3 / 15
2. 禁忌 (タブー)
しおりを挟む
この城に連れて来られてから、どれだけの月日が流れたのだろう。
この日も、窓から差し込む夕陽が月光へと変わっていく様をルナは静かに見守っていた。
(もうじき、彼がやって来るんだわ……)
吸血鬼――。伝承の中で幾度となく語られてきた魔物。人の生き血をすすり、殺めることすら厭わない残忍な生き物。
「ここから飛び降りたら、確実に死ぬわね……」
窓の外を覗き見る度に絶望する。
更に周りは暗い森に囲まれている。
仮に地上へと降りることが叶っても、森に巣食う獰猛な獣に襲われて命を落とすことになるだろう。
それでも、諦めるわけにはいかない。
そう、決意を新たにした次の瞬間――
カタンと音がし、ルナははっとなる。
ハディスが来たのかと思い窓の外を確認するが、声は思いがけず背後からかけられた。
「よお、お前が囚われのお姫様か?」
振り返ると、壁に寄りかかるようにして見知らぬ男が立っていた。
少し癖のある漆黒の髪を肩に垂らし、口角をつり上げている。
その紅い瞳に、ルナの視線は釘づけになる。
「そう、あいつと同じさ」
それが瞳の色の話だけではないことを、ルナはすぐに感じ取る。
「……あなたは誰?」
「おっと、人に名を尋ねる時は自分から……と、言いたいところだが、お前のことは良く知ってるぞ、ルナ。そんな怖い目で見なさんな。ハディスから色々聞いてる」
ハディスとは正反対で彼はよく話す性格のようだ。
初対面のルナに、彼はまず自らの素性を明かした。
「俺はカイ。正しくはカイルスジュノーゼルだが、長ったらしくて嫌いだ。俺のことはカイと呼んでくれればいい。ハディスもそう呼んでる。あいつと俺は、まぁ腐れ縁ってやつだ」
カイと名乗った男を注意深く観察しながら、ルナは緊張した声で話しかける。
「あの、カイ……さんはどうして……」
「ここに来たかって? そりゃ、もちろんお前に会う為だ」
「私に?」
「ここに来る理由が他にあるのか?」
「……ないわ」
ここにはルナの他は誰もいない。他に理由を思い付けずにルナはそう答えた。
「ここから逃がしてやってもいい」
突然の申し出にルナは一瞬言葉を失うが、やや遅れてから返した。
「あなた、ハディスの友達なのよね?」
「友達……まぁ、あいつの味方では――と、そんなことはどうでもいい。俺は逃げたいのかと訊いてるんだ」
はぐらかされてしまったが、その口調から彼はハディスの友達なのだとルナは認識した。
「意味が分からないわ。どうしてハディスの友……味方である筈のあなたが、私を逃がすと言うの?」
「何故すぐに食いつかない?」
「――!?」
ルナは反射的に一歩後ろへ下がる。
壁に寄りかかっていた筈の彼が、一瞬にして目の前に現れたのだ。
「お前は逃げたくて仕方がない筈だ。何を躊躇っている?」
「躊躇ってなんか……」
そう答えながらも、今は彼から視線を逸らしてしまっている。
逃げる――その言葉が現実味を帯びた瞬間、急に心に迷いが生じたのは事実だった。
(どうして? 逃げたい筈なのに……)
「どうした、まさか本当に躊躇っているのか?」
答えに窮したルナは勢い任せに言い返す。
「あ……あなたは私を騙そうとしているんじゃないの!?」
「何?」
「これは何かの罠ではないの?」
(そうよ、話がうますぎるもの。だから、彼の救いの手を素直にとれないんだわ)
「案外用心深いんだな」
カイは感心したように、口の端を持ち上げ犬歯を覗かせて微笑する。
ハディスと同じ尖った牙を目にし、ルナは息を呑んだ。
「……血ね。あなた、私の血が望みなのでしょう?」
「お前の……血……だと?」
低く発せられた声に、ルナは続く言葉を失った。
風もないのにカイの黒髪がゆらゆらと揺れ始め、紅い瞳が焔を宿したように輝きを増していく。
彼が恐ろしい魔物であることを認識させられたことよりも、彼の逆鱗に触れてしまったらしいことにルナは言い知れぬ恐怖を覚えた。
「そうではないの……?」
喉の奥がからからになりながらも、ルナは勇気を振り絞って訊いた。
「そう、実に魅惑的だ」
つと伸ばされた手が、ルナの顎を掴んで無理矢理上向かせる。
「だが、生憎同族の血は禁忌だ」
ルナの双眸が見開かれる。
(同族? 禁忌……?)
