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決められたお見合い
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イタリアから帰国してから半月が経った、とある休日。
清流は憂鬱な気分でこの日を迎えた。
いや、正確には今日までずっと憂鬱だった。
「いつまでそんな暗い顔をしているのよ。まったく、お相手がいらっしゃったらその顔はやめて頂戴ね」
清流の浮かない表情を見て、叔母である早乙女佐和子は呆れたように言った。
「…すみません」
中学のときに立て続けに両親が亡くなって以来、親代わりとなって清流を育ててくれたのが、清流の母の妹である叔母夫婦だった。同時に、清流の父が経営していた小さな会社も引き継いだ。
いずれは父のものだった会社を継ぎたいと願う清流に、叔母夫婦から一つの条件を出されたのは1年前のこと。
清流がより良い条件での就職し、家を出て自立すること。
そうすれば、ゆくゆくは会社を継がせてやってもいいというものだった。
しかし、もし就職活動がうまくいかなければ、叔母の佐和子が決めた縁談を受け入れて結婚し家を出ること。
そして現在、清流は後者の立場に立たされていた。
『……私今はもう結婚なんて考えてないです。それより就職先を見つけて、』
『そんなこと言って、いつまで経っても見つからないじゃない』
『それは……』
『いいのよ別に、私たちに相談しないで好きなところに就職して出て行ってくれても。でもそれじゃあ将来安心してあなたに会社を任せることなんてできないわ。こっちは大学まで出してやったっていうのに』
実際、決まりかけた就職先がなかったわけではない。
ただいざ直前になって相談すると、そこでは『条件に合わない』と却下されてしまっていた。せっかく高い学費を出して大学まで行かせたのを無駄にするな、一流企業でないと認めないという意思表示だった。
(学費学費って、私もアルバイト代から出していたのに…)
けれど、休学後も生活費やアルバイト代で足りない分の学費は出してもらっていたのは事実なので、それは言えなかった。
もともと経営学部を志望する段階からいい顔はされていなかった、いやそれどころかーー清流は首を振る。今はこれ以上考えるのはやめよう。
そんなものを無視して就職し、家を出ればよかったのかもしれない。
けれど、もし用意した縁談話がまとまれば『会社を譲る』と一筆書いてもいい、という言葉がその決心を鈍らせた
叔母夫婦の手に会社が渡ってから、年々経営状況はあまり芳しくないと聞く。
急がないと人手に渡ってしまうのではないか。そうなったら清流の手ではどうしようもなくなってしまう。
そうなる前に、父の会社を取り戻したい。
そのために休学をしても学費に困っても、大学で勉強を続けたのだ。
残された時間は多くない――そう思った。
◇◇◇◇
到着した料亭は数寄屋造りで、歴史と趣を感じさせる建物だった。
こんなところ、今まで一度だって訪れたことがない。
あまりの立派な佇まいに圧倒されるも、叔母の佐和子は意に介さず先へと進む。駐車場に停まっている高級車を目の端に入れながら、見栄っ張りな叔母らしいなと内心ため息が出た。
玄関先で靴を脱ぐと店の女将がにこやかに出迎えてくれ、部屋付きの中居に案内されて廊下を歩く。
廊下から望む日本庭園の中心には錦鯉が泳ぐ大きな池があって、この池を囲むように建てられているらしい。
広い庭園は見る角度によって姿や印象が変わって、だんだんと自分がどこをどのくらい歩いたのか分からなくなった。
「こちらのお部屋でございます」
中居が襖を開けて個室に通されると、相手はまだ来ていなかった。
「あら、少し早めに着いたわね…でも、お相手をお待たせするよりはいいわ、そうでしょう?」
「そうですね」
微笑む佐和子に、今度こそ機嫌を損ねないように笑顔を返す。
通された座敷の雰囲気の良さに満足したのか、佐和子の機嫌は少し戻ったようだ。
中居が下がったのを確認して、清流は一息ついて少し部屋を見回した。
意外と天井が高い室内、床の間には花が生けられ、障子の向こうにもまた坪庭が見える。今どきこんな古風なお見合いが存在するんだなと、いっそ感心してしまった。あまりの非日常な空間に現実感がないし、慣れない和装も息苦しい。
「あの、お手洗いに行ってきてもいいですか?」
「いいけど早くしなさいよ?お相手を、」
「はい、お待たせはしませんから」
清流は即座にそう言うと、逃げるように部屋を後にした。
さて、お手洗いはどこだろう。
確か部屋に至るまでに、中居が店の歴史や庭の説明をする合間でお手洗いの位置も教えてくれていた気がするのだけれど、正直ぼんやりしていてほとんど聞いていなかった。
とりあえず来た通路を戻ろうと歩いていると、ちょうど清流に気づいた中居がお手洗いまで案内してくれた。
こういうことによく使われる料亭なのだろう。スタッフの皆も心得ていて、すれ違いざまにお日柄も良くと微笑まれたり、着付けが歪んているのを素早く直してくれる。
けれどそういった気遣いすべてが、縁談を成立させるためのプロセスに組み込まれているように思えて複雑な気持ちになった。
(でも、拒否することなんてできないんだよね…)
佐和子が事前に先方とほとんど取り決めしてしまっていて、あとは当事者である二人が顔を合わせるだけになっていると聞いている。
『よかったわね、お相手はあなたみたいな人でもいいって言ってくださっているのよ』
そうやってにこやかに言った佐和子の顔を思い出すと、気が重くなる。
会いたくない。
本当は、お見合いも結婚もしたくない。でも。
お手洗いの鏡に自分の顔が映る。
淡いピンクの地色に、薄紫の差し色と花模様があしらわれた着物。
華やかな着物に反して、鏡に映った顔色は青白い。
どうにか血色をよく見せようと、バッグからポーチを取り出してリップを引き直して、無理やり笑顔を作る。
「…そろそろ戻らないと」
清流は座敷に戻るために、通路へと出た。
廊下から、木々の葉が青々と揺れる中庭を望む。もう少し季節が早ければ満開の桜が、秋になれば紅葉が見られると案内の中居が説明してくれていた。
早く戻らないとと思いつつも、清流の足取りが重い。
今日は気温も高いせいか廊下と庭を隔てるガラス戸が開いている。
新緑のにおいが漂ってくるのを感じながら廊下を歩いていると、中庭を1組の男女が歩いているのが見えた。
男性はスーツ、女性は藤色の着物を着ている。
(あとは若い二人で…ってやつだよね、きっと)
親しげというよりもやや距離感があって、おそらく同じような縁談相手なのだろうと想像できた。
清流の位置から男性は背中で見えない。
けれどその隣りを歩く女性の横顔は、はにかんだ笑顔が輝いていて、楽しそうな笑い声もかすかに聞こえる。そうやって並んで歩く二人は、どことなくお似合いに見えた。
自分ももうしばらくしたら初対面の相手と、同じようにこの庭を散歩することになるのだろうか。
(……やっぱり、こんなの駄目だ)
頭の中で想像しようとしても、自分はあの女性のような笑顔は作れそうにない。
ふと、男性の方が立ち止まって、清流へと目を向けた。
――いけない、じろじろ見られていると思われただろうか?
清流は見るともなく見ていただけのつもりだったけれど、もしかしたら二人の邪魔をしてしまったのかもしれない。自分のせいでぶち壊しなんてことになってしまったら最悪だ。
「こんなところで一体何をしていたのよ!」
視線が合う直前に目を逸らしたのと、佐和子が清流を探しに来たのはほぼ同時だった。
「遅れないでとあれほど言ったでしょう?もうお相手が見えているのよ!」
「すみません叔母さん、ちょっと迷ってしまって…」
目の前の佐和子は、清流の謝罪にも怒りが収まらない表情をしている。
きっとこの場に人目が、中庭にいるあの二人の姿がなければもっと盛大に怒鳴りつけられていただろう。
清流は佐和子に引っ張られながら、その後に従っていくしかなかった。
佐和子のいう通り、座敷に戻るとすでに相手は到着していた。
清流は改めて遅れたこと謝ると、幸い相手の付き添いである母親と思しき女性が取りなしてくれて、佐和子の怒りはおさまってくれた。
「それでね清流さん、こちらが息子の大河内善弥です」
事前に聞いていた話では、確か清流より10歳上の30代半ば。
黒のスーツを着た彼は正面に座った清流にも目を向けることもなく、障子の向こうの坪庭を眺めている。
「あらやだ、ごめんなさいね。この子昔からおとなしい子で、ちょっと内気なところがあるものだから」
「いいんですよ、気になさらないで」
