時の欠片

疾風

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時の欠片

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 たちばなは、小さな時計店で働く日々を過ごしていた。時計修理工として、古い時計たちを丹念に修理することにささやかな喜びを見出していた。
 ある日、橘が店へ出ると、机の上に古びた箱が置いてある。その中には見覚えのない懐中時計が眠っていた。真鍮のケースが光り輝き、細かな装飾が彫り込まれている。それは、まるで別世界の産物のように見えた。そう感じるほどに異様なオーラのようなものを感じたのだ。
 橘は、興味津々に時計を手にとる。重みを感じる。手に取ると同時にゆっくりと針が動き出し、心地よい響きを奏でる。何か特別な力を秘めているような、そんな予感がした。
 時計を裏返しにする。すると、裏側に文字が刻まれていることに気づいた。『piece of time』
 「時の欠片か……」
 橘は呟く。
 その名前には、未知の世界への扉が開かれるような魅力を宿している用に感じた。
 いつまでもこうしていられないと思い懐中時計を棚に置き、橘は仕事に戻る。しかし彼は懐中時計のことが頭から離れなかった。
 終業後、彼は再び時計を手に取り、その美しさに見とれた。
 彼は時計の力や秘密について考え込みながら、日常が揺らぐかもしれないという期待を感じた。
 夜が更け、彼は箱に入った懐中時計を自分の部屋へと持っていった。

「さて、どうしたもんか」
 橘は、再び箱を開ける。すると中には先程はなかった一枚の紙があった。
 そこには、『この時計は、時間を逆行させる不思議な力を持つ』と書かれていた。
 
「そんなバカな」
 
 橘は、そう笑い飛ばした。
 その時、時計の針がゆっくりと見慣れている時計とは逆回転で回り始める。部屋は静寂に包まれた。
 橘の心臓は鼓動をはやめる。彼は目を閉じ、鮮明な過去の光景を思い浮かべた。
 目が覚めると目の前には、懐かしい光景が広がっていた。

「人の話聞いてる?私たちもう終わりにしよう」

 とても聞き慣れた声だ。
 数年前のある夏の日だった。その日、彼は恋人との別れを経験し、後悔と寂しさに心を押し潰されていた。
 そんな、悲しき別れ話を切り出された日。その日と同じ台詞が聞こえた。

「これは夢か……」

「夢なんかじゃない!私、あなたと別れたいの。あなたの夢についていくことができない」

 彼は目を開き、驚きと悲しみに満ちた表情を浮かべた。
 亜麻色の美しい髪の彼女は、真剣な眼差しを橘へ向けている。
 どうやら、本当に過去に戻ってきたのか、それともたちの悪夢なのか……。
 橘は、時計職人になりたかった。世界を代表する。しかし、彼女はとても堅実な性格で、安定と安寧を求めているような人だった。そんな彼女には『職人』というものが、安定とかけ離れた存在なのではないかという考えがあった。もっと安定する職業についてほしいとずっと言われていた。
 橘の心は揺れ動いた。ここで、今までと同じ選択肢を取り彼女と別れるのは嫌だと感じた。それにこれは夢かも知れない。橘は意を決した。彼女との別れを避けるために、自分の夢である時計職人を諦める。彼は彼女を失うことは自分の人生にとって大きな損失だと感じ、彼女との関係を優先させることにしたのだ。
 時計に関する仕事で、生計を立てられるようになった橘だが、彼女と別れて以来どこか心に穴が空いていたのだ。
 彼はゆっくりと彼女に近づき、彼女の手を取った。彼の眼差しは真剣そのものであり、彼女に伝えたかった言葉を告げる。
 「君の笑顔が、夢よりも大切なんだ。そのことに気づいた。時計職人という道を選んで君を失うなんて、俺にはできない。だから、俺は夢を諦める」

 彼女は驚きと感動で言葉に詰まっていた。彼が自分の夢を捨てることを覚悟しているなんて、彼女は予想もしていなかった。

「本当にそう思ってくれるの?私のために夢を諦めるなんて……」

 彼は微笑みながら頷いた。
 二人の絆はより深まり、彼は自分の夢を捨てることで彼女を繋ぎ止めた。時計職人としての未来を手放したが、彼は心からの充実感を抱いていた。夢を追い求めることも大切だが、時には大切な人との絆を選ぶことも人生において重要な選択だと彼は悟った。
 
