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第3章

第25話 そんなことばかり考えていたから……臣民の窮状に気づかなかったのですよ

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 アルデオレが心の中でウルグに文句を言うも、当の本人は素知らぬ顔で、全員に弁当を手渡していた。さらに車座に座ったオレたちの中心に、ライ麦パンの山盛りバスケットを置く。

 各人に配られた弁当を空けると、野菜炒めとゆで卵が入っていた。

「政商の娘さんと聞いていたが、こんな昼飯で大丈夫か?」

 ウルグにそう問われたティスリは笑顔で頷く。

「ええ、十分です。ランチまでご用意して頂き、ありがとうございます」

 まぁ本来ならぜんぜん十分じゃないんだろうが、これまでの道中で、燻製肉とか瓶詰めとか散々食ってきたからな。適応能力の高いティスリは、庶民の暮らしにもだいぶ慣れたようだ。

 そんなティスリがウルグに聞いた。

「ところでウルグさん、日々の暮らしで何かお困りのことはありませんか?」

 そんなことを聞かれ、ウルグはパンをかじりながら首を傾げる。

「はて、困り事というと?」

「そうですね、例えば……役人が幅を利かせて困っているとか、貴族に理不尽な扱いを受けているとか」

 こんな田舎の村にまで、貴族は元より役人すらも立ち寄ることは滅多にない。だいたいが、ミアんちの親父さんが近隣の街へ行って、税の納付を始めとする様々な手続きを行うから、役人が村にくる必要がないのだ。だがティスリは、手続きなんかの些事までは知らないのだろう。

 でもまぁ、国のトップが村人のことをちゃんと気に掛けてくれるというのはいいことだしな。そもそも、こういう会話が視察本来の目的でもあるわけだし。

 そうしてウルグは「そうさなぁ……」とつぶやき、いっとき虚空を見上げてから答えてきた。

「いまは特にねぇかな」

「そうなんですか? ほんの些細なことでもいいのですが」

「些細なことねぇ……でもオレたちは、お貴族様と直接会うことなんてねぇし……まぁ一昔前までは年貢が重かったから、不作の時は下手すりゃ餓死者も出たけど、今はそんなこともねぇしな」

「が、餓死者?」

 いきなり不穏な言葉が出てきて、ティスリは目を丸くするが、ウルグは笑って話を続けた。

「なぁに、もう昔の話さね。以前は収穫の6割も年貢を納めなくちゃならなかったからなぁ。それで不作になると、オレたちの食事を切り詰める必要があったんじゃよ。翌年の種も確保しなくちゃならないし」

「そ、そうだったんですか……」

「ああ、でも今はそんな心配はなくなったからな。何しろ年貢が3割まで減ったんじゃよ。これで飢えることもなくなったわけじゃ」

「3割……?」

「ああ。だから年貢が半減だなんて助かっとるよ。なんでも、王女様が減らしてくれたそうだよ。それに、王女様がまつりごとに携わるようになってから、この国の景気もいいらしいし。あと天候にも恵まれるようになって、流行病もない。王女様は、もしかしたらやっぱり神様なのかもしれねぇなぁ」

 ティスリの正体を知らないウルグは、暢気にそんなことを言っている。目の前にその神様がいるのだから、正体を知ったら腰を抜かすかもしれないな。まぁ天候や疫病はたまたまだと思うが。

 だからオレは、からかい半分でティスリを見た。

「この国の王女って凄いんだな──って……ティスリ?」

 しかしティスリは、目の前でべた褒めされているというのに、いつもの調子で鼻を鳴らすような感じではなかった。むしろ、なぜか落ち込んでいるように見える。

 オレはいささか心配になってティスリに聞いた。

「どうかしたのか……?」

 するとティスリは、視線を落として、その表情を強張らせつつも答えてくる。

「わたし……この国で、餓死者まで出ていただなんて……知りませんでした……」

「え……?」

 餓死者の話を聞いて、なぜティスリが落ち込むのかよく分からなかった。オレが子供の頃、天候不良などで不作になると、年寄りが死んでしまうことは確かにあった。

 だがそれはやむを得ないことだとオレたちは思っていたし、もちろんそれでティスリを責めるような気持ちはまったくない。

 なにしろそれは、ティスリが幼い頃の話なのだから。

 でもティスリは、それでも気に病んで落ち込んだのかもな。

 王女はやめたと言いながらも、コイツはどこまでも王女気質なんだよなぁ。責任感が強いというかなんというか。

 だからオレは頬を掻きながら言った。

「別に、お前が落ち込む話でもないだろ。まだ幼子の頃の話だし、そもそも、今は年貢が3割になって、村人達も喜んでいるし」

 しかしティスリの相好は崩れない。

「税率を下げたのは、そのほうがむしろ税収があがるから──だと思いますよ、王女の考えは」

「は? 税率を下げたのに税収があがる? どういうことだ?」

 オレを始め、この場にいる全員が首を傾げたので、ティスリは全員に向かって説明する。

「そもそもこの国は、無駄遣いが過ぎたのです。まずそこを削ぐだけで、税率6割だなんて必要ありません。つぎに税率を低く設定すれば、余剰資金が投資や開発に回り、農業も商工業も発展します。そしてこの国は、昔から交通網が発展してましたから、低い税率により外国資本の誘致も期待できたのです。よって税率が低くなったとしても、全体のパイが増えれば、結果的に税収はあがるのですよ。だからわたし──いえ王女は税率を下げたわけで、餓死者救済なんて考えてもいなかった──はずです」

