それらすべてが愛になる

青砥アヲ

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その再会は希望か

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 状況が飲み込めていない清流をさらに困惑させたのは、洸の後ろから佐和子が現れたことだった。

「あんな素敵な方がいたなんて、どうして隠していたのよ?言ってくれていたら、私だってこんな場を設けたりしなかったわよ?」

 驚きで声も出ない清流を横目に、佐和子は上機嫌でごめんなさいねえ、と善弥を急き立てるようにして立たせている。

「それじゃあ私は行くから、あとはうまくやんなさいよ。あなたは何も心配しないで、加賀城さんに言われた通りにすればすべてうまくいくから」

 そう早口で囁くと、善弥を連れて出て行ってしまった。


 そうして部屋には、清流と洸だけが残される。

(別人か、他人の空似?でも叔母さんも『加賀城さん』って…まさかの双子の兄弟、ってそんなわけないか、)

 まさか、こんなところで会うなんて。

 洸は立ったまま、鴨居に手をかけて坪庭を覗いている。
 やっぱり背が高いな、と何だか場違いなことを考えていると、清流は一つ重大なことを思い出して声を上げた。

「あのときの、ホテル代っ…!」

 清流の声に洸が振り返る。

「再会して開口一番がそんな話か。色気ないな」
「そんなって大ごとですよっ、」

 そのとき座敷の襖が開いて、さらに言い連ねようとした口を噤む。
 床に手を付いた中居が一度頭を下げてから声を掛けたためだ。

「失礼いたします、こちらへお飲み物をお待ちいたしましょうか?」
「いえ、これから中庭へ出ようと思いますので、靴をこちらにお願いできますか」
「それはようございます。ただいまお持ちいたしますね」

 玄関で脱いだ履物を取って戻ってきた中居が、廊下のガラス戸を開ける。
 聞けば、廊下側のどこからでも中庭に出られるらしい。

 足元は着物に合わせて、慣れない草履だった。
 そろりと石の階段に足を乗せると、手を差し出してくれる。

「危ないですので、手をどうぞ」

 よそ行きの顔で微笑む洸を訝しく思いながら、清流はお礼を言って手を取った。

 微笑む中居に見送られて、中庭をしばらく歩く。

 少し前を歩く洸が振り返ると、馬子にも衣装だなと堪えきれないように笑った。

「…それ、誉め言葉じゃない気がするんですけど」
「濡れネズミから比べたら、見れるようになったってことだ」

 やや光沢のある濃紺のスリーピースのスーツを着た洸は、清流の歩幅に合わせてゆったりと歩く。その後ろ姿を見ながら、まるで雑誌からモデルがそのまま出てきたみたいだなと思う。

 その瞬間、思い出した。

 お手洗いから戻る途中で見た、この中庭を歩いていた二人。男性の方は、そういえばこんな色のスーツを着ていた気がする。

「加賀城さん、さっきもここにいましたよね?」
「やっと気づいた?」

 やっぱりそうだった。
 でも、そうだとしたらこの状況は一体どういうことなんだろう。

 さっきまでお見合い相手と一緒にいた人が今度は自分といるなんて、どう考えてもおかしい。

「あの…もしかして、私があの場に居合わせてお邪魔してしまったとかですか?本当に申し訳なかったと思いますし、必要ならお相手の方にもちゃんと謝罪を、」
「ちょっと待てって。あれはただ予定通りこなしてただけで、初めから受けるつもりはなかった。だから清流は関係ない」
「そうなんですか…?じゃあ、」

