嫁ぎ先、選べます

みや いちう

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一章

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【第一章】
 「嫁ぎ先、選べます」
  フェールド王国。
  パンディア大陸西に位置するこの国のほとんどは、自然豊かな、穏やかな農村地帯か発展途上の工業地帯が占めている。先の大戦で領地は広がり、念願だった不凍港も得られ、この王国の栄えはまさに近々(きんきん)に最高潮に達さんとしていた。この国の食料品や軍備の為の武器などは、デザイン品質ともに高水準とされ、世界中のどの国もこの国と貿易関係を持ちたがった。
そのフェールドの東の外れ、金の装飾こらされた離宮に、夏の間ある王族が暑さを倦んで過ごしていた。その名はマリアンヌ。栗毛色の髪を高く結わえて、碧のダマスク織りのドレスが様になる長身の美女である。その彼女に向かって、ある夏の朝、乳母がしわしわの顔をしかめて白い紙をつきつけた。それが、
 『嫁ぎ先、選べます』
であった。姫は飴色の調度に取り巻かれた典雅な部屋で本を読んでいるのを、ばあやより婚姻を打診され、中断せざるをえなくなった。ばあやに向き直り、姫は大きく嘆息した。
 「もう。なあに、ばあや、突然に」
  マリアンヌはその紫の瞳を細め、ばあやを見やった。一方のばあやはぷりぷりしてもはや噛みつく勢いであった。
 「なあに、ではありませんよマリアンヌ姫様! 姫も、御年十七の妙齢の乙女! そろそろ本気になって嫁ぎ先を決めませんと」
  いつになく焦り顔のばあやへ、マリアンヌはほほと、口元を純白の羽の扇で隠し笑った。
 「まあ、何を言うのかと思ったら、嫁ぐだなんて。ほほほ」
  姫はこうして一笑にふしてしまったが、これには深い訳がある。――それは姫の口から聞くとしよう。
 「だって万が一嫁いだりしたら、手を絡めて、接吻して、それからその、その、その先までしなくてはならないんでしょう。わたくし、無理です。断固として出来ない! だってそんなこと、ちょっと考えただけで……!」
  マリアンヌがついに言葉をなくす。次にははーっくしょん! 叫ぶまぎわに、鼻から勢いよく血を吹き出した。姫の間近にいたばあやも、若き侍従たちも真紅に濡れそぼっている。ばあやが唖然とするなか、若い侍従たちが急いてマリアンヌ姫の衣装の、血で濡れたのをふき取っている。
 「こんな状態で、わたくしが誰と結婚出来るというの。 いつも鼻血ふいて、子作りもままならないのが目に見えているじゃない!」
  マリアンヌのこの言葉に、ひくどころかますます語気を強めるばあや。
 「そんなことは関係ございません! 姫様はこの世界随一とも呼べる強国の第二王女、嫁ぎ先が選べるだけでも幸運でございます! 早くに嫁ぎ遊ばして、御父上、御母上を安心させてさしあげて下さい!」
  ぐぬぬ、とマリアンヌは次の句を奪われる。確かに、そうかもしれない。マリアンヌは姫として何不自由なく暮らしてきたが、それを神の恵みと信じず、戦にあけくれた先祖たちのおかげであることに気づいていた。マリアンヌはそう、聡明な姫だった。ただ時折鼻血を出すだけで。
 「ま、まあ、そうね。いずれはそうしなくてはいけないようね」
  姫の逡巡を見てとって、ばあやは侍女たちにただちに命じ、
 「では、肖像画をこれに」
と二人分の肖像画を用意させた。それにかけられた二枚の白い布を勢いよく取り去ると、侍女たちから歓声が上がった。
