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第1章
番外編1 クルースちゃんの求愛:前編
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ラーフルは、部下であり旧友でもあるクルースの自宅に訪れていた。
クルースは地方貴族の娘だ。我が家・ブルシェンシャフトが治める領地と、クルースのブリュージュ家は隣同士の領土で古くから仲がよかった。近隣領地での揉め事が度々起こるこの国においては珍しい仲だったかもしれない。
さらに、わたしとクルースは同い年で同性だったことから、幼いころから一緒によく遊んでいた。どちらかが男であれば婚姻も結べたのに……と両親が悔やむくらいに仲がよかった。
そんなわけで……クルースが、アルデ・ラーマという犯罪者の毒牙に掛かったと知ってからは、合わせる顔がなくて彼女を見舞うことすら出来ずにいた。
悔やんでも悔やみきれないのは……アルデの事情聴取に彼女を向かわせてしまったことだ。
嫌だやめて行きたくないと泣き叫ぶ彼女をなだめすかし、任務遂行した暁には中央貴族の嫡男を紹介すると説き伏せて、なんとか向かわせたまではよかったが……まさかその場で手籠めにされてしまうとは……!
わたしはそのときすでに王城にはおらず、王女殿下が宿泊する旅館の通信魔具でその一報を知ったわけだが……報告によると、詰所に戻ってきた彼女は憔悴しきっており、アルデの証言を伝えるや否や泣き崩れたという。そのとき、クルースは何事かを泣き叫んでいたようだが、もはやそれは意味のある言葉にはなっていなかったそうだ。
そこまで悲痛な泣き声を上げていたということは……確かめるまでもなかった。いや、確かめるほうが酷な話だろう。つまりはそういうことなのだから。
そしてわたしが殿下を説得して帰ってきてみれば、泣き疲れたクルースは病室で寝入っていた。
その泣きはらした寝顔をわたしは目撃して……クルースが目覚めたとき、どんな言葉を掛けていいのか皆目見当付かずに逃げ出してしまったのだ。
それから数日経ち……王女殿下の捜索に明け暮れている最中ではあったが、わたしは意を決して、まだ床に伏せたままだというクルースを見舞うことにしたのだった。
彼女には……伝えねばならない酷な現実があったから……
* * *
クルースは、寝室のベッドの上でぼぅっとしながら窓の外を眺めていました。
ここ数日の親衛隊はお休みしてしまい、上司であり旧友でもあるラーフルには申し訳ない気持ちでしたが……休暇を快く受理してくれたラーフルに甘えることにしたのです。
何しろわたしは……あの犯罪者であるアルデ・ラーマに深く傷つけられてしまったのですから……
あんな、どこにでもいるような凡庸な平民に……
別に格好良くもなくてむさ苦しいだけの凡人にすら……
わたしには魅力がないと言われたのですから!!
それはもちろん、王女殿下ほどの美貌ではないにしても、わたしだってそこそこ美しいでしょう!?
中央貴族のご令嬢なんて、美貌にも武芸にも秀でたわたしに嫉妬して陰口を叩くほどなのですよ!
そのせいで、中央貴族の男性方には敬遠される始末!!
唯一言い寄ってきたのが、中央貴族の嫡男であるにも関わらず衛士止まりのリゴールでしたが、あんな才能もなければ自慢話しかしない男なんて、中央貴族であったとしても願い下げです!
しかも、しかもです!
わたしがリゴールとの婚姻をお断りするや否や、あの男ときたら、わたしの醜聞をでっち上げて、ないことばかりを触れ回る始末!
なんなのですかあの男は! だから全然モテないのですよ!!
そういった事情から、わたしは見た目も麗しく品行方正だというのに、婚約者の一人も決めることが出来ずに……
二十歳になるまで独り身という屈辱に耐え忍んでいたのです。
唯一の救いなのは、分不相応にも皇女殿下の親衛隊に入れたことでしょうか。これまでなら、力量よりも家柄で選ばれるのが親衛隊の常でしたので、地方貴族のわたしでは親衛隊なんて入れるはずもありませんでした。しかしティアリース殿下の親衛隊は、家柄よりも実力を評価して頂けたのです。
だからこそ、殿下の親衛隊はことさら栄誉な仕事でしたし、その実務に就いているのであれば、忙しさを理由に婚期が多少遅れたとしても言い分けが出来るというもの。
それにラーフルもまだ独り身ですから、そういう意味でもわたしはいささか安堵することが出来ていました。
だというのに……!
