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 月の見えない深夜、唐突に現れたその来訪者の姿にエレノアは見覚えがあった。

「魔神の部下の……」

 エレノアが頭の中にある『リスティ・ワールド』の知識を掘り起こしてみれば、作中このような姿の悪魔が度々登場していた覚えがあった。
 ゲーム終盤復活した魔神の使いとして、各地の魔物に伝令を飛ばす端役の存在だ。

 果たしてそんなエレノアの予想は正しかったのか、悪魔は満足げに深く頷いた。

「ほう! よくぞ我が魔神様の右腕、大悪魔キリゴールだと見抜きおったな。人間共の歴史の中でも、この勇壮にして邪悪な姿はしかと伝えられているようだ!」

 悪魔は何やら誤解して喜んでいる。
 エレノアはこの悪魔の名前など知らない。
 『ゲーム』の中では名も無い、その他大勢のモブの一人である。

「それでその大悪魔様が何の御用でしょう?」

 しかしそこを突っ込むのも野暮だろう。
 エレノアは何だか目の前の悪魔が気の毒な心持ちになり、そのまま話を進めた。

 悪魔はすぐに居住まいを正すと、咳を一つ。
 そうしてまた尊大な声を取り戻した後に本題を口にした。

「光栄に思うが良い、人間にしては叡才なる娘よ。貴様の行いは魔神様の御目に留まったのだ!」
「はぁ……」

 配下であるこの悪魔がそのように述べるという事は、魔神は既に復活しているという事。
 そちらの事実に気が行ったエレノアは気の無い返事をするのがやっとだった。

 よくよく考えて見れば当然の事ではある。
 『ゲーム』の中で魔神が人間に戦線布告をするのが今年の夏の終わりの辺り。
 ならば時系列的には既に復活しており、戦の準備をしている期間があってもおかしくは無い。

「そうは言われても、私に心当たりなどありませんが?」

 悪魔は「良い話がある」と言ってきた。
 それはつまり何かしらの取引をしたいという事だ。
 だがこれがエレノアには合点がいかなかった。

 こちらは魔神になど用は無いし、それはあちら側も同じである筈だ。
 魔神が人間の小娘一人に何を願うというのか。
 エレノアに出来る事と言えば作物を実らせる事ぐらいだが、魔物たちにそれが必要だとも思えない。
 勝手に人を襲って喰えば良いだけなのだから。

 そんな疑問をぶつけてみると、悪魔は訳知り顔で笑った。

「クククッ、願いが無いだと? 嘘を言うな。貴様は魔界の汚泥のように黒く重い願いを抱えている。そしてそれは我らの目的と釣り合うものの筈だ!」

 悪魔は自信たっぷりに翼を広げる。
 しかしそうは言われてもやはりエレノアに心当たりなど無い。

「……やはり何か思い違いでもなさってるのでは無いでしょうか?」
「隠すな、と言っている!」

 悪魔は再度大きく翼を広げた。

「魔神様の闇よりも深い智謀の瞳の前には! 人間の欲望の灯など容易く見破られるものなのだッ!」
「そうは言われましても……」
「ならばその闇の灯、このキリゴールがここで明らかにしてやろう! 得体の知れない術で呼び出した大量の食物、そしてそれを喰わせた人間たちによる大量の『レベルアップ』、そして村の分不相応な要塞化……。これらの事象から導き出される答えは明らかである!」

 そしてにやり、と悪魔は決め顔でこう口にした。

「貴様は王国に反旗を翻し、恨みを晴らす腹積もりだろう? 魔神様のご慧眼は全てお見通しであるぞ?」

 ――わあ、節穴!