  見れば、右方、それは誰が見ても幻とも思えるような、あまりに美しい男の肖像画であった。その黒髪は波打って腰まで届き、金の瞳は全ての女人を魅惑するような暗い輝きに満ちている。鼻筋は通り、何より薔薇の咲きこぼれたような唇は、赤く匂って男のものとも思われなかった。
 一方の左方、こちらはまあ、侍女たちがうわ、と眉を顰めるような気持ち悪さであった。ふくふくとした体つきに、細くて愚鈍そうな眼、にきびだらけの鼻、ぼってりと重なった唇には、どこにも知性のかけらも感じさせない。
 「一枚目は魔王子と呼ばれる魔族の王の末、ルシフェール様。二枚目は勇者にして王族の末、王太子ミカエル様。さあ、このお二方のどちらを姫様はお気に召しましたか?」
  そこで素早く侍女たちの手があがる。
 「はあい! ルシフェール様一択」
 「顔面偏差値主義者の面食いどもは黙っていなさい! 姫、わたくしはこちらのミカエル様がよろしいかと思います」
 「それはなにゆえ、ばあや?」
  うろんげな姫へ、ばあやがごほんと咳払いをし、そのあとでドアの周囲へも人払いしてから告げる。
 「ルシフェール様はいろいろといわくつき、という話でございます。それに……このような差別はすべきでない、とは重々承知ですが、片方は人間の勇者の血筋、光の王家。片方は魔族の血筋、闇の王家、という訳です……私には姫がそちらに嫁げば不幸になるのは必定に思われます。どうかですので、慎重にお考え遊ばせ」
 「……ううん、そうね」
  今少し、考えさせて頂戴。そう言い置いて、部屋に戻った姫が結論を出したのは、それから七日後のことデルバール王国は風光明美な地として知られ、美食の街としても高名であった。古城を囲むようにして町が連なり、デルバール特有のオレンジ屋根が、果ての海まで続く程だった。さすがは、元世界を救った勇者の末裔の住まう町、と言えるであろう。そこに馬車で運ばれながら、マリアンヌはドキドキしていた。道には散りばめた陶器片のような大きな貝殻が落ちていて、それが王族として美しい床の上を生きてきたマリアンヌには、新鮮な愕きであった。道行く人人はみな明るく朗らかで、セラフィーンと呼ばれる洒落た詩を謳いギターをかき鳴らした。日は燦々と照り、城の白壁と、それに埋め込まれたステンドグラスを煌々と射した。
(ああ、何てすごい場所かしら…… わたくしにはここから、何か大きなことが始まるような気がする!)
 マリアンヌの胸には希望が膨らんでいった。ただ、ひとつ気にかかることも、あった。七日間悩んだ挙句、自分は勇者の末を夫として迎え入れることに決めた。その要因は、無論、魔族とは相容れぬ文化がある人間の自分では、立派な妻たるその任にはとても堪えぬこと。それこそが一番の原因であった。一番の、原因。そういうのなら、あるいは、二番、がある? 自分には、誰にも秘した、直視できない程の汚い感情があるのではないか?
 (人を食らって生きてきた魔族の末……そんなところに、行ってやるものか)
と、どこか、見下した気持ちがあったのではなかったか。なんということだろう! 今まで純情だとかピュアだとか何とか言われ、接吻の話を聴いただけで致死量の鼻血をふいたりしたというのに、そのおちゃらけた自分の中に、こんな汚らしい感情が秘されているなんて!! 
  ともかく、自分は今、王太子と結婚することに決まったのだ。あと半月後には、今通り過ぎた美しい礼拝堂で華燭の儀が執り行われる。肖像画によれば、あの大変、あれな王太子様と。それは確かに、容姿が醜い王太子様でも、お心は素晴らしい方かもしれない。けれどあそこまで容姿がものすごいと、長い結婚生活で鼻血ではなく血尿が出ることすら否定は出来ない。
(とにもかくにも、行ってみるしかないわ!)
