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第1章

第18話 ぶくぶくぶく………………

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「ふぅ……いい気持ち……」

 ティスリわたしは湯船に浸かると、思わず吐息をついていました。

 春の夜はまだ肌寒いので、露天風呂を楽しむにはちょうどいいのですけれど、一糸まとわぬ姿で屋外に出るというのはやはり抵抗がありますね……

 アルデの言う通り、東の国の人達は衣服をよく脱ぐのでしょうか? この旅館で用意されている浴衣という部屋着も、すぐ脱げるような構造ですし……

 なのでわたしは、バスタオルを体にぴっちり巻いて湯船に浸かっています。本当はマナー違反なのですが、この露天風呂はわたしたちしか使いませんし、アルデがこっそり覗いている可能性も捨てきれませんからね。あれだけ念を押したから大丈夫だとは思いますが……

 さらに、この露天風呂を取り囲むように警報魔法を展開していて、ちょっとでもアルデが温泉に近づこうものなら、警報がわたしの聴覚だけに届くようになっています。だから如何にこっそり侵入しようともお見通しというわけです。

 っていうか……よくよく考えてみれば……

「アルデと同じ部屋になる必要、なかったんじゃないかしら……?」

 わたしはふとつぶやいていました。

 部屋を分けるとかフロアを分けるとか、あるいは宿屋そのものを分けるとかしてもよかったと、今さらながらに気づきます。

 守護の指輪があるとはいえ、殺気を消せるほどの戦士や刺客であれば、手足を拘束したり、魔法で眠らせるくらいは可能です。

 まぁ、あの単細胞なアルデに、そんな芸当ができるとも思えませんが……とはいえ下心的な感情は感知しませんし……

 もちろん、攻勢魔法や弓矢を放たれるなどされれば話は別ですし、あとは異性が許可なく衣服を脱がしたらボンッとなるのは本当なのですが、そもそも今のわたしは衣服を着てませんし……

 そんなことを考えていると、ただでさえ、屋外で裸体を晒すという心許なさなのに、ますます不安になってきました。

 わたしは素肌を少しでも隠したくて、口元まで湯に浸かり、息で湯船を泡立てます。

 ぶくぶく……

 ぶくぶくぶく………………

 ぶくぶくぶくぶく…………………………

 警報のなる気配はありません、微塵も。

 あ、あの男……!

 わたしほどの超絶美少女が、すぐ隣で裸体を晒しているというのに、下心が一つもないとはどういう了見なのでしょうか……!?

 い、いえ……きっと、違いますよね?

 違うに決まってます……!

 どうせ今頃は、リビングのタタミで七転八倒しているに違いありません……!

 わたしはアルデに散々脅しを掛けておきましたから、わたしの裸を見たい下心と、コロされる恐怖との板挟みで苦しんでいることでしょう!

 ふふっ……可哀想なアルデ。

 魔動車運転の練習で絡んできたことは一生忘れませんからね? いい気味です。

 そうなると、アルデが苦しんでいる様子をぜひとも見てみたいものですね……さりとて露天風呂はもうちょっと楽しみたいですし……

 となると、あの手しかありませんか。

 わたしが開発した中でも、一二を争うほどに危険な魔法を使うしか。

 これを開発したことが公になったなら、王女だったわたしとて、王侯貴族はもとより臣民にまで後ろ指をさされ、その汚点は歴史に刻まれるであろうほどの禁忌魔法。

 だからわたしは、生命の危機や国家存亡に関わる事態でもなければ、絶対に使わないと誓ったのですが……

 まぁ……アルデになら別に構いませんね。

 なにしろアルデですし?

 そうしてわたしは、わざと長くした呪文を淡々と唱え始めました。

 っていうかのぼせてきたので、湯船からは出て、岩をくり抜いて作られたベンチに腰掛けながら呪文を詠唱し続けます。

 そうしてついに、禁忌の呪文は完成しました……!

監視マーニャ!」

 するとわたしの視界だけに、脱衣所の様子が映し出されました!

 禁忌の魔法とは監視魔法──わたしを中心にして、半径数百キロに及ぶ範囲に視界を広げる魔法なのです……!

 しかも建物の中であろうが、地下であろうがお構いなしに見ることが可能!

 わたしが『見たい』と思った場所へと視点が飛んでいき、どんな場所でもわずか数秒で映し出してくれるという非常識極まる魔法なのです。

 もしわたしがこんな魔法を開発して、しかもいつでも発現できるなどと他人に知れ渡ったなら、例え使っていなくてもプライバシー侵害で訴えられまくること請け合いです。今のわたしは王女ではないのですからなおさらでしょう。

 もちろんわたしだって、他人の秘密を覗き見たくて開発したのではありません。国家が危機に瀕したときの、敵情視察のために開発したのです。

 ですが超天才であるわたしの外交手腕により、この魔法を使う出番はなかったわけですが。まさか、アルデなどという平民のプライバシーを覗き見るために使うことになろうとは……

 まぁいいですよね、アルデですし?

 それに一緒の部屋にいるわけですから、別にプライバシーというほどの事でもないでしょうし。

 そうしてわたしは、いよいよ『視点』をリビングに移しました。

 すると──

「……!?」

 ──わたしは思わず瞠目します。

 アルデは、タタミの上でのた打ち回り、苦悶の表情を浮かべて獣が威嚇するかのように唸っている──のではなく。

 庭側のソファに腰掛けて、暢気に茶などすすっていました。

 それはもう、至福と言わんばかりの表情を浮かべて、うっとりと、大変にリラックスした感じで。

 余生を過ごすおじいちゃんにでもなったかのように、いっぷくしていました。

「あ、あの男……!」

 アタマ、どうにかなってるんじゃないですかね!?

 これほどの美少女が、壁わずか数枚を隔ててお風呂に入っているんですよ!?

 覗かないまでもちょっとはドキドキして、顔を茹でタコのようにするのがお約束というものでしょう!?

 少なくともわたしが読んだ書物にはそう記されていました!

 だというのに、あの男ときたら……!

 まるで悟りでも開いたかのような顔つきで呆けるばかり……!!

「な……なるほど……分かりました……分かりましたよ……?」

 わたしは監視魔法を切ると、引きつる口元をなんとか抑えてつぶやきます。

「あの男は……精力というものが、もうないのですね……」

 とある侍女に聞いた話によると、若い男性は精力というものを持て余していて、隙あらば女性を獣のように襲ってくる、だから気をつけるようにとのことでしたが、あの男は例外のようです。

「で、であるならば……わたしの裸に関心ないのも納得です……」

 あるいは別の侍女から聞いた話では、男性を好きな男性もいるそうですから、だったらなおさら、超絶美少女のわたしに興味が持てないのも頷けるというものです。

 それにアルデが枯れていたり同性愛者であるならば、わたしの貞操は絶対安全ですから好都合というものです!

「どちらにしろ、わたしには関係ありませんしね!」

 そう結論付けるとわたしは手早く汗を流して浴衣に着替え、帯をキュッと締めるとリビングへと戻りました。

 すると、監視魔法で確認した状態のままでアルデが声を掛けてきました。

「よぉ。意外と早かったがもういいのか?」

「ええ、いい湯加減でした!」

「そうか。ってかまた妙な民族衣装を着ているなぁ」

「これも東の国の服で部屋着だそうです!」

「へぇ、そうなのか。このフォーマル服と違ってラクでよさげだな」

「そうですね!!」

「…………な、なぁ……なんでそんなに怒ってんの?」

「別に怒ってなどいませんが!?」

「さ、さいですか……ところで、オレも風呂入っていいか?」

「どうぞご勝手に!!」

 なぜかアルデは肩をすくめて、そそくさと露天風呂へ行きました。

 まったく……このわたしが怒っているだなんて、アルデも妙なことをいいますね。

 きっとアレです、のぼせてしまったのでちょっとアタマに血が回っているだけです。その興奮が怒りに見えたのでしょう。

 まったくアルデは人の感情というものが分かっていませんね!

 などと考えていたら、唐突に、わたしの耳元に警報が鳴り響きました。

「……えっ!?」

 さきほどバスルームに仕掛けた警報魔法です。

 解除するのを忘れていましたが、どうして今ごろ警報が……!?

 わたしは脱衣所に走ると、その扉を叩きました。

「アルデ? アルデ……! 中で何が起こっているのですか!?」

 しかしアルデは返事をしてきません。

「開けますよ? いいですね!」

 そうしてわたしは扉を開けますが、脱衣所にアルデの姿はありません。

 わたしは胸騒ぎを感じて、脱衣所も駆け抜けると露天風呂の扉を勢いよく開けました。

「アルデ! いるのですか!?」

「え?」

 すると……

 アルデは……

 振り返ったのですがその場所は……

 露天風呂の手すりの上に立っていたのです、なぜか。

 しかも、その……全裸で。

「お、おまっ……!?」

 一糸まとわぬ姿のアルデは、自分の腰あたりを両手で隠しました。

「マッパでアレを風に当てながら、貴族街を見下ろすのも乙なものだと思っていたのに気分台無しじゃねーか!?」

「気分台無しなのはわたしのほうですよ!?!?」

 当然わたしは目を伏せて、無詠唱で気塊魔法をアルデに放ちます!

 「げふぅ!」というアルデの呻き声を聞きながら……わたしは理解しました。

 警報がなったのは……わたしが設定した範囲からアルデが出たからだったと。手すりに登ったことによって。

「まったく……なんなのですかあなたは……!」

「…覗いたのは……お前だろ……なんでオレが……」

「知りませんよまったく!!」

 そう言ってから、わたしは露天風呂の扉をピシャリと締めたのでした……
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