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⑪
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ワーズはこの一か月足らずの間で激動した。
内々に謹慎処分を言い渡されていた第一王子ヴァレールが突如王都を出奔。
同じように謹慎を言い渡されていた友を引き連れ、飛竜を駆り、行く先はようとして知れない。
それだけでも随分な大事である。
だというのに、これはまだこれから起きる混乱の幕開けに過ぎなかった。
件のヴァレールは、至極あっさりと王都に戻って来たのである。
――王都を出た時より遥かに数が多い飛竜と、それに乗る若い騎士たちを連れて。
戸惑う王城の臣下たちを尻目に、ヴァレールは引き連れた騎士と共に城になだれ込み、王と兄弟たち、そして重臣の幾人かを捉えて幽閉。
直後に「急病でお倒れになられた陛下に代わり、王太子である自分が国の采配を握る」と一方的に宣言を果たしたのだった。
◆
「馬鹿ものが……」
王は息子だった者に静かに言い放った。
その声音には様々な感情の色が見て取れる。
憤怒、羞恥、後悔、絶望――そして憐憫。
ヴァレールは父王のそれを一笑に伏し、嘲りの目だけを返す。
「どうかお気を鎮めて下さい。貴方にはまだ生きていて貰わなければなりませんので」
それは勝者の余裕であり、傲慢だった。
王城への強襲は鮮やかで芸術的だったと言って良い。
王の側付きの衛兵たちは精鋭揃いであるし、平時であっても万全の警戒を施してあった。
ヴァレールとその仲間たちはそれを僅かな時間と損害だけで攻略したのである。
勝因の一つとしては、ヴァレールたちの個々の能力が高かったことが上げらた。
ワーズは魔導王国と呼ばれるだけあり、戦闘技術にも魔術の素養が求められる。
魔術と言うものは個人の才覚によりその力量が大きく変わる。
一騎当千の強者、という表現が夢物語では無いのだ。
ヴァレールが学院で得た仲間たちは、歴代でも選りすぐりの才を持つ者たち。
英雄の器と言って良いほどの逸材揃いであった。
もう一つの勝因は、裏切り者が出たこと。
『清流派』と呼ばれる短絡的な過激派の触手は存外長く、王城の衛兵の中にすらその仲間が存在して居た。
彼らはヴァレールに呼応し、内部から王城の守りを突き崩していったのである。
またそんな裏切者は『清流派』のみに留まらなかった。
先の騒ぎでヴァレールの廃嫡が事実上決まり、連鎖的に己の行く末も閉じられてしまった者。
『王太子派』と呼ばれ、本来ならこの国の未来を担っていたであろう者たちがこれを機にヴァレールの元に集ったのだった。
彼らからすれば選択肢などあってないようなもの。
かつての栄光を取り戻すのならば、この不確かな賭けに乗るしかない。
そんなことを考える者たちも、陰で幾ばくかは存在していたのである。
「これは天命なのです、父上」
『覚悟を決めて』より、すべてが順調に進んでいる。
その事実に気を良くしたヴァレールは頬を薄っすらと朱く染めている。
「何を馬鹿な。奇襲で城を落とすだけなら、他の諸侯でもその可能性の芽はあるだろう。だが誰もそんな事はやらん」
しかし父王はあきれ顔で嘆息した。
「落とした後はどうするというのだ? このような簒奪を他の貴族が許すものか。名分は、信頼は? お前が彼らに同じようなことをしないという保証がどこにある」
言葉の始まりこそ淡々としたものだったが、それは次第に早くなり、語気を強めたものになっていった。
「王とは法の番人。賊徒を誅し、法を順守させることに意義がある。その王とならんという者自らが法を破り、賊に身を落としてなんとするッ!」
その怒声をヴァレールは詰まらそうに眺めている。
王はしばしの間肩を揺らし息を切らせていたが、諦めたようにその場に座り込んだ。
「……日々権力闘争に開けれくれる諸侯でもこんなことはせなんだ。こんな馬鹿げたことは。誰もやらぬことにはやらぬだけの理由があるのだ」
「それがどうしました。これよりはオレこそが正しい法なのです」
王はそれを聞いて、大きく息を吐く。
まるで叫んでいるようでもあった。