 姫はそう覚悟を決めて、再び視界を外に向けた。

  そうこうしている間に、デルバールの均整のとれた美しい古城に馬車はたどり着いた。微かにいななく白馬の馬車から降りると、そこでは三人の侍従が、白の礼装で恭しくこちらへ頭を下げていた。
 「ごきげんよう、姫君。こちらへようこそ嫁がれました」
 「上では焼き立ての菓子を用意しております。城でとれたハーブを使ったハーブティーも、ほどよく冷ましてご用意いたしました」
 「上では王太子殿下もお待ちかねでございます。さすれば、さあ、参りましょう」
  なかなかに美しい男たちに連れられ、姫は吹き抜けに円を描くように築かれた階段を昇り、屋上の庭園にたどり着いた。
 「わあ……」
  そこでマリアンヌが思わず嘆声を漏らした。そこからはデルバールの街がすべて見渡せる、大パノラマだった。オレンジ屋根がどこまでも伸びていき、時折その隙に尖塔をそびやかした教会が見える。海は凪いでいて、清々しい風をこちらへ送ってくる。
 「なんて素敵な眺めでしょう」
 「気にいってくれたか?」
  そう言う声に思わず振り向くマリアンヌ。すると、そこにはかつて見たこともない程に威厳があり、美しく凛々しい青年が立っていた。その耳にかかる金髪は艶めいて、唇は真紅に燃え、まなこは青く澄んだ湖面のように見えた。
(き、綺麗な方だわ……)
その時姫は、彼が青い軍服に百合のバッヂが縫い付けられているのを認め、思わず膝をついた。
 「お、王族の方とは知らず、ご無礼を……」
  デルバールの国花は白百合であり、それが首をもたげた状態の花姿を、軍服に縫い付けられた者は王族である、ということをマリアンヌはあらかじめ知らされていた。王家の青年は、ちらとマリアンヌを一瞥し、それからくちどに、
 「結婚式は半月後だ。準備は念入りにしておけ。それから、城よりはあまり出るな」
  と告げた。マリアンヌは思わず青年を直視してしまう。
 「え……それって」
 「夫からの言いつけが守れんのか」
  えー!! もしマリアンヌが王家の姫として恥を知らぬ娘であったら、今頃そう叫んでいたであろう。この、世にも稀な美貌の青年が、自分の夫? では、あの肖像画は……。
 「逆肖像画、詐欺……?」
 「何をぐだぐだ言っている。もう用は済んだ。俺は軍議に出るからお前は一人でハーブティーでも飲んでろ、じゃあな」
  緊張のあまり、ハーブティーがパンティーに聞こえ、焦ったマリアンヌである。しかし、いまはそんなおちゃらけている場合ではない。自分の夫は背を向け長靴の音高く行ってしまう。とにかく、状況を整理せねば。
 「あ、あの」
  白いテーブルにてハーブティーを頂きながら、姫は三人の侍従に尋ねる。
 「あの方は、いったい……」
  三人はハーモニー豊かに答えていく。
 「あれ?」
 「ご存じなかったんですか」
 「あの方こそ、あなた様のご結婚されるデルバール王太子、ミカエル様ですよ」
  えっ、でも……。
 「あの、幼少期に人体錬成に成功してイケメンになったりとかは」
 「いやいや」
 「あの肖像画を意図的に悪く書いたのも」
 「すべて殿下のおはからいでございます」
  なっ。マリアンヌは絶句した。あの醜悪の極みみたいな肖像画は、わざとそう描かせた、ということ? ではあのお美しい方が、わたくしの、結婚相手? 普通の世慣れた乙女なら、やったーと歓喜に叫びそうなものであるが、マリアンヌの心中は複雑であった。
(あのお方はわたくしを試したのだわ……)
 人のことを試す夫に不信感はぬぐえない。それに。
(わたくしのことを、ちらと見て、去っていかれたわ。きっと、思うように美しくないので、がっかりされたのかもしれないわ)
 でも、それならば。
(あのお方と仲良くやっていけるよう、努力しなくては)
 逆境に諦める、ということを知らぬこの姫の美点は、のちのちおおいに彼女を助けることになる。

「よいしょ、よいしょ」
  その二日後、マリアンヌは城近くの湖望む花園で、せっせと野ばらを摘んでいた。城にいても、四六時中あの三人の侍従に話しかけられ、遠くからも誰かれに見張られて、少し息抜きしたかった、というのもあった。それに。
(美しいお花を見たら、ミカエル様も少し、わたくしに気を許して下さるかもしれない)