彼の母親と佐和子がそれぞれフォローしているけれど、内気や緊張などというよりも、清流の目にはこの場自体にまったく興味がなさそうな態度に見えた。
「ほら、あなたも自己紹介しなさい」
「工藤清流です…本日はありがとうございます」
事前に言われていた通りの挨拶をして、もう一度正面に座る相手を見据えるも、やはり目は合わなかった。それからしばらくは、当事者同士は口を開くことなく、付添人同士の会話だけで場が進行していく。
何がそんなに楽しいのか二人の会話に花が咲いていた頃、ここからは二人でと言って、早々に中座してしまった。
(この状況で二人にされても……)
気を利かせたつもりなのだろうけれど、途端に取り残された形となってどうしたらいいのか分からない。
どのくらいの間、そうしていただろうか。
沈黙に耐えきれなくなって当たり障りのない話題を振ってみるも、相変わらず何の興味もなさそうで、目も合わない。まるで置物だ。
ちらりと腕にしていた時計を確認すると、時間はまだあれから30分も経っていなくて内心うんざりする。佐和子の話では、1時間は歓談の時間を作ると言っていたからだ。
「あの、大河内さんは…今回の話にはあまり関心はないですよね?」
お見合い相手に失礼かとは思いながらも、自分も失礼な態度を取られていることを思えば同じだろうと、半ば開き直った気持ちで聞いてみる。
清流が口を開くと、善弥は初めてこちらを見た。
「ええ、正直興味はなかったですよ。お見合いなんて言ったって、要は親公認の出会い系みたいなもんでしょ?」
(結構はっきり言う人だな…)
かしこまっていることに疲れたのか、姿勢を崩してきつそうに締めていたネクタイも緩めながら言う。おそらく普段は猫を被っているのだろう、大人しくて内気、なんて思っているのはどうやら母親だけのようだ。
「それなのに、いいんですか?このまま何も言わなかったら、話がまとまってしまうかもしれないですよ?」
事前に話がついているとはいえ、相手がNOと言えばこの話は流れるかもしれない。そんな狡い考えが頭をかすめたとき、善弥は少しちらりと清流を見てから、笑みを浮かべた。
「ええ、僕は構いませんよ。だって、君と結婚すれば会社貰えるんでしょ?」
一瞬何を言われたか分からなくて、清流はどういうことですか?と聞き返すと、今度は善弥の方が意外そうな顔をした。
「あれ、そういう手筈になってるって母から聞いたけど?
ウチって地元では名の知れた地主なんだけど、長男夫婦が本家を継いで威張り散らしてるから肩身が狭くてさ。サラリーマンも性に合ってないし、だからちょうどいいかなって。一回社長ってなってみたかったんだよね」
さっきまでの置物ぶりから一変して饒舌に喋り出す相手に、気分が悪くなる。
「そうしたら後はいつ別れちゃってもいいし、まぁ世間体を考えて2、3年くらい?ってこれ、話が決まるまでは言っちゃ駄目なやつ?」
あぁ、そうか。
ここで清流はようやく理解した。
継がせてやってもいいというのは、清流自身にという意味ではなく、初めからそのつもりはなかったことに。
そして叔母夫婦にとっては、あの会社には何の思い入れもないことに。
今まで自分にあれこれ条件を出すのは、二人が会社を手放したくないからだと思っていた。でもそうではなかった。
あくまでも、自分を家から出すための手段に利用しているだけ。
誰の手に渡ろうが、その後どうなろうが、まったく興味もないのだ。
(今ごろそんなことに気づくなんて…)
清流は俯いて、膝の上に置いていた両手をきつく握りしめる。
いつもこうだった。
今度こそはと思って期待をすると、思った先からその期待は挫かれるのに。
「え、何?君大丈夫?」
今度こそ、もうやめよう。
でも叔母の顔を見て『何もかもやめる』と言い出せるだろうか。
「……大丈夫、です」
誰でもいい。
今だけでいいから、ここから連れ出してほしい。
そのとき、突然襖が勢いよく開いた。
佐和子たちが戻ってきたのだと反射的に身が竦んで、この期に及んでも自分の意気地なさに幻滅する。
「ご歓談中のところ、どうも」
聞こえてきた声は、想像していたものではなかった。
「はぁ?ちょっと誰だよあんた、」
驚いて顔を上げるとこちらに視線を向けた男性と目が合って、目を見開く。
あ、―――――
(嘘だ、こんなことあるわけが…)
