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アイネクライネ1
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1週間ぶりの出社は、何だか初出社の日よりも緊張する。
エレベーターが来るのを待っている間も廊下を歩いているときも、隣りを歩く洸に顔強張ってるぞ、と笑って指摘されたくらいだ。
経営企画課のドアの前まで来て、清流は一度大きく深呼吸をする。
カチャ、とドアを開けて入ってきた清流の姿を見つけると、すでに出社していた未知夏と舞原がそろって目を丸くした。
「えぇ、ちょっともう大丈夫なのっ!?」
「体調は?入院するかもって聞いてたんですけど」
歩み寄って矢継ぎ早に声をかけてくれる二人に、こんなに心配をかけてしまったんだと申し訳なくなる。
「本当にご心配をおかけしてすみません」
清流は1週間も休んでしまったことを謝って、叔母のことなどの詳細はぼかしつつおおまかな事情を話した。
清流自身の過去のこと、この1週間で起きたこと。
それを話すには洸と清流の関係も説明する必要があり、あまり長くならない程度に打ち明けると、唯崎を除き、初めて事情を聞かされた二人は驚きで絶句していた。
「……えっと、いったん整理させて?
まずは、清流ちゃんが過去のことで脅されてた件というのは、本当に解決したって認識でいいのね?大丈夫なのよね?」
「そこは心配しなくていい」
「分かったわ。で、唯崎くんは全部知ってて私たちには黙ってたってことね?」
「すみません」
唯崎は未知夏からの視線に、少しだけバツが悪そうに眼鏡のフレームを触る。
「もう、何なのよ水くさいじゃない!言ってくれればそんなヤツ私がとっ捕まえて警察に突き出してやったのに!」
未知夏はものすごい剣幕で一気に言うと、清流をがしっと抱きしめる。
「っていっても事情が事情だもん…難しいわよね。
少し前から様子が変だったのもそのせいだったんでしょ?でもね、これからは困ったことがあったら何でも言って?近くにいて何の力にもなれないっていうのももどかしいんだから」
未知夏の言い聞かすような言葉と優しく見つめる瞳に、清流は我慢していた涙がじわりと溢れてこぼれそうになるのを必死にこらえる。
「うー…未知夏さん…!」
「ほらほら泣かないの、かわいい顔が台無しよ!」
よしよしと頭を撫でられて、清流は今度は自分から未知夏に抱きついた。
「…それで?加賀城くんはそんないたいけな清流ちゃんを口八丁で婚約者役に仕立てたあげく、ちゃっかり同居に持ち込んで一緒に暮らしてたってわけ?」
「言い方にものすごく棘があるだろそれ……」
「でもまぁ、さっきの話だとほぼ事実っすよねぇ」
「秘書課で噂になってた婚約者っていうのも清流ちゃんだったってことなんでしょ?」
「あ、あのっ、加賀城さんから話を持ちかけられたのは本当ですけど、それを引き受けたのは自分なので…」
矛先が洸に向いたことでおろおろし始める清流の両肩を、未知夏はぐっと掴む。
「いろいろ助けてもらったからって、それを理由に迫られてるとかじゃないわよね?」
「あのな榊木、人を何だと」
「加賀城くんは黙ってて」
未知夏は洸の反論をスッパリと切り捨てる。
真剣な目で尋ねる未知夏に、清流も姿勢を正して向き直った。
「は、はい、そういうわけじゃないです」
「本当ね?加賀城くんの気持ちなんて途中からだだ漏れだったから今さら疑いようがないけど、清流ちゃんも今はちゃんと納得した上ってことでいいのよね?」
「はい」
清流が頷くと、未知夏はふぅっと肩の力を抜いてにっこり笑った。
「それならもう言うことはないわ。さてと、今日からまたいっぱい働いてもらうからね~、仕事なら山ほどあるから!」
「はい、頑張ります!」
清流もつられて笑うと、部屋の空気が少し緩む。
「無罪放免になったみたいでよかったっすね、部長?」
「舞原、お前にも頼む仕事が山ほどあるからな」
「げえ、俺これでも部長がいない間けっこう頑張ってたんですけど!?」
経営企画課に賑やかな日常が戻ってきた。
唯崎は少し離れたところから眺めながら自席について仕事を始めようとしたとき、清流が隣りに近づいてくる。
「あの、唯崎さんにもいろいろしていただいてすみません、ありがとうございました」
「いいえ。僕は頼まれたことをしただけなので」
自分がしたことはそれほど大したことではない。
実際に清流の居場所を見つけたのは洸の力だ。