 そんな簡単にいくかしら、と疑念を持つ己の本音にふたをし、マリアンヌは火花はじけそうにこちらを見据える侍従の視線も黙殺し、ひたすらにばらを摘んでいた。

  城に戻った先の、玄関ホールに、既に王太子は姿を見せていた。馬車から降り、
 「殿下っ」
とマリアンヌが王太子に駆け寄る。その両手で抱くように赤いバラを捧げて。
 「殿下、城の外に出てしまってごめんなさい。けれどほら、こんなにばらが綺麗に咲きましたのよ」
 「なぜ俺の許可なく外へ出た」
  その、怒気を孕んだような声音に、思わずマリアンヌはびくりとする。
 「す、すいません殿下……ですけれどわたくし、あなたに少しでもお花をお見せしたいと、侍従さんに無理を言って……」
  そう言いながら、マリアンヌは自分の眼がしらが熱くなっていくのを感じた。対するミカエルの怒りはまださめやらぬ。
 「夫たる俺様の言うことも聞けぬ妻から、もらうものなど何もないな。さあ、早く部屋に下がれ! 次勝手に城を出たら、離縁するからな」
 「も、申し訳、ございません、でした……」
  ミカエルが部屋を出てすぐ、マリアンヌは打ちひしがれて床になだれた。確かに、出るなと言われた城を出たのは、自分が悪かったと思う。けれど、そんな悪政を敷いて命を常々狙われている訳でもなし、なぜあのようにお怒りになるのか。それがマリアンヌにはわからなかった。涙はとめどなくあふれてくる。
 「姫……」
 「殿下には殿下のお考えがあるのです」
 「ですからそんなにお泣きにならないで」
  三人の侍従が優しい言葉をかけてくれるが、それもあまり耳に入ってこなかった。ただただ、希望を持っていたこの結婚が失敗に終わるかもしれない。それも自分の咎で、と考えるだけで、辛く苦しく、喉が締め付けられる思いだった。

◆◆
それから数日して、いよいよデルバールの王太子と姫の、華燭の儀が執り行われた。二人は白い馬車によって大聖堂に運ばれ、そこで数百の観衆の前にて愛を誓い合う。けれどその間も、マリアンヌのこころは鬱屈としていた。
(きっと、この美しいご主人様は、わたくしを愛して下さらないであろう。生涯、きっと)
 そうありありと伝わるほど、王太子の眼は冷めて、厳しかった。まるで勇者の末でありながら、自分に危害を加えかねない誰かの登場を恐れているかのように。

  華燭の儀が終わると、次は地上の貴顕を呼びに呼んだ舞踏会が始まった。黄金の床を月が照らすように映り、その水面のような床を優雅に泳ぐ貴族たち。それをぼんやり見据えながら、マリアンヌはかろうじて微笑をたたえていた。内心はこれから先の不安が膨らんでいた。
(この方とはうまくやっていけないのかしら)
 冷たい横顔のミカエルをちらと見、やがて姫は悲しくなってきた。自分の姉も、妹たちも、みな結婚したが、みなみな折り合いをつけてうまくやっている。このご時世で、互いに浮気をしながらも、子供を産み育て、王族としての責務を果たしている。けれど、自分はそんなことは厭だった。どうせなら互いに離れられぬほど愛し合って、その末に玉のような子を産んで、いついつまでも二人、慕われて仲良くしていきたかった。
(けれど、そんなの、所詮夢物語なのかしら)
 舞踏場のハイテーブルに腰掛けながら、再びマリアンヌの瞳に熱が点じられそうになった。その時である。
 「何を泣いているんだい、美しいお嬢さん」
  突然、頭上から声をかけられた気がした。涙を拭い、顔をもたげる。無論、誰もいない。
 「美しい紫のお目に、涙がたまっているよ。おかわいそうな、美しいお姫様」
   誰もいないのにマリアンヌが周囲を気にしだしたのを、誰よりも早く気づいたのは王太子ミカエルであった。ミカエルはすぐさまマリアンヌの傍に寄り、侍従から剣を受け取って瞬時に抜いた。
 「また貴様か。何度来たら飽きるのだ!」
 凛然とした勇者の末の声。対する、甘く、低い声音は、一体、誰のものであろう。まるで乙女という乙女のこころを蕩かすような――。
 「また貴様か、とはつれないなあ。私はただ、私のものになるやもしれなかった乙女を見に来ただけさ」
 「何を言う。いつぞやの昔話のように、勇者の妻をさらいに来たのではないか? 貴様の先祖のように」
  このミカエルの一言で、聡明なマリアンヌはすぐさまこの甘い声の主を誰と知った。
この方は、もしや私が嫁ぐかもしれなかった、魔王の末、ルシフェール、様?