「だが正しい法を敷く為にはそれなりの下地が無くてはならない。これから先オレの『改革』には強固な反発が予想されるでしょう。それならば、いっそ最初からこちらの気概を見せた方が良い。そして志を同じくする『清流派』を国家の中心に添え、素早くこの国の未来を救うのです」
「……お前の廃嫡は既に重臣たちの知る所だ。どうあがこうとも、ヴァレールという男に王権は存在し得無い」
「そんなことはどうとでもしてみせます。オレには力があるのだから!」
「ああ、お前は確かに優秀だった。だがそれは一介の将……いや、野盗の長としての才だったのだ」
そう言われて初めてヴァレールは顔を崩した。
「さて、『まだ生きていて貰わなければならない』だったか? お前の言葉通り、時が来るまで大人しく待たせてもらおうか」
「とき?」
「この国の全てが終わる時だ。王である者がその責任を取らねばならない。お前には出来ない仕事だ」
王はそう告げると、戸惑う『清流派』の騎士を引き連れるように部屋を出た。
「さあ、部屋まで案内せい」
「は、はあ……」
そうして王は自ら幽閉先の部屋へと去って行く。
悠々としたその歩みは、虜囚の身でありながら確かに王としての威風に満ち溢れたものだった。
「……老いぼれがッ」
ヴァレールはしばらくして我に返るも、ようやくそんな悪態を吐くのが精一杯。
学院の友人たち――枢機卿や騎士団長の子息もその場に居たが、気の利いた言葉を掛けることが出来ずにいる。
そうして居た堪れない沈黙が、部屋の中に充満していく。
「殿下、大変ですッ!」
「陛下と呼べ! 一体なんだ!」
その沈黙を打ち破って部屋に駆け込んできた伝令に、ヴァレールは八つ当たり気味に返事をする。
しかし伝令はよほど慌てているのか、気にせずそのまま言葉を続けた。
「サンレアン侯爵が挙兵いたしました!」
「何だと……?」
報告を聞いてヴァレールの頭が冷徹な司令官のそれに切り替わった。
予想していたことだが、随分と早い。
しばらく思案したあと、ヴァレールの口の端は裂けんばかりに釣り上がる。
「ふん、気が逸ったか。やはり天はオレに味方しているようだな……」
◆
――サンレアン侯爵挙兵す。
その報が王都に届いてから僅か一週間、侯爵の兵はもう目と鼻の先まで迫っていた。
本来なら馬で二週間ほどの距離、通常の行軍ならばそれより更に足が鈍ることを考えれば、これは驚異的な速さであると言って良い。
馬を何頭も使い潰し、魔術で底上げをした上でのこの速さであることは想像に難くない。
それだけの損耗を惜しまなかった甲斐があったのか、王太子側の初動は明らかに遅れ、王都で応戦する兵を纏め上げることで精一杯だった。
だがヴァレールは内心でほくそ笑んでいた。
(救援の期待出来ない状況で守勢に回るなど愚策だが――これは実に具合が良い)
サンレアン侯爵が犠牲にしたのは何も馬だけでは無い。
速さを求めるあまり、総合的な戦力を削ってしまっていると言えた。
ヴァレールが一番恐れていた事態は、サンレアン侯爵を始めとした「反抗的な」諸侯が連合を組み、王都を干し上げる事。
だが現状の敵はサンレアン侯爵が単独。
しかし幾ら精強で知られる侯爵軍でも、王都の城壁はそうやすやすと崩せるものでは無い。
(初戦で打ち崩せば、その後の事も色々とやりやすくなる)
長期戦となれば他の諸侯も参戦してくるかもしれない。
しかしそれは各地の『清流派』が決起し、足止めをする手筈となっている。
後方の頼りが期待できないのはお互い様であると言えた。
ヴァレールは王都に常駐する兵を強引に纏め上げると、市民たちすらも動員して即席の軍を組織した。
当然、士気は軒並み低い。
しかしヴァレールはこれを幾らか緩和するであろう策を持っている。
「さ、リュマ。君も一緒に壇上に上がろう」
「う、うん……」
広場に主だった兵を集め、ヴァレールはリュマと共に演説台に上がった。
台の周りは『清流派』の精強な若者たち――学院の友人が絢爛な鎧を身に纏って整列している。
「諸君! サンレアン侯爵は愚かな情に狂い、判断を誤った!」
声を張り上げながら、ヴァレールは唾を飛ばした。
「侯爵令嬢ティアーヌは、神のもたらした『聖女』に暴虐を振るった。これは許されざる罪だろう。しかしその愚かな令嬢ですら、最後には全ての罪を認め、命をささげることで許しを乞うたのだっ!」
