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第19話 雪の日に

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 大晦日の朝。シルヴェスが外に出ると、雪が降っていた。

 雪の結晶は日の光を浴びて輝き、澄んだ音色を奏でているようだ。

 街路樹や建物にはカラフルな飾りつけがなされ、真っ白になった路面に映えてとても鮮やかである。

 道行く人も何だか楽しげで、町全体がお祭り気分であった。

 シルヴェスの服装はと言うと、相変わらず一番外は黒いコートだが、その内側には赤っぽいニットが少しだけ見えている。これはヨラさんから借りた服だった。お陰で、いつもよりちょっとは華やかになったのではないかと思う。

 待ち合わせ場所は、セントラル広場のツリーの下だった。年末は広場の中央に一本の大木が運び込まれ、青々とした葉を付けた枝に美しい装飾が吊り下げられているのである。

 シルヴェスが時間通りに到着すると、サイベルはすでにツリーの幹に背中を預けて彼女を待っていた。

「おはよう」

 サイベルが笑いかける。シルヴェスは彼のいで立ちに目を見張った。

 紺の地に金糸の刺繍が施された外套と革のバッグ――。いつものパン屋の制服からは想像もつかない姿である。そういえば、彼の私服を見るのは今回がはじめてだった。シルヴェスは彼が裕福な家の育ちだったことを思い出す。魔法学校で王子と呼ばれていたのも納得の風貌であった。

「あ、あの、えっと」

 シルヴェスは目を白黒させる。サイベルの雰囲気に圧倒され、言葉が迷子になってしまったのだ。サイベルはおかしそうに青い目を細める。

「あはは。緊張してるの? 毎朝開店前に会っている時は平気そうなのにね」

 今日は特別だから仕方ないよ!

 シルヴェスは心の中で反論した。いつもパンを買う時には、あくまで事務的なやり取りに終始しているのだ。でも、今日はそれ以上の関係を意識せずにはいられない。相手を見る目も、自分の反応も、普段とは違っていて当然なのである。

「まあ、そう固くならずに。僕たち、仕事上の付き合いは長いようで、実はお互いのことをよく知らないよね。だから、まずは僕のことを知ってほしいと思って声を掛けたんだ」

「は、はい……」

 喉に何かがつっかえているような返事がシルヴェスの口から漏れた。サイベルはくすくすと笑いながらシルヴェスの肩を軽く叩いて歩き出す。

「といっても、すぐには無理だよね。一日かけて、ゆっくり距離を縮めよう。とりあえず一緒に歩こうか?」

「あ、はい!」

 シルヴェスは慌ててサイベルを追い、その隣に並んで彼の顔を見上げた。

「さて、シルヴェスちゃん、どこに行きたい?」

 サイベルがこちらを向いて尋ねてくる。シルヴェスはその視線から逃れるように急いで顔を正面に戻し、「うーん」と首を傾げた。

 考えてみれば、この街に来てから、遊びらしい遊びをしたことがなかった。ずっと猫カフェの準備に奔走していたからである。

「あの、私、こういう時に行く場所を知らなくて……」

 シルヴェスが恥ずかしそうに答えると、サイベルは優しい微笑みを浮かべた。

「そっか。でも、今日はお祭りだから、どこに行っても楽しいと思うよ。そうだなあ……。じゃあ、演劇でも観に行こうか? 午後には劇場近くの広場で演奏会もあったと思うし。この街の楽団は王国の中でも有名なんだよ」

