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八束VSネーロさん1

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 先程まで安心しきった顔をしていた影井が、震えた声を出す。その豹変っぷりは、思わず笑えてくるほどだ。いや、俺も、同じ目にあうのだから、笑っている場合ではないのだけど。
 今まで過酷な訓練をしてきたであろう騎士団長のネーロさんが、とんでもなく痛い、と言うのだ。その痛さは、想像を絶する。それでも、こうして、内心で笑っていられる余裕があるのは、影井のお陰だろう。周りに、自分以上に慌てふためいている人が居ると、何故か冷静になれる、あの現象が作用しているに違いない。

 それにしても、影井も、なかなか難しいことを聞くな……。ただでさえ、どれくらい痛いか、なんて表現するのは難しいだろうに、俺達と、ネーロさんは文字通り、今まで生きてきた世界が違う。こちらが常識だと思っていることが、この世界の常識とは限らない。勿論、そのまた逆も然り。
 つまり、分かるだろう、と思って出した例えでも、相手に通じない可能性は、大いにあるのだ。
 そんな中で何かに例えろ、と言うのは酷な話なのである。

 言っている本人は、ただ、今度自分がどんな目にあうか?と言う明確なビジョンを得て、安心する為に聞いているだけだと思うが……。きっと、無茶を言っている自覚もないのだろう。そんなことを考える余裕すらなさそうだ。

「痛みには個人差があるらしいから、なんとも言えないな……」

 やっぱり無難に答えたか。影井の求めている物ではなかったけれど、下手に答えるよりは、余程良い様な気がする。結局は百聞は一見にしかず。一見は一行にしかず。聞くよりも、実際にやったほうが早い。
 最悪、痛すぎたら、やめればいいのだ。やめれば。魔法くらい使えなくても、死にはしないだろう……多分

「そうですか……」

 影井は肩を落とした。
 ここで俺なら、申し訳ない気持ちになり、彼を慰めようとするのだが……。ネーロさんは違った。

「嫌なら、やらなくていいんだぞ?」
「や、やります!!」

 殆どかぶせるような声に、出した本人が一番驚いたのか、口を押さえていた。ネーロさんはそんな影井を見て、ふっと鼻で笑う。でもそこに、馬鹿にするような感情は篭っていなかった。
 それから、ぐしゃぐしゃ、と影井の頭を乱暴に撫でる。撫でられた本人は擽ったそうに、目を細めた。まるで、猫のようだ。
 俺だったら、手を払いのけていただろう。その点、影井は素直……というか、やはり、警戒心が低い。まあそこが可愛いくもあって、影井のいい所でもあるんだろうけど。

「……決まりだな。では、誰からはじめる?」

 ネーロさんは、影井、俺……と、順々に目を移していく。影井は、顔を伏せたまま、上げようとしない。まあ、そりゃあ、そうだよね。俺だって一番にやるのは嫌だもの。できれば、二番ぐらいがいい。
 ネーロさんの目線が、八束に向いたとき、少しの期待を込めて、俺も八束のほうを見た。その瞬間、八束はゆっくりと手を上げる。

「じゃあ、俺で」

 流石、八束。空気が読めるし、頼りになる。思わず、「よっ!特攻隊長!」と茶化したくなったが、今の場面でやると空気が読めないやつになってしまうので、流石に自重する。
 八束は特に気負った素振りも見せず、薄ら笑いすら浮かべているように見えた。

「分かった。これから俺が魔力を込めた拳でお前を殴りかかる。お前はそれを適度に避けて、適度に当たれ」
「え?俺殴られるんすか……?」

 珍しく戸惑っている八束。そりゃそうだ。殴られる、なんて聞いてないもんな……。正直、俺じゃなくて良かった、と安堵している自分がいる。白状かもしれないが、自分の気持ちに嘘は吐けない。
 まあ、そのうち俺もやらなくてはいけないのだが。一番にやるのはどうしたって怖い。やっぱり二番目が丁度いいのだ。二番目が。

「ああ、言ってなかったな。生命が危機的状況に陥るとより、魔力を得やすい。だから、殴らせてもらう。勿論、殴ってきても良いぞ。出来るなら、だが」

 そういって挑発的な笑みを浮かべるネーロさん。
 殴り合いで、命の危機を感じるって……。確かに、ネーロさんは強そうではあるけど……。と言うか、隊長だから、強いのは分かるんだけど、まさか、そこまでだったとは……。

 あ、でも、現代でも、ボクサーが殴ると凶器扱いされる、と言う話を聞いたことがある。ボクサーと言うと、実践というよりは、試合形式で戦っているし、それよりも、ネーロさんが強いと考えると、素手で戦うだけで殺されそうに思えるのは当然のことか。

 ん?でも、騎士と言えば剣で戦うイメージが強い。殴り合いは……まあ、しなくはないだろうけど、専門、ではなさそうだ。拳だけの威力なら、ボクサーのほうが強そうである。
 と、なると……うーん?どっちが強いんだ?

 ……。

 ……分からん。まあ、どっちでも良いか。大事なのはそこじゃないし。

「上等です。やってやりますよ……」

 八束は挑発に乗せられたかのごとく、不敵に笑い返すが、俺は知っている。彼が内心、冷や汗を掻いていることを。八束は強がるときに、いつも唇を舐めるのだ。さっきもそれをしていたから、恐らくそうなのだろう。


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