良く事情を知らぬ市民たちは、それを聞いて半信半疑といった所。
『清流派』の身内ですら、不穏な背後を察してどこか煮え切らない顔だった。
しかしヴァレールはそれらを前にしても一切憶することは無い。
「オレはこれを許そうと思う。しかしその父は愚かにも親としての情を捨てきれず、己が娘の献身を否定してまで私情で反旗を翻した。妄執とはまさにこの事だッ!」
一旦声を区切り、ヴァレールはリュマを傍らに抱き寄せる。
そして舞踏会でそうした時のようにナイフで傷を作り、それをリュマの治癒の魔術で直して見せた。
おお、というどよめきが兵たちの中から聞こえ、それに幾分気を良くした顔でヴァレールはまた口を開いた。
「見よ! これぞ『聖女』の証! 天が我らの大義を認めているその証である! 今こそ我らは古い妄執と決別し、新たに正しい世を作らねばならないっ!」
その為には、と言いながらヴァレールは壇上に掛けられた白い幕に手を掛ける。
それは演説が始まる前から壇上の中心に置かれた物体に掛けられた布だった。
一体何を見せる気か――興味をそそられながら見守っていた人々は、その布が取り払われた瞬間に声なき声を上げた。
そこにあったのは開け放たれた一つの棺。
その豪奢な囲いの中は花が敷き詰められ、中心で眠る様に少女が瞳を瞑っていた。
「せ、聖女さまだ。聖女さまの聖骸だ……ッ!」
過去の王城の式典の中で実際にそれを見たことがある高位貴族の一人がそう呟く。
するとどよめきは波紋のように広がっていく。
実際に聖骸を目にしたことが無い市民たちも、教会の聖画像で目にしたそれとあまりに似た少女の遺体を見て俄かに血気だっていった。
ヴァレールはその高揚が最高潮に達した時に、宣言した。
「我らは古い時代と決別しなければならない! 穏やかな灰の温もりを捨て、荒野に新しい火を灯すのだ!」
そしていつの間に手にしていたのか、松明に魔術の火を灯すと聖骸に向けてそれを掲げた。
「な、何をされるおつもりですかッ!」
『清流派』に与する神官が、悲鳴に似た声を上げた。
何を、と問わずとも答えは分かり切っている。
ヴァレールは聖骸を燃やす気だ。
しかし元来『聖女』への信仰を理由に集った『清流派』の面々は、ヴァレールの行いに驚嘆を隠せなかった。
「決別だと言った。古い伝説には別れを告げる。我らはこれより新しい伝説を作るのだからな」
「し、しかしそれは余りにも……」
「お前たちの戸惑いも理解はできる。しかし、これは単なる儀式に過ぎない。なにせこの『聖女』の生まれ変わりはここに居るのだからな」
顔を向けられたリュマは、一瞬戸惑いながらも胸を張った。
彼女も覚悟を決めたのだ。
リュマに政治は分からない。
難しいことは気に掛けず、ただ己の心に命ずるまま純粋に生きて来たのだ。
その純粋な心が告げていた。
これを否定すれば、自分が周りから敬われる理由がなくなるぞ、と。
リュマは単なる少女だった。
好きなことを好きな人たちとして、皆から愛されることだけが彼女の関心事。
その純粋な願いを「欲望」と呼ぶものだと分からないぐらい、無垢な少女だった。
「は、はいっ。皆さん、突然のことでびっくりするでしょうけど、わたしはここに居ますッ」
「聖女様もこう言っておられる」
ヴァレールは観衆に向けてにっこり微笑むと、松明を掲げた新たに宣言した。
「今、ここに宣言する。古い時代との決別をッ! この瞬間より、王国は正しい道へ歩みを進めるッ!」
そして松明を、聖骸に押し付ける。
花が灼け、香しい香りが辺りに満ちる。
人々はそれを混乱と、喜悦と、恐怖を抱きながら見つめていた。
しかし――。
「やめい」
松明を持つヴァレールの右手が、何者かに捻り上げられた。
それは華奢な白い手。
ヴァレールの目の前から、ぬっと引き出された少女の手。
「熱いのよ、火が」
不機嫌そうな顔で、眉を顰めて。
伝説の少女の遺体が動き出していた。
内々に謹慎処分を言い渡されていた第一王子ヴァレールが突如王都を出奔。
同じように謹慎を言い渡されていた友を引き連れ、飛竜を駆り、行く先はようとして知れない。
それだけでも随分な大事である。
