幽霊ホテルに憑きまして

宗真匠

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第一章

第四話 黒猫

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 机と椅子、それにパソコンが並んだ一室に連れられた俺たちは、女性と向き合うよう形で椅子に腰をかけた。

 女性はオフィスと言っていたが、俺たち以外に人は居ない。まだ出勤していないのだろうか。こんなにも立地の悪い場所にわざわざ出勤してくるのも大変そうだ。

「自己紹介がまだだったわね。私は御橙みとう美桜みおう。御伽噺の御に橙で御橙、美しい桜で美桜。フロントの係長よ。よろしくね」
「よろしくお願いします」
「っす」

 係長、ということは、実質フロントのスタッフを指揮する役割のはずだが、赤井はなんとも生意気な態度で生返事をした。
 この男は人に対する敬意というものが無いのだろうか。

 眉を顰める俺とは対象的に、御橙さんは何も気にしていない様子で資料に目を通している。
 器が大きいと言うか、甘過ぎると言うか。

「えっと、面接……って程じゃないんだけど、軽く確認するわね」

 事前に郵送しておいた履歴書を見ながら、御橙さんは赤井に対して幾つか質問を投げかける。

「赤井漣くん。年齢は今年で二十三かしら?」
「そうっすね」
「二十三!?」

 思わず声を上げてしまい、二人が目を丸くして一斉にこちらを見る。
「なんだよ」と訝しげに目を細める赤井。

「いや、お前歳下かよ」
「赤井くんが二つ下みたいね」
「だったらどうした?」

 こいつ……!
 掴みかかりそうになる手をグッと握る。
 赤井には上司に対しても歳上に対しても敬意ってものが無いらしい。その態度に無性に腹が立ってしまう。

 しかしここは歳上の俺。

 ふんと鼻を鳴らす赤井を無視し、御橙さんに「続けてください」と目配せする。これが大人の対応。

「ホテル業の経験は無し。社会人として働くのもここが初めて?」
「そうっす」
「はあ?」

 我慢出来なかった。
「同じ部署なんて勘弁しろ」とか言っていたやつが、社会人一年目のぺーぺーだったなんて、ふざけているにも程がある。
 この男にはまず社会人としてのマナーというものを叩き込まなければならない。

「お前な、まずはその口の利き方をどうにかしろ」
「なんだと?」

 眉間に皺を寄せ、赤井が立ち上がる。
 勢いよく弾き飛ばされた椅子が、ガタンと音を立てて倒れた。

「周囲に気配り出来ない程度のやつが偉そうに言ってんじゃねえよ」
「そういう話じゃない。人としてのマナーを身につけろと言っているんだ」
「初見の相手にドアで殴るのがマナーなのかよ」
「それとこれとは……」

「今年の新入社員は元気だにゃ~」

 またしても一触即発……というか、俺が言い負かされそうになったタイミングで、何処からともなく聞こえた気の抜けるような声。
 御橙さんの声では無い。しかし、こじんまりとした部屋の中を見渡しても誰も見当たらない。

「こっちだにゃ~」

 俺と赤井は目を合わせ、そのまま足元に目線を落とす。

 黒く艶やかな毛並み。金色の目に黒くつぶらな瞳。ピンと尖った三角の耳に長いしっぽ。
 うん、猫だ。間違いなく黒猫。どう見ても黒猫。

 俺と赤井は再び目を合わせ、一緒になって
首を傾げる。

「無視するにゃ!」

 ポコポコと脚を叩く弱々しい感触に再び目線を下げる。
 猫が前脚で俺の脛を叩いている。うん、猫だ。何度見ても黒猫。

「クロネさん、こんなところで何をしているんですか?」

 御橙さんは足元の猫に語りかける。この人は何をしているんだろう。猫に話しかけるなんて、実はどこかおかしい人なのだろうか。

「まだ夜までは時間があるからにゃ。様子を見に来たにゃ」
「暇ならアサインでも手伝ってください」
「この手じゃパソコンは使えないにゃ~」
「都合の悪い時だけ猫のフリしないでください。社用のパソコンで可愛い白猫の画像を検索していることも知ってるんですからね」
「にゃ、にゃんのことかにゃ~」

 目線を横に下にと動かしながら、二人(?)のやり取りを眺める。

「なあ、赤井」
「ああ、間違いねえ」

「猫が喋ってる!」

 俺と赤井は声を合わせ、猫から離れるように勢いよく飛び退いた。

 頭が混乱している。おかしいのは御橙さんじゃなかった。きっと、俺と赤井の頭がおかしくなったんだ。こんなことはありえない。猫が喋るはずがない。

 しかし、頭でどれほど否定しても、目の前の黒猫は俺たちに語りかけてくる。

「そう驚くにゃ。僕はクロネ。見ての通り猫にゃ」
「いや、猫にゃ。じゃないんですけど」

 何故この猫は普通に話しかけてくるんだ。
悪い夢でも見ているのか。ここに来るまでに相当疲れてしまったのかもしれない。

 動揺する俺を他所に、赤井はクロネと名乗る黒猫の首根っこを掴みあげる。

「なるほど。ここでは猫も人語を理解出来るのか」
「お前、順応が早いな」

 黒猫と目線を合わせながらふむふむと頷く赤井に呆然とするしかない。
 赤井はポイッと黒猫を放り、再度椅子に腰を下ろす。黒猫は断末魔のような叫び声を上げながら宙を舞う。なんて雑な扱いなんだろう。

 俺も何とか状況を飲み込み、いや異物が過ぎるので飲み込めはしないが、現実から目を逸らして赤井の隣に座る。

「あ、因みにクロネさんがここの副支配人ね」
「赤井! 今すぐ謝っとけ!」

 あの人──もといあの猫が副支配人というのはなんとも理解し難い話だが、御橙さんが嘘をつく理由もない。嘘であってほしいけど。

 まあ、いいか。
 このままでは話が進まない。猫のことは一旦忘れよう。赤井が副支配人に粗相を仕出かしたとしても俺には関係の無い話だ。

 赤井も御橙さんも先程までのことは無かったように話を再開した。
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