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24. 柚姫も吸血鬼になればいい。
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校舎脇に建てられた白い礼拝堂は、渡り廊下で校舎と繋がっている。
剣道部の練習へ向かった遥香と別れた柚姫は、二階の渡り廊下から礼拝堂へと足を運んだ。
放課後はハンドベル部や聖歌隊の練習に使われていることがほとんどだが、礼拝堂後方の扉を開いて中へ入ると、思いがけず誰の姿もなく、柚姫は目を瞠った。
辺りはしんと静まり返っている。
神父が説教をする壇上のステンドグラスからは、きらきらと陽の光が射し、高々と掲げられた金色の十字架が、その光を受けて神秘的な輝きを放っている。
床は緩やかに傾斜していて、後ろの席へ行けば行くほど、壇上を見下ろすかたちになる。
柚姫は周りに気を配りながら、ゆっくりと壇上へ向かって降りていく。
礼拝堂全体が洗練された空気に包まれていて、柚姫の緊張を少しだけ和らげてくれる。
「まだ来てないんだ……」
誰にともなく呟くと、誰もいないはずの空間に、唐突に低い男の声が響いた。
「来てくださったんですね――」
はっと声のした方を振り返る。
壇上の傍らに置かれたパイプオルガン――その椅子に、声の主はゆったりと腰かけていた。
「チトセさん……?」
ついさっきまで、そこに人の姿なんてあっただろうか。
チトセは笑み一つ浮かべると、優雅な所作で立ち上がり柚姫を迎えた。
「お待ちしてました」
「あっ……」
訊きたいことはたくさんあるのに、いざ彼を前にすると、言葉が喉の奥につかえて出てこない。
視線をさまよわせながら、他に誰もいないことを不審に思っていると、チトセは柚姫の心を見透かすように言った。
「ああ、他の方々には出て行っていただきました。あなたとの逢瀬を、誰にも邪魔されたくはありませんからね」
何でもないことのように言われ、柚姫はごくりと唾を飲み込んだ。
どうして部外者である彼の言うことを、皆、素直に聞いたのか。
そんな疑問が当然、頭をよぎったけれど、まずは朝からずっと頭の中に渦巻いていた疑問を、おそるおそる口にした。
「あの、どうして手紙なんか……?」
「それはもちろん、あなたの騎士に邪魔されたくないからです。まさか、四六時中あなたのことを見守るなんて、思いませんでしたよ」
睫毛を伏せ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「――陽の光は、彼の者には酷でしょうに」
その言葉が、柚姫の疑念を確信へと変えた。
「やっぱり、チトセさんは……」
「ええ、知っています。彼は吸血鬼なのでしょう?」
言葉を失う柚姫に、それより、とチトセは話をすり替えた。
「どうして一人で来たのですか? 彼は今も近くにいるのでしょう?」
「それは……チトセさんが、一人でって……」
「それだけですか?」
「そ、それは……」
彼の瞳に見つめられると、どうしてか思考が鈍って、嘘がつけなくなる。
「チトセさんは……トワのこと、良く思ってないみたいだから。だから、もしかして……」
「もしかして?」
チトセに促され、柚姫はたどたどしく続ける。
「その、チトセさんは吸血鬼ハンターなのかなって……思って……」
もし狙われているのが自分ではなく、トワの方だったら――そう思ったら、トワに手紙のことを話せなかった。
だが――
チトセは虚をつかれた顔をし、やがて、身体を揺するようにして笑いだした。
「ふ……あはは」
「チトセさん……?」
そんな風に感情を前面に出すチトセを見るのは初めてで、柚姫はただ茫然とその様子を眺めるしかなかった。
失礼、と彼は額に手を当てた。
「まさか、この私を吸血鬼ハンターとは……柚姫はかなか想像力が豊かですね」
笑いをおさめたかと思えば、今度はくすくすと笑っている。
「す、すみません……」
突拍子もないことを言ってしまったことが急に恥ずかしくなり、うつむく。
「いえ、私の方こそ失礼しました。……まだ、訊きたいことがあるのでしょう?」
柚姫ははっとなる。――そうだ、肝心のことを訊いていない。
「あの、手紙にあった……」
「病ですか?」
「――っ、そう……です。あれは、どういう意味ですか?」
射るような眼差しの柚姫に、チトセはふぅ……と溜息を落とした。
「面白くないですね」
「え?」
「私にむけられるその真剣な瞳は、私のためではないのでしょう?」
「え? ……っ」
すっと伸びてきた手に柚姫はびくっと身を引くが、彼の手が頬に触れた瞬間、まるで金縛りにあったように身体が動かなくなる。
すぐにでもこの場を逃げ去りたいのに、どうして――
「病について教えてあげても良いですが……知ったら、あなたは後悔するかもしれませんよ?」
「どういう……意味ですか?」
「彼は、あなた以外の血を飲めなくなった。違いますか?」
「な……」
「どうしてそのことを知っているのか……という顔ですね。ですが、それこそがあなたが知りたがっていることですよ、柚姫」
柚姫の瞳が、戸惑いに揺れる。
「私の血しか飲めなくなったことが、病……?」
「そうです。不老不死である吸血鬼が、稀に患う唯一の病。心の病でしょうか……愛しいと想う相手の血しか、受けつけなくなります」
愛しいと想う相手? え、それって――
チトセは冷やかに笑った。
「嬉しいですか? あなたの想い人の気持ちを知って」
その言葉にはっとなり、柚姫は慌てて否定した。
「わ、私は別に!」
「私にうそをついているつもりですか? あなたの心は、こんなにも彼でいっぱいなのに」
胸に手を当てられ、柚姫の心臓が跳ねた。
「その心臓の高鳴りは、彼を想ってのものでしょう? それとも、私にこうされるのが分かっているからですか?」
手首を掴まれ、強く引きよせられる。
考える間もなく、柚姫の身体はチトセの腕に捕われていた。
「は、離してくださいっ!」
抗おうにも、強く抱き締められ身動きがとれない。
「柚姫は……」
耳元で囁かれる。
「その病が何を意味しているのか、分かっていますか?」
「やめて……くださ……」
「人間は吸血鬼のように、永遠を生きることができますか?」
「何を言って――」
そんなわけない。
そう言おうとした瞬間、はっとある考えが頭に浮かび、必死で抵抗する柚姫の身体から力が抜けた。
「気がつきましたか?」
さらりと髪を撫でられるが、自失する柚姫はそれを気にすることができなかった。
「そんな……私が死んだら……トワは……」
「あなたの血しか受けつけなくなった彼も、いずれ死ぬことになります。あなたのあとを追って、ね」
「そん……な……」
自分でも分からない感情が、全身を震わせた。
恐怖とも違う……いや、自分がいつかトワを死なせてしまうという恐怖からなのか、震えが止まらない。
チトセは静かに言った。
「でも、一つだけ、彼が助かる方法があります。それが何だか分かりますか?」
「えっ……?」
「柚姫も吸血鬼になればいい。吸血鬼になれば、永遠を生きることができる。……そうでしょう?」
最後の言葉は、柚姫にむけられたものではなかった。
「離れろ――」
礼拝堂に、チトセではない声が響いた。
剣道部の練習へ向かった遥香と別れた柚姫は、二階の渡り廊下から礼拝堂へと足を運んだ。
放課後はハンドベル部や聖歌隊の練習に使われていることがほとんどだが、礼拝堂後方の扉を開いて中へ入ると、思いがけず誰の姿もなく、柚姫は目を瞠った。
辺りはしんと静まり返っている。
神父が説教をする壇上のステンドグラスからは、きらきらと陽の光が射し、高々と掲げられた金色の十字架が、その光を受けて神秘的な輝きを放っている。
床は緩やかに傾斜していて、後ろの席へ行けば行くほど、壇上を見下ろすかたちになる。
柚姫は周りに気を配りながら、ゆっくりと壇上へ向かって降りていく。
礼拝堂全体が洗練された空気に包まれていて、柚姫の緊張を少しだけ和らげてくれる。
「まだ来てないんだ……」
誰にともなく呟くと、誰もいないはずの空間に、唐突に低い男の声が響いた。
「来てくださったんですね――」
はっと声のした方を振り返る。
壇上の傍らに置かれたパイプオルガン――その椅子に、声の主はゆったりと腰かけていた。
「チトセさん……?」
ついさっきまで、そこに人の姿なんてあっただろうか。
チトセは笑み一つ浮かべると、優雅な所作で立ち上がり柚姫を迎えた。
「お待ちしてました」
「あっ……」
訊きたいことはたくさんあるのに、いざ彼を前にすると、言葉が喉の奥につかえて出てこない。
視線をさまよわせながら、他に誰もいないことを不審に思っていると、チトセは柚姫の心を見透かすように言った。
「ああ、他の方々には出て行っていただきました。あなたとの逢瀬を、誰にも邪魔されたくはありませんからね」
何でもないことのように言われ、柚姫はごくりと唾を飲み込んだ。
どうして部外者である彼の言うことを、皆、素直に聞いたのか。
そんな疑問が当然、頭をよぎったけれど、まずは朝からずっと頭の中に渦巻いていた疑問を、おそるおそる口にした。
「あの、どうして手紙なんか……?」
「それはもちろん、あなたの騎士に邪魔されたくないからです。まさか、四六時中あなたのことを見守るなんて、思いませんでしたよ」
睫毛を伏せ、皮肉めいた笑みを浮かべる。
「――陽の光は、彼の者には酷でしょうに」
その言葉が、柚姫の疑念を確信へと変えた。
「やっぱり、チトセさんは……」
「ええ、知っています。彼は吸血鬼なのでしょう?」
言葉を失う柚姫に、それより、とチトセは話をすり替えた。
「どうして一人で来たのですか? 彼は今も近くにいるのでしょう?」
「それは……チトセさんが、一人でって……」
「それだけですか?」
「そ、それは……」
彼の瞳に見つめられると、どうしてか思考が鈍って、嘘がつけなくなる。
「チトセさんは……トワのこと、良く思ってないみたいだから。だから、もしかして……」
「もしかして?」
チトセに促され、柚姫はたどたどしく続ける。
「その、チトセさんは吸血鬼ハンターなのかなって……思って……」
もし狙われているのが自分ではなく、トワの方だったら――そう思ったら、トワに手紙のことを話せなかった。
だが――
チトセは虚をつかれた顔をし、やがて、身体を揺するようにして笑いだした。
「ふ……あはは」
「チトセさん……?」
そんな風に感情を前面に出すチトセを見るのは初めてで、柚姫はただ茫然とその様子を眺めるしかなかった。
失礼、と彼は額に手を当てた。
「まさか、この私を吸血鬼ハンターとは……柚姫はかなか想像力が豊かですね」
笑いをおさめたかと思えば、今度はくすくすと笑っている。
「す、すみません……」
突拍子もないことを言ってしまったことが急に恥ずかしくなり、うつむく。
「いえ、私の方こそ失礼しました。……まだ、訊きたいことがあるのでしょう?」
柚姫ははっとなる。――そうだ、肝心のことを訊いていない。
「あの、手紙にあった……」
「病ですか?」
「――っ、そう……です。あれは、どういう意味ですか?」
射るような眼差しの柚姫に、チトセはふぅ……と溜息を落とした。
「面白くないですね」
「え?」
「私にむけられるその真剣な瞳は、私のためではないのでしょう?」
「え? ……っ」
すっと伸びてきた手に柚姫はびくっと身を引くが、彼の手が頬に触れた瞬間、まるで金縛りにあったように身体が動かなくなる。
すぐにでもこの場を逃げ去りたいのに、どうして――
「病について教えてあげても良いですが……知ったら、あなたは後悔するかもしれませんよ?」
「どういう……意味ですか?」
「彼は、あなた以外の血を飲めなくなった。違いますか?」
「な……」
「どうしてそのことを知っているのか……という顔ですね。ですが、それこそがあなたが知りたがっていることですよ、柚姫」
柚姫の瞳が、戸惑いに揺れる。
「私の血しか飲めなくなったことが、病……?」
「そうです。不老不死である吸血鬼が、稀に患う唯一の病。心の病でしょうか……愛しいと想う相手の血しか、受けつけなくなります」
愛しいと想う相手? え、それって――
チトセは冷やかに笑った。
「嬉しいですか? あなたの想い人の気持ちを知って」
その言葉にはっとなり、柚姫は慌てて否定した。
「わ、私は別に!」
「私にうそをついているつもりですか? あなたの心は、こんなにも彼でいっぱいなのに」
胸に手を当てられ、柚姫の心臓が跳ねた。
「その心臓の高鳴りは、彼を想ってのものでしょう? それとも、私にこうされるのが分かっているからですか?」
手首を掴まれ、強く引きよせられる。
考える間もなく、柚姫の身体はチトセの腕に捕われていた。
「は、離してくださいっ!」
抗おうにも、強く抱き締められ身動きがとれない。
「柚姫は……」
耳元で囁かれる。
「その病が何を意味しているのか、分かっていますか?」
「やめて……くださ……」
「人間は吸血鬼のように、永遠を生きることができますか?」
「何を言って――」
そんなわけない。
そう言おうとした瞬間、はっとある考えが頭に浮かび、必死で抵抗する柚姫の身体から力が抜けた。
「気がつきましたか?」
さらりと髪を撫でられるが、自失する柚姫はそれを気にすることができなかった。
「そんな……私が死んだら……トワは……」
「あなたの血しか受けつけなくなった彼も、いずれ死ぬことになります。あなたのあとを追って、ね」
「そん……な……」
自分でも分からない感情が、全身を震わせた。
恐怖とも違う……いや、自分がいつかトワを死なせてしまうという恐怖からなのか、震えが止まらない。
チトセは静かに言った。
「でも、一つだけ、彼が助かる方法があります。それが何だか分かりますか?」
「えっ……?」
「柚姫も吸血鬼になればいい。吸血鬼になれば、永遠を生きることができる。……そうでしょう?」
最後の言葉は、柚姫にむけられたものではなかった。
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