「へえ! 行ってみたいです!」

 シルヴェスの表情がぱっと明るくなる。サイベルは懐中時計を取り出して文字盤に目を落とした。

「えーっと、じゃあ、開演時間に合わせて行かないとね……。おっと、思っていたよりもギリギリだ」

「急ぎます?」

「そうだね。近道しよう!」

 サイベルはシルヴェスの手を取ると、不意に向きを変え、脇道の路地に足を向けた。

「シルヴェスちゃん、走れる?」

「大丈夫です!」

「じゃあついて来て! 行くよ!」

 そう言って、二人は入り組んだ迷路のような道に飛び込んで行ったのであった。



「シルヴェスちゃんって意外と涙もろいんだねー。演劇で泣いて、音楽でまた泣いてさ。見てて退屈しなかったよ」

「もう。からかわないでください!」

「あはは!」

 夕暮れ時。二人は人の多い大通りを並んで歩いていた。時々、道の中央を馬車が雪煙を上げて通り過ぎる。

 雪はいつの間にか止み、シルヴェスはすっかりサイベルと打ち解け、自然に話すことができるようになっていた。

「ほら見て。夕焼けが綺麗だよ。もう今年もあと少しだね」

 サイベルは王城の方を指さして言う。シルヴェスがそちらを振り返ると、赤く染まった雲を背景に、尖塔が幻想的な影を落としていた。

 ひんやりとした大気を、凛とした鐘の音が繰り返し渡っていく。

 道の両側にはキャンドルが並べられ、店の中からは乾杯の音が賑やかに聞こえてくる。

 反対側の歩道では松明を投げている大道芸人の周りに人だかりができていて、大技が成功する度に歓声が上がっていた。
 
 ああ。本当に今年が終わってしまうんだなあ……。

 街の雰囲気に浸り、しみじみと思う。

「そうですね。今年は色々なことがあったけれど、本当に楽しかったです」

 シルヴェスは感慨深そうに呟くと、頬を染めてサイベルに笑いかけた。

「おっと」

 大道芸人の観客を避けた馬車の軌道が自分たちの方に膨らんできたので、サイベルはシルヴェスを押し付けるようにして道の端に寄った。

 舞い上がった雪が彼らの頭上に降りかかる。二人は首を縮めて馬車をやり過ごしてから、服に着いたサラサラの雪を落とした。

「髪にもついてるよ」

 サイベルはそう言いながら、シルヴェスの頭を数回手で払う。

 立ち止まった二人の横を、通行人が次々に通り過ぎていく。

 向かい合うシルヴェスとサイベルの視線が不意にぶつかった。

 真顔のサイベル。その口が重々しく、ゆっくりと開かれる。

「シルヴェスちゃん……。あのね。大切なことを伝えたいんだけれど……」

「はい……」

 シルヴェスも真剣な表情になって、真面目な口調で答えた。サイベルは落ち着きなく、周囲をきょろきょろと見回す。

「でも、ここじゃ駄目だ。もっと人気のないところに移動してからでもいい?」

「うん……」

 そうしてサイベルは再びシルヴェスの手を取り、近くの路地に入った。

 通りから離れるにつれ、喧騒から遠ざかっていく。

 路地には明かりもなく、日陰なのでとても薄暗い。しかし、サイベルに手を引かれているお陰で、ちっとも恐ろしさはなかった。

 曲がりくねった道をひたすら無言で進み、二人は行き止まりの壁の前にたどり着く。そこでサイベルはようやくその足を止めた。

「ごめんね。こんなところまで連れまわしちゃって……。でも、誰かほかの人に聞かれるのは嫌だからさ」

 サイベルはシルヴェスに向き直り、申し訳なさそうに苦笑する。薄暗がりの中で、その顔はいつもよりもミステリアスに見えた。

「いいですよ。それで、私に伝えたいことって、一体なんですか?」

 シルヴェスは緊張の面持ちで答える。胸の鼓動が高鳴り、心臓は今にも飛び出さんばかりだ。

 サイベルは目を閉じ、「ふう」と息をつく。

 しばしの沈黙。

 路地の奥は痛いほど静かだ。物音を立てるものは何もない。

 すると、サイベルは瞳を閉じたまま、覚悟を決めたように突然こう切り出した。

「ねえ。シルヴェスちゃん。『発酵』と『腐敗』の違いって知ってる?」

「えっ?」

 予想外の質問に思わず聞き返すシルヴェス。サイベルは構わず独り言のように続けた。

「実はこの二つって、原理は同じなんだ。それが人間にとって有益か有害かによって、呼び方を変えているだけなんだよ。逆に考えれば、人は他者を、常に自分にとって役に立つものか、邪魔なものかで判断する生き物だって言うこともできるよね」

「えっーと、つまり……?」

「つまり、君は僕にとって応援すべき可愛い後輩でありながら、これ以上無視できない目障りな厄介者にもなってしまったということなんだよ」

「え? それって、どういう……?」

「――君は猫カフェを使って、魔法使いと非魔法使いの融和などという叶いもしない夢を人々に植え付け、挙句の果てに僕から貴重な部下を奪い去った。でも、それだけならまだ許せる範囲内だった。……君にとって不運だったのは、僕が実験で開発した『キャリアー』、すなわち、僕の『腐敗魔法』を媒介して街中にばらまき、非魔法使いを殺してくれる運び屋が、ネズミだったということさ。ネズミを道具に使う以上、その天敵である猫は最大の懸念材料になる。そのため、この街の猫に大きな影響力を持っている君は、僕の計画遂行にとって一番の邪魔者になったんだ」

「…………」

 シルヴェスは絶句した。嘘だ。そんな……。信じられない……。

「もう分かっただろう。――はっきり言おうか」

 サイベルはバッグの中から嘴のある黒い仮面を取り出し、呆然としているシルヴェスを真っ直ぐに見据えた。

 その双眸が、ぼうっと赤く怪しい光を宿す。

「カラス仮面の正体は、僕だ」
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