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最後の1週間2
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来週迎えると思われた忙しさのピークは前倒しになり、週の後半は目まぐるしく過ぎていき、土曜日は課の全員が休日出勤もした。
けれどその甲斐もあって、締め切り日までの目途もつき、清流も来週の残された日々は引継ぎのまとめや残作業に当てることができそうだった。
怒涛の週末を乗り越えた日曜日。
氏原から設定された期限まで、あと3日と迫っていた。
部屋の荷物の片づけがひと段落して、清流は自室から出てリビングにやってきた。
もともと半年の同居生活のつもりだったので持ち込んだ荷物が少ないのと、段ボールをそのまま残しておいたのが功を奏して、荷造りは順調に進んでいた。
窓際のソファーに座って、ぼんやりと外と眺める。
リビングの窓から見える景色が清流は好きだった。視界の先には遮るものがなく、広い空と緑が見える。無機質に見える都心のビル群も、やや遠くからのぞむと美しく映った。
休みの日特に予定がないときは、ここに座ってお茶を飲んだり洸から借りた本を読んだり、好きに過ごさせてもらっていた。振り返ると贅沢な時間だったなと思う。
「…―る、清流、」
はっと我に返ると、洸が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「すみません、ちょっと考え事をしていて」
洸は目の焦点合ってなかったぞ、と苦笑しながら清流の額を軽くはじいた。
ぼうっとしていたことを特に深く追及されなかったことに安心して、どうしたんですかと尋ねた。
「今日これから何か予定あるか?」
「?いえ、特にないですけど」
はじかれた額を押さえつつ答えると、洸は少しほっとしたような表情をした。
「オーダーしていたスーツが出来上がったから取りに行くんだけど、一緒に来ないかと思って。俺の用事はそれだけだから、他に清流が行きたいところがあれば行くけど、どこかある?」
突然の提案に驚いて、え、とかあ、とか言葉にも満たない音しか出てこなかった。まるでデートの誘いのようで頭の中が騒がしい。
正直、行きたいところと言われても特に思い浮かばなかった。
行きたいところがないというよりも、洸と過ごせるのならどこでもいいと言ったほうが正しい。
(……あっ、)
そのとき、ふっとここに引っ越してきた翌日にした会話を思い出した。
「あの、行く場所はどこでも大丈夫なので、加賀城さんが運転する車に乗ってみたいです」
「あぁ、そういえばそんな話したよな。いいよ車で行くか」
洸は予想外だったのか一瞬不思議そうにしてから、納得したように頷いた。
『じゃあ今度な、助手席に乗せてやる』
あんな何気ない会話を、洸も覚えていてくれた。
そのことだけで嬉しい。
「外に車回しておいてもらうように連絡しておく」
そう言って踵を返した後ろ姿を見つめながら、清流は自分がとてもラフ格好をしていることに気づいて、大急ぎで自分の部屋へ着替えに走った。
マンションの下まで降りると、すでにエントランス前に外国車のSUVが横付けされていて、その大きさに驚いてしまった。
助手席の扉を開けてもらい、おそるおそるステップに足をかけて車高の高い車に乗り込む。
清流が座席に座ったのと同時に扉が閉められた。カチッとシートベルトを止める音がやけに響く気がして、少し緊張する。
洸はフロント側から回り込んで運転席に乗ると、行くかと言って車を走らせた。
高層ビルの合間に張り巡らされた首都高を走っていく。
ギアを操る運転さばきと、運転する洸の横顔を盗み見る。
思えば誰かが運転する助手席に乗るのはこれが初めての経験だった。予想以上に隣りとの距離近いんだな、とどきまぎする。
(とりあえずこの服にしちゃったけど、他のにすればよかったかな。メイクもあまり時間を掛けられなかったし)
変なコーディネートにならないようにと思っていたら、薄手のVネックニットにカーディガン、ひざ下のプリーツスカートという、普段と変わりない無難なスタイルに落ち着いてしまった。
今までそんなこと気にもしなかったのに、今日はそんな小さなことが気に掛かる。
デートだなんて思っているのは間違いなく自分だけだろうけれど、そんな今さら考えてもどうしようもないことをあれこれ考えてしまう。
「そんなに運転心配?」
「え?」
「さっきからずっとこっち見てるから」
「いえ全然っ、すごく快適です」
速度は早いけど、急発進や急ブレーキなんて一度もない。大きな車なのに揺れもほとんど感じなかった。
「ならよかった。下手だと疑われたままかと思った」
「…その節は失礼なことを言ってすみません」
「それはいいけど、どうした?今日は何か静かだな」
言われてみると、車に乗ってからはずっと隣りの洸ばかりを見ていて、話すことを忘れていた。
「えっと…運転の邪魔になるかなと思って」
「何で。槙野とはいろいろ話したんだろ」
洸は少しムッとしたように目線だけ向ける。
確かに槙野が運転する車に乗せてもらったときは、マンションに着くまでの間いろんなことを話した気がする。あのときは、こんなに緊張したりしなかった。
たぶん緊張の正体は、慣れない密室空間と、その近さゆえにいろんなことが気になってしまっているせい――けれどそれを正直に言うわけにはいかず、清流は洸から目を逸らして正面を見ることしかできない。
そうしてしばらく走っていると、前の車のハザードランプが点灯して、車は速度を落とし緩やかに止まった。
「やっぱり少し混んでるか、しばらく動かなそうだな」
目線を上げると、注意喚起の看板には数キロ先の渋滞が表示され、赤色に明滅していた。
「なぁ、5秒しりとりでもするか」
「は、えっ?」
「しりとり、はい次」
「え、ちょっと5秒って、何ですかそれ?」
「はい5秒終了、清流の負けな」
ぽかんとしている間に勝手に終了される。訳が分からなくて思わずふくれっ面になると、おかしそうに笑われてしまった。
「5秒以内に次の言葉をいうしりとり、舞原が友達と旅行行くときによくやるらしい。前に聞いたときは何が面白いのかと思ったけど、清流の面白い顔が見れたな」
「…面白くないですよ、もう」
「でも少しは気が紛れただろ?」
洸の言う通り少し緊張がほどけたのを感じて、これは洸なりの気遣いなのだと分かった。
(あぁ、本当にこの人は……)
車に乗せてほしいなんてわがままに付き合ってくれて、助手席の自分にも気を遣ってくれて、優しいと思うと同時に好きだなと思わされる。
もう困るくらいに、洸のことがどうしようもなく好きなのだ。
「いきなり始めるのは狡いです」
「じゃあもう一回やるか?」
「やります、今度は負けません」
夢中で写真を撮っていて、自分の目で見ることを忘れてしまうときに似ている、そう思った。
綺麗な思い出を残すことに必死になって、心に刻むのを忘れてしまう。
出て行く期限が迫った今、きっとこの週末がゆっくり洸と過ごせる最後になる。今この時間に感謝して過ごさないともったいない。
そして、何一つ見逃さないように胸に刻もうと思った。
けれどその甲斐もあって、締め切り日までの目途もつき、清流も来週の残された日々は引継ぎのまとめや残作業に当てることができそうだった。
怒涛の週末を乗り越えた日曜日。
氏原から設定された期限まで、あと3日と迫っていた。
部屋の荷物の片づけがひと段落して、清流は自室から出てリビングにやってきた。
もともと半年の同居生活のつもりだったので持ち込んだ荷物が少ないのと、段ボールをそのまま残しておいたのが功を奏して、荷造りは順調に進んでいた。
窓際のソファーに座って、ぼんやりと外と眺める。
リビングの窓から見える景色が清流は好きだった。視界の先には遮るものがなく、広い空と緑が見える。無機質に見える都心のビル群も、やや遠くからのぞむと美しく映った。
休みの日特に予定がないときは、ここに座ってお茶を飲んだり洸から借りた本を読んだり、好きに過ごさせてもらっていた。振り返ると贅沢な時間だったなと思う。
「…―る、清流、」
はっと我に返ると、洸が怪訝そうな顔でこちらを見ていた。
「すみません、ちょっと考え事をしていて」
洸は目の焦点合ってなかったぞ、と苦笑しながら清流の額を軽くはじいた。
ぼうっとしていたことを特に深く追及されなかったことに安心して、どうしたんですかと尋ねた。
「今日これから何か予定あるか?」
「?いえ、特にないですけど」
はじかれた額を押さえつつ答えると、洸は少しほっとしたような表情をした。
「オーダーしていたスーツが出来上がったから取りに行くんだけど、一緒に来ないかと思って。俺の用事はそれだけだから、他に清流が行きたいところがあれば行くけど、どこかある?」
突然の提案に驚いて、え、とかあ、とか言葉にも満たない音しか出てこなかった。まるでデートの誘いのようで頭の中が騒がしい。
正直、行きたいところと言われても特に思い浮かばなかった。
行きたいところがないというよりも、洸と過ごせるのならどこでもいいと言ったほうが正しい。
(……あっ、)
そのとき、ふっとここに引っ越してきた翌日にした会話を思い出した。
「あの、行く場所はどこでも大丈夫なので、加賀城さんが運転する車に乗ってみたいです」
「あぁ、そういえばそんな話したよな。いいよ車で行くか」
洸は予想外だったのか一瞬不思議そうにしてから、納得したように頷いた。
『じゃあ今度な、助手席に乗せてやる』
あんな何気ない会話を、洸も覚えていてくれた。
そのことだけで嬉しい。
「外に車回しておいてもらうように連絡しておく」
そう言って踵を返した後ろ姿を見つめながら、清流は自分がとてもラフ格好をしていることに気づいて、大急ぎで自分の部屋へ着替えに走った。
マンションの下まで降りると、すでにエントランス前に外国車のSUVが横付けされていて、その大きさに驚いてしまった。
助手席の扉を開けてもらい、おそるおそるステップに足をかけて車高の高い車に乗り込む。
清流が座席に座ったのと同時に扉が閉められた。カチッとシートベルトを止める音がやけに響く気がして、少し緊張する。
洸はフロント側から回り込んで運転席に乗ると、行くかと言って車を走らせた。
高層ビルの合間に張り巡らされた首都高を走っていく。
ギアを操る運転さばきと、運転する洸の横顔を盗み見る。
思えば誰かが運転する助手席に乗るのはこれが初めての経験だった。予想以上に隣りとの距離近いんだな、とどきまぎする。
(とりあえずこの服にしちゃったけど、他のにすればよかったかな。メイクもあまり時間を掛けられなかったし)
変なコーディネートにならないようにと思っていたら、薄手のVネックニットにカーディガン、ひざ下のプリーツスカートという、普段と変わりない無難なスタイルに落ち着いてしまった。
今までそんなこと気にもしなかったのに、今日はそんな小さなことが気に掛かる。
デートだなんて思っているのは間違いなく自分だけだろうけれど、そんな今さら考えてもどうしようもないことをあれこれ考えてしまう。
「そんなに運転心配?」
「え?」
「さっきからずっとこっち見てるから」
「いえ全然っ、すごく快適です」
速度は早いけど、急発進や急ブレーキなんて一度もない。大きな車なのに揺れもほとんど感じなかった。
「ならよかった。下手だと疑われたままかと思った」
「…その節は失礼なことを言ってすみません」
「それはいいけど、どうした?今日は何か静かだな」
言われてみると、車に乗ってからはずっと隣りの洸ばかりを見ていて、話すことを忘れていた。
「えっと…運転の邪魔になるかなと思って」
「何で。槙野とはいろいろ話したんだろ」
洸は少しムッとしたように目線だけ向ける。
確かに槙野が運転する車に乗せてもらったときは、マンションに着くまでの間いろんなことを話した気がする。あのときは、こんなに緊張したりしなかった。
たぶん緊張の正体は、慣れない密室空間と、その近さゆえにいろんなことが気になってしまっているせい――けれどそれを正直に言うわけにはいかず、清流は洸から目を逸らして正面を見ることしかできない。
そうしてしばらく走っていると、前の車のハザードランプが点灯して、車は速度を落とし緩やかに止まった。
「やっぱり少し混んでるか、しばらく動かなそうだな」
目線を上げると、注意喚起の看板には数キロ先の渋滞が表示され、赤色に明滅していた。
「なぁ、5秒しりとりでもするか」
「は、えっ?」
「しりとり、はい次」
「え、ちょっと5秒って、何ですかそれ?」
「はい5秒終了、清流の負けな」
ぽかんとしている間に勝手に終了される。訳が分からなくて思わずふくれっ面になると、おかしそうに笑われてしまった。
「5秒以内に次の言葉をいうしりとり、舞原が友達と旅行行くときによくやるらしい。前に聞いたときは何が面白いのかと思ったけど、清流の面白い顔が見れたな」
「…面白くないですよ、もう」
「でも少しは気が紛れただろ?」
洸の言う通り少し緊張がほどけたのを感じて、これは洸なりの気遣いなのだと分かった。
(あぁ、本当にこの人は……)
車に乗せてほしいなんてわがままに付き合ってくれて、助手席の自分にも気を遣ってくれて、優しいと思うと同時に好きだなと思わされる。
もう困るくらいに、洸のことがどうしようもなく好きなのだ。
「いきなり始めるのは狡いです」
「じゃあもう一回やるか?」
「やります、今度は負けません」
夢中で写真を撮っていて、自分の目で見ることを忘れてしまうときに似ている、そう思った。
綺麗な思い出を残すことに必死になって、心に刻むのを忘れてしまう。
出て行く期限が迫った今、きっとこの週末がゆっくり洸と過ごせる最後になる。今この時間に感謝して過ごさないともったいない。
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