つまりわたしが行き遅れているのは、誤解と公務のせいであって、わたし自身の魅力のせいではないはずなのに!
なのにあの男ときたら!
平民の分際でわたしをないがしろにして!!
あの男のことを思い出すと、わたしは嗚咽が込み上げてきました。
だからベッドにうつ伏せになって、枕に顔を押し当てます。
込み上げてくる嗚咽を堰き止めたくて。
そうして肩を震わせることしばし、寝室の扉がノックされたのでした。
* * *
ラーフルがクルースの部屋に案内されると、クルースは泣きはらした顔をこちらに向けてきた。
くっ……まだ心の傷は癒えていないと見える……
それもそうか……平民で犯罪者で、ぼけーっとしたアホ面な男に手籠めにされたのだからな……
わたしは躊躇いつつもクルースに声を掛け、ベッドサイドに腰を掛ける。
「やぁ……クルース。調子はどうだ?」
って! バカかわたしは……!?
調子なんて聞いたら、否が応でもあの男のことを思い出してしまうではないか!
挨拶した直後にわたしは激しく後悔したが、しかしクルースは、思っていたよりも冷静に返事をしてくる。
「ええ……おかげさまで、今はだいぶ落ち着きました。ごめんなさいね、ラーフル。任務を放棄して休んでしまって……」
「そんなこと気にするな。そもそもお前は、犯罪者から情報を引き出すという重大任務をまっとうしたんだ。その対価としての休暇くらい安いものさ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……」
その後、わたしたちの間に気まずい沈黙が訪れていた。
今日わたしがここに来たのは、どうしてもクルースに伝えねばならないことがあったからなのだが……しかしわたしはそれを切り出せずにいた。
まだ精神的なダメージが残っているクルースに、果たして伝えてもいいものかどうか……しかし黙っていても、いずれは分かってしまうことだし、先延ばしにしていては、クルースをさらに傷つけかねないし……
わたしが逡巡していると、クルースのほうから聞いてきた。
「それで、あの犯罪者はどうなったのですか?」
「あ、ああ……そうだな」
そう言えば、クルースには事の顛末をまだ伝えていなかったな。
だからわたしは、本題に入る前に説明を始めた。
「実は……殿下を連れて逃亡した」
「……は?」
クルースの目が丸くなる。
この事実だけでも、わたしたちにとっては衝撃的なことだ。なのでこの反応を見てから、本題を切り出すか否かを決めることにしよう。
わたしがそう考えていると、驚くクルースが言ってきた。
「ど、どういうことですの? まさか殿下が負けたなんてことは──」
「いや、そうではない。攻勢魔法を発現された殿下に勝てる人間などいないし、事実圧勝だった。しかし……事が収まってみたら、決戦の場であった空中庭園はもぬけの殻だったのだ」
「意味が分かりませんわ……殿下が本気を出されたのなら、あんな平民などたやすく仕留められたでしょう?」
「ああ……だがその形跡もない。だから我々と諜報部で調べたところ……殿下はあの男と再び連れ立って、王都を出てしまわれたのだ」
「はい……?」
「つまりその……殿下があの男を許された、と考えるのが妥当だと思う」
「ま、まさかあの男……またもや口八丁で殿下をたぶらかしたのですか!?」
「信じたくはないが……その可能性が高い」
クルースは、信じられないと言わんばかりの顔で瞠目する。
そんなクルースに、わたしは話を続けた。
「そんな事情があって、我々としてはアルデ・ラーマを指名手配にすることも出来ずにいる。もしそんなことをして殿下の不興を買えば……攻め滅ばされるのは、今度はこちらだ」
殿下一人いれば、半要塞と化しているカルヴァン王城と言えどもたやすく攻め落とせる。先日発現された天の火剣一つとっても自明だった。
まさか、人間が単身で発現する魔法にあれほどの威力があるとは……実際に目撃しても未だに信じられない。
だからもちろん王都郊外に国軍を展開させたりすれば、それこそ一瞬で負ける。レーヴァテイン以上に強力な広範囲爆撃用の攻勢魔法が打ち放題なのだから。殿下なら、息一つ切らさずやってのけるだろう。