だというのに、これはまだこれから起きる混乱の幕開けに過ぎなかった。
件のヴァレールは、至極あっさりと王都に戻って来たのである。
――王都を出た時より遥かに数が多い飛竜と、それに乗る若い騎士たちを連れて。
戸惑う王城の臣下たちを尻目に、ヴァレールは引き連れた騎士と共に城になだれ込み、王と兄弟たち、そして重臣の幾人かを捉えて幽閉。
直後に「急病でお倒れになられた陛下に代わり、王太子である自分が国の采配を握る」と一方的に宣言を果たしたのだった。
◆
「馬鹿ものが……」
王は息子だった者に静かに言い放った。
その声音には様々な感情の色が見て取れる。
憤怒、羞恥、後悔、絶望――そして憐憫。
ヴァレールは父王のそれを一笑に伏し、嘲りの目だけを返す。
「どうかお気を鎮めて下さい。貴方にはまだ生きていて貰わなければなりませんので」
それは勝者の余裕であり、傲慢だった。
王城への強襲は鮮やかで芸術的だったと言って良い。
王の側付きの衛兵たちは精鋭揃いであるし、平時であっても万全の警戒を施してあった。
ヴァレールとその仲間たちはそれを僅かな時間と損害だけで攻略したのである。
勝因の一つとしては、ヴァレールたちの個々の能力が高かったことが上げらた。
ワーズは魔導王国と呼ばれるだけあり、戦闘技術にも魔術の素養が求められる。
魔術と言うものは個人の才覚によりその力量が大きく変わる。
一騎当千の強者、という表現が夢物語では無いのだ。
ヴァレールが学院で得た仲間たちは、歴代でも選りすぐりの才を持つ者たち。
英雄の器と言って良いほどの逸材揃いであった。
もう一つの勝因は、裏切り者が出たこと。
『清流派』と呼ばれる短絡的な過激派の触手は存外長く、王城の衛兵の中にすらその仲間が存在して居た。
彼らはヴァレールに呼応し、内部から王城の守りを突き崩していったのである。
またそんな裏切者は『清流派』のみに留まらなかった。
先の騒ぎでヴァレールの廃嫡が事実上決まり、連鎖的に己の行く末も閉じられてしまった者。
『王太子派』と呼ばれ、本来ならこの国の未来を担っていたであろう者たちがこれを機にヴァレールの元に集ったのだった。
彼らからすれば選択肢などあってないようなもの。
かつての栄光を取り戻すのならば、この不確かな賭けに乗るしかない。
そんなことを考える者たちも、陰で幾ばくかは存在していたのである。
「これは天命なのです、父上」
『覚悟を決めて』より、すべてが順調に進んでいる。
その事実に気を良くしたヴァレールは頬を薄っすらと朱く染めている。
「何を馬鹿な。奇襲で城を落とすだけなら、他の諸侯でもその可能性の芽はあるだろう。だが誰もそんな事はやらん」
しかし父王はあきれ顔で嘆息した。
「落とした後はどうするというのだ? このような簒奪を他の貴族が許すものか。名分は、信頼は? お前が彼らに同じようなことをしないという保証がどこにある」
言葉の始まりこそ淡々としたものだったが、それは次第に早くなり、語気を強めたものになっていった。
「王とは法の番人。賊徒を誅し、法を順守させることに意義がある。その王とならんという者自らが法を破り、賊に身を落としてなんとするッ!」
その怒声をヴァレールは詰まらそうに眺めている。
王はしばしの間肩を揺らし息を切らせていたが、諦めたようにその場に座り込んだ。
「……日々権力闘争に開けれくれる諸侯でもこんなことはせなんだ。こんな馬鹿げたことは。誰もやらぬことにはやらぬだけの理由があるのだ」
「それがどうしました。これよりはオレこそが正しい法なのです」
王はそれを聞いて、大きく息を吐く。
まるで叫んでいるようでもあった。
「だが正しい法を敷く為にはそれなりの下地が無くてはならない。これから先オレの『改革』には強固な反発が予想されるでしょう。それならば、いっそ最初からこちらの気概を見せた方が良い。そして志を同じくする『清流派』を国家の中心に添え、素早くこの国の未来を救うのです」
「……お前の廃嫡は既に重臣たちの知る所だ。どうあがこうとも、ヴァレールという男に王権は存在し得無い」
「そんなことはどうとでもしてみせます。オレには力があるのだから!」
「ああ、お前は確かに優秀だった。だがそれは一介の将……いや、野盗の長としての才だったのだ」
