62 / 76
7.親の因果が子に報う。以上、始めは猿の如く後は脱兎の如し
7
しおりを挟む
腕輪が形を変える直前、アネモネはソレールは唇を塞ごうと思った─── 自分の唇で。
でも、背伸びをして彼の頬に手を添えようととした瞬間、己の手首に腕輪がはめられているのに気付いた。
それは、幸せだった時間が閉幕した合図であった。
「えっと……君は……」
あれほど好きだと訴えていた茶褐色の瞳は、不審者を見る目に変わっていた。
記憶が消えたソレールは、見知らぬ小娘が屋敷に侵入したことを警戒しているようだった。
いや露骨に胡散臭い目を向けている。警護団に連れていかれるのは時間の問題だった。
「ごめんなさい。お庭があまりに綺麗で……」
アネモネは眉を下げ、頭も下げた。
頭上から呆れた息が降ってくる。
「そうか。だが、ここは邸宅、他人が住む家だ。勝手に入って貰っては困る。今日は見逃してあげるから、お家に帰りなさい」
「はい。親切な騎士様、ありがとうございます」
もう一度頭を下げたアネモネはソレールのポケットに、そっと彼の自宅の鍵を入れた。
アネモネはソレールに背を向け、ブルファ邸の外に出た。
人混みに紛れて、街道を歩く。
肉串を売っている屋台に目を向けたら、店主と目が合った。
すっかり顔なじみになってしまった店主は、昨日までだったら手を挙げて『食っていきな!』と声を掛けてくれた。
けれど今は、アネモネをただの通行人と認識して、すぐに目を逸らすと忙しそうに肉を焼き始めてしまった。
アネモネはまた、街道を進む。
どこをどう歩いたのかわからない。ただ気付けば、いつぞやの空き地のベンチに腰かけていた。
どれだけ待っても、ソレールは迎えに来てくれない。
そうわかっていても、アネモネは動くことができなかった。
好きだった。大好きだった。
名を呼んでくれる、低く優しい声が。
頭を撫でてくれる、大きな手が。
抱き着いた時に香る、甘い香りが。
隣に居てドキドキして、これは恋だと思った。
でももう二度と彼の隣に立つことができないと知った時、自分が思っていた以上に彼の事を好きだったことを知ってしまった。
自分は失恋したのだ。
改めてそれに気付いた途端、痛く、苦しく、惨めで寂しい思いが、アネモネの心の中に溢れてくる。
「……し、師匠ぅ」
アネモネはくしゃりと顔を歪めて、空を見上げて呟いた。まるで迷子になった子供が母親を求めるように。
自分の感情が上手くコントロールできない。ちょっとでも気を抜けば、声を上げて泣き始めてしまいそうだ。
アネモネは堅く目をつぶった。しばらくの間秋風に、自身の髪を遊ばせる。
「師匠」
再びアネモネは、空を見上げて呟く。
口調は芯があるもので、浮かぶ表情は一つの仕事をやり遂げた紡織師のそれ。
「師匠、私は無事、お仕事を終えました」
勢い良く立ち上がったと同時に、空にいる師匠に報告を終えたアネモネは、しっかりとした足取りで帰路についた。
でも、背伸びをして彼の頬に手を添えようととした瞬間、己の手首に腕輪がはめられているのに気付いた。
それは、幸せだった時間が閉幕した合図であった。
「えっと……君は……」
あれほど好きだと訴えていた茶褐色の瞳は、不審者を見る目に変わっていた。
記憶が消えたソレールは、見知らぬ小娘が屋敷に侵入したことを警戒しているようだった。
いや露骨に胡散臭い目を向けている。警護団に連れていかれるのは時間の問題だった。
「ごめんなさい。お庭があまりに綺麗で……」
アネモネは眉を下げ、頭も下げた。
頭上から呆れた息が降ってくる。
「そうか。だが、ここは邸宅、他人が住む家だ。勝手に入って貰っては困る。今日は見逃してあげるから、お家に帰りなさい」
「はい。親切な騎士様、ありがとうございます」
もう一度頭を下げたアネモネはソレールのポケットに、そっと彼の自宅の鍵を入れた。
アネモネはソレールに背を向け、ブルファ邸の外に出た。
人混みに紛れて、街道を歩く。
肉串を売っている屋台に目を向けたら、店主と目が合った。
すっかり顔なじみになってしまった店主は、昨日までだったら手を挙げて『食っていきな!』と声を掛けてくれた。
けれど今は、アネモネをただの通行人と認識して、すぐに目を逸らすと忙しそうに肉を焼き始めてしまった。
アネモネはまた、街道を進む。