そんなことに思いを馳せ、わたしはため息をつきながら言った。
「ちなみに殿下たちを追跡していた早馬も巻かれてしまった。馬では追いつけないことから、我々も魔動車を複数台購入したが、未だ殿下発見には至っていない。おそらく、何かしらの魔法で追跡を阻害されているのだろう」
「上層部は、これからどうされるおつもりなのです?」
「アジノス陛下の意向はまだ確認できていないが……リリィ様は、あくまでも殿下には王宮へ戻って頂くおつもりだ」
「まぁ……あの方は、私事も多分に含まれているとは思いますが……」
「そうだな。であったとしても、わたしも同じ意見だ。この国は、殿下の力なくしては成り立たないのだから」
「そうですわよね……いったい、どうしてこんな事になってしまったのか……」
「まったくだ……」
わたしたちは同時にため息をつく。
アジノス陛下が、貴族の肩を持って殿下に失言などされなければ……この国は、ティアリース殿下という天才の庇護の元、この先も長期にわたり繁栄を享受できたというのに……
しかし今さら悔やんだところで後の祭りなのだから、これからの事を考えなくては。
これからのこと──そう、さしあたって今はクルースのことだ。
そのために、わたしはここに来たのだから。
本題の前置きとしては深刻な話になってしまったが、思いのほか、クルースの受け答えはしっかりしている。
泣きはらしていた瞳も幾分和らいだようだし、これならば、いま伝えても大丈夫かもしれない。
そう思って、わたしは意を決して本題を切り出した。
「それでクルース……今日ここに来たのは、見舞いはもちろんなのだが……少々用件があってのことなのだ」
「用件、ですか?」
首を傾げるクルースの顔がまともに見られず……わたしは視線を逸らしてから言った。
「ああ──中央貴族の嫡男を紹介する、といった件なのだが」
「そう言われてみれば、そうでしたわね」
クルースが手を打つ音が聞こえてきた。
わたしが視線を戻すと、クルースは……
クルースは………………
わたしが想像していた以上に………………期待に満ちた瞳になっている。
ま、まずい。
これは………………まずくないか?
「それでラーフル。いったいどなたをご紹介頂けるのでしょう?」
「あ、いや……それなんだが……」
「もちろんご存じでしょうけれども、中央貴族とはいえリゴールとヨリを戻せなどという話は無しですわよ? いったいどれほどに彼がわたしに無礼を働いたのか、あなたも知っておりますわよね?」
「も、もちろんだとも……」
「もうこの際、リゴールでさえなければ大抵のことには目をつぶるつもりですわ。同世代がいいとか、イケメンがいいとか、武芸達者がいいだとかは言いませんわ」
「そ、そうなのか……?」
「そうなのですよ。とはいえ……子作りもできない年齢の殿方はさすがに遠慮したいところではありますが……まさかそのような方ではありませんよね?」
「そ、そんなまさか……」
「ですわよね。であれば……もうこの際、40代くらいの男性でも構わないと思ってますの。見た目も問いません。頭が薄くてもお腹が出ていてもいいんです。ただ、わたしを愛してくれさえすれば……」
「あ……愛は大切だよな?」
「ええ、そうですとも! その点、血気盛んな青年よりも、熟達したおじさまのほうがいいかもしれないとさえ最近は思いますわ。要は男性たるもの、重要なのは度量なのです。器が大きい殿方であればきっと幸せになれるのですから!」
「う、うん。度量は重要だよな……」
「で、誰なのです? わたしに紹介したいという中央貴族の殿方とは」
クルースは、めちゃくちゃに両目を輝かせてわたしを見てくる。
だからわたしは、とてもじゃないが言い出せなくなっていた。
実は──クルースが平民男に手籠めにされたと知れ渡り、すべてのお見合い相手に断られてしまった、などとは。
ど……どうすれば……
いったいどうすればいいというのだ!?
そもそも中央貴族共は了見が狭すぎる! たかが一度や二度の男性経験があるからといってなんだというのだ!? っていうかこの場合、相手が平民男だということが問題なのだが!!
くっ……今は愚痴っている場合ではない……!
い、一体全体、本当にどうすれば……!?
そして。
追い詰められたわたしが取った言動は──
──身も蓋もなくいえば、口から出任せだった。
「じ、じつワな!? 同世代なんだ!」
「えっ……本当ですか!?」
「おじさんじゃないがどうだろう!?」
「もちろんいいに決まってますわ! おいくつなのでしょう!?」
「は、はたちだ!」
「二十歳!? 同い年なんですの!?」
「ああ、そうだ!」
「……はて? 同い年の中央貴族の殿方なんて、まだいたかしら……?」
いきなり嘘がばれそうになり、わたしは話を畳みかける……!
「い、いたんだよ! 晩餐会などには滅多に出席されない人なのだが、いるんだよ!」
「そうでしたの! で、どちらのおうちなのでしょう!?」
「そ、それは内緒だ!」
「内緒……? それはまた、どうして……?」
まだ設定がぜんぜん作り込めていないから、とはもちろん言えず、わたしは滝汗になりながらも捲し立てた!
「その方はとてもシャイな殿方なんだ! だからクルースがお見合いを了承してくれるまでは家名を名乗れないと言っている! あ、でも勘違いしないでくれ! シャイといっても大変にお優しくて、誰にでも親切で、花を愛でて歌を嗜む、そんなお人柄というだけなんだ!!」
「まぁ! まるで吟遊詩人の物語に出てくる殿方のようですわね!」
「そ、そうなんだ!」
「であればもちろん、お見合いをお受け致しますわ!」
「よしきた! では近日中にセッティングするからもう少し待っていてくれ!!」
そう言い切ると、わたしはガバッと立ち上がる。
そこへ──まるで追い打ちでも掛けてくるかのようにクルースが言ってきた。
双眸を爛々と輝かせて。
「お待ちしておりますわ! ぜひともよろしくお願い致しますですわ!!」
「む、無二の親友のためだ! 任せておけ!!」
わたしは力強く頷くと、寝室から逃げるように掛けだした!
あ、ああ……
どうすれば……!?
本当にどうすればいいというのだ!?
わたしがこんな窮状に追い込まれているのも、クルースがことごとくお見合いに断られたのも、ぜんぶあのアルデ・ラーマが悪いというのに!!
わたしは全速力でクルースの屋敷から逃げ出しながら、泣き叫びたい衝動に駆られるのだった……!
(第2章の番外編につづく(^^;)
クルースは地方貴族の娘だ。我が家・ブルシェンシャフトが治める領地と、クルースのブリュージュ家は隣同士の領土で古くから仲がよかった。近隣領地での揉め事が度々起こるこの国においては珍しい仲だったかもしれない。
さらに、わたしとクルースは同い年で同性だったことから、幼いころから一緒によく遊んでいた。どちらかが男であれば婚姻も結べたのに……と両親が悔やむくらいに仲がよかった。
そんなわけで……クルースが、アルデ・ラーマという犯罪者の毒牙に掛かったと知ってからは、合わせる顔がなくて彼女を見舞うことすら出来ずにいた。
悔やんでも悔やみきれないのは……アルデの事情聴取に彼女を向かわせてしまったことだ。
嫌だやめて行きたくないと泣き叫ぶ彼女をなだめすかし、任務遂行した暁には中央貴族の嫡男を紹介すると説き伏せて、なんとか向かわせたまではよかったが……まさかその場で手籠めにされてしまうとは……!
わたしはそのときすでに王城にはおらず、王女殿下が宿泊する旅館の通信魔具でその一報を知ったわけだが……報告によると、詰所に戻ってきた彼女は憔悴しきっており、アルデの証言を伝えるや否や泣き崩れたという。そのとき、クルースは何事かを泣き叫んでいたようだが、もはやそれは意味のある言葉にはなっていなかったそうだ。
そこまで悲痛な泣き声を上げていたということは……確かめるまでもなかった。いや、確かめるほうが酷な話だろう。つまりはそういうことなのだから。
そしてわたしが殿下を説得して帰ってきてみれば、泣き疲れたクルースは病室で寝入っていた。
その泣きはらした寝顔をわたしは目撃して……クルースが目覚めたとき、どんな言葉を掛けていいのか皆目見当付かずに逃げ出してしまったのだ。
それから数日経ち……王女殿下の捜索に明け暮れている最中ではあったが、わたしは意を決して、まだ床に伏せたままだというクルースを見舞うことにしたのだった。
彼女には……伝えねばならない酷な現実があったから……
* * *
クルースは、寝室のベッドの上でぼぅっとしながら窓の外を眺めていました。
ここ数日の親衛隊はお休みしてしまい、上司であり旧友でもあるラーフルには申し訳ない気持ちでしたが……休暇を快く受理してくれたラーフルに甘えることにしたのです。
何しろわたしは……あの犯罪者であるアルデ・ラーマに深く傷つけられてしまったのですから……
あんな、どこにでもいるような凡庸な平民に……
別に格好良くもなくてむさ苦しいだけの凡人にすら……
わたしには魅力がないと言われたのですから!!
それはもちろん、王女殿下ほどの美貌ではないにしても、わたしだってそこそこ美しいでしょう!?
中央貴族のご令嬢なんて、美貌にも武芸にも秀でたわたしに嫉妬して陰口を叩くほどなのですよ!
そのせいで、中央貴族の男性方には敬遠される始末!!
唯一言い寄ってきたのが、中央貴族の嫡男であるにも関わらず衛士止まりのリゴールでしたが、あんな才能もなければ自慢話しかしない男なんて、中央貴族であったとしても願い下げです!
しかも、しかもです!
わたしがリゴールとの婚姻をお断りするや否や、あの男ときたら、わたしの醜聞をでっち上げて、ないことばかりを触れ回る始末!
なんなのですかあの男は! だから全然モテないのですよ!!
そういった事情から、わたしは見た目も麗しく品行方正だというのに、婚約者の一人も決めることが出来ずに……
二十歳になるまで独り身という屈辱に耐え忍んでいたのです。
唯一の救いなのは、分不相応にも皇女殿下の親衛隊に入れたことでしょうか。これまでなら、力量よりも家柄で選ばれるのが親衛隊の常でしたので、地方貴族のわたしでは親衛隊なんて入れるはずもありませんでした。しかしティアリース殿下の親衛隊は、家柄よりも実力を評価して頂けたのです。
だからこそ、殿下の親衛隊はことさら栄誉な仕事でしたし、その実務に就いているのであれば、忙しさを理由に婚期が多少遅れたとしても言い分けが出来るというもの。
それにラーフルもまだ独り身ですから、そういう意味でもわたしはいささか安堵することが出来ていました。
だというのに……!
つまりわたしが行き遅れているのは、誤解と公務のせいであって、わたし自身の魅力のせいではないはずなのに!
なのにあの男ときたら!
平民の分際でわたしをないがしろにして!!
あの男のことを思い出すと、わたしは嗚咽が込み上げてきました。
だからベッドにうつ伏せになって、枕に顔を押し当てます。
込み上げてくる嗚咽を堰き止めたくて。
そうして肩を震わせることしばし、寝室の扉がノックされたのでした。
* * *
ラーフルがクルースの部屋に案内されると、クルースは泣きはらした顔をこちらに向けてきた。
くっ……まだ心の傷は癒えていないと見える……
それもそうか……平民で犯罪者で、ぼけーっとしたアホ面な男に手籠めにされたのだからな……
わたしは躊躇いつつもクルースに声を掛け、ベッドサイドに腰を掛ける。
「やぁ……クルース。調子はどうだ?」
って! バカかわたしは……!?
調子なんて聞いたら、否が応でもあの男のことを思い出してしまうではないか!