「よう清流、久しぶり」
色素の薄い瞳に、不敵に微笑む口元。
清流を見下ろしているのは、見間違うことなく、加賀城洸だった。
清流は憂鬱な気分でこの日を迎えた。
いや、正確には今日までずっと憂鬱だった。
「いつまでそんな暗い顔をしているのよ。まったく、お相手がいらっしゃったらその顔はやめて頂戴ね」
清流の浮かない表情を見て、叔母である早乙女佐和子は呆れたように言った。
「…すみません」
中学のときに立て続けに両親が亡くなって以来、親代わりとなって清流を育ててくれたのが、清流の母の妹である叔母夫婦だった。同時に、清流の父が経営していた小さな会社も引き継いだ。
いずれは父のものだった会社を継ぎたいと願う清流に、叔母夫婦から一つの条件を出されたのは1年前のこと。
清流がより良い条件での就職し、家を出て自立すること。
そうすれば、ゆくゆくは会社を継がせてやってもいいというものだった。
しかし、もし就職活動がうまくいかなければ、叔母の佐和子が決めた縁談を受け入れて結婚し家を出ること。
そして現在、清流は後者の立場に立たされていた。
『……私今はもう結婚なんて考えてないです。それより就職先を見つけて、』
『そんなこと言って、いつまで経っても見つからないじゃない』
『それは……』
『いいのよ別に、私たちに相談しないで好きなところに就職して出て行ってくれても。でもそれじゃあ将来安心してあなたに会社を任せることなんてできないわ。こっちは大学まで出してやったっていうのに』
実際、決まりかけた就職先がなかったわけではない。
ただいざ直前になって相談すると、そこでは『条件に合わない』と却下されてしまっていた。せっかく高い学費を出して大学まで行かせたのを無駄にするな、一流企業でないと認めないという意思表示だった。
(学費学費って、私もアルバイト代から出していたのに…)
けれど、休学後も生活費やアルバイト代で足りない分の学費は出してもらっていたのは事実なので、それは言えなかった。
もともと経営学部を志望する段階からいい顔はされていなかった、いやそれどころかーー清流は首を振る。今はこれ以上考えるのはやめよう。
そんなものを無視して就職し、家を出ればよかったのかもしれない。
けれど、もし用意した縁談話がまとまれば『会社を譲る』と一筆書いてもいい、という言葉がその決心を鈍らせた
叔母夫婦の手に会社が渡ってから、年々経営状況はあまり芳しくないと聞く。
急がないと人手に渡ってしまうのではないか。そうなったら清流の手ではどうしようもなくなってしまう。
そうなる前に、父の会社を取り戻したい。
そのために休学をしても学費に困っても、大学で勉強を続けたのだ。
残された時間は多くない――そう思った。
◇◇◇◇
到着した料亭は数寄屋造りで、歴史と趣を感じさせる建物だった。
こんなところ、今まで一度だって訪れたことがない。
あまりの立派な佇まいに圧倒されるも、叔母の佐和子は意に介さず先へと進む。駐車場に停まっている高級車を目の端に入れながら、見栄っ張りな叔母らしいなと内心ため息が出た。
玄関先で靴を脱ぐと店の女将がにこやかに出迎えてくれ、部屋付きの中居に案内されて廊下を歩く。
廊下から望む日本庭園の中心には錦鯉が泳ぐ大きな池があって、この池を囲むように建てられているらしい。
広い庭園は見る角度によって姿や印象が変わって、だんだんと自分がどこをどのくらい歩いたのか分からなくなった。
「こちらのお部屋でございます」
中居が襖を開けて個室に通されると、相手はまだ来ていなかった。
「あら、少し早めに着いたわね…でも、お相手をお待たせするよりはいいわ、そうでしょう?」
「そうですね」
微笑む佐和子に、今度こそ機嫌を損ねないように笑顔を返す。
通された座敷の雰囲気の良さに満足したのか、佐和子の機嫌は少し戻ったようだ。
中居が下がったのを確認して、清流は一息ついて少し部屋を見回した。
意外と天井が高い室内、床の間には花が生けられ、障子の向こうにもまた坪庭が見える。今どきこんな古風なお見合いが存在するんだなと、いっそ感心してしまった。あまりの非日常な空間に現実感がないし、慣れない和装も息苦しい。
「あの、お手洗いに行ってきてもいいですか?」
「いいけど早くしなさいよ?お相手を、」
「はい、お待たせはしませんから」
