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第18話 シルヴァンメイト

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「ちょっと、ジャック、白猫ちゃんに喧嘩売らないで。その子、久しぶりに来てくれたんだから」

 猫カフェに新たに四匹が加わってから、一か月あまりが経ったある日の昼下がり。シルヴェスはお盆に載せたサンドイッチとハーブティーを運びながら、部屋の隅で睨みあっているジャックと白猫に向かって声を掛けた。

「あはは。猫が増えちゃって大変そうねー。シルちゃん」

 すっかり常連になったヨラが、シルヴェスからティーカップを受け取ってからからと笑う。テーブルにはいつもの友達も一緒だ。

 「そうなんですよー」と苦笑して答えるシルヴェス。と、同時に、

「ふにゃー!」

 ジャックが猫パンチを白猫目がけて繰り出すのを目の端に捉えた。白猫はひらりと身をかわし、遊具の上に飛び乗る。

「こらー。手を出さない!」

 シルヴェスは慌ててそちらに駆け寄り、ジャックと白猫の間にお盆を滑り込ませた。

 ジャックはむっとした表情になり、シルヴェスの手を目がけて前足を叩きつける。だが、爪を出していないところを見ると、一応シルヴェスに配慮はしているようだ。とりあえず反抗して気が済んだのか、ジャックはすたすたと歩いて離れていく。

「ふう……」

 シルヴェスは吐息を漏らし、改めて賑やかな店内を見回した。

 増えたのは猫だけじゃない。客も確実にその数を増やしていた。特に休日は、シルヴェス一人の接客だけでは手が回らないほどになっている。

「シルヴェスー。ハーブティー三つ持って来たわよ。あと、一階でケーキ二つの注文が入ったわ」

 部屋の扉を開け、お盆を持ったエリスが顔を覗かせた。

「ありがとう!」

 シルヴェスは急いで入り口に駆け寄り、エリスからハーブティーを載せたお盆を受け取る。

 エリスはこうして、時々カフェを手伝いに来てくれているのだ。本当にありがたい。助っ人が一人いるだけで、かなり仕事が楽になる。

 もっとも、その間エリスは自分の店が開けなくなっているはずなのだが、どうやらエリスの発案でカフェの隅に作った茶葉の物販コーナーで利益を得ているらしい。きっとエリスの店の宣伝にもなるのだろうし、多少カフェに手を貸してもエリスが損をすることはないのだろう。

 シルヴェスは受け取ったハーブティーを早速家族連れのもとに運んだ。

 この三人は今回がはじめてのお客様である。両親が見守る中、気の弱そうな男の子が、おそるおそるテーブルの上で寝ているチビに手を伸ばしていた。

「いきなり頭の上から触ると猫がびっくりしちゃうから、気を付けてね」

 シルヴェスは優しく微笑みながら男の子に声を掛け、テーブルの上にティーカップを三つ並べる。すると、横から彼の母親が声を掛けてきた。

「このカフェ、評判を聞いて来てみたんだけど、すごく素敵なお店ね。とっても気に入ったわ!」

「ありがとうございます!」

 シルヴェスははじけるような笑みを浮かべる。両親に会釈をしてからその場を離れた。ヨラたちの席の傍に立ち、部屋全体を見渡す。

 さて、動いていない時でも、気にしなければいけないことは山ほどある。注文をしようとしている人がいないか、空いた皿やカップがないか、猫たちが喧嘩をしていないか……。

「そういえば、そろそろ年末よねー。みんな予定は決まった?」

「それ聞く? 私たち全員彼氏いないじゃん。予定あるわけないよ」

「じゃあ、今年もこの四人でパーティーね! あはは!」

 ヨラたちのテーブルから笑い声が聞こえた。

 年末かー。年末はカウントダウンパーティーを開く予定だし、私はきっとここで働いているんだろうなー。

 シルヴェスは頭の片隅でそんなことをぼんやりと考える。その時、一階でドアベルが鳴る音が微かに彼女の耳に届いた。

 一階のお客か、二階のお客どっちだろう?

 そう思っていると、軽快に階段を上る足音が聞こえてくる。エリスが案内してくれたに違いない。猫カフェのお客様に決定だ。

「いらっしゃいませ」

 扉が開くタイミングを見計らって、シルヴェスは元気よく挨拶をした。それから客が誰かに気が付き、パッと顔を輝かせる。

「ミアちゃんとカイルさん! また来てくれたんですね!」

「お久しぶりです。えーっと、俺たちのことを覚えてくれてたのは嬉しいんですけど……」

 カイルはマフラーを口元まで引き上げると、落ち着きなく目を泳がせて囁いた。

「あの、あんまり俺の名前は呼ばないで下さい……。自警団員がこんなところに出入りしてることがばれると、色々まずいんです」

 シルヴェスは「すみません」と言って慌てて口を押えた。そういえばそうだった。でも、そんな危険を冒してまで、ミアに付き合って猫カフェに何度も来店するカイルの優しさは微笑ましく感じる。