どこをどう歩いたのかわからない。ただ気付けば、いつぞやの空き地のベンチに腰かけていた。
どれだけ待っても、ソレールは迎えに来てくれない。
そうわかっていても、アネモネは動くことができなかった。
好きだった。大好きだった。
名を呼んでくれる、低く優しい声が。
頭を撫でてくれる、大きな手が。
抱き着いた時に香る、甘い香りが。
隣に居てドキドキして、これは恋だと思った。
でももう二度と彼の隣に立つことができないと知った時、自分が思っていた以上に彼の事を好きだったことを知ってしまった。
自分は失恋したのだ。
改めてそれに気付いた途端、痛く、苦しく、惨めで寂しい思いが、アネモネの心の中に溢れてくる。
「……し、師匠ぅ」
アネモネはくしゃりと顔を歪めて、空を見上げて呟いた。まるで迷子になった子供が母親を求めるように。
自分の感情が上手くコントロールできない。ちょっとでも気を抜けば、声を上げて泣き始めてしまいそうだ。
アネモネは堅く目をつぶった。しばらくの間秋風に、自身の髪を遊ばせる。
「師匠」
再びアネモネは、空を見上げて呟く。
口調は芯があるもので、浮かぶ表情は一つの仕事をやり遂げた紡織師のそれ。
「師匠、私は無事、お仕事を終えました」
勢い良く立ち上がったと同時に、空にいる師匠に報告を終えたアネモネは、しっかりとした足取りで帰路についた。
0
お気に入りに追加
181
あなたにおすすめの小説
王妃の手習い
桃井すもも
恋愛
オフィーリアは王太子の婚約者候補である。しかしそれは、国内貴族の勢力バランスを鑑みて、解消が前提の予定調和のものであった。
真の婚約者は既に内定している。
近い将来、オフィーリアは候補から外される。
❇妄想の産物につき史実と100%異なります。
❇知らない事は書けないをモットーに完結まで頑張ります。
❇妄想スイマーと共に遠泳下さる方にお楽しみ頂けますと泳ぎ甲斐があります。
「お前を妻だと思ったことはない」と言ってくる旦那様と離婚した私は、幼馴染の侯爵から溺愛されています。
木山楽斗
恋愛
第二王女のエリームは、かつて王家と敵対していたオルバディオン公爵家に嫁がされた。
因縁を解消するための結婚であったが、現当主であるジグールは彼女のことを冷遇した。長きに渡る因縁は、簡単に解消できるものではなかったのである。
そんな暮らしは、エリームにとって息苦しいものだった。それを重く見た彼女の兄アルベルドと幼馴染カルディアスは、二人の結婚を解消させることを決意する。
彼らの働きかけによって、エリームは苦しい生活から解放されるのだった。
晴れて自由の身になったエリームに、一人の男性が婚約を申し込んできた。
それは、彼女の幼馴染であるカルディアスである。彼は以前からエリームに好意を寄せていたようなのだ。
幼い頃から彼の人となりを知っているエリームは、喜んでその婚約を受け入れた。二人は、晴れて夫婦となったのである。
二度目の結婚を果たしたエリームは、以前とは異なる生活を送っていた。
カルディアスは以前の夫とは違い、彼女のことを愛して尊重してくれたのである。
こうして、エリームは幸せな生活を送るのだった。
運命の番?棄てたのは貴方です
ひよこ1号
恋愛
竜人族の侯爵令嬢エデュラには愛する番が居た。二人は幼い頃に出会い、婚約していたが、番である第一王子エリンギルは、新たに番と名乗り出たリリアーデと婚約する。邪魔になったエデュラとの婚約を解消し、番を引き裂いた大罪人として追放するが……。一方で幼い頃に出会った侯爵令嬢を忘れられない帝国の皇子は、男爵令息と身分を偽り竜人国へと留学していた。
番との運命の出会いと別離の物語。番でない人々の貫く愛。
※自己設定満載ですので気を付けてください。
※性描写はないですが、一線を越える個所もあります
※多少の残酷表現あります。
以上2点からセルフレイティング
公爵様、契約通り、跡継ぎを身籠りました!-もう契約は満了ですわよ・・・ね?ちょっと待って、どうして契約が終わらないんでしょうかぁぁ?!-
猫まんじゅう
恋愛
そう、没落寸前の実家を助けて頂く代わりに、跡継ぎを産む事を条件にした契約結婚だったのです。
無事跡継ぎを妊娠したフィリス。夫であるバルモント公爵との契約達成は出産までの約9か月となった。
筈だったのです······が?