 ※
 
 橘は過去を修正し、時計職人の夢を諦めて彼女との幸せな日々を選んだ。二人の関係はより深まり、心地よい時間が過ぎていった。
 しかし、彼女の笑顔に包まれながらも、時計職人への未練と後悔がじわりと湧き上がってくるのを感じていた。才能と情熱が封印され、それに気づくたび彼は自問自答に迷い込む。
 ある日、ふと思い立った彼は、自分が時計職人になっていた世界線の職場へと赴いた。果たして、どうなっているのか気になったのだ。
 時計屋は、存在していた。しかし、閉店しているようだった。
 時計屋は、師匠から引き継いだものだったため、後継である橘が時計職人を目指さなくなったため閉店してしまったのだろう。
 店に入ってみることにした橘は、埃被った店内を見渡す。しばらく、店内を見て回ると懐中時計を発見した。木箱に入っているそれは酷く汚れていた。
 その古びた時計がチクタクと心地よい響きの音色を奏で、彼の胸を震わせた。彼女と一緒になるという選択が正しかったのか、彼は再び疑念に苛まれる。

 ※

 橘は家に帰り、彼女に心の葛藤を告げた。最初は彼女も戸惑いを覚えたが、彼の目を見つめるうちに彼の眼差しに決意を見た。橘が本当の幸せを見つけるために、彼女も彼を支える覚悟を決めたのだ。

「もうあの時計を使うこともないな」
 橘は、ボソッと呟く。

「ん?」

「いや、何でもないよ」
 
 橘は再び時計職人としての道を踏み出した。彼は閉店していた店を復活させ、昼夜を問わず時計修理に取り組んだ。磨き上げられた技術と情熱が、彼の手から生まれる美しい時計に息づき始めた。修理だけで無くオリジナルの時計造りも始めた。
 人々は橘の作品に驚嘆し、時計職人としての名声が広まっていった。彼は独自のスタイルを確立し、1つ1つの時計に彼自身の魂を刻み込んだ。
 彼女は橘の夢を支え続けた。彼女は彼の熱意を理解し、共に困難を乗り越えながら彼を励まし続けた。彼らはお互いの夢を尊重し、支え合いながら前に進んでいった。
 橘は、子宝にも恵まれた。娘が生まれたのである。

「俺、こんなに幸せでいいのかな」

「何言ってるのよ。あなたの努力の賜物よ」

 子供が、3歳の誕生日を迎えるその日までは、本当に幸せな日々が続いた。
 しかし、その娘が事故にあった。
 そして、小さな命はあっけなく散った。
 橘は、ふと思い出した。

「あれを使えば……そうすれば、助かるかも知れない……」

 橘は、急いで店に行き物置の奥へと仕舞い込まれた、懐中時計を引っ張り出した。

「これで、過去に戻れば助けられるかも知れない……」

 橘は、震える手で懐中時計を手に取り、心の中で迷いを抱えながらも決意を固めた。彼の目には、失った娘との幸せな瞬間が映る。

 「もしも、この時計がまだ時間を逆行させる力を持っているのなら……。もしかしたら、救うことができるかもしれない」

 橘は懐中時計を優しく握りしめ、家族の写真を見つめながら過去の光景を思い出した。その頃の娘の笑顔、家族で過ごしたひと時、それらが彼の心を包み込んでいた。
 橘は過去への扉を開く決意を固めた。
 橘は胸に手を当て、深い息を吐き出すと、懐中時計をゆっくりと開いた。

 「この時計が再び奇跡を起こすのなら。もう一度会いたい。会わせてくれ」

 懐中時計の針が不思議な響きとともに逆回転し始める。周囲の風景が次第に歪み、奇妙な感覚が橘を包み込んでいった。

 目を覚ますと、娘が無事な姿で前を歩いていた。彼は深い感動と喜びに満ち、胸が高鳴るのを感じた。

「本当に、過去に戻れたんだ……」

「パパ~」

 娘が、橘のもとへとかけてくる。しかし、それが良くなかった。橘がいた先は横断歩道の先だったのだ。
 娘は、周りをあまり気にすることなく橘へと駆け寄った。そして、トラックに跳ねられたのだった……。
 ※
 その後、橘は何度も、何度もやり直した。しかし、娘が助かることはなかった。
 橘は、10回目のタイムリープ時に、自分が死ぬことを決断した。今まで、家族全員で幸せな暮らしをしたいという思いで娘を助けようとしていたが、娘の将来のために自分が死ぬという決断に至ったのだ。
 橘は、懐中時計の力を使ってタイムリープし、トラックに跳ねられる娘を庇い、自分がトラックへと跳ねられることにした。

「パパ~」

「あぶなぁあああい!」

 橘は、トラックに跳ねられた。そして、死を確信する。その時、懐中時計が光り輝いた。

 ※

 目が覚めるとそこは、見慣れた店だった。
 左手の薬指に指輪はない。
 ――あぁ、そうか、そもそも一度でもこの、時計の力を借りて過去をかえてしまったということ。そのものが良くなかったのか。
 橘はそう考え、納得した。
 ――全ての幸せを手に入れようと欲張ってしまったのが良くなかった。俺にはもう時計しかない。今の道を極めよう。
 そう決意する橘だった。

 カランカラン。

 ドアが開く音である。客が来たのであろう。
 やってきたのは、亜麻色の美しい髪をした女性だった。
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