そう言われて初めてヴァレールは顔を崩した。
「さて、『まだ生きていて貰わなければならない』だったか? お前の言葉通り、時が来るまで大人しく待たせてもらおうか」
「とき?」
「この国の全てが終わる時だ。王である者がその責任を取らねばならない。お前には出来ない仕事だ」
王はそう告げると、戸惑う『清流派』の騎士を引き連れるように部屋を出た。
「さあ、部屋まで案内せい」
「は、はあ……」
そうして王は自ら幽閉先の部屋へと去って行く。
悠々としたその歩みは、虜囚の身でありながら確かに王としての威風に満ち溢れたものだった。
「……老いぼれがッ」
ヴァレールはしばらくして我に返るも、ようやくそんな悪態を吐くのが精一杯。
学院の友人たち――枢機卿や騎士団長の子息もその場に居たが、気の利いた言葉を掛けることが出来ずにいる。
そうして居た堪れない沈黙が、部屋の中に充満していく。
「殿下、大変ですッ!」
「陛下と呼べ! 一体なんだ!」
その沈黙を打ち破って部屋に駆け込んできた伝令に、ヴァレールは八つ当たり気味に返事をする。
しかし伝令はよほど慌てているのか、気にせずそのまま言葉を続けた。
「サンレアン侯爵が挙兵いたしました!」
「何だと……?」
報告を聞いてヴァレールの頭が冷徹な司令官のそれに切り替わった。
予想していたことだが、随分と早い。
しばらく思案したあと、ヴァレールの口の端は裂けんばかりに釣り上がる。
「ふん、気が逸ったか。やはり天はオレに味方しているようだな……」
◆
――サンレアン侯爵挙兵す。
その報が王都に届いてから僅か一週間、侯爵の兵はもう目と鼻の先まで迫っていた。
本来なら馬で二週間ほどの距離、通常の行軍ならばそれより更に足が鈍ることを考えれば、これは驚異的な速さであると言って良い。
馬を何頭も使い潰し、魔術で底上げをした上でのこの速さであることは想像に難くない。
それだけの損耗を惜しまなかった甲斐があったのか、王太子側の初動は明らかに遅れ、王都で応戦する兵を纏め上げることで精一杯だった。
だがヴァレールは内心でほくそ笑んでいた。
(救援の期待出来ない状況で守勢に回るなど愚策だが――これは実に具合が良い)
サンレアン侯爵が犠牲にしたのは何も馬だけでは無い。
速さを求めるあまり、総合的な戦力を削ってしまっていると言えた。
ヴァレールが一番恐れていた事態は、サンレアン侯爵を始めとした「反抗的な」諸侯が連合を組み、王都を干し上げる事。
だが現状の敵はサンレアン侯爵が単独。
しかし幾ら精強で知られる侯爵軍でも、王都の城壁はそうやすやすと崩せるものでは無い。
(初戦で打ち崩せば、その後の事も色々とやりやすくなる)
長期戦となれば他の諸侯も参戦してくるかもしれない。
しかしそれは各地の『清流派』が決起し、足止めをする手筈となっている。
後方の頼りが期待できないのはお互い様であると言えた。
ヴァレールは王都に常駐する兵を強引に纏め上げると、市民たちすらも動員して即席の軍を組織した。
当然、士気は軒並み低い。
しかしヴァレールはこれを幾らか緩和するであろう策を持っている。
「さ、リュマ。君も一緒に壇上に上がろう」
「う、うん……」
広場に主だった兵を集め、ヴァレールはリュマと共に演説台に上がった。
台の周りは『清流派』の精強な若者たち――学院の友人が絢爛な鎧を身に纏って整列している。
「諸君! サンレアン侯爵は愚かな情に狂い、判断を誤った!」
声を張り上げながら、ヴァレールは唾を飛ばした。
「侯爵令嬢ティアーヌは、神のもたらした『聖女』に暴虐を振るった。これは許されざる罪だろう。しかしその愚かな令嬢ですら、最後には全ての罪を認め、命をささげることで許しを乞うたのだっ!」
良く事情を知らぬ市民たちは、それを聞いて半信半疑といった所。
『清流派』の身内ですら、不穏な背後を察してどこか煮え切らない顔だった。
しかしヴァレールはそれらを前にしても一切憶することは無い。
「オレはこれを許そうと思う。しかしその父は愚かにも親としての情を捨てきれず、己が娘の献身を否定してまで私情で反旗を翻した。妄執とはまさにこの事だッ!」
一旦声を区切り、ヴァレールはリュマを傍らに抱き寄せる。
