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泡沫夢幻といきたいところだけれど、事実は小説より奇なり
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「なぁアネモネ、そんなに私と会うのが苦痛なのかい?」
「……っ」
この人は、なんて馬鹿なことを聞くのだろう。
うっかり声を上げてしまいそうになったアネモネは、両手で口を抑えながらまた首を横に振った。
嫌いな相手だったら、こんなに動揺なんかしない。
上手に誤魔化して追い払うことができる。
特別な人だからこそ、これほどまでに取り乱しているのだ。
そんなふうに頭の中では言いたいことが、つらつらと溢れてくる。でも、それを言葉として声にすることができない。
とにかく落ち着きたい。水を一杯、飲む猶予だけは与えて欲しい。
アネモネが今求めているのはそれだけだ。そしてありったけの勇気を振り絞って、それを伝えようとした。
けれどそれよりも早く、扉越しにソレールが溜息を付いた気配が伝わってきた。
「…… そうか。わかった。なら仕方がないね」
少しの沈黙の後、ソレールは冷たい声でそう言った。
「違っ、ま、待って」
途半端に立ち上がり声を掛けるも、既に扉越しにソレールの気配は無い。
絶望が全身を捕らえ、アネモネはカクンと両膝を床に付いた。そして、そのまま項垂れる。
これまで何度も図々しい態度を取ったり、困らせたりしたのに、ソレールは一度も怒ることは無かった。一度だけ激昂した時は、自分を心配する感情からくるもの。
つまりソレールは、今、自分に対して心底呆れたのだ。呆れて、この場から去ってしまったのだ。
その事実を受け止めた瞬間、アネモネの瞳に涙がジワリと滲む。けれど、それが頬に伝う前に、手の甲で乱暴に拭った。
── めそめそしている場合じゃないっ。今すぐ追いかけないと。
そう思って再び立ち上がろうとした瞬間、家の中から物音が聞こえた。
「…… は?」
この家には自分しかいない。
ごく稀に小さな動物が迷い込んだりするけれど、この音はどう考えても人の足音だ。
しかも足音は、ずんずんこちらにやってくる。と同時に身体が小刻みに震える。
「ちょ、ま、ま、待って」
アネモネは不法侵入者に怯えているわけではない。
この足音が誰かわかっている。わかっているからこそ、動揺している。
「悪いけど、君があんまり頑固なもので、強硬手段を取らせてもらったよ。許してくれ」
ぴたりと足音が止まったと同時に、不法侵入者ことソレールは堂々とした口調でそう言った。
「ま、窓から入ったの?!」
「ああ」
「不法侵入!!」
「仕方がないだろう。鍵が掛かっていたんだから」
雨が降ったから傘をさしたという感じで、至極当たり前の口調で言われたところで納得できるわけがない。
「君だって、窓から出たことがあるだろう?」
「なっ」
短い言葉を吐いたあと、空気が足りない魚のように口をパクパクさせるアネモネに、ソレールは近づくと手を伸ばした。顎を優しく掴み、親指の腹で唇を履く。
こんな触れあいはこれまでなかった。
言葉として受け止めてはいないけれど、ソレールが自分を想ってくれていという確信は持っていた。だが、いずれ彼の記憶から消えると解っていたから、その先などまったく想像してなかった。
だからアネモネは気持ちが追い付いていない。ソレールが同じ想いを抱いていても、実感は出来ていなかったのだ。
なのに、なのに、ソレールはそんなアネモネの気持ちを汲んで、待とうとはしてくれない。
「……っ」
この人は、なんて馬鹿なことを聞くのだろう。
うっかり声を上げてしまいそうになったアネモネは、両手で口を抑えながらまた首を横に振った。
嫌いな相手だったら、こんなに動揺なんかしない。
上手に誤魔化して追い払うことができる。
特別な人だからこそ、これほどまでに取り乱しているのだ。
そんなふうに頭の中では言いたいことが、つらつらと溢れてくる。でも、それを言葉として声にすることができない。
とにかく落ち着きたい。水を一杯、飲む猶予だけは与えて欲しい。
アネモネが今求めているのはそれだけだ。そしてありったけの勇気を振り絞って、それを伝えようとした。
けれどそれよりも早く、扉越しにソレールが溜息を付いた気配が伝わってきた。
「…… そうか。わかった。なら仕方がないね」
少しの沈黙の後、ソレールは冷たい声でそう言った。
「違っ、ま、待って」
途半端に立ち上がり声を掛けるも、既に扉越しにソレールの気配は無い。
絶望が全身を捕らえ、アネモネはカクンと両膝を床に付いた。そして、そのまま項垂れる。
これまで何度も図々しい態度を取ったり、困らせたりしたのに、ソレールは一度も怒ることは無かった。一度だけ激昂した時は、自分を心配する感情からくるもの。
つまりソレールは、今、自分に対して心底呆れたのだ。呆れて、この場から去ってしまったのだ。
その事実を受け止めた瞬間、アネモネの瞳に涙がジワリと滲む。けれど、それが頬に伝う前に、手の甲で乱暴に拭った。
── めそめそしている場合じゃないっ。今すぐ追いかけないと。
そう思って再び立ち上がろうとした瞬間、家の中から物音が聞こえた。
「…… は?」
この家には自分しかいない。
ごく稀に小さな動物が迷い込んだりするけれど、この音はどう考えても人の足音だ。
しかも足音は、ずんずんこちらにやってくる。と同時に身体が小刻みに震える。
「ちょ、ま、ま、待って」
アネモネは不法侵入者に怯えているわけではない。
この足音が誰かわかっている。わかっているからこそ、動揺している。
「悪いけど、君があんまり頑固なもので、強硬手段を取らせてもらったよ。許してくれ」
ぴたりと足音が止まったと同時に、不法侵入者ことソレールは堂々とした口調でそう言った。
「ま、窓から入ったの?!」
「ああ」
「不法侵入!!」
「仕方がないだろう。鍵が掛かっていたんだから」
雨が降ったから傘をさしたという感じで、至極当たり前の口調で言われたところで納得できるわけがない。
「君だって、窓から出たことがあるだろう?」
「なっ」
短い言葉を吐いたあと、空気が足りない魚のように口をパクパクさせるアネモネに、ソレールは近づくと手を伸ばした。顎を優しく掴み、親指の腹で唇を履く。
こんな触れあいはこれまでなかった。
言葉として受け止めてはいないけれど、ソレールが自分を想ってくれていという確信は持っていた。だが、いずれ彼の記憶から消えると解っていたから、その先などまったく想像してなかった。
だからアネモネは気持ちが追い付いていない。ソレールが同じ想いを抱いていても、実感は出来ていなかったのだ。
なのに、なのに、ソレールはそんなアネモネの気持ちを汲んで、待とうとはしてくれない。
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