それらすべてが愛になる

青砥アヲ

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In vino veritas2

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「おーこわ。清流ちゃん大丈夫?」
「え?はい、大丈夫です。一時はどうなることかと思いましたけど」

 清流は意外なほど、特に洸に対して物怖じしない。
 これまで配属されては辞めていったメンバーは、要求の厳しさのせいか、洸を前にすると緊張するか怯えるかだった。
 洸の方もどこか一線を引いていたし、辞めたらそれまで、とさっさと次へと切り替えていく冷たさがあった。それなのに、あれはまるでーーー

「ただいまーって、あらどうしたの?」

 打合せから戻ってきた未知夏が、普段と少し違う空気を察した。
 舞原が洸と倉科が繰り広げた静かなバトルの話をすると、未知夏はケラケラと笑う。

「へぇ、そんな面白いことがあったの?私も見たかった」
「惜しいことしたっすね」
「お二人とも笑い事じゃないですから…」

 あの二人に挟まれていた清流にとっては笑い事ではないだろう。疲労感を滲ませる様子に舞原は少し同情する。

「…しかし、嫉妬って厄介っすね」
「え?」

 舞原の口から出たここまでの流れとは無縁の単語に、清流は首を傾げている。

「あれは、自分が優先されなかったことに拗ねてるんじゃないですか?ここは経営企画課ですし、自分がリーダーだから一番じゃないと嫌なんじゃないかと」

 きっとそうですよと頷く清流を、舞原は驚くような心持ちで聞いていた。
 あんなの、どう見ても自分のお気に入りに手を出されたことへの嫉妬で、リーダーのプライドなどという次元ではない。もはや小学生のそれだ。

「まぁまぁ、清流ちゃんはまだ分からなくていいわよ」

 コーヒーの入ったタンブラーを傾けながら、未知夏だけが笑みを深くしていた。


 それから清流は頼まれた資料をまとめ、未知夏などにもチェックしてもらう。予定よりも早く仕上がったので、直接倉科の元へ届けることにした。

 事業推進部へ行くとちょうど自席にいた。
 資料を渡して内容に問題ないことを確認してもらう。どうやら手戻りはなさそうだと安心していると、早く仕上がったことに感謝された。

「そうだ、使って悪いけど…」

 そう言ってまた別の資料を渡される。役員会議で急遽差し替えになった優先議題、企業投資の件だった。
 自分より工藤さんから渡してもらった方がいい気がするから、と肩を竦める。

「三ヵ年計画に向けて事業推進としては目玉なんだ。最近の為替情勢から国内の有望な企業は海外からも目を付けられていて、積極的な投資をするなら早めに手を打たないとならないから」
「加賀城さんは反対されているんですか?」
「期初の結果だけで判断するのは時期尚早、で一貫しているな。景気の先行きを考えると今がタイミングなのかっていう彼の懸念も分かるんだけど。役員は半々か、やや彼寄りってところかな。覆せるといいんだが」

 やれるだけやってみるよと笑う倉科に、清流は曖昧に微笑むことしかできない。

「……確かにお預かりしました」


 資料を作りながら、二人は以前からいろいろとぶつかることが多いという話を未知夏たちから聞いた。
 これだけ大きな会社であれば、そういうこともあるのだろう。
 確かに自分は洸の部下だが、経営企画は部署の垣根を超えて手助けをしたりコミュニケーションを取るのも大事だと気づかされた。
 だからこそ清流は洸の醸し出す空気には納得できなかったし、そのせいで物事が円滑に進まないというのは良くないことに思えて仕方がなかった。