ぺこりと頭を下げて席へ戻っていく清流に唯崎は、あ、と声をかけた。
「そういえば、言っていませんでしたね」
「え?」
「おかえりなさい、工藤さん」
そう言った唯崎は、柔和な笑みを湛えていた。
◇◇◇◇
「洸さん、私、変なところないですか?」
「変じゃないって似合ってる」
「本当ですか?」
「本当…ってこれ何回目?」
とある休日の午後。
朝から何度も聞かれているその質問に、洸は苦笑いをしながら答える。
清流が着ているのは、洸が一度プレゼントしようとして断られた赤いグレンチェックのワンピースだ。想いが通じ合い改めてプレゼントして受け取ってもらえたそれは、洸が想像した通りよく似合っていた。
「だってご両親との顔合わせですよ?おかしなところがあったら嫌ですもん…」
「そんなに気を張らなくてもいいって」
清流がこんなに落ち着かないのも、今日は洸の親と顔合わせの日だからだ。
洸に婚約者がいると知ってからの両親ーー特に父親は妙に浮き足立っていて、一度顔合わせがしたい、実家に来てもらいなさいなどととにかくしつこかった。
(まぁ、ようやく身を固める気になったかってことなんだろうけど…)
とはいえ清流もまだ働き始めたばかりで、今すぐではなくもう少し落ち着いてからというのが二人の認識だったので、実家への訪問は入籍を決めたタイミングにしようと話し合い、今回はホテルのラウンジで軽く顔合わせにすることにしたのだった。
「まだ少し時間があるな、さっき一度連絡が来たからそろそろ来るとは思うけど」
洸が腕時計を確認すると、また清流がそわそわし始める。
「すいません、私ちょっと髪とか直してきていいですか?」
「いいけど、どこもおかしくないぞ?」
「でも、最後に確認しておきたいんですっ」
「分かったよ」
すぐ戻りますからという清流に、洸は説得を諦めたように笑った。
清流はホテルの広いパウダールームで、髪と軽く化粧直しをして鏡を見る。
「どうしよう、緊張してきた…」
実家ではなくホテルで気軽に顔合わせ、と洸は言ったけれど、ここは都内でも指折りの高級ホテルで清流にとってはとても気楽にいられる場所ではない。
洸が選んでくれたワンピースとそれに合わせたメイクで、普段よりは大人っぽくなっているような気はする。
(どんなご両親なんですかって聞いたけど別に普通、としか教えてもらえなかったしなぁ…)
子どもっぽいと思われないだろうか。
手土産も必要ないと言われたけれど、やっぱり用意した方がよかったんじゃないか。
今さら考えてもどうしようもないあれこれを想像していると、時間に遅れそうなことに気がついて急いでパウダールームを出る。
ロビーまでのやや入り組んだ通路を歩いていると、前から歩いてくる人に見覚えがあって思わず足が止まる。
(あれ?……あの人って、)
スマートフォンを見ながら歩いているので、相手はまだこちらには気づいていなかった。
人違いかな?と思いながらもどんどん近づいていくに従って、やはりそうだと清流の中で確信に変わっていく。
「あのっ、すみません」
すれ違いざまに足を止めて顔を上げたその人は、清流を見て驚いた顔をした。
「あぁ、あなたは…」
「突然すみません、覚えてますか?前に一度居酒屋のカウンターで隣りになったんですけど」
「えぇ、よく覚えていますよ。あのときと雰囲気が違うので一瞬分かりませんでした」
やや白髪混じりの髪に柔和な笑顔。
今日はあの日と違って眼鏡をかけていないけれど、間違いなくあのときの男性だった。
エレベーターが来るのを待っている間も廊下を歩いているときも、隣りを歩く洸に顔強張ってるぞ、と笑って指摘されたくらいだ。
経営企画課のドアの前まで来て、清流は一度大きく深呼吸をする。
カチャ、とドアを開けて入ってきた清流の姿を見つけると、すでに出社していた未知夏と舞原がそろって目を丸くした。
「えぇ、ちょっともう大丈夫なのっ!?」
「体調は?入院するかもって聞いてたんですけど」
歩み寄って矢継ぎ早に声をかけてくれる二人に、こんなに心配をかけてしまったんだと申し訳なくなる。
「本当にご心配をおかけしてすみません」
清流は1週間も休んでしまったことを謝って、叔母のことなどの詳細はぼかしつつおおまかな事情を話した。
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それを話すには洸と清流の関係も説明する必要があり、あまり長くならない程度に打ち明けると、唯崎を除き、初めて事情を聞かされた二人は驚きで絶句していた。
「……えっと、いったん整理させて?