 「ばれては仕方ないな」
  そうまで思い至ったのを、声の主は看破したのか、やがて黒きカーテンの闇より、優雅に姿を現した。それに舞踏会の面々はみな声を失った。その、あまりに次元の違う美しさに、みなみな批判も、暴言も、蔑みも、いや賛美の声すら、喉にはりついて出てこなかったのである。
 「久しいね、ミカエル」
  ああ、あの肖像画のとおりだ、とマリアンヌは思った。その黒くけぶった長髪も、美しき麗容も、端正な挙措も、何もかも、妖しいまでに完璧をきわめていた。何一つ、不足を見つけられなかった。
 「しかし私のマリアンヌは顔ばかりでなく、実に頭がよい。こんなことなら、圧をかけてでも私のものにすべきだったかな」
  ルシフェールがそう微笑むと、まるで自分の意思とは無関係に、こころ惹かれてしまいそうになる。その、不気味なほど整った顔で微笑まれると。
 「しっかりしろ、マリアンヌ! あいつにほだされるな」
  そのよろめきを、凛とした声のミカエルが、必死に呼び止める。その顔はやや緊張した面持ちでありながら、やはりこちらも捨て置けぬほど美しい。
 「お前は俺の妻だろう。それを忘れないでくれ、マリアンヌ」
 「はっはい……!」
  マリアンヌは一瞬とろかされたこころを、その凛とした声音で、冷却され取り戻されたかのように思った。
 『お前は俺の妻だろう』
  その言葉を、どんなに嬉しく思っただろう。ましてやそれを忘れないでくれ、と、懇願されたに近いような口調で言われたのだ。
(もう、わたくしは迷いません! ありがとうございます、殿下)
 やがて、その様をにやつきながら見据えていたルシフェールが、ぽつり、言った。
 「また、私が、一人か……」
(え?)
 マリアンヌがこの言葉にひっかかりを感じたのもつかの間、傍でマリアンヌを抱き留めていたミカエルが、剣を抜いた。
 「今日こそその綺麗な顔に傷を作って、もう二度とここに来られないようにしてやる!! 我が妻をたらそうとする男は八つ裂きだ!!」
 「やれやれ、やはりお前はツンデレな王子様なんだなあ、ミカエル」
  そうして二人の剣戟が始まった。魔王は長剣を巧みに抜き、さばくミカエルの攻撃をよけつつも、その短剣でミカエルの顔をしきりに狙っているように見える。まるでその美しき凛々しき芸術品に、傷をつけて傷物にしたいかのように。それはなぜなのか、この時のマリアンヌには分からなかった。しかし、この場をなんとかしておさめ諍いを止めなくてはならぬ、その責務を、己が負っていることも分からないではなかった。
 「や……」
  その時である。長剣をはらった隙に、ミカエルは足をかけられ床にまろんだ。その上で彼を押し倒すようにしてルシフェールが短剣をかざす。
 「さあ、このあたりでチェックメイトかな? 奥様が愛しくてかなわない、可愛い可愛い王子様?」
 「な、何を言う! 俺はマリアンヌのことなど、そんなっ」
 「ではそんなに私が好きか」
 「んな訳あるかっ。お前の容姿のよさは認めるが、その性格の悪さにはほとほとあきれるわ!」
  くす……とルシフェールが短剣でミカエルの白いシャツのボタンを飛ばす。
 「あの可愛い奥様を城から出さぬようにしているとは、よほど愛しいと見える」
 「うるさいっ。俺はただマリアンヌを守ろうとしてっあ、間違えた! いや、そうじゃなくてだなあ!」
  くくく、とルシフェールは笑いをかみ殺して告げる。
 「本当にお前は可愛い男だミカエル。その愛しい奥様の前で、キスでもしたらどうなるんだろうねえ、ミカエル」
 「その前に舌噛むわ! こらっやめろ、ほんとにキスしようとするなこらあ!」
 「や、やめ……」
  二人のこのいちゃつきに、マリアンヌの喉にくっついていた言の葉はようやくほとばしった。
 「やめないでくださあああい!!」
  そしてお約束通り、彼女の鼻からは噴水の如く血が迸った。
◆◆
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