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残り香.8
しおりを挟む納品前のチェック。
今回は微調整が入るかもと言ってある。
初めての試みをしてみた。
無言でチェック。
やはり肩の部分が上手くいってない。
まだまだだな。
リュックで負担がかかる事を考慮して内側に工夫してみたのだが、やり過ぎか。
「肩の部分ですか?」
どうしてわかった?
「この前作って貰った感じより肩の感じが違うんで」
色々見てくれてるのか。嬉しいね。
「リュックをお使いなので、負担をどうにか出来ないかと思ったんですが。やり直します」
仕事モードで接客中。
上着を脱がそうと手を添える。
「ちょっと待ってください」
ふいっと鏡の前から荷物のところへ移動する。自由人が!
リュックを背負う。
「おー、なんか違う」
下ろす。
そんな訳あるかぁー。
荷物を置くと、戻って、鏡を見てる。
「崩れてませんよ」
1度目だからね。
あー、ダル。
「回数を重ねていけば、ボロが出る。直すから脱いでくれないか」
背負ってすぐ分かる訳がないのだ。
イライラする。
仕事モード解除ッ。
なんとか励まそうとしてくれてる気はする。
無用な気遣いだ。
「清水さん、怒ってますよね」
上着を大人しく脱ぎながら、おずおずと前を向いたまま言葉を紡いでいる。
ああ、怒ってますともッ。
「その話は、しないで頂けますか?」
『これっきり』と言ったのを忘れたのか。
相も変わらず、ズカズカと。
仕事の話以外はするな。
「今しなかったら、いつしたらいいんですか?」
「永遠にするな」
「はぁあ?」
「カンパリソーダと言ったのはそっちだ。一度だ。それだけだ」
「一度だけですよ。今度は、僕のターンって事で、口説いてます」
こちらを向いて、まっすぐ目を見てくる。
真っ直ぐなヤツだ。
ーーー絆されるな。
「私には無理だ。お前は……凄いよ」
正直な感想を口にする。
上着の裏を確認して、メモをカルテに記す。
「天国ってただの比喩だと思ってましたけど、ホントでした。清水さんって凄いです」
何を褒められてるんだか。
相手の反応を見て気持ちのいい事をしてるだけだ。グズグズに蕩けさせる事をしただけ。
それでも引き止められず、みんな、去っていったんだよ。
「清水さんは、味わった事ないんでしょ?」
何を言ってるのか。
「気持ち良さなら、私も良かったが」
蕩ける相手を見る事で私は満たされる。
背を向けて、片付けを始めた。
上着を作業中の中に戻し、カルテを仕舞う。
背中が温かくなった。
香苗とはほぼ身長は変わらない。
彼の方が筋肉質でがっしりしてて、胸板が厚いだけだ。
なのに、背中から抱き付かれてると、すっぽり包まれてるように感じる。
「清水さんは寂しそうだ」
そう言えば、初めて会った時も言われたな。
「私は、日々充実している。寂しさなんて感じた事はないが?」
胸の前にある腕をポンポンと叩いた。
「バーでも、仕事してても、セックスしてても、寂しそう……」
眉間に皺がよる。
なんだそれ?