まずは、清流ちゃんが過去のことで脅されてた件というのは、本当に解決したって認識でいいのね?大丈夫なのよね?」
「そこは心配しなくていい」
「分かったわ。で、唯崎くんは全部知ってて私たちには黙ってたってことね?」
「すみません」
唯崎は未知夏からの視線に、少しだけバツが悪そうに眼鏡のフレームを触る。
「もう、何なのよ水くさいじゃない!言ってくれればそんなヤツ私がとっ捕まえて警察に突き出してやったのに!」
未知夏はものすごい剣幕で一気に言うと、清流をがしっと抱きしめる。
「っていっても事情が事情だもん…難しいわよね。
少し前から様子が変だったのもそのせいだったんでしょ?でもね、これからは困ったことがあったら何でも言って?近くにいて何の力にもなれないっていうのももどかしいんだから」
未知夏の言い聞かすような言葉と優しく見つめる瞳に、清流は我慢していた涙がじわりと溢れてこぼれそうになるのを必死にこらえる。
「うー…未知夏さん…!」
「ほらほら泣かないの、かわいい顔が台無しよ!」
よしよしと頭を撫でられて、清流は今度は自分から未知夏に抱きついた。
「…それで?加賀城くんはそんないたいけな清流ちゃんを口八丁で婚約者役に仕立てたあげく、ちゃっかり同居に持ち込んで一緒に暮らしてたってわけ?」
「言い方にものすごく棘があるだろそれ……」
「でもまぁ、さっきの話だとほぼ事実っすよねぇ」
「秘書課で噂になってた婚約者っていうのも清流ちゃんだったってことなんでしょ?」
「あ、あのっ、加賀城さんから話を持ちかけられたのは本当ですけど、それを引き受けたのは自分なので…」
矛先が洸に向いたことでおろおろし始める清流の両肩を、未知夏はぐっと掴む。
「いろいろ助けてもらったからって、それを理由に迫られてるとかじゃないわよね?」
「あのな榊木、人を何だと」
「加賀城くんは黙ってて」
未知夏は洸の反論をスッパリと切り捨てる。
真剣な目で尋ねる未知夏に、清流も姿勢を正して向き直った。
「は、はい、そういうわけじゃないです」
「本当ね?加賀城くんの気持ちなんて途中からだだ漏れだったから今さら疑いようがないけど、清流ちゃんも今はちゃんと納得した上ってことでいいのよね?」
「はい」
清流が頷くと、未知夏はふぅっと肩の力を抜いてにっこり笑った。
「それならもう言うことはないわ。さてと、今日からまたいっぱい働いてもらうからね~、仕事なら山ほどあるから!」
「はい、頑張ります!」
清流もつられて笑うと、部屋の空気が少し緩む。
「無罪放免になったみたいでよかったっすね、部長?」
「舞原、お前にも頼む仕事が山ほどあるからな」
「げえ、俺これでも部長がいない間けっこう頑張ってたんですけど!?」
経営企画課に賑やかな日常が戻ってきた。
唯崎は少し離れたところから眺めながら自席について仕事を始めようとしたとき、清流が隣りに近づいてくる。
「あの、唯崎さんにもいろいろしていただいてすみません、ありがとうございました」
「いいえ。僕は頼まれたことをしただけなので」
自分がしたことはそれほど大したことではない。
実際に清流の居場所を見つけたのは洸の力だ。
ぺこりと頭を下げて席へ戻っていく清流に唯崎は、あ、と声をかけた。
「そういえば、言っていませんでしたね」
「え?」
「おかえりなさい、工藤さん」