清流は即座にそう言うと、逃げるように部屋を後にした。
さて、お手洗いはどこだろう。
確か部屋に至るまでに、中居が店の歴史や庭の説明をする合間でお手洗いの位置も教えてくれていた気がするのだけれど、正直ぼんやりしていてほとんど聞いていなかった。
とりあえず来た通路を戻ろうと歩いていると、ちょうど清流に気づいた中居がお手洗いまで案内してくれた。
こういうことによく使われる料亭なのだろう。スタッフの皆も心得ていて、すれ違いざまにお日柄も良くと微笑まれたり、着付けが歪んているのを素早く直してくれる。
けれどそういった気遣いすべてが、縁談を成立させるためのプロセスに組み込まれているように思えて複雑な気持ちになった。
(でも、拒否することなんてできないんだよね…)
佐和子が事前に先方とほとんど取り決めしてしまっていて、あとは当事者である二人が顔を合わせるだけになっていると聞いている。
『よかったわね、お相手はあなたみたいな人でもいいって言ってくださっているのよ』
そうやってにこやかに言った佐和子の顔を思い出すと、気が重くなる。
会いたくない。
本当は、お見合いも結婚もしたくない。でも。
お手洗いの鏡に自分の顔が映る。
淡いピンクの地色に、薄紫の差し色と花模様があしらわれた着物。
華やかな着物に反して、鏡に映った顔色は青白い。
どうにか血色をよく見せようと、バッグからポーチを取り出してリップを引き直して、無理やり笑顔を作る。
「…そろそろ戻らないと」
清流は座敷に戻るために、通路へと出た。
廊下から、木々の葉が青々と揺れる中庭を望む。もう少し季節が早ければ満開の桜が、秋になれば紅葉が見られると案内の中居が説明してくれていた。
早く戻らないとと思いつつも、清流の足取りが重い。
今日は気温も高いせいか廊下と庭を隔てるガラス戸が開いている。
新緑のにおいが漂ってくるのを感じながら廊下を歩いていると、中庭を1組の男女が歩いているのが見えた。
男性はスーツ、女性は藤色の着物を着ている。
(あとは若い二人で…ってやつだよね、きっと)
親しげというよりもやや距離感があって、おそらく同じような縁談相手なのだろうと想像できた。
清流の位置から男性は背中で見えない。
けれどその隣りを歩く女性の横顔は、はにかんだ笑顔が輝いていて、楽しそうな笑い声もかすかに聞こえる。そうやって並んで歩く二人は、どことなくお似合いに見えた。
自分ももうしばらくしたら初対面の相手と、同じようにこの庭を散歩することになるのだろうか。
(……やっぱり、こんなの駄目だ)
頭の中で想像しようとしても、自分はあの女性のような笑顔は作れそうにない。
ふと、男性の方が立ち止まって、清流へと目を向けた。
――いけない、じろじろ見られていると思われただろうか?
清流は見るともなく見ていただけのつもりだったけれど、もしかしたら二人の邪魔をしてしまったのかもしれない。自分のせいでぶち壊しなんてことになってしまったら最悪だ。
「こんなところで一体何をしていたのよ!」
視線が合う直前に目を逸らしたのと、佐和子が清流を探しに来たのはほぼ同時だった。
「遅れないでとあれほど言ったでしょう?もうお相手が見えているのよ!」
「すみません叔母さん、ちょっと迷ってしまって…」
目の前の佐和子は、清流の謝罪にも怒りが収まらない表情をしている。
きっとこの場に人目が、中庭にいるあの二人の姿がなければもっと盛大に怒鳴りつけられていただろう。
清流は佐和子に引っ張られながら、その後に従っていくしかなかった。
佐和子のいう通り、座敷に戻るとすでに相手は到着していた。
清流は改めて遅れたこと謝ると、幸い相手の付き添いである母親と思しき女性が取りなしてくれて、佐和子の怒りはおさまってくれた。
「それでね清流さん、こちらが息子の大河内善弥です」
事前に聞いていた話では、確か清流より10歳上の30代半ば。
黒のスーツを着た彼は正面に座った清流にも目を向けることもなく、障子の向こうの坪庭を眺めている。
「あらやだ、ごめんなさいね。この子昔からおとなしい子で、ちょっと内気なところがあるものだから」
「いいんですよ、気になさらないで」
彼の母親と佐和子がそれぞれフォローしているけれど、内気や緊張などというよりも、清流の目にはこの場自体にまったく興味がなさそうな態度に見えた。