 洸は突然足を止めたせいで、背中にぶつかりそうになる。
 会話と足元ばかりに気を取られていて、前を見ていなかったせいだ。

「鈍くさいな」
「慣れないんだから仕方ないじゃないですか、」

「なあ、俺と結婚する気ない?」

 それは、これからピザでも食べに行くか?くらいの軽さだった。

 あまりに気軽すぎて、背中にぶつからないまま普通に会話していたら「そうですね」と言ってしまっていたかもしれない。

「はい?け、結婚?誰と、誰が?」
「俺と清流が」
「じょ、冗談ですよね?今の流れでどうしてそんな話に、」
「冗談で言うかこんなこと」

 どこから説明するかな、と少し気だるそうに息を吐く。

「ここ1、2年、今日みたいに縁談だなんだと取引先から話を持ち掛けられることが増えたんだ。理由もなく断り続けると仕事もやりにくいし、だからといって今日みたいな形だけの見合い話に、時間も手間も取られるのも鬱陶しい。要はいろいろ面倒ってわけ」
「そんな…無理に決まってるじゃないですか、」
「いきなりすぐに結婚しろってわけじゃない。ひとまず婚約者ってところ。婚約者がいると分かればそれだけで断る口実になる。ついでに、家庭を持って一人前っていう昭和の価値観で止まってる役員連中も黙らせられるしな」

 清流はようやく話の全体がつかめてきた。
 つまり、出世と縁談除けのための結婚、もとい婚約話ということだ。

「どうしてその相手が私なんですか?誰でもいいなら、さっき一緒にいた女性でいいんじゃないんですか」

 借りてきた猫みたいな自分とは正反対の、清楚で大人の雰囲気を纏った女性だった。
 何の事情も知らない清流でも一目でお似合いだと思ったくらいなのだ。よっぽど洸の婚約者としてふさわしいに違いないはずなのに。

「清楚?あれは相当強かで、腹の中で何を考えてるか分かんない女だぞ。結婚したら旦那の地位と金を最大限利用するタイプだ」

 吐き捨てるような言い方に清流はムッとする。

「自分は利用されたくないのに、他人のことは利用するんですか?」
「相手を利用しようとしてたのは、自分だって同じだろ?」

(この人…どこまで知ってるの?)

 清流の疑心すら見越したのか、洸は口元だけで笑う。
 余裕に満ちた眼差しに何もかも見透かされているようで、背筋に冷たいものが走った。

 洸はスーツの内ポケットから名刺入れを出して、1枚を清流に差し出す。

 受け取ったそこには『維城商事いしろしょうじ』の名前があった。

「いしろ、商事…」

 目は文字の上を滑っていくだけで、頭で理解するのに時間がかかった。

 維城商事といえば、国内のアパレル商社のトップに君臨する一大企業だ。
 創業以来海外ブランドとの提携や流通業をメインストリームとしながら、近年では工業系の他事業を買収して積極的に事業拡大を展開していると聞く。

 そこの創業者一族が加賀城家だ。
 佐和子の態度が180度変わったのも当然のことだった。

「もちろんただで結婚しろとは言わない。清流、就職先がなくて困ってるんだろ。だったらうちで働けばいい」
「うちで働くって……」

 突然の話に、頭がついていかない。

「その名刺にある通り、俺は経営企画部の部長だ。うちの部署で一人急に辞めて欠員が出てる。本当は中途で補充要員が来るはずだったんだが、先方の都合でそれも白紙になったんだ。また一から探すのも面倒だし、何より今すぐにでも人が欲しい」
「つまり、就職先を斡旋する代わりに、結婚しろと…?」
「そう。結婚すれば俺は面倒な縁談攻勢から解放されるし、職場の欠員は補充できる。清流は、まぁ俺が言うのも何だが名の知れた一流企業に就職して自立できる。お互い悪い話じゃないだろ?」

