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12. 美しいとは思いませんか?

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 いつまでそうしていただろうか。

 思い出したように時計に目をやると、お昼をとうにすぎていることに驚かされる。

 柚姫は朝のできごとを頭の中で反芻はんすうしていた。

 あんなトワを見たのは初めてだった。あんなに苦しそうな顔を見るのも。

 様子を確かめたいのに、会ってはいけないような気がした。

 それで柚姫はトワの言いつけを守ってずっとダイニングにいた。

 カチ、コチ、と時計の音だけが響いている。

 ――ほんの少し、自分のことを語りたい気分だった。

 すぐに視線をらされたが、あれはトワの本心だ。

「あー、もう! トワのこと考えてばっかりだ」

 こんなにも誰かのことを考えたのは初めてだ。

 トワのことを知りたいと思う気持ちは大きくなる一方である。

 しばら悶々もんもんとしていた柚姫だが、よし、と自分に活を入れる。

「こうなったら、行動あるのみよ!」

 簡単に昼食を済まし、柚姫は家を飛び出した。

 思いついたようにむかった先は、自転車を飛ばして十分ほどの場所にある市立図書館。

 この辺りでは一番大きく、利用者も多い。

 柚姫は別に読書家ではないが、何か考えごとをしたいときや落ち込んだとき、よく来ていた。

 両親を事故で亡くしてからは、思い出の残る家にいるのが辛くて毎日のように足を運んでいたことを思い出す。

 そして――また一つ気づいてしまった。

 トワが居候いそうろうするようになってからは、図書館へ来ることすら忘れていた。

 トワの存在は自分でも知らないうちに、それだけ大きなものになっていた。

 柚姫は本を何冊か選び、誰もいないテーブルを探して席についた。

 脇に積んだ本の中から一冊を手に取って、目次も見ずに適当なページを開く。

 開いたページは丁度左側が、まるまる挿絵になっていた。

 ふっ……と本に影が落ちる。

 顔を上げた先に見覚えのある顔を見つけ、柚姫は自分の目を疑った。

「こんなところでお会いするなんて、またもや奇遇ですね」

 こんな屋内でもきらきらと輝く金色の髪、深い灰色の瞳。

 そして、微笑みを刻んだ天使のような美貌。

「あなたは……公園の……」

 男は苦笑する。

「ずっと公園で会った人、と呼ばれるのは悲しいものですね。それに、朝お会いしたばかりではありませんか。そこは、お隣の……と言うべきでは?」

 柚姫は慌てて謝罪する。

「すみません、えっと……」
「チトセです」
「チトセさん……」
「はい」

 名前を呼ぶと、チトセは嬉しそうに笑みを返した。

「もしかして、あの公園には何か思い入れがあるのですか?」
「えっ?」

 図星を指され、柚姫は取りつくろうことを忘れる。

「その顔は当たりですね。私との出逢いもあなたの特別になると良いのですが」

 柚姫は曖昧あいまいに笑った。

 チトセの表情を注意深く観察する。

 悪意は感じない。

 でも何故だろう。

 その穏やかな笑みが、仮面のように思えてしまうのは。

「あっ……」

 柚姫が何かを言う前に、チトセは柚姫の隣にすとんと腰を下ろした。

「何か調べものですか?」
「いえ……そういうわけでもないんですけど」
「おや、これは……」

 チトセは開かれたページの挿絵を見て、目を見開いた。

「興味があるのですか?」

 挿絵には、ベッドに横たわった美女が黒ずくめの吸血鬼に血を吸われている様子が描かれている。

「あの、興味というか……」
「隠さなくていいですよ。むしろ、嬉しく思います」
「嬉しい?」

 意味を測りかねて訊き返すと、チトセはじっと柚姫の顔を覗き込む。

「私も興味があります」
「興味って……吸血鬼にですか?」
「そうです。美しいとは思いませんか? 悠久のときの流れを生きる吸血鬼。病どころか死からも解放され、永遠に生きてみたいとは思いませんか?」

 チトセの細い指が、悠久のときを物語るかのように、挿絵の上を妖しくなぞる。

「私は……」

 死にたいと言ったときのトワの悲しい顔が、柚姫の脳裏をよぎる。

「悲しい……と思います」
「悲しい?」
「永遠なんて……悲しいです」

 チトセは興味深そうに、柚姫を見つめた。

「チトセさん……?」

 むけられた瞳は何処か淋しげで、何故だろう、ほんの少し……トワに似ている気がした。

「柚姫は、吸血鬼についてどれくらい知っていますか? ああ、失礼。柚姫とお呼びしても?」
「え、あ、はい」

 いきなり名前で呼ばれ、咄嗟とっさに受け入れてしまう。

 終始、微笑んではいるけれど、有無を言わせない威圧感があった。

「どれくらい……」

 吸血鬼について知っていること。

 伝承にあるような十字架もニンニクも平気で。でも太陽には弱くて。永遠の命を持っていて。

「……」

 考えてみれば、伝承にもうとい柚姫は吸血鬼についての知識はほとんどない。

 それに、伝承があてにならないと思い知らされたばかりである。こんな風に書物で調べても、意味がないのかもしれない。

「その様子はあまりご存じないようですね。では――」

 チトセは何処からともなくそれを取り出すと、落胆する柚姫にそっと差し出した。

 柚姫は何の疑問も持たずに受け取る。

 受け取ってから、それが映画のチケットであることが分かった。

「鮮血の……薔薇ばら?」
「はい。最近公開されたばかりの吸血鬼映画です。と言っても、これで吸血鬼の何たるかを理解できるわけではありませんが、どうですか?」
「どう?」

 チトセは苦笑した。

「ですから、ご一緒にと思いまして。明日は祝日ですから、学校はお休みでしょう?」
「えっ」
「もうチケットを受け取ったのですから、拒否権はありませんよ?」

 こちらの都合などお構いなしにチトセは穏やかに断じる。

「あの、困りま……」

 断ろうとするがチトセは既に立ち上がっていた。

「それでは、明日お迎えに上がりますね」
「あ、はい……」

 笑みに気圧けおされ、思わずそう答えてしまっていた。
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