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第一章
第八話 入社の理由
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『グランドホテル・ホンテッド』
創業は今から五十年以上前のこと。山奥にある秘境のホテルとして設立。当初は今とは違う名称だったらしいが、その真偽が確認出来る文献は残っていない。グランドホテルとは名ばかりに規模は小さいものの、高レベルなスタッフ育成と高品質な料理が反響を呼び、当時は知る人ぞ知る名ホテルとして高い稼働を保っていた。
しかし、ある時から妙な噂が流れ始めた。
「このホテルには幽霊が出るぞ」と。
お客様だけでなく、スタッフも次々に怪奇現象に遭遇し、従業員数は大幅に減少。クオリティの高いサービスを提供出来なくなり、ホテルは著しく衰退した。
そんな折、現支配人が代表取締役社長として就任。そこからホテルの方針は一気に変化した。
「幽霊が出るなら幽霊専用のホテルにしてしまえばいいじゃん」
という、なんとも楽観的な一言で改革が齎された。
名称を『グランドホテル・ホンテッド』へと改名し、生きている人間のお客様の利用を禁止した。少しでも霊感を持つスタッフを全国からかき集め、ホテルサービスの知識だけでなく葬儀・弔辞のマナーを叩き込んだ。
そうして完成したのが現在のホンテッドだ。
死者の魂が集まる場所にして、その魂を成仏させる場所。その噂は瞬く間に幽霊たちに広まることとなり、逝き場を失った死者の魂が毎日のように集う。
グランドホテル・ホンテッドは、この世とあの世を繋ぐ架け橋となったのだ。
「二人とも、ばっちり似合ってるわよ」
支給されたブラックスーツに着替えると、御橙さんは両手を合わせて喜んでくれた。
アモールで支給されていた制服とは異なり、シルエットにピッタリとフィットしたスーツはどうも落ち着かない。
この装いは恐らく、喪服をイメージしてのことだろう。幽霊相手の接客、幽霊の成仏を目的としているだけあって、服装面まで徹底しているようだ。
「どうしてこうなったんだ?」
御橙さんは不思議そうに首を傾け、赤井はとても不愉快そうに眉を顰める。
でも、言わずにはいられない。
「なんで普通にここで働くことになっているんですか。あんな話を真に受けろと?」
クロネさんに聞いた話は、にわかには信じられない内容だった。
幽霊を成仏させるための、幽霊専用のホテル。それがこのグランドホテル・ホンテッド。
子供が思いつくような怪談話じゃないんだ。そんな妄想みたいな話、素直に受け入れられる方がどうかしている。
だと言うのに。
「赤井、お前はあんな話をすんなり信じるのか?」
あんなにもふざけた話に真っ先に食らいつきそうな赤井が、さも当然のように着替えを済ませ、御橙さんの後ろを大人しくついて行く様に疑問を抱いた。
「俺は知った上で入ったからな」
「なに?」
赤井は俺に向き直り、コツコツと音を立てて歩み寄ってくる。
「お前はどうしたいんだ?」
どうしたいのか。その答えは俺自身が一番わからないままでいた。
「辞めたいなら辞めればいい。前のホテルに戻ろうと思えば戻れるんだろ」
「それは……そうだけど」
幽霊ホテルなんて信じてはいない。今からでもアモールに戻って、元の生活を送りたい。
そう思っている反面、あの話が本当だとしたら……。そんなことも考えてしまう。
「俺はお前が羨ましい」
「羨ましい?」
聞き間違いかと思い、赤井の言葉を反芻する。
黒の長髪をオールバックで綺麗に整えているせいで、先程よりもその表情がはっきりと見える。
赤井の目は、俺を馬鹿にしているわけでも、憐れんでいるわけでもなかった。
ただ純粋に、本心でそう言っているのだとわかる。
「俺は幽霊と会話は出来るが、姿は見えん。ぼんやりと輪郭がわかるだけだ。霊感なんて一般人に毛が生えた程度しかねえ。だが、それでも俺はここに入社した」
「いきなり何を」
「お前は蘇芳とかいう女と会いたいと言ったな。俺にも会いたい人が居る。だからここに来た。このホテルで働いている連中の大半はそうだろう」
黙って話を聞いている御橙さんも赤井の背後で小さく頷いている。
「お前がここに就職しようと、泣き帰って新たな就職先を探そうと興味はねえ。ただ──」
赤井はぼそりと呟くように言い残し、身を翻して廊下を進んで行く。