「………………えーと?」

 ぶっちゃけ、説明を聞いてもさっぱり分からないんだが……

 みんなの顔を見ても、ウルグはぽかんとしているし、ユイナスは難しい顔つきで話を聞いていたが、あの表情は単なるブラフで、その実さっぱり理解していないはずだ。

 しかしミアだけが、目を丸くして驚いている感じだから、理解できたのかもしれないな。

 そのミアが唖然とした感じで口を開く。

「す、すごいですね……王女殿下は。そこまで考えていただなんて……」

 しかしティスリは、視線を落としたままつまらなそうに言った。

「むしろ逆でしょう? そんなことばかり考えていたから……臣民の窮状に気づかなかったのですよ」

「けど……結果的にわたしたちは助かってますし」

「結果論に過ぎません。本来ならば、真っ先に対策を立てるべきだったのです。国家とは、臣民なくしては成り立たないのですから」

 う、う~ん……なんだかティスリが珍しくガチで落ち込んでるな。

 だからオレは、自分でもらしくないと思いながら、励ましを試みる。

「まぁいずれにしても、だ。農民が苦しい思いをしてたとき、王女殿下はまだ4~5歳だったわけだから、どうにもできなかったろ? だから仕方がなかったじゃん?」

「……たぶん王女は、4~5歳で、政治学・地政学・経済学・魔法学、その程度の分野はマスターしてたと思いますけどね?」

「………………は、はぁ?」

 ま、まぢかよ?

 オレなんて、いま上がった学問が、なんの勉強をするのかも分からないが?

「と、とにかくだ!」

 だからオレは勢いに任せて断言する。

「いずれにしてもティスリのせいじゃないだろ、いろんな意味で! それに結果的に助かっているならそれでいいじゃんか! あとは今後に活かせばいいだけだ、そうだろ?」

「今後に、ですか……」

 そういうと、なぜかティスリの瞳に、うっすらと怒りが宿る。

 えっと……なんで?

 オレ、怒らせることなんて今はしてないよな……?

 オレがハラハラしていると、ティスリがその怒りの理由を言った。

「確かにそうですね。税率ひとつとっても、今後に活かさなくてはなりません」

「お? もしかして、年貢をもっと値下げしてくれるとか?」

「値下げというよりも……国が定める本来の税率は1割5分です」

「え……?」

 それを聞き、またしても全員がぽかんとする。

 そんなオレたちにティスリが話を続けた。

「だというのに地方貴族たちは、その倍も取り立てているのです。薄々分かっていたことではありましたが……実際に知ると、ため息しか出てきませんね。やはり、現物納税は査察が難しいわけですか……しかしまだ銀行網を行き渡らせるには時間がかかりますし、情報が行き届いていないのも問題ですし、そうなると……」

「おーい、おーいティスリってば」

 一人でブツブツつぶやきながら黙考を始めたティスリに、オレは声を掛けた。するとティスリは、ハッとしたような顔つきになって我に返る。

「す、すみません……ちょっと考え事をしてました……」

 そしてティスリは取り繕うかのように言葉を続ける。

「わたしの知り合いに中央の貴族がいますから、その人に上申しておきましょう。そうすれば、少なくともこの地域一帯の税率は正常になります」

「本当か?」

 驚いて口をポカンと開けるウルグに、ティスリは笑顔を取り戻して答えた。

「ええ、本当ですよ。そうしたら今以上に暮らしやすくなると思います」

「いやぁ……たまげたな。けどお嬢さん、あまり無理するんじゃないぞ? お貴族様に下手に意見を言ったら、とっ捕まるって話じゃろ?」

「ご安心ください。わたしの知る中央貴族の方は、大変に理解のある方ですから」

 まぁ……ティスリのことだから、中央貴族に上申するとかじゃなくて、ティスリ自らが、上前を撥ねている貴族んちに乗り込むだろうなぁ……

 などとかんげていたら、頭の中にティスリの声が響いてくる。魔法か。

(アルデ、やることが出来ました。明日にでも、一度村を出ましょう)

(ああ……だと思ったよ)

 ということでオレは、貴族の屋敷に殴り込む覚悟を決めるのだった。
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