 こんな条件めちゃくちゃだ、と思う。

 それに仮にこの話を引き受けたとして、婚約者が会社に入ったら公私混同だと思われるのは洸の方ではないのか。

「あぁ、だから入社のための面談や人事手続きは通常通り受けてもらう。合格が出るまで人事にも婚約者だということは伏せておく」

 社内で俺に楯突くやつはいないとは思うけど、と洸は嘯くけれど、そういう問題ではない。

「そ、そんなの無理ですよ。それって結局入社したら会社の人に知られるってことですよね?そんな環境で働くなんてできないです」

 好奇の目に晒されるか腫れ物扱いされるか、どちらにしても居心地悪いに違いない。
 清流が折れないと見ると、洸はやれやれと言いたげに溜息を吐く。

 何も間違ったことは言っていないはずだ。
 常識からみれば自分の方がまともなはずなのに、なぜだろう、洸と話していると自分が間違っているような気がしてくる。

「分かった。それなら会社の試用期間の6ヶ月、その間俺たちの関係も試用期間とする。問題なければその後も継続、無理なら解消。どうだ?」
「…それは、関係が無理となったら会社も退職ってことですか?」
「さあ?それはお前の働きぶり次第だな」

 沈黙が続く中で、木に留まった鳥がさえずる声だけがやけにはっきりと聞こえる。

「どうして、私なんですか?」

 清流と洸は、旅行先で一度会っただけだ。
 それだけじゃなく洸には迷惑を掛けたし、借りたものも返せていない。

 たとえさっきの女性が嫌だとしても、他にいくらでも候補はいるはずなのに、なぜ自分なのか。

「それは、言わない。たぶん言ったら怒るだろうから」

 返ってきた答えは、清流の予想の斜め上をいっていた。

「怒るって…私が?どういう意味ですか?」
「気が向いたらいずれ話す。とにかく、清流だからこの話をしようと思ったってことだけ覚えてればいい」

 清流にとっては煙に巻かれたようで釈然としなかったが、それ以上話してくれそうにない。

「で、どうする?」
「どうするって言われても、」

 突然降ってきた現実感のない提案を前に、ただ途方に暮れる。

「叔母さんの言いつけ通りに、あの木偶の坊みたいな男と結婚したかった?」
「それは…決められていたからで、」
「じゃあ何、俺はアレ以下だってことか?それはそれで地味にムカつくな」
「自分で言って不機嫌にならないでくださいよ…」

 心底不服そうな表情を浮かべている洸に、清流も困ったように眉を下げる。

 そういえば、あの善弥という男性はどうなったのだろう。

 佐和子がうまく取り計らってくれているのだろうけれど、いくら洸の肩書きの力があったとはいえ、この短時間であの意思の固い佐和子を説得して翻意させるなんて、よっぽどのことだと思う。

「叔母とは、どういう話をしたんですか?」
「自分たちが清流の親代わりになったこととか、今回のお見合いのこととか?こっちからは今の提案の話をしたけど、後は俺に任せるって」

(本当に…それだけ?)

「なぁ、俺は清流がどうしたいか聞いてるんだけど」

 さっきまでと違い、こちらを見据える目も声は鋭くて一瞬体が強張る。

 あんなに綺麗だと思った洸の目が、今は怖い。
 自分の中にある弱さや狡さ、自分が見たくないものを否が応でも見せようとしてくるようで。

「この話を受けるか、話を蹴ってまた叔母さんの言いなりになる生活に戻るか、自分で決めろ」

 就職が決まれば、あの家を堂々と出られる。
 叔母夫婦のプレッシャーに晒されることも、お見合い話を持ってこられることもない。

 洸の言うように6ヶ月間の試用期間を無難に過ごして、終われば婚約者としての関係を解消する。

 それまでの6ヶ月間、周囲に認めてもらえるように働ければ、もしかしたら継続して働けるかもしれない。

 自分に、そこまで期待してもいいのだろうか。
 また挫かれるかもしれないのに?

「…お話はお受けします。
 でも、あなたと結婚はしません」

 そう言い切ると同時に、洸と正面から目が合った。

「いい度胸だな」

 交渉成立。

 洸から差し出された手を取ると、洸は不敵に笑って清流の耳元に顔を寄せた。

 ―――絶対に、逃がさないから。

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