何のことか分からずに当惑するルナを、紅い瞳が苛立ったように見つめる。
「お前は――」
「そこまでだ、カイ」
張り詰めた空気を突如切り裂いた声に、ルナとカイは振り返る。
「随分と早いお出迎えじゃないか」
ハディスの姿を認めたカイは、ルナから離れると軽い口調に戻して言った。
「お前の気配は嫌でも分かるよ。騒々しい。……何をしに来た?」
「そりゃ勿論、お前に会――」
「ルナに会う為と聞こえたが?」
カイはやれやれと手を振った。
「聴力の高い俺たちには、プライバシーの欠片もないのかね」
わざとらしく足音を響かせながら窓辺に寄るカイに、ハディスは忠告するように言う。
「カイ、私はルナを手放す気はないよ」
「……お前は大馬鹿者だ」
それだけ告げると、カイは窓の外へと軽やかに身を投じた。
その姿はすぐに闇に紛れ、後には静寂が残される。
この日も、窓から差し込む夕陽が月光へと変わっていく様をルナは静かに見守っていた。
(もうじき、彼がやって来るんだわ……)
吸血鬼――。伝承の中で幾度となく語られてきた魔物。人の生き血をすすり、殺めることすら厭わない残忍な生き物。
「ここから飛び降りたら、確実に死ぬわね……」
窓の外を覗き見る度に絶望する。
更に周りは暗い森に囲まれている。
仮に地上へと降りることが叶っても、森に巣食う獰猛な獣に襲われて命を落とすことになるだろう。
それでも、諦めるわけにはいかない。
そう、決意を新たにした次の瞬間――
カタンと音がし、ルナははっとなる。
ハディスが来たのかと思い窓の外を確認するが、声は思いがけず背後からかけられた。
「よお、お前が囚われのお姫様か?」
振り返ると、壁に寄りかかるようにして見知らぬ男が立っていた。
少し癖のある漆黒の髪を肩に垂らし、口角をつり上げている。
その紅い瞳に、ルナの視線は釘づけになる。
「そう、あいつと同じさ」
それが瞳の色の話だけではないことを、ルナはすぐに感じ取る。
「……あなたは誰?」
「おっと、人に名を尋ねる時は自分から……と、言いたいところだが、お前のことは良く知ってるぞ、ルナ。そんな怖い目で見なさんな。ハディスから色々聞いてる」
ハディスとは正反対で彼はよく話す性格のようだ。
初対面のルナに、彼はまず自らの素性を明かした。
「俺はカイ。正しくはカイルスジュノーゼルだが、長ったらしくて嫌いだ。俺のことはカイと呼んでくれればいい。ハディスもそう呼んでる。あいつと俺は、まぁ腐れ縁ってやつだ」
カイと名乗った男を注意深く観察しながら、ルナは緊張した声で話しかける。
「あの、カイ……さんはどうして……」
「ここに来たかって? そりゃ、もちろんお前に会う為だ」
「私に?」
「ここに来る理由が他にあるのか?」
「……ないわ」
ここにはルナの他は誰もいない。他に理由を思い付けずにルナはそう答えた。
「ここから逃がしてやってもいい」
突然の申し出にルナは一瞬言葉を失うが、やや遅れてから返した。
「あなた、ハディスの友達なのよね?」
「友達……まぁ、あいつの味方では――と、そんなことはどうでもいい。俺は逃げたいのかと訊いてるんだ」
はぐらかされてしまったが、その口調から彼はハディスの友達なのだとルナは認識した。
「意味が分からないわ。どうしてハディスの友……味方である筈のあなたが、私を逃がすと言うの?」
「何故すぐに食いつかない?」
「――!?」
ルナは反射的に一歩後ろへ下がる。
壁に寄りかかっていた筈の彼が、一瞬にして目の前に現れたのだ。
「お前は逃げたくて仕方がない筈だ。何を躊躇っている?」
「躊躇ってなんか……」
そう答えながらも、今は彼から視線を逸らしてしまっている。
逃げる――その言葉が現実味を帯びた瞬間、急に心に迷いが生じたのは事実だった。
(どうして? 逃げたい筈なのに……)
「どうした、まさか本当に躊躇っているのか?」
答えに窮したルナは勢い任せに言い返す。
「あ……あなたは私を騙そうとしているんじゃないの!?」
「何?」
「これは何かの罠ではないの?」
(そうよ、話がうますぎるもの。だから、彼の救いの手を素直にとれないんだわ)
「案外用心深いんだな」
カイは感心したように、口の端を持ち上げ犬歯を覗かせて微笑する。
ハディスと同じ尖った牙を目にし、ルナは息を呑んだ。
「……血ね。あなた、私の血が望みなのでしょう?」
「お前の……血……だと?」
低く発せられた声に、ルナは続く言葉を失った。
風もないのにカイの黒髪がゆらゆらと揺れ始め、紅い瞳が焔を宿したように輝きを増していく。
彼が恐ろしい魔物であることを認識させられたことよりも、彼の逆鱗に触れてしまったらしいことにルナは言い知れぬ恐怖を覚えた。
「そうではないの……?」
喉の奥がからからになりながらも、ルナは勇気を振り絞って訊いた。
「そう、実に魅惑的だ」
つと伸ばされた手が、ルナの顎を掴んで無理矢理上向かせる。
「だが、生憎同族の血は禁忌だ」
ルナの双眸が見開かれる。
(同族? 禁忌……?)