そして舞踏会でそうした時のようにナイフで傷を作り、それをリュマの治癒の魔術で直して見せた。
おお、というどよめきが兵たちの中から聞こえ、それに幾分気を良くした顔でヴァレールはまた口を開いた。
「見よ! これぞ『聖女』の証! 天が我らの大義を認めているその証である! 今こそ我らは古い妄執と決別し、新たに正しい世を作らねばならないっ!」
その為には、と言いながらヴァレールは壇上に掛けられた白い幕に手を掛ける。
それは演説が始まる前から壇上の中心に置かれた物体に掛けられた布だった。
一体何を見せる気か――興味をそそられながら見守っていた人々は、その布が取り払われた瞬間に声なき声を上げた。
そこにあったのは開け放たれた一つの棺。
その豪奢な囲いの中は花が敷き詰められ、中心で眠る様に少女が瞳を瞑っていた。
「せ、聖女さまだ。聖女さまの聖骸だ……ッ!」
過去の王城の式典の中で実際にそれを見たことがある高位貴族の一人がそう呟く。
するとどよめきは波紋のように広がっていく。
実際に聖骸を目にしたことが無い市民たちも、教会の聖画像で目にしたそれとあまりに似た少女の遺体を見て俄かに血気だっていった。
ヴァレールはその高揚が最高潮に達した時に、宣言した。
「我らは古い時代と決別しなければならない! 穏やかな灰の温もりを捨て、荒野に新しい火を灯すのだ!」
そしていつの間に手にしていたのか、松明に魔術の火を灯すと聖骸に向けてそれを掲げた。
「な、何をされるおつもりですかッ!」
『清流派』に与する神官が、悲鳴に似た声を上げた。
何を、と問わずとも答えは分かり切っている。
ヴァレールは聖骸を燃やす気だ。
しかし元来『聖女』への信仰を理由に集った『清流派』の面々は、ヴァレールの行いに驚嘆を隠せなかった。
「決別だと言った。古い伝説には別れを告げる。我らはこれより新しい伝説を作るのだからな」
「し、しかしそれは余りにも……」
「お前たちの戸惑いも理解はできる。しかし、これは単なる儀式に過ぎない。なにせこの『聖女』の生まれ変わりはここに居るのだからな」
顔を向けられたリュマは、一瞬戸惑いながらも胸を張った。
彼女も覚悟を決めたのだ。
リュマに政治は分からない。
難しいことは気に掛けず、ただ己の心に命ずるまま純粋に生きて来たのだ。
その純粋な心が告げていた。
これを否定すれば、自分が周りから敬われる理由がなくなるぞ、と。
リュマは単なる少女だった。
好きなことを好きな人たちとして、皆から愛されることだけが彼女の関心事。
その純粋な願いを「欲望」と呼ぶものだと分からないぐらい、無垢な少女だった。
「は、はいっ。皆さん、突然のことでびっくりするでしょうけど、わたしはここに居ますッ」
「聖女様もこう言っておられる」
ヴァレールは観衆に向けてにっこり微笑むと、松明を掲げた新たに宣言した。
「今、ここに宣言する。古い時代との決別をッ! この瞬間より、王国は正しい道へ歩みを進めるッ!」
そして松明を、聖骸に押し付ける。
花が灼け、香しい香りが辺りに満ちる。
人々はそれを混乱と、喜悦と、恐怖を抱きながら見つめていた。
しかし――。
「やめい」
松明を持つヴァレールの右手が、何者かに捻り上げられた。
それは華奢な白い手。
ヴァレールの目の前から、ぬっと引き出された少女の手。
「熱いのよ、火が」
不機嫌そうな顔で、眉を顰めて。
伝説の少女の遺体が動き出していた。
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ある日、シリルの恋人と名乗る女性・エイダ・バーク男爵家令嬢がエヴァンス侯爵邸を訪れた。
なんでも彼の子供が出来たから、シリルと別れてくれとのこと。
アイリーンはそれを承諾し、二人を追い返そうとするが、シリルとエイダはこの子を侯爵家の跡取りにして、アイリーンは侯爵家から出て行けというとんでもないことを主張する。
※設定は緩いので物語としてお楽しみ頂けたらと思います
☆HOTランキング20位(2021.6.21)
感謝です*.*
HOTランキング5位(2021.6.22)
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