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家族

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その土地が栄えていたのは昔むかしのこと。
今ではその跡形もなく、残るのはわずかに朽ちた遺跡とやせ細った地面、厳しい環境にも耐えた茂みと林、ただの岩山。
その荒れ地に、大きな祭壇が数百年の時間を経て残っていることはあまり知られていなかった。
そもそも、人が立ち入ることができない場所だった。
昔の人々は、その祭壇を『悪神の祭壇』と言った。
人が触れてはいけないものだ。

そこに、数百年ぶりに、人間が足を踏み入れた。
一見して魔術師とわかる、男だ。
分厚いマントを羽織り、わずかにブーツの足元が見えて、装身具もあちこちに取り付けられている。ここまで重い服装は貴族か魔術師と相場が決まっている。マントのくたびれた様子や、ざっくばらんに切られた長めの髪、整ってはいるが陰鬱な顔立ちは高貴な人間には見えない――魔術師だ。
特徴的なのは、髪の色だった。深い藍色で、まるで夜の帳のようだった。
瞳は琥珀色をして、気だるげだった。

彼は、祭壇の前の、なにもないボロボロの石畳の床を見つめ、それから周囲を見渡した。
柱が……柱だけが、離れた左手に4本建っている。壁や、天井はすべて崩れ落ちてしまっていた。屋根は斜めにずり落ちたらしく、柱も倒れて粉々の瓦礫になっていた。
灰色の雲がどんよりと空を覆っているのが分かる。

祭壇は、もとは立派なものだっただろうと予想できる、大きな石造りのものだった。長いあいだ雨風にさらされて、ひび割れたり装飾が剥がれ落ちたりしている。
大きな台座の上に家のような囲い、その中には神像があった……人型で、腰のあたりで折れて下半身しか残っておらず、装束の裾の彫刻の跡がかろうじて見えた。

ふう、と男は軽く息をつく。
ただ溜まっていた息を吐き出したかのように軽い吐息。
それから、おもむろにマントをかき分け腰に手をやり、抜き身のナイフを取り出した。
それを、手首に押し付ける。

「……」

すぐに刃が赤く濡れ、雫がパタパタと石畳にこぼれ落ちた。
その赤を、身につけていた装飾品に次々となすりつけ、無造作にあちこちへ放り投げる――遠い柱に当たったものもある。
そうして、いくつか投げ終わったあと。
とつぜん、地面が揺れた。
小刻みに崩れた祭壇が揺れる。
立ってはいられるが、風化した祭壇や柱は、パラパラと細かい石屑が落ちていく。
ひゅうう、と風が、吹き始めた。
それは徐々に渦を巻いて、祭壇の前につむじ風が出来た。
そこに、先程投げた装身具や、男の手首から、赤い血がまるで引き寄せられるかのように飛んでいき、勢いはどんどん増した。
見る間に、赤い竜巻が出来上がった。
ごうごうと音を立てて風を強く巻く。
それは、色を変える。赤から――漆黒へ。
とうとう濃い黒になった竜巻は、ぱっと一瞬で消えた。

なにか、細かい紙がちぎれたような黒い破片がひらひらと舞う、その祭壇の前に、ひとりの女の子が、立っていた。

豪奢なドレスの、小さな子だった。
くすんだ青の、布地がたっぷりのスカートに、フリルであしらった袖口と襟元。大きなリボンがブローチとともに胸元についてた。
黒髪が波打ち、ふわりと竜巻の余韻に揺れた。
愛らしい顔立ちだった。
白い、白すぎる頬に、同じ色のまぶたは閉じられていた。
いっそ現実的ではなく、まるで舞台の上の人形のような。
ゆっくりとそのまぶたが開いた。
濃い輝きを持つ黄金の瞳。まるいそれが、まっすぐに男を見つめた。

「……」
「来たのか」

カツン、と男は足音を立てて幼い少女に近づいた。

「バ・ラクエ」

低く、抑揚のない声はただその言葉を音にしただけのようだった。けれど、少女の表情が変わる。

「……?」

キョトンと、不思議そうに近くで足を止めた男を見上げて、愛らしい声で、

「わたしの名前」
「そうだ」
「わたしは、バ・ラクエ」
「私が呼んだ」
「マスター?」
「そうだ」
「……わたしは、なにをすればいい」

ぼう、としたままの彼女に、男は膝をついた。

「お前は、俺の……」

なにかを言おうとして、男は首を傾げた。

「そうだな、俺の、たいせつなものだ」
「たいせつなもの……」

オウム返しの彼女は、あまり言葉が分かっていないようだった。
男は表情を動かさないまま、頷く。

「そうだな。……家族、と言ったらいいか」
「かぞく……」

ぱちりと、少女は瞬きした。

「知ってる、かぞく」
「そうか」
「わたしはマスターのかぞく」
「ヴィーオと呼べ」
「ヴィーオ」

ひとつひとつ丁寧に繰り返す少女の手を、男は引いて立ち上がる。

「行こう」
「うん」

小さな黒い靴が、一歩踏み出した。

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