 カイルは申し訳なさそうに肩をすくめて続けた。

「といっても、自警団もかなり変わってきたんですけどね……。最近は無闇に猫を退治することもなくなりましたし、団長も、とある事件をきっかけに猫好きになったんじゃないかって、団員の間ではもっぱらの噂です」

 ははあ。「とある事件」ね。

 シルヴェスはちらっとミアと目を合わせ、口元が緩みそうになるのを必死でこらえた。

「まあまあ、このカフェは、魔法使いもそうでない人も気にしない秘密の隠れ家ですから。ここにいる間くらいは、自分の立場を忘れて楽しんでいってください」

 シルヴェスは二人に笑いかけると、扉の近くの席に彼らを案内する。刹那、再び階下でドアベルが鳴り響いた。

「またお客さん? 今日は本当に多いね」

 シルヴェスは半ば呆れたように呟くと、もう一度扉の前に走る。

 ぎし、ぎし、と階段が鳴っているのが聞こえた。かなり大柄なお客様のようである。

「はーい。いらっしゃいま……」

 言いかけたシルヴェスは思わず息を呑んだ。

 扉を開けて入って来た大男が、顔を覆面で隠し、いかにも不審な風貌をしていたからである。

「おい、店員。ここが猫カフェか?」

 男は低い声で唸るように尋ねた。

「は……はい……」

 シルヴェスはのけぞるように男を見上げ、わずかに後ずさりながら答える。

 ――あれ? でも、この声って確か……。

「ワ、ワーグ団長!?」

 驚きのあまり、思わず声が出てしまった。

「だっ、黙れ!」

 ワーグは慌ててシルヴェスの声をかき消すように怒鳴ると、腰を曲げてシルヴェスに顔を近づけ、緊迫した口調で囁く。

「おい。貴様、俺のことをどうして知っているのかは知らんが、二度とその名前を呼ぶな! この店には守秘義務があるはずだと思ったからわざわざ来てやったんだぞ。自警団の団長が猫と戯れたがっているなんて、団員に知られたら一体どうなるか……」

 そこでワーグは言葉を切り、落ち着きなく店内を見回し……次の瞬間、凍り付いたように硬直した。

「カイル!? お前、なんでこんなところにいるんだ!」

「いや、それはこっちのセリフですよ!」

 椅子の陰にしゃがみ込み、慌てて隠れようとしていたカイルが観念した表情で顔を覗かせる。ワーグはシルヴェスを押しのけ、怒りを露わに、ずかずかとカイルのもとに詰め寄った。

「こ、この恥さらしめ! けしからん! こんな店で猫といちゃつくなど、自警団の名折れ!」

「団長! その発言、今の状況だと、自分自身に跳ね返ってますよ!?」

「はっ!? た、確かに……。いや違う! 俺はお前を連れ戻しにだな……」

「下手な嘘はやめて下さいよ! ほら猫ちゃんです!」

 カイルが足元にいたザーラの脇に両手を入れて抱き上げ、ワーグの目の前に突き出すと、振り上げられたワーグの拳の動きが止まった。ザーラはワーグに向かって「べーっ」と悪戯っぽく舌を突き出す。

「ぐ……。卑怯者め……」

 ワーグはザーラと目を合わせ、ぶるぶると体を震わせた。様々な感情が彼の中で激しく戦っているのだろうが、外から見ると何とも滑稽な絵面である。

 と、その時、折しも三回目のドアベルが鳴り、階段を誰かが上ってくる音が聞こえた。

 今度はシルヴェスが身構える暇もなく、猫カフェの扉が音もなく開けられる。

「ごきげんよう」

 入って来たのは、上等そうな黒いコートを着て、髪を固めた細身の紳士だった。初来店のお客様である。紳士が手袋を脱ぐために杖を手放すと、杖はその場にとどまって宙に浮かんだ。魔法使いには違いないが、何となく冷たい威圧感のある人だ。

「えーっと、いらっしゃいませ……?」

 シルヴェスがおずおずと声を掛けたが、紳士の視線はシルヴェスを通り越し、店内を舐めるように探る。

「ザーラ! ジャック!」

 紳士が突然大声を上げたので、シルヴェスはびっくりして飛び上がった。その横を紳士は風のように走り抜けていく。

「え……?」

 シルヴェスは混乱して後ろを振り返った。紳士はカイルの腕からザーラをひったくって抱き寄せ、一心不乱に頬ずりを始めている。

「ザーラちゃんー。勝手にうちから出て行って心配したぞー。二匹ともこの店に移っていたんだねー」

 え? 何? どういう状況?

