鏡の守り人

雨替流

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第四十八話 天竜の兵所

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 船着き場まで急ぎ行けば、船師たちは約束通り小屋で待機していた。手際よく荷物を積めば早々に川を下り始めたのである。

「いつに増して流れが速いな……おぉっと! これは気が抜けねえな……」
「水が引っ張られておるのか?」
「どうなんでしょうかね、何せ経験がねえので……およっと!」

 あれ程の快晴から一変して大粒の雨が降り出したのは地震の影響に違いない、天変地異とはそう言うものと聞いている。荷箱より蓑を取り出せば濡れ冷えしないように羽織ったところであった。

 それにしても、先ほどからすずが無口なのは、急流を下る船に恐怖を感じているからに他ならない。目は見開き正面だけを凝視し、縁を掴む手には必要以上の力が入っていた。

「むむむ!」
「その様子だと、辿り着く前に疲れてしまぞ」
「だどもっ! うくくくっ! 此処で落ちたらあの世行きだでっ!」
「……苦労するな……」
「じっ! 人生に苦労はつきものだでっ! お! おとうが言ってただっ!」

ダッパァン……

「だぁぁっ!」

 衝撃と共に船首が跳ね上がれば、すずの小さな身体はいとも簡単に宙へと浮いたのであった。小平太が帯を掴めば難を逃れたが、再び差し迫る脅威に構えていた。

 やがて中流域まで来ればゆとりである、今度は優雅に周囲の景色を楽しみ、懐を漁れば竹筒の水と握り飯を取り出し満面の笑みを見せていた。

「頑張ったら、腹が減っただよ」
「そうだな、皆も今のうちに腹ごしらえを」
「承知」
「此処を越えれば、兵所はまもなくでさ」
「苦労を掛けたな」
「対価を頂いてますよって」

 一方、天竜の兵所では混乱を極めようとしていた。槍を捨て全力で走り来る兵士を櫓より観察していた市成は、下で待機する高岡甚五郎に口早に報告していた。

「報告します!」
「申せ」
「我が兵が数十名、急ぎこちらに走り戻って参ります!」
「何事だ?」
「解りませぬが皆、槍を捨て全力で走っている様子に!」

「槍を捨ててだと?」
「いかにも」
「どういう事だ、またしても大波か!」
「大波は見えませぬが……何か必死に叫んでおります」

 甚五郎は疑問を抱いていた、二年ほど前の戦では誰一人怯む事無く、勇猛果敢に戦い抜いた兵たちが、大事な槍を捨ててまで走り逃げる事など考え難いのだ。

「何から逃げている!」
「此処からではまだ何も!」
「逐一報告致せ!」
「はっ!」

「左衛門!」
「はっ!」
「残りの兵を集め有事に備えよ! 弓兵は至急配置に!」
「はっ!」

 甚五郎は急ぎ警戒態勢を取らせた。今は未だ何事が起きているのか把握できていないのだが、ただ事に無い事は明白である。大地震と大波による被害の実態が明らかでない状況の中で、新たなる脅威が発生したとなれば事は深刻を極めよう。

「高岡様! 見えてまいりました! ……が……な、なんだあれは……」
「どうした! 何が見える!」
「味方同士が交戦しております!」
「何だと!」
「間違いございません! が、追手となる味方の動きが不自然に!」

「不自然とはなんだ! 解る様に申せ!」
「動きが! 人に非ず!」
「どういう事だ!」
「追手となる味方は人にございませぬ! 凄まじい速さで三人が一度に!」
「何だと……人ではないなら何なんだ!」
「お待ちを! 先頭を走り来る者が直ちに開門しろと叫んでおります!」

 甚五郎は少し躊躇うも直ちに開門を命じた。

「市成! 追手までの距離は!」
「およそ三町!」
「十間まで近づいたら閉門の合図を!」
「はっ!」

 怒涛の如く足音と共に血相を変えた兵たちが一気に兵所内へと流れ込めば、甚五郎は今は未だ少し遠くの脅威を見定めようとしていた。

「閉門!」
「閉門しろ! 弓兵! 味方の援護を始めい!」

 当然間に合わずに締め出された者も多いが、状況を考えれば仕方も無い。弓の援護を受け体制を整えれば、敗走から一転し戦い始めたのである。

 味方の豹変ぶりに甚五郎は唖然としていたが、間もなく気を取り直せば事情を聞いていた。

「あれなるは、一体何事か」
「はぁ、はぁ……はぁ、はぁ……元は味方なれど……あ、妖にございます……」

 仁三郎が息を切らしながらそう応えれば甚五郎は門外の妖たちを見ていた。

「何故妖などになったのだ?」

 己の見たままを報告すれば甚五郎は目の前で繰り広げられている信じ難い光景とその話を頭の中で整理していた。

「死した者も妖となるのか……」
「いかにも」

 百五十名の兵の中で戻ったのは三十四名である、今も門の外では二十名が戦っているのだが時間の問題であろう。ならば百十六もの妖が出来てしまう事となるのだ。

「急所を狙っても死なぬ妖か……どうやって戦えと言うのか……」
「奴ら、生前を遥かに上回る体術を得てございます」
「厄介な……」

 間もなく伝令が走りくれば、北の櫓よりの報告であった。打開策は無くても新たな報告が入るのだからやりきれない気持ちともなる。甚五郎は半ばうんざりとした表情を見せると同時に深いため息をついていた。

「報告致します」
「申せ」
「北の櫓より、船場に五艘、接岸と報告がございました」
「船場に……しまった! 信濃の一行か!」

 突然の大混乱にすっかり忘れていたのだが、この日は信濃は鏡の社より視察の一行が来る予定であったのだ。

「このような時に面倒が重なるとは……何たる不運……」
「如何致しましょう」
「此処へ来てもらう訳にはいくまい」

 甚五郎は困った様子で外の妖共を指さしていた。

「忠明、急ぎ行き、ありのままに事情を説明し、直ちに此処を離れるよう伝えてくれ、一行の名は鏡の社と言う、くれぐれも無礼無きよう頼む」

「はっ!」
「……さて、こっちをどうするかだな……定次、早馬を出してくれ」
「はっ!」
「事情を説明し援軍を、敵……いや、妖の数百十六。何れも死なぬ敵とな」
「はっ! 直ちに!」
「頼む」
「総員、武具を着けい! 戦以上の戦だ!」
「おぉ!」
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