◆◇◆
「この結婚は契約結婚だ。貴女の実家の財の工面はする。代わりに、貴女には私の跡継ぎを産んでもらおう」
拝啓、公爵様。財政に悩んでいた私の家を助ける代わりに、跡継ぎを産むという一時的な契約結婚でございましたよね・・・?ええ、跡継ぎは産みました。なぜ、まだ契約が完了しないんでしょうか?
「ちょ、ちょ、ちょっと待ってくださいませええ!この契約!あと・・・、一体あと、何人子供を産めば契約が満了になるのですッ!!?」
溺愛と、悪阻(ツワリ)ルートは二人がお互いに想いを通じ合わせても終わらない?
◆◇◆
安心保障のR15設定。
描写の直接的な表現はありませんが、”匂わせ”も気になる吐き悪阻体質の方はご注意ください。
ゆるゆる設定のコメディ要素あり。
つわりに付随する嘔吐表現などが多く含まれます。
※妊娠に関する内容を含みます。
【2023/07/15/9:00〜07/17/15:00, HOTランキング1位ありがとうございます!】
こちらは小説家になろうでも完結掲載しております(詳細はあとがきにて、)
旦那様、前世の記憶を取り戻したので離縁させて頂きます
結城芙由奈
恋愛
【前世の記憶が戻ったので、貴方はもう用済みです】
ある日突然私は前世の記憶を取り戻し、今自分が置かれている結婚生活がとても理不尽な事に気が付いた。こんな夫ならもういらない。前世の知識を活用すれば、この世界でもきっと女1人で生きていけるはず。そして私はクズ夫に離婚届を突きつけた―。
今日も旦那は愛人に尽くしている~なら私もいいわよね?~
コトミ
恋愛
結婚した夫には愛人がいた。辺境伯の令嬢であったビオラには男兄弟がおらず、子爵家のカールを婿として屋敷に向かい入れた。半年の間は良かったが、それから事態は急速に悪化していく。伯爵であり、領地も統治している夫に平民の愛人がいて、屋敷の隣にその愛人のための別棟まで作って愛人に尽くす。こんなことを我慢できる夫人は私以外に何人いるのかしら。そんな考えを巡らせながら、ビオラは毎日夫の代わりに領地の仕事をこなしていた。毎晩夫のカールは愛人の元へ通っている。その間ビオラは休む暇なく仕事をこなした。ビオラがカールに反論してもカールは「君も愛人を作ればいいじゃないか」の一点張り。我慢の限界になったビオラはずっと大切にしてきた屋敷を飛び出した。
そしてその飛び出した先で出会った人とは?
(できる限り毎日投稿を頑張ります。誤字脱字、世界観、ストーリー構成、などなどはゆるゆるです)
hotランキング1位入りしました。ありがとうございます
妹と旦那様に子供ができたので、離縁して隣国に嫁ぎます
冬月光輝
恋愛
私がベルモンド公爵家に嫁いで3年の間、夫婦に子供は出来ませんでした。
そんな中、夫のファルマンは裏切り行為を働きます。
しかも相手は妹のレナ。
最初は夫を叱っていた義両親でしたが、レナに子供が出来たと知ると私を責めだしました。
夫も婚約中から私からの愛は感じていないと口にしており、あの頃に婚約破棄していればと謝罪すらしません。
最後には、二人と子供の幸せを害する権利はないと言われて離縁させられてしまいます。
それからまもなくして、隣国の王子であるレオン殿下が我が家に現れました。
「約束どおり、私の妻になってもらうぞ」
確かにそんな約束をした覚えがあるような気がしますが、殿下はまだ5歳だったような……。
言われるがままに、隣国へ向かった私。
その頃になって、子供が出来ない理由は元旦那にあることが発覚して――。
ベルモンド公爵家ではひと悶着起こりそうらしいのですが、もう私には関係ありません。
※ざまぁパートは第16話〜です
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる