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2. 禁忌 (タブー)

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 この城に連れて来られてから、どれだけの月日が流れたのだろう。

 この日も、窓から差し込む夕陽が月光へと変わっていく様をルナは静かに見守っていた。

(もうじき、彼がやって来るんだわ……)

 吸血鬼――。伝承の中で幾度となく語られてきた魔物。人の生き血をすすり、あやめることすらいとわない残忍な生き物。


「ここから飛び降りたら、確実に死ぬわね……」


 窓の外を覗き見る度に絶望する。

 更に周りは暗い森に囲まれている。

 仮に地上へと降りることが叶っても、森に巣食う獰猛どうもうな獣に襲われて命を落とすことになるだろう。

 それでも、諦めるわけにはいかない。

 そう、決意を新たにした次の瞬間――

 カタンと音がし、ルナははっとなる。

 ハディスが来たのかと思い窓の外を確認するが、声は思いがけず背後からかけられた。


「よお、お前が囚われのお姫様か?」


 振り返ると、壁に寄りかかるようにして見知らぬ男が立っていた。

 少し癖のある漆黒しっこくの髪を肩に垂らし、口角をつり上げている。

 その紅い瞳に、ルナの視線は釘づけになる。


「そう、あいつと同じさ」


 それが瞳の色の話だけではないことを、ルナはすぐに感じ取る。


「……あなたは誰?」

「おっと、人に名を尋ねる時は自分から……と、言いたいところだが、お前のことは良く知ってるぞ、ルナ。そんな怖い目で見なさんな。ハディスから色々聞いてる」


 ハディスとは正反対で彼はよく話す性格のようだ。

 初対面のルナに、彼はまず自らの素性を明かした。


「俺はカイ。正しくはカイルスジュノーゼルだが、長ったらしくて嫌いだ。俺のことはカイと呼んでくれればいい。ハディスもそう呼んでる。あいつと俺は、まぁ腐れ縁ってやつだ」


 カイと名乗った男を注意深く観察しながら、ルナは緊張した声で話しかける。


「あの、カイ……さんはどうして……」

「ここに来たかって? そりゃ、もちろんお前に会う為だ」

「私に?」

「ここに来る理由が他にあるのか?」

「……ないわ」


 ここにはルナの他は誰もいない。他に理由を思い付けずにルナはそう答えた。


「ここから逃がしてやってもいい」


 突然の申し出にルナは一瞬言葉を失うが、やや遅れてから返した。


「あなた、ハディスの友達なのよね?」

「友達……まぁ、あいつの味方では――と、そんなことはどうでもいい。俺は逃げたいのかと訊いてるんだ」


 はぐらかされてしまったが、その口調から彼はハディスの友達なのだとルナは認識した。


「意味が分からないわ。どうしてハディスの友……味方である筈のあなたが、私を逃がすと言うの?」

「何故すぐに食いつかない?」

「――!?」


 ルナは反射的に一歩後ろへ下がる。

 壁に寄りかかっていた筈の彼が、一瞬にして目の前に現れたのだ。


「お前は逃げたくて仕方がない筈だ。何を躊躇ためらっている?」

躊躇ためらってなんか……」


 そう答えながらも、今は彼から視線をらしてしまっている。

 逃げる――その言葉が現実味を帯びた瞬間、急に心に迷いが生じたのは事実だった。


(どうして? 逃げたい筈なのに……)


「どうした、まさか本当に躊躇ためらっているのか?」


 答えにきゅうしたルナは勢い任せに言い返す。


「あ……あなたは私を騙そうとしているんじゃないの!?」

「何?」

「これは何かの罠ではないの?」


(そうよ、話がうますぎるもの。だから、彼の救いの手を素直にとれないんだわ)


「案外用心深いんだな」


 カイは感心したように、口の端を持ち上げ犬歯けんしを覗かせて微笑する。

 ハディスと同じとがった牙を目にし、ルナは息を呑んだ。


「……血ね。あなた、私の血が望みなのでしょう?」

「お前の……血……だと?」


 低く発せられた声に、ルナは続く言葉を失った。

 風もないのにカイの黒髪がゆらゆらと揺れ始め、紅い瞳がほむらを宿したように輝きを増していく。

 彼が恐ろしい魔物であることを認識させられたことよりも、彼の逆鱗に触れてしまったらしいことにルナは言い知れぬ恐怖を覚えた。


「そうではないの……?」


 喉の奥がからからになりながらも、ルナは勇気を振り絞って訊いた。


「そう、実に魅惑的だ」


 つと伸ばされた手が、ルナの顎を掴んで無理矢理上向かせる。


「だが、生憎あいにく同族の血は禁忌タブーだ」


 ルナの双眸が見開かれる。


(同族? 禁忌タブー……?)


 何のことか分からずに当惑するルナを、紅い瞳が苛立ったように見つめる。


「お前は――」

「そこまでだ、カイ」


 張り詰めた空気を突如切り裂いた声に、ルナとカイは振り返る。


「随分と早いお出迎えじゃないか」


 ハディスの姿を認めたカイは、ルナから離れると軽い口調に戻して言った。


「お前の気配は嫌でも分かるよ。騒々しい。……何をしに来た?」

「そりゃ勿論、お前に会――」

「ルナに会う為と聞こえたが?」


 カイはやれやれと手を振った。


「聴力の高い俺たちには、プライバシーの欠片もないのかね」


 わざとらしく足音を響かせながら窓辺に寄るカイに、ハディスは忠告するように言う。


「カイ、私はルナを手放す気はないよ」

「……お前は大馬鹿者だ」


 それだけ告げると、カイは窓の外へと軽やかに身を投じた。

 その姿はすぐに闇に紛れ、後には静寂が残される。
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