかよくわかっていた。
「……」
無言で鎮痛な表情を見せたあと、彼は振り向いて。
「さあ、この呪われた城からとっとと出るぞ!! 子どもたちを抱き留めて、外に出よう!!」
と、再び威ある声で命じた。マリアンヌも子供を一人抱きかかえる。そのあとで、ふっと脳裏をよぎるものがあった。
(あの時、鏡の破片で自害しようとしたわたくしを呼び留めたのは、ミカエル様の声、ではなかった……あれは、ルシフェール様の、お声?)
しかしその謎は解けないまま、彼女もまた城を後にした。
◆
その頃、漆黒の闇に包まれたこの古城の一室で、ミカエルにあてられた手紙を読んだルシフェールはひとり、深いため息をつき、苦し気に呻いた。
「いまだ……」
――気が付けば、部屋の床から黒き髪の毛がはいずり出ている。
「いまだ諦めかねているのか。ディアーヌよ」
「ん……」
マリアンヌが次に目を覚ました場所、そこは地下水路のようだった。汚泥のたまる厭な臭いがする。自分の足元を鼠たちが這う。
「ここ、は……」
マリアンヌはこの恐ろしい光のない世界でも、希望を捨てぬことをやめなかった。どこか、出口があるはず。この、薄汚れたおぞましい世界から、逃げ出す為の――。
「あれ、は……」
歩き出してすぐ、マリアンヌは自分が踏みつけた床が頭蓋骨だということを知った。床は踏みつけてすぐに割れていったからである。
次に踏んだのは大腿骨だった。次には肋骨あらわになった死体だった。最初はおののいていたマリアンヌだったが、そのうち、何も感じなくなっていった。ただ、出口が欲しかった。この薄汚れた世界から抜け出す、出口が、光が、ただただ、恋しかった。
「あ……」
やがて光は見えた。地下水路を閉ざすドアの先は、光が漏れていた。急いてドアを開ける。
そこは鏡が何十にも置かれた、不気味な部屋だった。マリアンヌの眼から、次第に生気が失われていった。ああ、あれほど欲した出口が、どこにも、ない……。この鏡の間は、どこを折れても出口を示さなかった。ただ、虚ろな目をする自分を映すばかりだった。その自分の背後に、何か波打った艶のない黒い髪が、はりついているのにいつからかマリアンヌは気づいた。それは黒い影のようにマリアンヌにぴったりと憑いて、離れなかった。そのうち、それはマリアンヌへ話しかけ始めた。
「ねえ、ねえ」
「あなたはだあれ、わたしはどおこ」
「ねえ、ねえ」
「あなたはどおこ。わたしはだあれ」
「だし……て」
マリアンヌはようやっとそう呟いたあと、おもむろに、鏡を転がっていた石を用い渾身の力で砕いた。そして勢いよくはねた破片の大きいのを取って、その首にあてがわんとした。
くす、くす
この笑いは、誰が発しているのか、あるいは、自分か。
「ここから、私を、出して……」
「マリアンヌ!!」
はっと、マリアンヌは男の声で眼を覚ました。見れば右手にガラス片を強く握っていて、血が出ている。振り返るとミカエルがいた。もうあの黒髪の女はいなくなっていた。
「マリアンヌ……すまない。来るのが、遅れて」
ミカエルの悲痛な面持ちに、マリアンヌは安堵したように涙をこぼした。
「わたくし、誰かとお話ししていたような気がしますの。孤独な、出口を失った魂と……」
「そう、か」
ミカエルがマリアンヌの右手の血を吸い、ぬぐう。それから、力いっぱいマリアンヌを抱きしめた。そのあたたかさは、確かに生きている人間のものだった。
「すまない、すまない……本当に、すまなかった。お前を助けられなくて」
マリアンヌはいまだ悪夢からさめやらない様子だったが、徐々に、涙をこぼすたびに、元の彼女に戻っていった。
「ミカエル様、ミカエル様……」
その時、軍部の一人が、走り寄ってきてミカエルに告げた。
「殿下、子供たちの声が奥の部屋より聞こえてきます!!」
◆
奥の部屋では、うつろな目で泣き出す子どもたちがみなみな無事でいた。
「我が愛しき民たちよ、大丈夫か!!」
「もう大丈夫よ。もう怖くないわ」
ミカエルが子どもたちに声をかけ、マリアンヌが抱き留める。虚ろな目をした子どもたちは、生きている人間のあたたかさに触れ、次第に正気を取り戻していった。一人、また一人と声高く泣き出した。
「ぼ、ぼくたち、怖い女に連れてこられたの」
「あの、黒い手で……」
子どもたちは火のついたように泣き叫んだ。それを軍部やマリアンヌがなだめて安心させる。
「もう大丈夫よ。安心して。もう大丈夫」
その声を背に、ミカエルはある手紙を見つけた。板で打ち付けられた景色のない窓の下、飴色の机に手紙が記されていた。
【あなたはやっぱり来てくれた。永遠にあなたはわたしのもの】
宛名も差出人も不明だったが、ミカエルにはこれが誰によって、誰あてに書かれたかよくわかっていた。
「……」
無言で鎮痛な表情を見せたあと、彼は振り向いて。
「さあ、この呪われた城からとっとと出るぞ!! 子どもたちを抱き留めて、外に出よう!!」
と、再び威ある声で命じた。マリアンヌも子供を一人抱きかかえる。そのあとで、ふっと脳裏をよぎるものがあった。
(あの時、鏡の破片で自害しようとしたわたくしを呼び留めたのは、ミカエル様の声、ではなかった……あれは、ルシフェール様の、お声?)
しかしその謎は解けないまま、彼女もまた城を後にした。
◆
その頃、漆黒の闇に包まれたこの古城の一室で、ミカエルにあてられた手紙を読んだルシフェールはひとり、深いため息をつき、苦し気に呻いた。
「いまだ……」
――気が付けば、部屋の床から黒き髪の毛がはいずり出ている。
「いまだ諦めかねているのか。ディアーヌよ」
0
お気に入りに追加
23
あなたにおすすめの小説
【完結】もう無理して私に笑いかけなくてもいいですよ?
冬馬亮
恋愛
公爵令嬢のエリーゼは、遅れて出席した夜会で、婚約者のオズワルドがエリーゼへの不満を口にするのを偶然耳にする。
オズワルドを愛していたエリーゼはひどくショックを受けるが、悩んだ末に婚約解消を決意する。だが、喜んで受け入れると思っていたオズワルドが、なぜか婚約解消を拒否。関係の再構築を提案する。その後、プレゼント攻撃や突撃訪問の日々が始まるが、オズワルドは別の令嬢をそばに置くようになり・・・
「彼女は友人の妹で、なんとも思ってない。オレが好きなのはエリーゼだ」
「私みたいな女に無理して笑いかけるのも限界だって夜会で愚痴をこぼしてたじゃないですか。よかったですね、これでもう、無理して私に笑いかけなくてよくなりましたよ」
サンタクロースが寝ている間にやってくる、本当の理由
フルーツパフェ
大衆娯楽
クリスマスイブの聖夜、子供達が寝静まった頃。
トナカイに牽かせたそりと共に、サンタクロースは町中の子供達の家を訪れる。
いかなる家庭の子供も平等に、そしてプレゼントを無償で渡すこの老人はしかしなぜ、子供達が寝静まった頃に現れるのだろうか。
考えてみれば、サンタクロースが何者かを説明できる大人はどれだけいるだろう。
赤い服に白髭、トナカイのそり――知っていることと言えば、せいぜいその程度の外見的特徴だろう。
言い換えればそれに当てはまる存在は全て、サンタクロースということになる。
たとえ、その心の奥底に邪心を孕んでいたとしても。
【取り下げ予定】愛されない妃ですので。
ごろごろみかん。
恋愛
王妃になんて、望んでなったわけではない。
国王夫妻のリュシアンとミレーゼの関係は冷えきっていた。
「僕はきみを愛していない」
はっきりそう告げた彼は、ミレーゼ以外の女性を抱き、愛を囁いた。
『お飾り王妃』の名を戴くミレーゼだが、ある日彼女は側妃たちの諍いに巻き込まれ、命を落としてしまう。
(ああ、私の人生ってなんだったんだろう──?)
そう思って人生に終止符を打ったミレーゼだったが、気がつくと結婚前に戻っていた。
しかも、別の人間になっている?
なぜか見知らぬ伯爵令嬢になってしまったミレーゼだが、彼女は決意する。新たな人生、今度はリュシアンに関わることなく、平凡で優しい幸せを掴もう、と。
*年齢制限を18→15に変更しました。
(完結)醜くなった花嫁の末路「どうぞ、お笑いください。元旦那様」
音爽(ネソウ)
ファンタジー
容姿が気に入らないと白い結婚を強いられた妻。
本邸から追い出されはしなかったが、夫は離れに愛人を囲い顔さえ見せない。
しかし、3年と待たず離縁が決定する事態に。そして元夫の家は……。
*6月18日HOTランキング入りしました、ありがとうございます。
もう死んでしまった私へ
ツカノ
恋愛
私には前世の記憶がある。
幼い頃に母と死別すれば最愛の妻が短命になった原因だとして父から厭われ、婚約者には初対面から冷遇された挙げ句に彼の最愛の聖女を虐げたと断罪されて塵のように捨てられてしまった彼女の悲しい記憶。それなのに、今世の世界で聖女も元婚約者も存在が煙のように消えているのは、何故なのでしょうか?
今世で幸せに暮らしているのに、聖女のそっくりさんや謎の婚約者候補が現れて大変です!!
ゆるゆる設定です。
偉物騎士様の裏の顔~告白を断ったらムカつく程に執着されたので、徹底的に拒絶した結果~
甘寧
恋愛
「結婚を前提にお付き合いを─」
「全力でお断りします」
主人公であるティナは、園遊会と言う公の場で色気と魅了が服を着ていると言われるユリウスに告白される。
だが、それは罰ゲームで言わされていると言うことを知っているティナは即答で断りを入れた。
…それがよくなかった。プライドを傷けられたユリウスはティナに執着するようになる。そうティナは解釈していたが、ユリウスの本心は違う様で…
一方、ユリウスに関心を持たれたティナの事を面白くないと思う令嬢がいるのも必然。
令嬢達からの嫌がらせと、ユリウスの病的までの執着から逃げる日々だったが……
骸骨と呼ばれ、生贄になった王妃のカタの付け方
ウサギテイマーTK
恋愛
骸骨娘と揶揄され、家で酷い扱いを受けていたマリーヌは、国王の正妃として嫁いだ。だが結婚後、国王に愛されることなく、ここでも幽閉に近い扱いを受ける。側妃はマリーヌの義姉で、公式行事も側妃が請け負っている。マリーヌに与えられた最後の役割は、海の神への生贄だった。
注意:地震や津波の描写があります。ご注意を。やや残酷な描写もあります。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる