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3.暖炉とお茶と、紙の音

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 たった数日留守にしていただけだというのに、家の中は澱んだ空気が充満していた。

 いつもなら玄関扉を開けた途端ほっとするというのに、今日に限っては余所の家に足を踏み込んでしまったかのような違和感を覚えてしまった。
 
 モニカは、家も生き物なんだということを知る。
 
「お嬢様、僭越ながらわたくしもお手伝いさせていただきます」

 玄関から3歩入って固まってしまったモニカに、メイドは恐る恐る声を掛けた。

(お嬢様? ……誰が? え゛、まさか私が?)

 ぎちぎちと音がしそうな程ぎこちなくメイドを見れば、「貴方様しかいないでしょ」という目で見られてしまった。

 なるほど。そうか、自分はお嬢様なんだ。

 と、あっさり納得できるわけがない。そして、田舎娘に向かってお嬢様と呼ばなくてはいけないメイドが気の毒でならない。

「あのう、モニカと呼び捨てで良いですよ」
「いけませんっ」

 まるで今すぐ死ねと言われたかのような青い顔をして、メイドは食い気味に首を横に振った。

「旦那様すらお呼びになっていないというのに、お嬢様のお名前をわたくしが呼ぶなんて、そんな……そんな……」

 謙遜というよりは怯えた表情を浮かべるメイドを見て、モニカは「はぁ」と曖昧な返事しかできない。

 言われてみれば、確かにクラウディオは普段モニカのことを”君”と読んでいる。

 名を呼ばれたのは、一度だけ。ファネーレ邸にお世話になる、ならないで揉めた時だけだ。

 ただ別段名を呼ばれないことで困ることは無かったので、これまで気付くことは無かった。それに部屋に引きこもってばかりだったから、使用人の皆様と触れ合う機会も皆無だった。

 余談だが、貴族社会では未婚の女性のファーストネームを許可無く呼ぶのは、無作法とされている。

 だがここは辺境の村だ。そしてモニカは貴族ではない。田舎娘だ。そんな人間に対して、礼儀を守る必要は無いだろう。

 もっと言うなら、無遠慮に自宅に侵入したこととか、力任せに玄関扉をこじ開けたことに対してもう少し気遣いを持ってほしかった。

(……ま、もう怒ってはいないけど……)

 要はお嬢様と呼ばれないようにするには、クラウディオが自分の事を名前で呼べば良いと言うことで。

 モニカはメイドに「ちょっと失礼」と声を掛けると、くるりと背を向けて駆けだした。

 クラウディオは、庭で村民に扮した警備の者達と何か話し込んでいた。 

 神妙な顔で報告を聞いているクラウディオは、気軽に声をかけて良い雰囲気では無かった。

「ん? どうした?」

 ぱたりと足を止めた途端、クラウディオは話を中断し、こちらに振り返った。

「あ、や……えっと」

 まさか先に話しかけられるとは思っていなかったモニカは、驚いて後退りしてしまう。

 クラウディオは大股で空いた距離を詰める。でも、その表情はとても穏やかなものだった。

「領主様、お話中にすみません」
「いや、君が気にすることではない。ところで、何かあったのか?」
「何もないですが、えっと……私の名前はモニカと言います。今から私の事をモニカと呼んで下さい」

 急に始まった自己紹介にクラウディオは目をぱちくりとさせた。

「あ……ああ」

 どこか上の空の返事に、モニカは小石を蹴りたくなった。

 でも拗ねた顔など見せたくないモニカは、「じゃあ、そういうことでお邪魔しました」と言い捨てて、再び自宅に戻る。

 パタパタと去っていくモニカの背を見つめているクラウディオの首筋はじっとりと汗ばみ、耳はほんのりと赤かった。
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