 シルヴェスは理解が追い付かず、呆然とその光景を眺めた。

 ザーラの表情は心底迷惑そうにしているし、ワーグは突然の紳士の登場に仰天してひっくり返り、尻もちをついている。

 とにかく紳士のイメージはこの一瞬で粉々に砕け散った。

「カラス仮面について行ったと聞いた時には不安だったけれど、きっと心を入れ替えたんだねー。この店で再会できて本当に良かったよー」

「あのー、ひょっとして、ザーラとジャックの飼い主さん……ですか?」
 

 駆け寄ったシルヴェスは紳士に向かって遠慮がちに尋ねた。紳士はザーラに前足で頬を押し返されながらシルヴェスを振り返って微笑む。

「そうだよ。君がこのカフェの店主だね。うちの子たちを預かってくれてありがとう。『魔法使いと非魔法使いの共存』――素晴らしいコンセプトのお店だね。魔法使いに対する偏見をなくし、魔法使いの地位を向上させる……我々の理念にもよく合致しているよ」

 紳士がそう口にした途端、

 ガタッ!

 音を立ててワーグが立ち上がり、覆面をはぎ取るようにして脱ぎ去った。

「ふざけるな! 貴様らは俺たち一般人を根絶やしにしようと画策しているんじゃないのか? 貴様、『魔法使い解放軍』首領のダグラスだろ? 顔は知っているぞ!」

 吠えるワーグ。ダグラスは目を丸くして相手の髭面を見つめた。

「おやおや。これは奇遇ですね。私も貴方の顔はよく存じておりますよ。自警団の団長さんですよね?」

「その通りだ! ここで会ったが百年目……!」

「まあまあ、ちょっとお待ちください。その認識には誤解がありますよ」

 ダグラスはザーラを掴んだままバンザイの姿勢でワーグの拳を避けると、興奮したワーグをなだめるように言った。シルヴェスはおろおろして二人のやり取りを見守る。

「誤解だとう?」

「そうです。カラス仮面のせいで、魔法使い解放軍は過激だと思われがちですが、もともと我々は平和的な団体なんですよ。今はカラス仮面が単独で暴走している状態なんです」

「本当か?」

「本当です。カラス仮面には私も手を焼いているんですよ。若いメンバーの中にはカラス仮面に影響され、悪の道に足を踏み入れてしまうものもいる……。困ったものです。恥ずかしながら、うちの猫たちも一度は奴に感化されてしまったようですし……」

「そうなのか?」

「そうなんです」

「そっちも苦労しているんだな」

「はい。お互い色々と大変ですね」

「全くだ」

 あれ? なんか仲良くなってない?

 シルヴェスは二人の顔を交互に見比べた。団体は違えど、代表という同じ立場同士。どうやら意気投合してしまったようである。

「いやー、魔法使い解放軍の首領がこんなに話の分かる奴だとは思ってなかったぜ!」

「団長さんも意外と理解のあるお方だ。このカフェで会うことができて良かったですね」

 日が傾き、お客さんたちが次々に帰ったあと、店内に残っているのはワーグとダグラスだけになっていた。二人はすっかり打ち解けて、同じテーブルで和気あいあいと会話に花を咲かせている。

 シルヴェスとエリスは二人の座るテーブルから最も離れた部屋の隅に並んで立っていた。

「まー、これは、なかなか見られない光景よね」

 エリスが隣のシルヴェスに向かってひそひそと囁く。

「うん。最初はどうなることかと思ったけどね。二人ともいい人で良かった」

「そうね。でも、その二人が出会うきっかけを作ったのはシルヴェスよ。もっと胸を張りなさいな」

 エリスがシルヴェスの肩をとんと叩く。シルヴェスは照れくさそうに小さく笑みを浮かべた。

「だ、か、ら、年末くらいは自分にご褒美を上げなさいよ。ほら、こんな紙がパン箱の底に入ってたわ」

 そう言って、エリスは不意にシルヴェスの前に小さな羊皮紙の切れ端を差し出す。それに目を落としたシルヴェスの頬がみるみる赤くなった。

 『シルヴェスへ 今年最後の日を二人で過ごしませんか? サイベルより』

「いってらっしゃいよ。この日くらいは私とフェルに店を任せてくれていいから。あらら。期待通りの反応ね」

 エリスは口に手を当ててニヤニヤと悪戯っぽく笑った。シルヴェスは恥ずかしそうに顔を背けてうつむく。

「ちょっと、急にこんなの見せて、不意打ちは卑怯だって……」

「あはは。この紙は昼過ぎには見つけてたんだけど、いつ見せようかなって、ずっとタイミングを見計らってたのよ」

 エリスがシルヴェスの背中を指でつついて言う。振り返ったシルヴェスに向かって、エリスはウインクした。

「応援してるわ。頑張ってね」 

 
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