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第6話 宮廷魔導士
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しゅんしゅんと、どこかでお湯が沸いている音が聞こえる。
ああ……。頭がくらくらする。体が宙に浮いているような奇妙な感覚だ。
でも、なぜかとても気持ちがいい……。自分は何か、ふわふわしたものの上に寝転がっているようだ。
ん? ところで、ここはどこだろう?
シルヴェスはようやく働き始めた頭で考えた。
目を開けようとすると、張り付いたまつ毛が引きはがされ、軽い痛みが走った。
シルヴェスは目をこすりながら、ゆっくりと身を起こす。体が少しだるい。まるで病み上がりのようだ。
「起きたか。もう朝だぞ」
若い男性の声がする。シルヴェスがぼーっとした顔で首を回すと、そこにはかまどの前に座っているラークの姿があった。
「ラ、ラーク! なんで!? あっ。そうか」
ラークに青い瞳で睨まれ、シルヴェスの記憶が一気によみがえる。
「毒消しを飲ませた。調子はどうだ?」
ラークは如何にも不機嫌そうな口調で尋ねてきた。
「あ……うん。お陰で治ったみたい。ありがとう」
「それは良かった」
ラークは無愛想に答え、かまどに目を戻す。音を立てている火の上には、小さな片手鍋とやかんが並べられていた。
シルヴェスは改めて部屋の中を見回した。意外にこじんまりとしている印象を受ける。天井に届かんばかりの本棚が空間を狭めているからかもしれない。背表紙を見ると、難しそうな魔法理論の本ばかりだった。
他の家具は、シルヴェスがいるベッドと、布張りのソファ、小さなテーブルとイスだけである。
「ここ……ラークの部屋だよね……。ひょっとして、私をベッドに寝かせて、代わりにソファで寝てくれたの?」
シルヴェスが尋ねると、ラークは短く「ああ」とだけ答えた。――再び沈黙。
「……ソファ、狭くなかった?」
気まずさに耐えかねてシルヴェスがもう一度尋ねると、
「気にするな。たまにソファで寝ることはある」
またもや、つっけんどんな返事だった。どう見ても、人が横になれるサイズのソファではないのだが……。取り付く島がない。
ラークとは、魔法学校でもほとんど話したことがなかったからなあ……。
シルヴェスは困り顔で、何とか会話を続けようと口を開いた。
「……ラークは宮廷魔導士になっていたんだね」
「知らなかったのか。今年の卒業生で宮廷魔導士になったのは俺一人だ。よほど興味がないんだな」
「いや……。えっと、ごめんなさい」
シルヴェスはしょんぼりして口をつぐんだ。
ラークはというと、やかんからお湯をティーポットに注ぎ、鍋の中から湯気の立つポタージュを椀に移している。
「朝食だ。食えるか?」
テーブルの上に二人分の食器を配膳し、ラークはシルヴェスと目を合わせずに言った。
「あっ。はい」
シルヴェスはベッドから降りると、ラークと向かい合わせに置かれたイスに腰を下ろす。
「……それだけ動けるなら、もう大丈夫だな」
「お陰様で……」
会話がぎこちない。間が持たないので、シルヴェスは気を紛らわすように木匙でポタージュをすくった。
じゃがいもベースなのだろうか? 白っぽいピンク色をしている。口に運ぶと、ふわっとハーブの香りが鼻腔に広がった。
「おいしい!」
シルヴェスは目を丸くする。シルヴェスが顔を上げると、ラークの口元が少し緩んでいることに気が付いた。ラークはたちまち真顔に戻る。
「鮭を入れてみたんだ」
ラークはシルヴェスから視線を逸らして言った。
「鮭! 私が鮭好きなのどうして知ってるの?」
「知らねーよ。たまたまだろ」
ラークはそっけなく答え、ティーポットからシルヴェスのカップに紅茶を注ぐ。
「上品な香りだね」
シルヴェスが呟くと、
「王宮で飲まれているやつだからな」
とラークがあっさりと言ってのけた。折しもカップに口を付けていたシルヴェスは、思わずむせて咳き込む。
「そんなに驚くことないだろ。俺は宮廷魔導士だぞ? 茶葉くらい頂くこともあるさ」
「そ、そうなんだね」
シルヴェスは気を取り直してお茶をすすった。その味と香りを堪能しながら、やっぱり宮廷魔導士は権威のある職業なんだな、と再認識する。
「ラークはどうして、宮廷魔導士になったの?」
純粋な興味で、シルヴェスは何気なく質問した。刹那、ラークの手が一瞬動きを止めるが、シルヴェスは手元に目を落としていて気が付かない。
「……罪滅ぼし。かな」
「えっ?」
予想外の返事にシルヴェスは驚いて聞き返したが、返事はなかった。ラークは黙ってカップを傾け、一気に紅茶を飲みほす。
「そんなことより、あんたは何であんなところで魔女狩りに遭ってたんだ? あれも『猫カフェ』の準備か?」
「あっ、えーっと……」
何事もなかったかのように話題を変えられてしまった。シルヴェスがバツが悪そうに口ごもると、ラークはため息をつく。
「一般人の前で変身魔法を使うなんて、何を考えてるんだ? あんたのことだから、どうせ直情的に動いたんだろう」
「う……」
図星だから言い返せない。
「この街では、猫を飼っているだけで魔女ではないかと疑われる。猫に関わるなら、それ相応の覚悟をしろよ」
「はい。すみません……。私、やっぱり魔女裁判にかけられるの?」
「ばーか。あんたみたいな人畜無害な魔女を裁いても時間の無駄だ。俺はカラス仮面を追うのに忙しい」
ラークは言葉を切ると、自分の食器を引き上げて洗い場に運んだ。シルヴェスに背を向け、皿を水で流しながら、短く付け加える。
「……だが、俺も猫を守ることには賛成だ」
「えっ! 本当に!?」
シルヴェスは驚いてイスから腰を浮かせた。てっきり馬鹿にされていると思っていたのに。
ラークは後ろを向いたまま、独り言のように続ける。
「ああ……。だが、勘違いするなよ。俺は、猫が減ることでネズミが爆発的に増加することを懸念しているんだ。ネズミが増えれば、人の食糧は奴らに食い荒らされ、街の衛生環境も悪化する」
「そ、そっか。なるほど……」
そういう考え方もあるのか。
シルヴェスは感心して唸った。動機は異なるが、目指している方向は同じようである。
「じゃあ、ラークも――」
シルヴェスは明るい声で呼びかけたが――
「猫カフェに協力はしない。俺は猫が嫌いだからな」
言い終わらないうちに、ばっさりと断られてしまった。シルヴェスは悔しそうに口を引き結び、再びイスの上にすとんと腰を下ろす。
「だが、応援はしている。せいぜい頑張れ」
そう言って、ラークはクローゼットに移動して黒と紫のコートを取り出すと、袖に腕を通した。
「そろそろ出勤の時間だ。俺は王宮に行く。あんたも準備してくれ」
「あっ。ごめんなさい!」
シルヴェスは慌ててポタージュを掻き込み、食器を洗い場に運んだ。
「ごちそうさまでした! 助けてもらった上にご飯まで用意してもらって、本当にありがとう!」
革のカバンに書類を入れているラークに向かって、シルヴェスは深々と頭を下げる。
「……気にするな。市民を守るのが宮廷魔導士の務めだ」
ラークはポケットから一通の封筒を取り出すと、念力で宙を飛ばし、シルヴェスに寄越した。
「屋敷のばあさんからだ。昨夜あんたに助けられた礼を言いたいんだと」
「えっ? どうしてこれを!?」
シルヴェスは蝶に飛びつく猫よろしく封筒をキャッチして尋ねる。
「あんたを助けたついでに、あのばあさんの様子を見に行ったんだ。軽傷だったから、簡単な治癒魔法をかけてやった。その時に渡されたんだ」
「あ、ありがとう……。ラークって、とっても親切なんだね」
「買いかぶるな。俺は王の操り人形に過ぎない」
ラークはシルヴェスの前をすたすたと横切ると、キッチンの奥のドアを押し開けた。外に顔を出し、左右を確認してからシルヴェスを振り返る。
「裏口からこっそり出ろ。あんたと通じているのがばれると後々面倒だからな」
「はっ、はい!」
シルヴェスは封筒を胸に抱き、小走りでラークの方へ向かった。シルヴェスが出口から出る寸前に、ラークはパチンと指を鳴らす。途端、大気が一瞬で凍り付き、外が霞んで真っ白になった。
「念のための目くらましだ。まっすぐ歩いていけば大通りに出る。じゃあな」
「えっ。ちょっと待っ……」
バタン。
突然何も見えなくなっておろおろしているシルヴェスの背後で、ドアは無情にも閉じられてしまった。
ああ……。頭がくらくらする。体が宙に浮いているような奇妙な感覚だ。
でも、なぜかとても気持ちがいい……。自分は何か、ふわふわしたものの上に寝転がっているようだ。
ん? ところで、ここはどこだろう?
シルヴェスはようやく働き始めた頭で考えた。
目を開けようとすると、張り付いたまつ毛が引きはがされ、軽い痛みが走った。
シルヴェスは目をこすりながら、ゆっくりと身を起こす。体が少しだるい。まるで病み上がりのようだ。
「起きたか。もう朝だぞ」
若い男性の声がする。シルヴェスがぼーっとした顔で首を回すと、そこにはかまどの前に座っているラークの姿があった。
「ラ、ラーク! なんで!? あっ。そうか」
ラークに青い瞳で睨まれ、シルヴェスの記憶が一気によみがえる。
「毒消しを飲ませた。調子はどうだ?」
ラークは如何にも不機嫌そうな口調で尋ねてきた。
「あ……うん。お陰で治ったみたい。ありがとう」
「それは良かった」
ラークは無愛想に答え、かまどに目を戻す。音を立てている火の上には、小さな片手鍋とやかんが並べられていた。
シルヴェスは改めて部屋の中を見回した。意外にこじんまりとしている印象を受ける。天井に届かんばかりの本棚が空間を狭めているからかもしれない。背表紙を見ると、難しそうな魔法理論の本ばかりだった。
他の家具は、シルヴェスがいるベッドと、布張りのソファ、小さなテーブルとイスだけである。
「ここ……ラークの部屋だよね……。ひょっとして、私をベッドに寝かせて、代わりにソファで寝てくれたの?」
シルヴェスが尋ねると、ラークは短く「ああ」とだけ答えた。――再び沈黙。
「……ソファ、狭くなかった?」
気まずさに耐えかねてシルヴェスがもう一度尋ねると、
「気にするな。たまにソファで寝ることはある」
またもや、つっけんどんな返事だった。どう見ても、人が横になれるサイズのソファではないのだが……。取り付く島がない。
ラークとは、魔法学校でもほとんど話したことがなかったからなあ……。
シルヴェスは困り顔で、何とか会話を続けようと口を開いた。
「……ラークは宮廷魔導士になっていたんだね」
「知らなかったのか。今年の卒業生で宮廷魔導士になったのは俺一人だ。よほど興味がないんだな」
「いや……。えっと、ごめんなさい」
シルヴェスはしょんぼりして口をつぐんだ。
ラークはというと、やかんからお湯をティーポットに注ぎ、鍋の中から湯気の立つポタージュを椀に移している。
「朝食だ。食えるか?」
テーブルの上に二人分の食器を配膳し、ラークはシルヴェスと目を合わせずに言った。
「あっ。はい」
シルヴェスはベッドから降りると、ラークと向かい合わせに置かれたイスに腰を下ろす。
「……それだけ動けるなら、もう大丈夫だな」
「お陰様で……」
会話がぎこちない。間が持たないので、シルヴェスは気を紛らわすように木匙でポタージュをすくった。
じゃがいもベースなのだろうか? 白っぽいピンク色をしている。口に運ぶと、ふわっとハーブの香りが鼻腔に広がった。
「おいしい!」
シルヴェスは目を丸くする。シルヴェスが顔を上げると、ラークの口元が少し緩んでいることに気が付いた。ラークはたちまち真顔に戻る。
「鮭を入れてみたんだ」
ラークはシルヴェスから視線を逸らして言った。
「鮭! 私が鮭好きなのどうして知ってるの?」
「知らねーよ。たまたまだろ」
ラークはそっけなく答え、ティーポットからシルヴェスのカップに紅茶を注ぐ。
「上品な香りだね」
シルヴェスが呟くと、
「王宮で飲まれているやつだからな」
とラークがあっさりと言ってのけた。折しもカップに口を付けていたシルヴェスは、思わずむせて咳き込む。
「そんなに驚くことないだろ。俺は宮廷魔導士だぞ? 茶葉くらい頂くこともあるさ」
「そ、そうなんだね」
シルヴェスは気を取り直してお茶をすすった。その味と香りを堪能しながら、やっぱり宮廷魔導士は権威のある職業なんだな、と再認識する。
「ラークはどうして、宮廷魔導士になったの?」
純粋な興味で、シルヴェスは何気なく質問した。刹那、ラークの手が一瞬動きを止めるが、シルヴェスは手元に目を落としていて気が付かない。
「……罪滅ぼし。かな」
「えっ?」
予想外の返事にシルヴェスは驚いて聞き返したが、返事はなかった。ラークは黙ってカップを傾け、一気に紅茶を飲みほす。
「そんなことより、あんたは何であんなところで魔女狩りに遭ってたんだ? あれも『猫カフェ』の準備か?」
「あっ、えーっと……」
何事もなかったかのように話題を変えられてしまった。シルヴェスがバツが悪そうに口ごもると、ラークはため息をつく。
「一般人の前で変身魔法を使うなんて、何を考えてるんだ? あんたのことだから、どうせ直情的に動いたんだろう」
「う……」
図星だから言い返せない。
「この街では、猫を飼っているだけで魔女ではないかと疑われる。猫に関わるなら、それ相応の覚悟をしろよ」
「はい。すみません……。私、やっぱり魔女裁判にかけられるの?」
「ばーか。あんたみたいな人畜無害な魔女を裁いても時間の無駄だ。俺はカラス仮面を追うのに忙しい」
ラークは言葉を切ると、自分の食器を引き上げて洗い場に運んだ。シルヴェスに背を向け、皿を水で流しながら、短く付け加える。
「……だが、俺も猫を守ることには賛成だ」
「えっ! 本当に!?」
シルヴェスは驚いてイスから腰を浮かせた。てっきり馬鹿にされていると思っていたのに。
ラークは後ろを向いたまま、独り言のように続ける。
「ああ……。だが、勘違いするなよ。俺は、猫が減ることでネズミが爆発的に増加することを懸念しているんだ。ネズミが増えれば、人の食糧は奴らに食い荒らされ、街の衛生環境も悪化する」
「そ、そっか。なるほど……」
そういう考え方もあるのか。
シルヴェスは感心して唸った。動機は異なるが、目指している方向は同じようである。
「じゃあ、ラークも――」
シルヴェスは明るい声で呼びかけたが――
「猫カフェに協力はしない。俺は猫が嫌いだからな」
言い終わらないうちに、ばっさりと断られてしまった。シルヴェスは悔しそうに口を引き結び、再びイスの上にすとんと腰を下ろす。
「だが、応援はしている。せいぜい頑張れ」
そう言って、ラークはクローゼットに移動して黒と紫のコートを取り出すと、袖に腕を通した。
「そろそろ出勤の時間だ。俺は王宮に行く。あんたも準備してくれ」
「あっ。ごめんなさい!」
シルヴェスは慌ててポタージュを掻き込み、食器を洗い場に運んだ。
「ごちそうさまでした! 助けてもらった上にご飯まで用意してもらって、本当にありがとう!」
革のカバンに書類を入れているラークに向かって、シルヴェスは深々と頭を下げる。
「……気にするな。市民を守るのが宮廷魔導士の務めだ」
ラークはポケットから一通の封筒を取り出すと、念力で宙を飛ばし、シルヴェスに寄越した。
「屋敷のばあさんからだ。昨夜あんたに助けられた礼を言いたいんだと」
「えっ? どうしてこれを!?」
シルヴェスは蝶に飛びつく猫よろしく封筒をキャッチして尋ねる。
「あんたを助けたついでに、あのばあさんの様子を見に行ったんだ。軽傷だったから、簡単な治癒魔法をかけてやった。その時に渡されたんだ」
「あ、ありがとう……。ラークって、とっても親切なんだね」
「買いかぶるな。俺は王の操り人形に過ぎない」
ラークはシルヴェスの前をすたすたと横切ると、キッチンの奥のドアを押し開けた。外に顔を出し、左右を確認してからシルヴェスを振り返る。
「裏口からこっそり出ろ。あんたと通じているのがばれると後々面倒だからな」
「はっ、はい!」
シルヴェスは封筒を胸に抱き、小走りでラークの方へ向かった。シルヴェスが出口から出る寸前に、ラークはパチンと指を鳴らす。途端、大気が一瞬で凍り付き、外が霞んで真っ白になった。
「念のための目くらましだ。まっすぐ歩いていけば大通りに出る。じゃあな」
「えっ。ちょっと待っ……」
バタン。
突然何も見えなくなっておろおろしているシルヴェスの背後で、ドアは無情にも閉じられてしまった。
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