変なやつだ。急にキレたかと思えば、今度はあんなに落ち着いて、諭すようなことを言う。
「調子が狂う」
俺はガシガシと頭を搔いた。
俺には幽霊が見える。幽霊に触れられる。
小さい頃から忌み嫌っていた。こんな力、無ければよかったと何度も恨んだ。
俺は普通の生活を送りたかった。ただの人として、友達や家族に囲まれて生活したかった。
ようやくこの力に感謝するチャンスが来たと思ったのに、もう一度会いたいと願った蘇芳は俺の前には現れない。
だったら、こんな力なんて無くなってしまえばいいのに。
──死者に最も近いお前が死者との再会を諦めるのは、この上なく腹が立つ。
赤井のことはよく知らない。当然だ。つい数時間前に会ったばかりなのだから。
あいつがどんな気持ちで、何を考えてそんなことを言ったのか、俺にわからない。
それでも不思議と、赤井の言葉は俺に躊躇いを与えた。迷いを齎した。
このまま逃げ帰ると、一生蘇芳には会えなくなるような気がしたんだ。
「蘇芳さんに会えるなんて、根拠の無いことは言えないわ。私たちには青柳くんを引き止める権利も義務も無い」
でもね、と御橙さんは続ける。
「貴方が嫌っているその力で救われる人は必ずいる。それだけは約束するわ」
もし。もしも、だ。
今まで忌み嫌い続けたものと向き合うチャンスが来たら、それは良い事だと言えるだろうか。
怖いものや嫌いなものを好きになることは出来るだろうか。それに意味はあるのだろうか。
高い場所が怖かった人が高さを克服した先には、一体どんな景色が見えるのだろう。
ピーマンが嫌いだった子供がピーマンを食べれるようになった時、子供は何を思うのだろう。
きっと、目の前に広がる世界は、形容し難い美しさを感動に変えてくれる。
きっと、新たな味を知ったその舌には、様々な味の彩りを与えてくれる。
じゃあ、俺は?
この力が誰かの役にたった時、その誰かに感謝された時。俺は一体何を感じ、何を考えるのだろう。
そんな未来を見てみたい。
少しだけ、そう願った。
「変なことを言ってすみませんでした。教えてください、この仕事のことを。俺に何が出来るのかを」
御橙さんは「もちろん」と穏やかに笑った。
その奥では、赤井がふんと鼻を鳴らす。
そして少しだけ、笑ったような気がした。
創業は今から五十年以上前のこと。山奥にある秘境のホテルとして設立。当初は今とは違う名称だったらしいが、その真偽が確認出来る文献は残っていない。グランドホテルとは名ばかりに規模は小さいものの、高レベルなスタッフ育成と高品質な料理が反響を呼び、当時は知る人ぞ知る名ホテルとして高い稼働を保っていた。
しかし、ある時から妙な噂が流れ始めた。
「このホテルには幽霊が出るぞ」と。
お客様だけでなく、スタッフも次々に怪奇現象に遭遇し、従業員数は大幅に減少。クオリティの高いサービスを提供出来なくなり、ホテルは著しく衰退した。
そんな折、現支配人が代表取締役社長として就任。そこからホテルの方針は一気に変化した。
「幽霊が出るなら幽霊専用のホテルにしてしまえばいいじゃん」
という、なんとも楽観的な一言で改革が齎された。
名称を『グランドホテル・ホンテッド』へと改名し、生きている人間のお客様の利用を禁止した。少しでも霊感を持つスタッフを全国からかき集め、ホテルサービスの知識だけでなく葬儀・弔辞のマナーを叩き込んだ。
そうして完成したのが現在のホンテッドだ。
死者の魂が集まる場所にして、その魂を成仏させる場所。その噂は瞬く間に幽霊たちに広まることとなり、逝き場を失った死者の魂が毎日のように集う。
グランドホテル・ホンテッドは、この世とあの世を繋ぐ架け橋となったのだ。
「二人とも、ばっちり似合ってるわよ」
支給されたブラックスーツに着替えると、御橙さんは両手を合わせて喜んでくれた。
アモールで支給されていた制服とは異なり、シルエットにピッタリとフィットしたスーツはどうも落ち着かない。
この装いは恐らく、喪服をイメージしてのことだろう。幽霊相手の接客、幽霊の成仏を目的としているだけあって、服装面まで徹底しているようだ。
「どうしてこうなったんだ?」
御橙さんは不思議そうに首を傾け、赤井はとても不愉快そうに眉を顰める。
でも、言わずにはいられない。
「なんで普通にここで働くことになっているんですか。あんな話を真に受けろと?」
