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一部 別居中。戻る気なんて0ですが......何か?

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「馬鹿みたい」

 佳蓮は湯たんぽをギュッと抱きしめて、もう一度同じ言葉を吐き捨てた。

 タッ……ポンと、湯たんぽを動かした拍子に、陶器の中からくぐもった水が揺れる音が聞こえてきた。

 佳蓮は室内に目を向ける。暖炉の前のローテブルでは、リュリュがドレスのサイズ直しをするために、一生懸命針を動かしている。
 
 しばらく機械のように動くリュリュの手元をぼんやりと見つめていた佳蓮だが、ため息を吐きながら目を閉じた。

(……馬鹿みたい。馬鹿じゃないの?いや、絶対に馬鹿だ) 

 この世界の人間は揃いも揃って、馬鹿で自分勝手でどうしようもない人たちばかりだ。ぜんぜん理解できない。

 その中でもアルビスは、一番の馬鹿だ。他の馬鹿者たちに厄介事を押し付けられ、背負わされたものを捨てられないでいるのだから。

 ここは帝国。皇帝が支配する世界。帝国は一つの個体ではない。パズルのピースがくっついただけの寄せ集めの国。

 言い換えるなら、全てを束ねるアルビスが逃げてしまえばバラバラになってしまう脆い国。

 佳蓮は帝国が崩壊した歴史を、何度も学校の授業で聞いている。

 教科書に書かれているそれを見て、先生のぼそぼそ喋る声を聞いて、眠気と戦いつつ馬鹿だなぁーって思った。何でそんなことをするんだろうって思った。余計なことをして暗記項目を増やすなとも思った。

 でもそれは元の世界の女子高生なら誰しも思うことだろう。遠い遠い過去の事だし、はっきり言ってこの学生生活を終えたら活用できる機会だって少ないし。

 シダナからこの話を聞いたところで、佳蓮にとってはアルビスの過去など究極に他人事だ。

 もちろん人並みに可哀想だとは思う。とんだ災難だったなと同情する気持ちもある。でもそれが理由で誘拐されたといわれても、佳蓮は「なるほど」とは頷けない。そんなお人好しではない。

 そもそも召喚は、誘拐で犯罪行為なのだ。犯罪にどんな理由があっても罪は罪で、アルビスを許せるわけがない。

 こんな話をしたシダナに、佳蓮は特大のクレームを入れたくなる。

 佳蓮が元の世界に戻りたい理由を伝えた後、シダナは深く頷いた。そして図々しくも「わざわざお茶を淹れなおしてくださったのですから、全部飲んでから帰ります」と言って居座った。

 そしてゆっくりとティーカップを傾けながら、アルビスの過去を語った。まるで世間話のような軽い口調で。

(あれって、どう考えても確信犯だよね)

 シダナの行動を思い出して、佳蓮は顔を顰める。

 お茶は冷めていたから、ゆっくり飲む必要なんてなかったし、アルビスの過去を知りたいなど一言も言っていない。それどころかずっと、早く帰れと目で訴えていた。
 
 なのにシダナはそれらに気付かないフリをして、一方的に語った。その話し方はリハーサルを何度も重ねたような流暢な話し方で、最後まで止めることができなかった。

 聞いてしまった以上、記憶に刻まれるし、都合よくそこだけ消去することはできない。

 最終的にこの話を聞いて佳蓮が一番強く思ったのは、これだった。 

「セリオスさんって、クソだったんだ」

 呟いた瞬間、リュリュは裁縫の手を止めて信じられないものを見るような目つきになった。

「ま、まさか……カレンさま、今頃お気づきに?」
「ううん。知ってた。ただちょっと言ってみたかっただけ」
「さようですか。ですがあの者の名を口にするなど、カレンさまが汚れます。今後はお控えください」

 きっぱりと言ったリュリュに、佳蓮は苦笑を返事にして、再び窓に目に向けた。

 もう自分の精神はアルビスによって、とっくに汚れている。だからセリオスの名を紡いだところでどうということはない。

 そんなことを言ったらリュリュは、どんな顔をするだろうか。

 きっと悲しい顔をするだろう。慰めの言葉を探して、でも見つけることができなくて途方に暮れた顔をするかもしれない。

 佳蓮は口を閉ざして、ため息を吐く。

 親を愛していたからこそわかる、拒まれることの辛さ。
 親を大切にしていたからこそわかる、愛されない痛み。
 
(あの人は、私が楽しくのんびりと過ごした時代を持っていない)

 同情しかけた思考を振り払うように、佳蓮はにリュリュに声をかけた。

「リュリュさん、ホットミルクをお願いしても良いですか?できれば……はちみつたっぷりで」
「お任せください。すぐにお持ちします」

 すぐさま立ち上がったリュリュは丁寧に一礼をして、部屋を出て行った。

 しんとした部屋に、暖炉の薪がはぜる音だけが聞こえる。雪は相変わらず降り続いている。いつの間にか窓は再び曇っていた。

 佳蓮は手のひらで窓ガラスを拭くことはもうしない。少しぬるくなった湯たんぽを抱えて、再び目を閉じる。今、とても甘いものを口にしたかった。

 たとえ甘みを感じなくても、脳は糖分を摂取したいだろう。そう思って。
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