そう言った唯崎は、柔和な笑みを湛えていた。
◇◇◇◇
「洸さん、私、変なところないですか?」
「変じゃないって似合ってる」
「本当ですか?」
「本当…ってこれ何回目?」
とある休日の午後。
朝から何度も聞かれているその質問に、洸は苦笑いをしながら答える。
清流が着ているのは、洸が一度プレゼントしようとして断られた赤いグレンチェックのワンピースだ。想いが通じ合い改めてプレゼントして受け取ってもらえたそれは、洸が想像した通りよく似合っていた。
「だってご両親との顔合わせですよ?おかしなところがあったら嫌ですもん…」
「そんなに気を張らなくてもいいって」
清流がこんなに落ち着かないのも、今日は洸の親と顔合わせの日だからだ。
洸に婚約者がいると知ってからの両親ーー特に父親は妙に浮き足立っていて、一度顔合わせがしたい、実家に来てもらいなさいなどととにかくしつこかった。
(まぁ、ようやく身を固める気になったかってことなんだろうけど…)
とはいえ清流もまだ働き始めたばかりで、今すぐではなくもう少し落ち着いてからというのが二人の認識だったので、実家への訪問は入籍を決めたタイミングにしようと話し合い、今回はホテルのラウンジで軽く顔合わせにすることにしたのだった。
「まだ少し時間があるな、さっき一度連絡が来たからそろそろ来るとは思うけど」
洸が腕時計を確認すると、また清流がそわそわし始める。
「すいません、私ちょっと髪とか直してきていいですか?」
「いいけど、どこもおかしくないぞ?」
「でも、最後に確認しておきたいんですっ」
「分かったよ」
すぐ戻りますからという清流に、洸は説得を諦めたように笑った。
清流はホテルの広いパウダールームで、髪と軽く化粧直しをして鏡を見る。
「どうしよう、緊張してきた…」
実家ではなくホテルで気軽に顔合わせ、と洸は言ったけれど、ここは都内でも指折りの高級ホテルで清流にとってはとても気楽にいられる場所ではない。
洸が選んでくれたワンピースとそれに合わせたメイクで、普段よりは大人っぽくなっているような気はする。
(どんなご両親なんですかって聞いたけど別に普通、としか教えてもらえなかったしなぁ…)
子どもっぽいと思われないだろうか。
手土産も必要ないと言われたけれど、やっぱり用意した方がよかったんじゃないか。
今さら考えてもどうしようもないあれこれを想像していると、時間に遅れそうなことに気がついて急いでパウダールームを出る。
ロビーまでのやや入り組んだ通路を歩いていると、前から歩いてくる人に見覚えがあって思わず足が止まる。
(あれ?……あの人って、)
スマートフォンを見ながら歩いているので、相手はまだこちらには気づいていなかった。
人違いかな?と思いながらもどんどん近づいていくに従って、やはりそうだと清流の中で確信に変わっていく。
「あのっ、すみません」
すれ違いざまに足を止めて顔を上げたその人は、清流を見て驚いた顔をした。
「あぁ、あなたは…」
「突然すみません、覚えてますか?前に一度居酒屋のカウンターで隣りになったんですけど」
「えぇ、よく覚えていますよ。あのときと雰囲気が違うので一瞬分かりませんでした」
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