 経営企画課に戻ると、洸は舞原の席でなにやら話しているところだった。
 ちょうど会話が話が終わり席へと戻ってしまう前に、清流は洸を呼び止める。

「加賀城さん、これ倉科課長から目を通してほしいということで預かってきました。今度の役員会議で差し替えになったもので、なるべく急いで確認してほしいそうです」

 また場の空気が少しピリつく。
 それが洸から発せられていることは明らかだった。
 無言で資料をひったくるように受け取った洸に、清流はつい口を開く。

「……あの、そういう態度ってどうかと思います」

 足を止めた洸が不快そうにこちらを見た。
 その冷たさに思わず言葉が詰まる。

「倉科に何吹き込まれてきた?」
「そういうわけではなく…ただ不毛な諍いをするのはおかしいと思っただけです」
「工藤が口出すことじゃない」

 頭の片隅で、その辺りでやめておいたら?ともう一人の自分が警告している。未知夏たちも思わず手が止まって成り行きを見守っていた。

「もちろんそれは分かってます。でも不満があるならお互いきちんと意見を出して話し合うべきで、そうやって課内の雰囲気を悪くするのは違うんじゃないですか?」
「工藤、俺のやり方が嫌なら、」
「嫌なら…何ですか?」

 わざと区切るようにそう言って、清流は洸を見上げる。

「加賀城さんは、これからもっと上の方にいかれる立場なんじゃないんですか?好き嫌いで判断して耳を傾けない人に、従業員はついてこないと思います絶対にっ、」

 突き放すような言い方にカチンときて、気づけば矢継ぎ早に言葉をぶつけていた。
 言い切ってしまってから、清流は自分のしでかしたことの大きさに青ざめる。

「……すみません、ちょっと失礼します」

 清流が出て行った後のドアを見ながら、舞原は純粋に驚いていた。
 配属されてきたときは、あんなにほわっとした子がやっていけるのかと思ったけれど、意外と根性はあるし肝も据わっている。
 けれどまさか、部長に堂々と啖呵を切れるほどとは思わなかった。

「今のは清流ちゃんが正しいと思う人、挙手~」
「はーい」

 未知夏の声に手を挙げた舞原が隣りを見ると、目線はパソコン画面のまま唯崎もしっかり手を挙げていた。このノリに合わせてくる唯崎というのは、なかなかレアだ。舞原は二重で驚く。

「はい、3対1で加賀城くんの有罪確定」
「有罪ってなんだ…」
「年下の子にたじたじになっちゃって、すっかり形無しね」

 茶化す未知夏を睨めつけるが、さすがに洸とは長い付き合いなだけあってまったく動じる様子もない。むしろさらにやり込めてしまうのだから、榊木未知夏という人も十分に手強い人だと思う。

「あのー、部長って清流ちゃんとどうやって知り合ったんですか?」 

 空気が緩んだ隙に便乗して、舞原は今まで人知れず持っていた疑問をぶつける。

「前に言わなかったか、いつもの人材紹介からの斡旋で、」
「経営学部出身で、こっちの欲しい人材ともスキルがマッチしていたからっすよね?」

 それは洸が清流の入社に際して用意したストーリーだとは、本人以外は知るよしもない。

「それは聞きましたけど、それだけですか?」

 話が見えず訝しむ洸を無視して、舞原は続ける。

「覚えてます?清流ちゃんが来てしばらくした頃、俺に清流ちゃんがここに馴染めているかどうか聞いたこと」
「…そうだったか?」
「そうっすよ。俺がここに来てからも何人も新しい人が辞めては入ってきましたけど、『使えるかどうか』は聞いても『馴染めているか』を聞かれたのは初めてだったんですよね、だからよく覚えてるんです」

 まったくの無自覚だったのだろう。
 虚を衝かれた様子の洸に、舞原はますますいたずらな笑みを浮かべる。

「…なるべくなら長く居てもらった方がいいだろ。またすぐ次探すのも面倒だしそれに、」
「それならば、それ相応の対応をした方がいいんじゃありませんか?そろそろ魔の3ヶ月も目前ですし」 

 それまで沈黙を守っていた唯崎が冷静に指摘する。
 魔の3ヶ月――経営企画課にやってきた人材が、自分には向いていないと去っていくのが一番多いタイミングである。

「唯崎君の言う通り。今みたいなことしてたらまた辞められちゃうんじゃない?」

 ここには、人の話を無視して勝手に話す人間しかいない。

「とりあえず、全員仕事に戻れ」

 気心が知れているのはいいが、曲者しかいないのも考えものだ。
 洸は舌打ちしたい気持ちを堪えて、それだけを告げた。

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