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6.突然、憎い人が不在になったら

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父親が死んだ。

 職場で倒れ、一週間後に息絶えた。正直、未だ悲しむ感情は持ち合わせていなかった。

「あれ?何で」
「親から連絡来た。今、二人海外にいて帰れないから代理でごめん」
「いいのに」

 家族葬だから周囲にもいつが通夜などは伝えていたなかったのに。

 いきなり修が眼の前に現れた。抜け殻となっているお母さんの代わりに香典を受け取りながら修の律儀な両親の顔が浮かんだ。

「恵美子さん達は変わりない?」
「あぁ、自由人だよ」

 フットワークが軽い彼らについてけないと首をすくめる仕草に笑みを浮かべそうになり、ここは葬儀の場だと我にかえった。

「あら、修くん?」
「ご無沙汰してます」

 葬儀屋さんと話をしていた七つ上の姉の咲苗が大きくなったわねぇと感慨深そうにしている。姉もなかなかの天然である。

「あ、凛ちゃん、もう少しで車が来る修君と外にお願い」
「わかった」

 外の空気を吸いたかったから丁度よい。




✻~✻~✻


「なんか、こういう場所は重苦しいね」

 火葬場って怖いとかではなく独特な匂いと雰囲気がある。


「珈琲は砂糖なしだよな」
「ありがと」

 いつの間に。つい手を伸ばし受け取れば缶だからか結構熱いのだ。

 輪っかに短い爪で引っ掛ければカシッとプルトップが軽やかな音をたてた。そういえば、普段は魔法瓶を持ち歩いているし、買ってもペットボトルだから缶は久しぶりだな。それだけではない。

「砂糖なしミルク入りがあるの珍しい」
「確かに少ないかもな」

 微糖は全然甘いし、ブラックで自販は正直あまり美味しくない。

まぁ、好みの問題だ。

「凛、オヤジさんは」
「車、あれかも。さなねぇ呼んでくるわ」

 私は、何か言いかけた修の言葉を遮り、彼から背を向けた。

 気遣ってくれてるのは、ありがたい。でも、今は父親の話はしたくなかった。

いや、訂正だ。

 今じゃなくて、この先もだ。私は、彼を父親とは到底思えないのだから。



✻~✻~✻



「あー、つっかれたぁ」

 今夜は、実家の近くに住む姉が寝泊まりをしてくれるので、私は早々に小さな我が城へと帰宅した。

 シャワーを先に浴びる方が後で楽だけど、そんな元気はない。

「とりあえず脱ぎたい」

 慣れない靴は玄関に転がしたまま脱ぎ散らかしていく。

「ストッキングから解放されると開放感が半端ない」

 どうもこのピッタリな感じが昔から苦手だった。

「サイズはギリギリだったな」

 社会人になれば必要かもしれないと亡き祖母がデパートで買ってくれた喪服のワンピースは、なんとか身体をねじ込ませる事ができたのだ。

「まさか新しい喪服を父親の為に身につけるとは。ばーちゃんも想定外だったよね」

 縁起の悪いモノは用意をしておかない方が良いと言うらしいが、作っておいて私は正解だったと思う。

「ただでさえ手続きやら忙しい」

 お葬式って、もっとのんびりできないもんかね。

「落ち着いたら小腹がすいてきたかも」

何かあるかなぁ。

「うっ…何もない」


 いや、正確にはある。ただ、調理前の冷凍の小分けの肉とか、焼く前のハンバーグもどきとか。

「まな板もだしたくないしなぁ」

洗い物も最小限にしたい。

「ケチらないでコンビニで買ってくればよかった。あ、これ使うか」

 コンビニは、私にとって贅沢品である。特にスイーツとか値段を無意識にチェックしてしまうのが私の普通だ。

「よし、これなら温めて焼くだけだ。あ、玄米茶も淹れよう」

 ちょびっとやる気が出た私は、重い腰を上げるのだった。




「んー、良い香り」

 眼の前には、アルミホイルの上にのった茶色の物体、焼きおにぎりが大中小と行儀よく並んでいた。

「いただきまーす!」

 アツアツのおにぎりにかぶりつけば、醤油のなんとも言えない香ばしさに幸せを感じる。

「そういえば、唯一あの人が作った事があった」

 もう、記憶はおぼろけだが、確か小学生の低学年くらいだろうか。あの時は珍しく私と父親しかいなかった。


『ほら、食え』

 父親は、特にお腹が空いていなかった私に半ば皿を押し付けてきた。その真っ白な皿には三角の茶色の塊。

 定規で測ったかのような正確に見える三角に斑な茶色で端々には黒い焦げなアンバランスさ。

『冷めたら不味くなるから早く食えよ』

 いつも自分勝手、料理を全くしない父親の作った焼きおにぎりは、醤油をかけるのが雑でまだら模様になっていた。

『上手いな』
『……うん』

 見た目はイマイチで、焦げていたのに何故か美味しく感じたのだ。

「なんで、思い出したんだろう」

 喜怒哀楽が激しい子供のような人は、数年見ないうちに髪はめっきり白くなり皺が増えた顔は肉が削げ落ちて。お棺に入っている体はいやに小さく見えた。


ズズッ

「お茶が香ばしい」

 熱くて音を立てて啜った玄米茶の香りがゆっくりと鼻を抜けていく。

「私は、怒鳴るあなたが、物を投げるあなたが、心底キライでした」

 あの恐怖心は今も記憶から消えない。

「でも、あの時の焼きおにぎりは、私が作ったのより美味しかったよ」

 子供の頃の虐待に近い行為は忘れる事はない。


「私が、もし家族を持つ事があるなら絶対に手をあげない」

 思い通りにならないからと力でねじ伏せるのは、間違っている。

「反面教師としては良い存在だったわ」

 この世にいない人間を憎んでも疲れるだけだ。

「次に作るときは、もっと美味しく出来る気がする」

 私は、最後の一欠片を口に放り込み、ゆっくりと味わった。



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