忘却のエルーシャ

鹿音二号

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17:だから、あれは剥き出しのエルーシャ自身

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魔王が世界を滅ぼす邪悪である、という人間の主張は、つまり捏造だった。

千年近く前、人間の国々は覇権を争い戦争をしていた。
あまりにも長い時代戦争をしていて、疲弊しきりどの国もどの王もすでに自分の領土を保つことすら難しいほどだった。
戦争をやめたい。
その切実な一部の国と、教会が結託した。
だが争いは日常化し、停戦など誰も言い出せない。隙を見せた途端、攻め込まれるのが分かっている。
だから、関わりが薄く、対岸の火事と見ていただけの魔族を中心とする地域に、目を向けた。
魔族の国は戦争は少なく豊かで、それが妬みになり近隣の人間の領地といざこざが増えていた。
それに便乗したのが、教会だ。

魔族は邪悪。
魔王は世界を滅ぼすもの。
そう噂を流した。

「プロパガンダだ。敵を外に作ることで、矛先を内側でなく外に向けさせた」

エルーシャは憂鬱そうにそう語った。
エルーシャの自室に、彼をもう一度ベッドに戻してそこで休ませながら話す。
まだ万全ではないのは、納戸から戻ろうとしたときに顔をしかめて足を引きずっていたから分かる。抱いていこうとしたら拒否された。

「すぐに戦意が上がって、魔族の国に攻め入った。それが真実だ。けれど、最初に正義、正当をうたったせいで、容易にそれを下げることができなくなった」

結果、歴史を葬り、魔族と魔王へのレッテルの維持が教会の目的になってしまった。

エルーシャが見つけた、封印されていたという書物は、それをすべて書き記していた。
それを明るみに出そうとしたら、偽勇者であると謗られたのだ。
教会が必死に隠しているものを勇者が暴く。勝手に持ち上げておいて理不尽なものだが、『反逆者』と呼んだのも理屈は分かる。

「直訴とはな。短絡的すぎんか?」

エルーシャは遠い目をした。

「……馬鹿だったよ。きっとうまくいくという思い上がりがあった。勇者として、もてはやされ勘違いしていた」

だが、そこは責められるものでもないだろう。

「なるほどな。だから我らと人間の主張が噛み合わぬのか」
「ああ。……」

すこし咳き込んだエルーシャに、用意してあった水差しを渡す。

「ありがとう。そういえば……もう、魔族のものは食べられるのか?」

水差しの中身を確かめながらエルーシャ。水はさほど人間の国と変わらないらしい。

「試さんことには分からぬ。だが、味覚はそう変わらぬはずだ。蓄えはある、好きにしろ。ああ、そういえば持ってこさせるか」

まる二日なにも食べていないのだ。
だがエルーシャは首を振った。食欲がないらしい。

「……みんな親切だな。どうしてここまでしてくれるんだ?俺は、勇者だと最初から知っていただろう」
「我が聞きたい」

知らないうちに、エルーシャは受け入れられていた。ニルとて、勇者と分かっているものを城に入れる危険性は十分承知していた。
ただ、エルーシャの安全を守るには、自分の手元に置くしかない。暗殺や決闘、下手をすれば魔王に異を唱えて抗争状態になることも覚悟した。
そう思えば、真っ先に近衛隊長が激昂したのは当たり前であるし、一方では出来すぎていた。

「たしかに、近衛隊長を先に破ったのは偶然とはいえ、序列を重んじる魔族に効果は高かったが」

ふと、エルーシャは考えた。

「いや、偶然じゃないかも知れない」
「……近衛隊長におぬしを襲えとは言っていない」
「ああ、疑ってはいない。そうだな……さっきのプロパガンダにも関係がある」

簡単に人間の戦意が上がった理由。
――勇者の出現だ。

「一応、勇者の任命には理由はある。『祝福(ギフト)』を知っているか」
「知らんな。魔法か?」
「魔法では……ないと言われている。よく分からないんだ」
「どんなものだ」

エルーシャは困った顔をした。

「特質とか、異能だと言われている。その者の周囲の好感と、士気を上げるんだが……俺、ええと、本人はまったく何もしていない」
「……ほう」

思い当たるとしか言いようがない。
エルーシャは憮然と続ける。

「一説には女神(創世神)の祝福、あるいは魔法……お気に入りだとか、言われる」
「それが、勇者だと?」
「ああ。勇者とは、正しくは教会から任命される。条件はみっつ。ひとつはその『ギフト』が求められること、ふたつ、神聖魔法をマスターすること、みっつ――聖剣エクスカリバーに認められること」
「……それは、つまり」
「そう」

エルーシャは微笑んだ。

「聖剣が失われた今、次の勇者はそう簡単には任命されない」
「――……」

なぜか、喜べない。
きっと、エルーシャが聖剣を惜しんでいるからだ。
それに、あの剣の意思に触れたニルも、あれ自体には悪感情はない。

「聖剣は、魔族に敵対する意思はなかったな」
「……え?」

驚いたようにエルーシャがニルを振り返る。

「何故?」
「おぬしも聞こえただろう。あれの意思は」
「……ああ、エクスカリバーの意思は、勇者には伝わるんだ」
「なら我も勇者の資格があるということか」
「……ニルが、勇者」
「笑えん話だ」

目の前の勇者は笑っているが。

「ふふ……ともかく、聖剣の伝説もよく分かっていないことが多くて……あれは、それこそ創世神の与え給うた聖具かもしれない」
「だが、魔族とは敵対する気はなかった」
「今なら、そうだと断言できる。何のために勇者に力を貸すのか……」