挨拶した直後にわたしは激しく後悔したが、しかしクルースは、思っていたよりも冷静に返事をしてくる。
「ええ……おかげさまで、今はだいぶ落ち着きました。ごめんなさいね、ラーフル。任務を放棄して休んでしまって……」
「そんなこと気にするな。そもそもお前は、犯罪者から情報を引き出すという重大任務をまっとうしたんだ。その対価としての休暇くらい安いものさ」
「そう言ってくれるのは嬉しいけれど……」
その後、わたしたちの間に気まずい沈黙が訪れていた。
今日わたしがここに来たのは、どうしてもクルースに伝えねばならないことがあったからなのだが……しかしわたしはそれを切り出せずにいた。
まだ精神的なダメージが残っているクルースに、果たして伝えてもいいものかどうか……しかし黙っていても、いずれは分かってしまうことだし、先延ばしにしていては、クルースをさらに傷つけかねないし……
わたしが逡巡していると、クルースのほうから聞いてきた。
「それで、あの犯罪者はどうなったのですか?」
「あ、ああ……そうだな」
そう言えば、クルースには事の顛末をまだ伝えていなかったな。
だからわたしは、本題に入る前に説明を始めた。
「実は……殿下を連れて逃亡した」
「……は?」
クルースの目が丸くなる。
この事実だけでも、わたしたちにとっては衝撃的なことだ。なのでこの反応を見てから、本題を切り出すか否かを決めることにしよう。
わたしがそう考えていると、驚くクルースが言ってきた。
「ど、どういうことですの? まさか殿下が負けたなんてことは──」
「いや、そうではない。攻勢魔法を発現された殿下に勝てる人間などいないし、事実圧勝だった。しかし……事が収まってみたら、決戦の場であった空中庭園はもぬけの殻だったのだ」
「意味が分かりませんわ……殿下が本気を出されたのなら、あんな平民などたやすく仕留められたでしょう?」
「ああ……だがその形跡もない。だから我々と諜報部で調べたところ……殿下はあの男と再び連れ立って、王都を出てしまわれたのだ」
「はい……?」
「つまりその……殿下があの男を許された、と考えるのが妥当だと思う」
「ま、まさかあの男……またもや口八丁で殿下をたぶらかしたのですか!?」
「信じたくはないが……その可能性が高い」
クルースは、信じられないと言わんばかりの顔で瞠目する。
そんなクルースに、わたしは話を続けた。
「そんな事情があって、我々としてはアルデ・ラーマを指名手配にすることも出来ずにいる。もしそんなことをして殿下の不興を買えば……攻め滅ばされるのは、今度はこちらだ」
殿下一人いれば、半要塞と化しているカルヴァン王城と言えどもたやすく攻め落とせる。先日発現された天の火剣一つとっても自明だった。
まさか、人間が単身で発現する魔法にあれほどの威力があるとは……実際に目撃しても未だに信じられない。
だからもちろん王都郊外に国軍を展開させたりすれば、それこそ一瞬で負ける。レーヴァテイン以上に強力な広範囲爆撃用の攻勢魔法が打ち放題なのだから。殿下なら、息一つ切らさずやってのけるだろう。
そんなことに思いを馳せ、わたしはため息をつきながら言った。
「ちなみに殿下たちを追跡していた早馬も巻かれてしまった。馬では追いつけないことから、我々も魔動車を複数台購入したが、未だ殿下発見には至っていない。おそらく、何かしらの魔法で追跡を阻害されているのだろう」
「上層部は、これからどうされるおつもりなのです?」
「アジノス陛下の意向はまだ確認できていないが……リリィ様は、あくまでも殿下には王宮へ戻って頂くおつもりだ」
「まぁ……あの方は、私事も多分に含まれているとは思いますが……」
「そうだな。であったとしても、わたしも同じ意見だ。この国は、殿下の力なくしては成り立たないのだから」
「そうですわよね……いったい、どうしてこんな事になってしまったのか……」
「まったくだ……」
わたしたちは同時にため息をつく。
アジノス陛下が、貴族の肩を持って殿下に失言などされなければ……この国は、ティアリース殿下という天才の庇護の元、この先も長期にわたり繁栄を享受できたというのに……
しかし今さら悔やんだところで後の祭りなのだから、これからの事を考えなくては。
これからのこと──そう、さしあたって今はクルースのことだ。
そのために、わたしはここに来たのだから。
本題の前置きとしては深刻な話になってしまったが、思いのほか、クルースの受け答えはしっかりしている。
泣きはらしていた瞳も幾分和らいだようだし、これならば、いま伝えても大丈夫かもしれない。
そう思って、わたしは意を決して本題を切り出した。
「それでクルース……今日ここに来たのは、見舞いはもちろんなのだが……少々用件があってのことなのだ」
「用件、ですか?」
首を傾げるクルースの顔がまともに見られず……わたしは視線を逸らしてから言った。
「ああ──中央貴族の嫡男を紹介する、といった件なのだが」
「そう言われてみれば、そうでしたわね」
クルースが手を打つ音が聞こえてきた。
わたしが視線を戻すと、クルースは……
クルースは………………
わたしが想像していた以上に………………期待に満ちた瞳になっている。
ま、まずい。
これは………………まずくないか?