「酒は美味い。テーラーは天職だと思ってる。セックスは気持ち良かった。満たされてる。何も寂しい要素はない。全て充実してる。……ま、酒もセックスも辞めたがな」
皺を刻んだまま、言い募る。
胸の前にある腕をポンポンと叩き続けている。一向に離してくれる様子がない。
「なんか足らないって顔してる」
益々、分からない。
私は自分が満たされてると話してる。そう自覚してるのに、この男は、一体何を言ってるのか…。
「もういい加減離してくれないか?」
訳が分からない。
「このポンポンって叩き方、離して欲しい感じがしない。あっち行けって言ってた顔はここに居てって顔してた」
嗚呼、そうかもしれないな。みんな行ってしまうから。
でも、お前じゃない。
「そうだとしても……、お前じゃない」
スッと腕が解かれて、背中が寒くなる。
「直しが出来たら、連絡下さい」
静かな声だ。振り向けなかった。
カランランラン……
ドアベルが鳴っている。
香苗が出てった。
私は、その場に蹲っていた。
帰っただけだ。出てったんじゃない…。
よいしょっと立ち上がると、頬を叩いた。
気合いを入れねば。
納得がいく出来だ。
納品となった。
今の季節ものの注文が1着追加注文となった。
そう言えば、パターンオーダーからイージーオーダーに変更してるのは気づいてるのだろうか。
終わりがなかなか来ないな。
来る度に口説いてくる。
もうお定まりのパターンと化していた。
もうこれも愉しみになってるのかもしれない。
「いい加減笑ってないで、ウンって言って下さいよ」
「言ったら、私は食われるんだろ? 嫌だね」
カラカラと笑った。
片付けをする。
普通はお客さまが帰ってからの作業だが、香苗がなかなか帰らないので、仕方なくこうなっている。
「他を当たらないのかい?」
ふとそんな事を考えた。
「清水さん、下の名前教えて下さい」
はぐらかされた。
「………」
言いたくない。どうしたものか。
「お店の名刺、店主の名前書いてないですよ」
ワザと、だ。
それから来る度に、口説かれ、名前も訊かれた。
名前は教えてもいいか。面倒臭くなってきた。
「笑うなよ。あと、古臭いとかも無しだ」
取り敢えず、釘を刺した。
コクコクと頷いてる。片手も上げて何かに誓ってる。
「……コウタロウ。幸せに、太いに、朗らか」
掌に言われるまま指を動かしてる。
「コウさん…なんか違うな…。あー、タロさん。今度からは仕事以外では、タロさんて呼びますね」
ニッコリ。
きゅんとした。
???
したよ? きゅんって。
ナニコレ?!
「古臭いだろ? タロウだよ? 昔話かよって感じだろ?」
なんだか笑われないのが、変な感じがして、慌てて、同意して欲しくて言っていた。
「タロさんぽいです。好きですよ」
キュン…。
「もう帰れ!」
顔が熱い。
奥に引っ込んだ。
トタトタと追っかけてきた。
死角になってる小部屋に入って鍵を締めた。
「タロさん?」
私が消えて驚いているようだ。
少し頭を冷やしてから出ていこう。
「帰りますね」
作業場で声がする。
私が何処かにいると確信しいるのだろう。
ドアベルが鳴って、出ていった。
鍵を開けて、小部屋を出る。
片付けを再開する。
「タロさん…」
呟く。
フッと自然に笑みが溢れた。
胸が温かい。
納品すると、追加が入る。
そろそろ次の季節ものを作ろうと思ってたので、それを告げると、そのあとの注文となった。
また終わりが遠くなった。
「ヤるかヤらないは別にして、付き合いませんか?」
「付き合った先は食われるんだろ? 嫌だよ」
生地束を片づける。次の次に作る物の生地を決めた。
切れ間がない。
食われてもいいとは言わない香苗くん。
一度きりはホントらしい。
あの身体を組み敷くのは、気分が良かったな。
「タロさん、デートしたい。健全なデート」
ん? 健全なとな。吹き出してた。
「健全? どんな?」
笑いが止まらまい。
「えーと、映画とか美術館とかショッピング?」
「どれも興味がない」
「タロさんの今の趣味って何?」
カルテを棚に仕舞う。
「茶店巡り。紅茶と適度な騒がしさを探してる」
今は香苗くんとの騒がしさが心地いい。
「お茶しに行きましょう。紅茶の美味しい喫茶店探します」
「この辺りのは、もう殆ど巡ったが」
「被ってもいいじゃないですか。僕とは初めてなんだから」
ーーーそれもそうか。
「分かった」
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