 エレノアはそう叫びたいのをぐっと堪え、貴族的な笑みを張り付けた。

「やはり思い違いをなさっているようですわね。私の望みは日々の平穏、ただそれだけですわ」
「しつこい奴だな……。ここに来る前に我も動かぬ証拠を見たぞ? 貴様の配下の村人共が、農作業の陰で王都襲撃の予行演習をしているでは無いか」
「なにそれ知らない」

 少なくとも自分の命じたことでは無い。
 開拓民たちはそんなに自分たちが辺境に飛ばされた事を恨んでいたのか。
 エレノアはそのように考えて蒼い顔をしていたが、悪魔はそれを別の意味に捉えたようだ。

「フッ、やはり図星のようだな……」
「違うってば、ちょっと待って」
「それにしてもあの訓練に明け暮れる村人共の狂信的な顔! 思わず我も身震いしたぞ。秘密はあの得体の知れない作物か?」

 エレノアが言葉を取り繕う事も忘れていると、悪魔の勝手な誤解は増々加速していった。

「あの作物には食べた者の身体を増強する効果に加え、麻薬のような成分も含まれているな……!」
「なによそのえげつない食べ物!」
「ああ、本当にえげつないとも! 同胞にあのような危険物を喰わせるとは! 人間の恨みとは誠恐ろしい……!」
「だから違うのよ!」
「そうとも、人間の世界ではそのような行い認められぬよな? 貴様は大した魔女だ。あのような奇怪な異界の食物を召喚するその術! そしてそれを躊躇すること無く扱うその悪辣なる精神!」

 手本にしたいぐらいだ。
 悪魔はそのように言ってしきりに感心している。

「しかし魔神様はそんなお前の事を大層買っておられる。人の世で認められぬなら、我らが認めよう」

 つまりは「良い話」とはこの悪側への勧誘。
 盛大な勘違いの果てにそんな無駄な事をする為に、この悪魔はわざわざこんな辺境までやって来たのだ。

 エレノアは悪魔の目も気にせず、目の前で頭を掻きむしった。
 この勘違いを思いっきり否定してやりたい。
 だが証拠も無く否定した所で聞く耳を持たないだろう。
 その辺りはかつての聖女を巡る王子とのやり取りで嫌と言うほど学んだエレノアだった。

 散々悩んだ挙句、結局は話はそのままの体で先に進められる事になった。

「……で、キリゴールさんは私に何をお望みなのですか?」
「ふん、観念したか。そうだな、まずは挙兵時の共闘だ」

 返って来た答えが意外と真っ当な事に、エレノアは少し驚く。
 魔神側がそのような搦手の策を弄するなど、想像の埒外だった。

 『ゲーム』では魔神など、聖女しゅじんこうを冒険に誘い伝説を作り上げさせる為のギミックの一つに過ぎない。
 この悪魔の名前が作中語られなかったように、魔神は台詞の一つも無い存在だった。
 ただ復活して国中に魔物をバラまき、倒されるべき悪として呆気なく最後を終える。
 言ってしまえばただ強力なだけの理性の無い害獣――それがエレノアの持つ魔神のイメージだった。

 だが実際は復活後に機を伺い、策を練っている。
 これは少々厄介な事態だと言えた。

「それに貴様の召喚したあの作物を譲り受けたい。あれを使えば我が魔神軍も更に強靭な兵が揃うに違いない!」
「ですからあれは普通の作物で、村の皆さんは個人的な努力で腕を磨かれているだけですってば……」
「バカを言うな。普通の作物が一瞬で育ったり、素面の人間が恐れも知らずに無双をするか」

 そして最も厄介なのはやはりこのあらぬ誤解の方である。
 その後の会話の中でもエレノアは幾度と無く否定をしても、やはり悪魔は聞く耳を持たない。

「……分かりました。では仮に、仮にあなたのおっしゃる通りだとしましょう!」

 最終的には誤解を解く事を諦めたエレノアは、疲れた顔で悪魔を真正面から見据えた。

「その見返りに、魔神様は私に何を下さるとおっしゃるのですか?」
「だから先刻言ったでは無いか。挙兵時に協力をする、と」
「それは相互に担うべき義務ですわよね? しかもその上にそちらは私の作物を要求するのでしょう?」
「な、何と強欲なッ! 恐れ多くも魔神様が力をお貸しくださるのだぞ!」

 悪魔に清貧と礼節を窘められるという貴重な経験を得ながら、エレノアは鼻で笑う。

「別にこちらは頼んでませんもの。そちらが話を持ってきた以上、対価を得るべきは私だという事をお忘れなく」
「ぬぬぬぅ……! では更なる兵をそちらに貸しだそう!」
「アナタの話では、私は村人だけでも十分だと判断して挙兵する女なのでしょう? それに魔神が関わっているなんてあからさまにして、アチラに大義名分を与えるだけじゃありませんか」

 仮定の話ではあるが、エレノアが王家に反旗を翻すのなら味方は人間だけの方が良い。
 先の騒動の顛末と、それぞれの評判は世間の知る所である。
 そうなればアチラに付く兵も幾らか減るし、士気も下がるというもの。

 そう魔神の見立てをチクチクと批判すると、悪魔は唸って代替案を上げて来た。

「で、では目を見開かんばかりの宝石を……!」
「作物売れば良いじゃ無いですか。それに戦後国が荒廃すれば奢侈品は暴落します」
「では強靭な魔力を貴様に与えよう!」
「それも戦争が終わったら無用ですわよね?」
「永遠の若さッ!」
「永遠に独り身で若くてもねぇ……」
「ええい、贅沢ばかり言うな! 昔はパンの一欠けらを目当てに悪魔に魂を売る者も大勢居たのだぞ!」

 結局望みのものを上げられず、悪魔はついに説教を始めた。
 それについても穴を見つけては突っ込みを入れ、反論に反論を重ねる。

 そんな事を一晩中続け、悪魔がようやく諦めたのは日の出になった時だった。

「と、取り敢えずお前の要求は一旦持ち帰る……。また来るからな!」
「営業マンって大変ですわね」
「訳の分からぬ事を言うな!」

 エレノアは飛び去る悪魔を笑顔で見送る。
 なんてことの無い顔をしているが、実際は前世の知識が思わず口を突いて出る程度には疲れ果てていた。

「また来ますのね……」

 厄介ごとは終わりそうにも無い。
 朝日に目を眩ませながら、エレノアは瞼の裏に浮かぶ不吉な未来にため息を吐くのだった。



「やはり、見張っておいて正解だった……!」

 ビョルンは魔導士を押しのけて目の前の水晶玉にのめり込んだ。
 そこに映るのはヴァイス村。
 その中心にあるエレノアの住む家の庭先だった。

 あれから近くの町まで引きかえったビョルンは、大義を為すにはかつて自分が「姑息」と吐き捨てたような手練手管も使う必要があるのだと心に決めた。
 その前哨としてとりあえず初めたのが、使い魔によるエレノアの監視である。

 何か弱みの一つでも握って、次の一手に繋げられれば良い。
 そんな儚い望みに掛け、なけなしの自尊心を捧げた甲斐が形として現れた。

 使い魔の鳥が目にしたのは、エレノアの家から飛び出す悪魔の姿。
 これは何かしら後ろめたい事情があるに違いない、とビョルンは鼻息を荒くする。

「外聞は悪いのは確かですが、あれはインプの一種でしょう。使い魔として魔術師の間では一般的ですよ?」
「何を言うか! 魔神の復活も噂されるこの時に、悪魔の一種族の力を借りる等!」
「そういうもんでしょうか……?」

 魔術の輩として思う所があるのか、水晶玉に使い魔の見た映像を写す魔導士はどこか不満気だ。
 だがビョルンはそんな事など一顧だにさず、不敵な笑みを浮かべた。

「まぁさすがに僕もこれだけでどうこう出来るとは思っていない。ただ軽い一手になる、というだけだ」
「如何なさるおつもりで?」
「どうもしないさ。ただ見たままを人に知らせるだけだよ」

 そう言ってビョルンは魔導士に証人として今見た事を人々に言って回る様言い含めた。

「別に嘘は付かなくて良いさ。正直に真実を、みんなに教えてやるだけだからね?」

 魔導士の目に映るビョルンの顔は、気持ちが悪いほど爽やかなものだったという。
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