「ほら、あなたも自己紹介しなさい」
「工藤清流です…本日はありがとうございます」
事前に言われていた通りの挨拶をして、もう一度正面に座る相手を見据えるも、やはり目は合わなかった。それからしばらくは、当事者同士は口を開くことなく、付添人同士の会話だけで場が進行していく。
何がそんなに楽しいのか二人の会話に花が咲いていた頃、ここからは二人でと言って、早々に中座してしまった。
(この状況で二人にされても……)
気を利かせたつもりなのだろうけれど、途端に取り残された形となってどうしたらいいのか分からない。
どのくらいの間、そうしていただろうか。
沈黙に耐えきれなくなって当たり障りのない話題を振ってみるも、相変わらず何の興味もなさそうで、目も合わない。まるで置物だ。
ちらりと腕にしていた時計を確認すると、時間はまだあれから30分も経っていなくて内心うんざりする。佐和子の話では、1時間は歓談の時間を作ると言っていたからだ。
「あの、大河内さんは…今回の話にはあまり関心はないですよね?」
お見合い相手に失礼かとは思いながらも、自分も失礼な態度を取られていることを思えば同じだろうと、半ば開き直った気持ちで聞いてみる。
清流が口を開くと、善弥は初めてこちらを見た。
「ええ、正直興味はなかったですよ。お見合いなんて言ったって、要は親公認の出会い系みたいなもんでしょ?」
(結構はっきり言う人だな…)
かしこまっていることに疲れたのか、姿勢を崩してきつそうに締めていたネクタイも緩めながら言う。おそらく普段は猫を被っているのだろう、大人しくて内気、なんて思っているのはどうやら母親だけのようだ。
「それなのに、いいんですか?このまま何も言わなかったら、話がまとまってしまうかもしれないですよ?」
事前に話がついているとはいえ、相手がNOと言えばこの話は流れるかもしれない。そんな狡い考えが頭をかすめたとき、善弥は少しちらりと清流を見てから、笑みを浮かべた。
「ええ、僕は構いませんよ。だって、君と結婚すれば会社貰えるんでしょ?」
一瞬何を言われたか分からなくて、清流はどういうことですか?と聞き返すと、今度は善弥の方が意外そうな顔をした。
「あれ、そういう手筈になってるって母から聞いたけど?
ウチって地元では名の知れた地主なんだけど、長男夫婦が本家を継いで威張り散らしてるから肩身が狭くてさ。サラリーマンも性に合ってないし、だからちょうどいいかなって。一回社長ってなってみたかったんだよね」
さっきまでの置物ぶりから一変して饒舌に喋り出す相手に、気分が悪くなる。
「そうしたら後はいつ別れちゃってもいいし、まぁ世間体を考えて2、3年くらい?ってこれ、話が決まるまでは言っちゃ駄目なやつ?」
あぁ、そうか。
ここで清流はようやく理解した。
継がせてやってもいいというのは、清流自身にという意味ではなく、初めからそのつもりはなかったことに。
そして叔母夫婦にとっては、あの会社には何の思い入れもないことに。
今まで自分にあれこれ条件を出すのは、二人が会社を手放したくないからだと思っていた。でもそうではなかった。
あくまでも、自分を家から出すための手段に利用しているだけ。
誰の手に渡ろうが、その後どうなろうが、まったく興味もないのだ。
(今ごろそんなことに気づくなんて…)
清流は俯いて、膝の上に置いていた両手をきつく握りしめる。
いつもこうだった。
今度こそはと思って期待をすると、思った先からその期待は挫かれるのに。
「え、何?君大丈夫?」
今度こそ、もうやめよう。
でも叔母の顔を見て『何もかもやめる』と言い出せるだろうか。
「……大丈夫、です」
誰でもいい。
今だけでいいから、ここから連れ出してほしい。
そのとき、突然襖が勢いよく開いた。
佐和子たちが戻ってきたのだと反射的に身が竦んで、この期に及んでも自分の意気地なさに幻滅する。
「ご歓談中のところ、どうも」
聞こえてきた声は、想像していたものではなかった。
「はぁ?ちょっと誰だよあんた、」
驚いて顔を上げるとこちらに視線を向けた男性と目が合って、目を見開く。
あ、―――――
(嘘だ、こんなことあるわけが…)
「よう清流、久しぶり」
色素の薄い瞳に、不敵に微笑む口元。
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