何のことか分からずに当惑するルナを、紅い瞳が苛立ったように見つめる。
「お前は――」
「そこまでだ、カイ」
張り詰めた空気を突如切り裂いた声に、ルナとカイは振り返る。
「随分と早いお出迎えじゃないか」
ハディスの姿を認めたカイは、ルナから離れると軽い口調に戻して言った。
「お前の気配は嫌でも分かるよ。騒々しい。……何をしに来た?」
「そりゃ勿論、お前に会――」
「ルナに会う為と聞こえたが?」
カイはやれやれと手を振った。
「聴力の高い俺たちには、プライバシーの欠片もないのかね」
わざとらしく足音を響かせながら窓辺に寄るカイに、ハディスは忠告するように言う。
「カイ、私はルナを手放す気はないよ」
「……お前は大馬鹿者だ」
それだけ告げると、カイは窓の外へと軽やかに身を投じた。
その姿はすぐに闇に紛れ、後には静寂が残される。
0
お気に入りに追加
17
あなたにおすすめの小説
校長室のソファの染みを知っていますか?
フルーツパフェ
大衆娯楽
校長室ならば必ず置かれている黒いソファ。
しかしそれが何のために置かれているのか、考えたことはあるだろうか。
座面にこびりついた幾つもの染みが、その真実を物語る
私の神様
保月ミヒル
ファンタジー
ある満月の晩、幼い少年と、吸血鬼の少女が出逢った。
少年は神を信じ、少女は神を憎んでいた。
孤独な二人は互いの存在に一時の安らぎを得るが、流れる月日がその関係を変えていく――。
生きる時間が違う二人の、無自覚な恋の話です。
※カクヨムでも掲載中です
ジンは想い人をただ見守ると決めていた
あろえみかん
ファンタジー
あらすじ:東ちあきはふとした瞬間に人生を手放してしまった。気がつくと、花で溢れるはざまの世界に辿り着いていたのだ。番人のジンはちあきの溜め込んだ沢山の小さな傷を感じて、そこに花呪いをかけて癒す。何よりも自分を愛する事、そう諭されたちあきはもう一度生きる事を選んだ。そんなジンは想い人に気付かれる事も、その想いが交わる事もない秘めた愛に心を痛めていた。永遠を生きる彼らは一度持ってしまった感情を忘れる事ができない。人と人ならざる者と、生と死の間で想いが交差できなかったお話。
⭐︎「生まれ変わったその先は猫の国ガータ」は世界観スピンオフです。よければどうぞ!
あなたの子ですが、内緒で育てます
椿蛍
恋愛
「本当にあなたの子ですか?」
突然現れた浮気相手、私の夫である国王陛下の子を身籠っているという。
夫、王妃の座、全て奪われ冷遇される日々――王宮から、追われた私のお腹には陛下の子が宿っていた。
私は強くなることを決意する。
「この子は私が育てます!」
お腹にいる子供は王の子。
王の子だけが不思議な力を持つ。
私は育った子供を連れて王宮へ戻る。
――そして、私を追い出したことを後悔してください。
※夫の後悔、浮気相手と虐げられからのざまあ
※他サイト様でも掲載しております。
※hotランキング1位&エールありがとうございます!
月見草戀物語
大和撫子
恋愛
その丘を通る度に思い浮かぶのは、透き通るような白い月見草。儚げに佇む美しいあの人。胸が締め付けられるように切なくなるのだ。それは、時空をこえた月見草と月光の精霊の逢瀬。俺はその時初めて本気で誰かを好きになる、て事を知ったのだと思う。
寝室から喘ぎ声が聞こえてきて震える私・・・ベッドの上で激しく絡む浮気女に復讐したい
白崎アイド
大衆娯楽
カチャッ。
私は静かに玄関のドアを開けて、足音を立てずに夫が寝ている寝室に向かって入っていく。
「あの人、私が
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる