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一部 不本意ながら襲われていますが......何か?

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 アルビスは佳蓮を召喚してから、毎晩離宮へ足を向けることが日課となった。けれどその日課は、佳蓮がトゥ・シェーナ城に住まいを移したので消えてしまった。

 ぽっかりと空いてしまった心と時間を埋める為に、アルビスは今まで以上に政務に没頭する。くたびれ果てて、何も考えられなくなるまで──



 とても静かで雲の多い夜だった。夜空に浮かんでいる月は、雲の狭間から出たり消えたりを繰り返している。

 ロダ・ポロチェ城は、全てが眠りに落ちているかのように静まり返っていたけれど、外廷の奥の豪奢な一室だけは、煌々と明かりが付いている。

 部屋には3人の男がいた。暖炉の薪が爆ぜる音と共に、ペンを走らせる音が響いている。

 彼らは黙々と書類に目を通し、捌き、何かを書き込んでいた。

「陛下、北の関所からの支援要請の件ですが、明日には兵が到着する予定です」

 自身の机に着席したまま、シダナがアルビスに声を掛ける。夜間の政務は、礼儀作法を無視するのが長年のルールだ。

「そうか、わかった。他に降雪被害が無いならこのままお前に任せる」
「かしこまりました」

 アルビスも別の書類を手にしたまま、シダナに指示を出す。次いで、この部屋にいるもう一人の男に目を向けた。

「ヴァーリ、毎月届く各砦の報告書をまとめるのに、いつまでかかっているんだ」
「いやまぁ……ちょっと……」

 アルビスの呆れ声に、ヴァーリはごにょごにょと言葉を濁しながら頭をかいた。

 同時にアルビスとシダナが溜息を零した。 

 武闘派のヴァーリに任せていては、来月の報告書が届いてしまうと判断したアルビスは、執務机から立ち上がった。

「もういい。貸せ──っ……!」

 ヴァーリから書類を取り上げようとしたアルビスは、突然体勢を崩して床に膝を付いた。

 息ができない程の痛みが、アルビスの喉に走ったのだ。

「陛下!」
「どうされました!?」

 側近二人が慌ててアルビスの元に駆け寄るが、痛みに耐える当の本人はそれどころじゃない。絶望の淵に落とされていた。

 この衝撃に近い痛みが、佳蓮に与えた護りによるものだとアルビスは直感したのだ。

 ただ痛みはすぐに治まった。継続されることはないし、半身を失う喪失感もない。なら考えられるのは、一つだけ。

「どうやらあの城にネズミが忍び込んだようだな。それとも、内部の裏切りか……」

 まだ立ち上がる事ができないアルビスは、かすれ声でそう呟いた。

 トゥ・シェーナ城は水堀で囲われている。冬の間は跳ね橋さえ地上に降りなければ、自然の要塞となる。

 もちろん城内には衛兵がいるが、全員女性だ。並大抵の男よりも剣の覚えがある者たちだが、それでも鍛え抜かれた男性に比べれば非力である。

 万全を期すために城全体に結界を張りたいところだが、初代の聖皇帝の魔法がそれを邪魔をしている。

 頼りは佳蓮自身に与えた護りだけだが、それも今発動してしまったようだ。この護りはとても強力な盾だが、使えるのは一度だけ。2度目はない。
 
 護りのことをを知っているのはごく一部の限られた者と、お后教育きさききょういくを受けた皇后候補だけ。 

 頭の切れるシダナは、すぐに誰の仕業なのか気づいた。

「申し訳ございません、わたくしの失態です。夜会のアレが、裏目に出てしまったようです」
「……そうとも限らんが……その可能性は否定できないな」

 まだ息を整えることすらできないアルビスは、膝をついたまま苦い顔つきでそう言った。

「すぐに向かいますか。陛下」

 動物的直観で表情を鋭くしたヴァーリは、机に立てかけてあった剣を腰に差す。

「そうだな、そうするしかないだろう」

 やれやれといった感じで溜息をつくアルビスだったけれど、その表情には余裕などなかった。

「……まさか本当に真冬の水堀を泳ぐはめになるとは」

 共にトゥ・シェーナ城に向かうつもりでいるシダナにとって、アルビスの呟きは他人事ではない。

「あの時の陛下の苦し紛れの言い訳が、まさか現実になるとは思いもよりませんでした」
「黙れ」

 アルビスは苦虫を嚙み潰したような顔をしながら、机に手を付き立ち上がった。

「付いてこい、行くぞ」

 頬に張り付いていた髪を鬱陶し気に払いながら、アルビスは側近二人に声をかける。

 そして藍銀の髪が背中に落ちる前に、アルビスと2人の側近は陽炎のように揺らめき──消えた。
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