クロネさんに聞いた話は、にわかには信じられない内容だった。
幽霊を成仏させるための、幽霊専用のホテル。それがこのグランドホテル・ホンテッド。
子供が思いつくような怪談話じゃないんだ。そんな妄想みたいな話、素直に受け入れられる方がどうかしている。
だと言うのに。
「赤井、お前はあんな話をすんなり信じるのか?」
あんなにもふざけた話に真っ先に食らいつきそうな赤井が、さも当然のように着替えを済ませ、御橙さんの後ろを大人しくついて行く様に疑問を抱いた。
「俺は知った上で入ったからな」
「なに?」
赤井は俺に向き直り、コツコツと音を立てて歩み寄ってくる。
「お前はどうしたいんだ?」
どうしたいのか。その答えは俺自身が一番わからないままでいた。
「辞めたいなら辞めればいい。前のホテルに戻ろうと思えば戻れるんだろ」
「それは……そうだけど」
幽霊ホテルなんて信じてはいない。今からでもアモールに戻って、元の生活を送りたい。
そう思っている反面、あの話が本当だとしたら……。そんなことも考えてしまう。
「俺はお前が羨ましい」
「羨ましい?」
聞き間違いかと思い、赤井の言葉を反芻する。
黒の長髪をオールバックで綺麗に整えているせいで、先程よりもその表情がはっきりと見える。
赤井の目は、俺を馬鹿にしているわけでも、憐れんでいるわけでもなかった。
ただ純粋に、本心でそう言っているのだとわかる。
「俺は幽霊と会話は出来るが、姿は見えん。ぼんやりと輪郭がわかるだけだ。霊感なんて一般人に毛が生えた程度しかねえ。だが、それでも俺はここに入社した」
「いきなり何を」
「お前は蘇芳とかいう女と会いたいと言ったな。俺にも会いたい人が居る。だからここに来た。このホテルで働いている連中の大半はそうだろう」
黙って話を聞いている御橙さんも赤井の背後で小さく頷いている。
「お前がここに就職しようと、泣き帰って新たな就職先を探そうと興味はねえ。ただ──」
赤井はぼそりと呟くように言い残し、身を翻して廊下を進んで行く。
変なやつだ。急にキレたかと思えば、今度はあんなに落ち着いて、諭すようなことを言う。
「調子が狂う」
俺はガシガシと頭を搔いた。
俺には幽霊が見える。幽霊に触れられる。
小さい頃から忌み嫌っていた。こんな力、無ければよかったと何度も恨んだ。
俺は普通の生活を送りたかった。ただの人として、友達や家族に囲まれて生活したかった。
ようやくこの力に感謝するチャンスが来たと思ったのに、もう一度会いたいと願った蘇芳は俺の前には現れない。
だったら、こんな力なんて無くなってしまえばいいのに。
──死者に最も近いお前が死者との再会を諦めるのは、この上なく腹が立つ。
赤井のことはよく知らない。当然だ。つい数時間前に会ったばかりなのだから。
あいつがどんな気持ちで、何を考えてそんなことを言ったのか、俺にわからない。
それでも不思議と、赤井の言葉は俺に躊躇いを与えた。迷いを齎した。
このまま逃げ帰ると、一生蘇芳には会えなくなるような気がしたんだ。
「蘇芳さんに会えるなんて、根拠の無いことは言えないわ。私たちには青柳くんを引き止める権利も義務も無い」
でもね、と御橙さんは続ける。
「貴方が嫌っているその力で救われる人は必ずいる。それだけは約束するわ」
もし。もしも、だ。
今まで忌み嫌い続けたものと向き合うチャンスが来たら、それは良い事だと言えるだろうか。
怖いものや嫌いなものを好きになることは出来るだろうか。それに意味はあるのだろうか。
高い場所が怖かった人が高さを克服した先には、一体どんな景色が見えるのだろう。
ピーマンが嫌いだった子供がピーマンを食べれるようになった時、子供は何を思うのだろう。
きっと、目の前に広がる世界は、形容し難い美しさを感動に変えてくれる。
きっと、新たな味を知ったその舌には、様々な味の彩りを与えてくれる。
じゃあ、俺は?
この力が誰かの役にたった時、その誰かに感謝された時。俺は一体何を感じ、何を考えるのだろう。
そんな未来を見てみたい。
少しだけ、そう願った。
「変なことを言ってすみませんでした。教えてください、この仕事のことを。俺に何が出来るのかを」
御橙さんは「もちろん」と穏やかに笑った。
その奥では、赤井がふんと鼻を鳴らす。
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