創世神の聖具なら、違う目的が神にはあるということになる。

「これは考える材料がない。今は置いておくとして……」
「そうだ、『ギフト』」

思い出した。
部屋の外に控えさせていたメデスを呼び、用事を申しつける。

「魔王にも、それらしいものがいた」
「え!?」
「魔王は代々、魔族で一番の強者が選ばれる。ひとり、それにそぐわぬものがいたはずだ」
「え?弱いってことか?」
「ああ。だが、魔王になった」

最初聞いたときは伝説のたぐいかと呆れたものだが、実際記録に残っている。

「その魔王に忠誠を誓う者は、こぞって魔王を上回る力の持ち主だった。だから誰も手出しできない。まずはそやつらを倒さねば、魔王には到達できぬということだ」
「俺は倒しちゃったけど……似ているな?」
「遠くないな」

エルーシャが近衛隊長を倒したときの状況だ。

「ともかく、あり得んと笑ったものだが……『ギフト』とやらなら納得できる」

エルーシャを見ても異常に近いかもしれない。
しかし、それはそれで疑問は残る。

「だが、人間はおぬしを追放した」

純粋に疑問だとエルーシャは頷いた。

「こちらには人間側の話はよく伝わってこないが、おぬしの目にはどう映った?」
「……そうだな、まるで反転したみたいだと思った」
「反転?」
「こう『勇者』に対する感情が、最初の期待と同等分の憎しみに変わったというか」
「……なるほどな、反転……」
「前から気づいていたんだが、俺があまり好きではない人間は、俺に対しても好感はあまりないように見えた。逆に、信頼した人間ほど、好感が上がる」
「……その理論だと、おぬしが人間に憎しみを抱かねばならぬぞ」
「おかしいかな?」
「家族を殺され火を放たれても反撃しなかった勇者が?」
「……」

苦笑して黙ったエルーシャは、まあそういうことなのだろう。

「さらに重ねると、近衛隊長は我以上に勇者を憎んでいたぞ。此度は人間に一族を半分殺されたのだ」
「っ」

エルーシャは息を呑んだ。
これは、どういった意味でもニルが口を挟むことではないと思っていたから黙っていた。

「誓って、我は近衛隊長におぬしのことについては下知していない」
「……そうなんだ」
「おかしくないか、勇者を旗印にしていた人間が一度に背を向け、勇者を憎む敵たる魔族が喜んで迎え入れる。おぬしを憎んで襲った彼奴が、この城では我の次に力を持ち、彼奴が認めたために誰も手が出せぬことになったのも」
「……たまに、違和感がある。俺の知らないところで勝手に道が敷かれているような」

エルーシャはどうも気づいていないようだが――
『贈物(ギフト)』とは言ったものだ。
確かに、エルーシャを取り巻く異常なほどの調和はある。だが、ほとんどは彼自身の言動により起こされている。
この男は、自らが近衛隊長に掛けた言葉を覚えていないのだろうか。
いや、覚えていてもそれが彼の者にとってどれだけ心に響いたのか、自覚できていないのだ。見ている限り、万事そうだ。
おそらく、記憶を失ってある程度の知識や賢しさがリセットされたのだろう。魔法のコントロールができなくなり庭を壊しまくったのも、おそらく必要な知識を失ったからだ。
同時に、成長に伴って身につけた処世術――勇者としての振る舞い、そういう仮面や役割をすべてなくした。
だから、あれは剥き出しのエルーシャ自身。
あの無邪気に人の胸を抉るさまはいっそ神話に出てくる悪魔のようだった。

「……ニル?」
「ああ、やはり、この城でのおぬしの評価がおかしいと思ってな」

エルーシャに人心を掌握する特性があろうが、やはり予定調和が過ぎる。

「ギフト……厄介なものだな」
「文字通り祝福だと、とくに司祭たちには喜ばれたけど……俺自身は重荷だったかな」
「減らす努力をすればいいだろう」
「え?何を?」
「……」

きょとんとするこの悪魔を、どう教えたものか。

「失礼します」

メデスが戻ってきた。
彼の手にあるのは2冊の本。それを渡して、メデスはまた部屋を出ていく。

「先ほどの魔王の話だ。詳しいのはたぶんこれらだろう」
「へえ……」

魔王の逸話と、王領の変遷。
軍記に近い記録で、そこまで嘘も書かれていないだろう。
それらを借りていいかと尋ねられたので頷く。
エルーシャは丁寧に2冊重ねて枕元に置く。

「魔王にも『ギフト』の持ち主がいるとなると、ますます勇者の存在意義が危ういな」
「それはどうでもいいが」
「………………、うん」
「未練があるのか?まあ、ともかく。おそらくギフトの存在はなにか違う目的があるか、ただの現象と考えるか、どちらかだろうな」
「未練とかじゃないんだけど……そう切って捨てられると……まあ、そうか、ただの現象か」

ただあるものに意味を見出して、騒ぎ立てているだけと。

「勇者の条件のうち、エクスカリバーはギフトに関係があるのか?」
「……いや、だが、ニルにも意思が聞こえたなら……」
「関係がないのだろうな」

あれは、純粋に魔力が高いものには聞こえるものなのだろう。

「……」
「なんだその目は。言っておくが、我に『ギフト』はないぞ」

あったらメセラルドゥのような厄介者は出てこないだろう。

「でも、みんなに慕われてるように見えるけど」
「力で押さえつけているだけだ。実のところは憤懣やるかたないはずだ」
「そうかな……?」

どこに引っかかっているのか、エルーシャは首をひねっている。

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