「それでラーフル。いったいどなたをご紹介頂けるのでしょう?」
「あ、いや……それなんだが……」
「もちろんご存じでしょうけれども、中央貴族とはいえリゴールとヨリを戻せなどという話は無しですわよ? いったいどれほどに彼がわたしに無礼を働いたのか、あなたも知っておりますわよね?」
「も、もちろんだとも……」
「もうこの際、リゴールでさえなければ大抵のことには目をつぶるつもりですわ。同世代がいいとか、イケメンがいいとか、武芸達者がいいだとかは言いませんわ」
「そ、そうなのか……?」
「そうなのですよ。とはいえ……子作りもできない年齢の殿方はさすがに遠慮したいところではありますが……まさかそのような方ではありませんよね?」
「そ、そんなまさか……」
「ですわよね。であれば……もうこの際、40代くらいの男性でも構わないと思ってますの。見た目も問いません。頭が薄くてもお腹が出ていてもいいんです。ただ、わたしを愛してくれさえすれば……」
「あ……愛は大切だよな?」
「ええ、そうですとも! その点、血気盛んな青年よりも、熟達したおじさまのほうがいいかもしれないとさえ最近は思いますわ。要は男性たるもの、重要なのは度量なのです。器が大きい殿方であればきっと幸せになれるのですから!」
「う、うん。度量は重要だよな……」
「で、誰なのです? わたしに紹介したいという中央貴族の殿方とは」
クルースは、めちゃくちゃに両目を輝かせてわたしを見てくる。
だからわたしは、とてもじゃないが言い出せなくなっていた。
実は──クルースが平民男に手籠めにされたと知れ渡り、すべてのお見合い相手に断られてしまった、などとは。
ど……どうすれば……
いったいどうすればいいというのだ!?
そもそも中央貴族共は了見が狭すぎる! たかが一度や二度の男性経験があるからといってなんだというのだ!? っていうかこの場合、相手が平民男だということが問題なのだが!!
くっ……今は愚痴っている場合ではない……!
い、一体全体、本当にどうすれば……!?
そして。
追い詰められたわたしが取った言動は──
──身も蓋もなくいえば、口から出任せだった。
「じ、じつワな!? 同世代なんだ!」
「えっ……本当ですか!?」
「おじさんじゃないがどうだろう!?」
「もちろんいいに決まってますわ! おいくつなのでしょう!?」
「は、はたちだ!」
「二十歳!? 同い年なんですの!?」
「ああ、そうだ!」
「……はて? 同い年の中央貴族の殿方なんて、まだいたかしら……?」
いきなり嘘がばれそうになり、わたしは話を畳みかける……!
「い、いたんだよ! 晩餐会などには滅多に出席されない人なのだが、いるんだよ!」
「そうでしたの! で、どちらのおうちなのでしょう!?」
「そ、それは内緒だ!」
「内緒……? それはまた、どうして……?」
まだ設定がぜんぜん作り込めていないから、とはもちろん言えず、わたしは滝汗になりながらも捲し立てた!
「その方はとてもシャイな殿方なんだ! だからクルースがお見合いを了承してくれるまでは家名を名乗れないと言っている! あ、でも勘違いしないでくれ! シャイといっても大変にお優しくて、誰にでも親切で、花を愛でて歌を嗜む、そんなお人柄というだけなんだ!!」
「まぁ! まるで吟遊詩人の物語に出てくる殿方のようですわね!」
「そ、そうなんだ!」
「であればもちろん、お見合いをお受け致しますわ!」
「よしきた! では近日中にセッティングするからもう少し待っていてくれ!!」
そう言い切ると、わたしはガバッと立ち上がる。
そこへ──まるで追い打ちでも掛けてくるかのようにクルースが言ってきた。
双眸を爛々と輝かせて。
「お待ちしておりますわ! ぜひともよろしくお願い致しますですわ!!」
「む、無二の親友のためだ! 任せておけ!!」
わたしは力強く頷くと、寝室から逃げるように掛けだした!
あ、ああ……
どうすれば……!?
本当にどうすればいいというのだ!?
わたしがこんな窮状に追い込まれているのも、クルースがことごとくお見合いに断られたのも、ぜんぶあのアルデ・ラーマが悪いというのに!!
わたしは全速力でクルースの屋敷から逃げ出しながら、泣き叫びたい衝動に駆られるのだった……!
(第2章の番外編につづく(^^;)
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これは事務仕事が大好きな余りそのチートスキルで無自覚に無双するユーリと、彼が生み出した最強の家族が世界を「書き換えて」いく物語。
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