17 / 142
一部 夜会なんて出たくありませんが......何か?
5
しおりを挟む
手ですくった水が零れ落ちるように楽団の奏者が次々に演奏を止めると、会場は水を打ったかのように静まり返った。
ダンスを踊っていた男女もステップを止め、何事かと上座に視線を向ける。不穏な空気に首を傾げた佳蓮だけど、すぐに気付いた。アルビスが立ち上がったのだ。
「構わぬ。続けよ」
退席しようとするアルビスの声音は、いつも通り抑揚がなかった。
長いローブを払いながら歩く動作も、扉へと向かう足取りも、なんの感情も伝わってこなかった。
「あの、ごめんなさいっ。失礼します」
セリオスに断りを入れると佳蓮は勢いよく立ち上がり、アルビスの後を追う。
彼の機嫌を損ねたと慌てたわけではなく、ここから逃げ出す絶好のチャンスだと便乗しただけだ。
会場を出た佳蓮は、ドレスの裾を掴んで小走りで廊下を進む。
シフォンのドレスは軽いけれど、足にまとわりついて歩きにくい。履きなれていないヒールも、グラグラして心許ない。
でもそんなことより、帰り道がわからないことが一番不安だ。
宮殿の間取りなどまったくわからないし、柔らかな曲線を描く窓が等間隔に続くこの廊下は、どこも似たり寄ったり。
今更悔やんでも遅いけれど、行き道でちゃんと目印になるものを覚えておくべきだった。
佳蓮の走る速度がだんだんとゆっくりになり、終いにはとぼとぼといった足取りになる。
「お一人で歩くのは危ないですよ。カレンさま」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、佳蓮は足を止めて振り返った。
「思ってないこと言わないでよ。気持ち悪い」
「気持ち悪い?ひどいこと言いますねぇ」
悪口を言われ苦笑するヴァーリは、佳蓮の元に近づきながら人差し指をくるくる動かす。
「陛下はあっち。あなたの離宮はそっち。カレンさま、貴方様はどちらに行かれます?」
あまりの愚問に、佳蓮の眉間に皺が寄る。
どうしてアルビスの元にいかなければならないのか意味が分からない。佳蓮はさっさと離宮の方へと身体を向ける。ヴァーリにお礼の言葉なんて言うもんか。
そんな気持ちで佳蓮が離宮へと歩き出した途端、ヴァーリに強く腕をつかまれた。次いで、背中に衝撃が走る。壁に押し付けられたのだ。
「あのさぁ、いい加減にしてくれないかな?お嬢さん」
ぞっとするほど低い声と共に、片側の耳元でどんっという強い衝撃音がした。ヴァーリが佳蓮の顔のすぐ横に手を付いたのだ。壁ドンというヤツだ。
壁とヴァーリに挟まれる形になりながら、人生初めての壁ドンがこんな相手だったことに、佳蓮は心の底から落胆した。
今すぐこの黒歴史を消したいと願う佳蓮に、ヴァーリはちっとも気づかない。
「散々陛下を困らせて、焦らして、振り回して。一丁前に、あのお方の気持ちを試してるんですか?何様なんですかね。あなたは」
「試したつもりなんてない。あなたこそ、何様なのよ」
理不尽な言いがかりに、佳蓮も噛みつくように言い返す。
「なんだよ、その言い方」
ヴァーリはこれまで見たこともない冷笑を浮かべて、佳蓮を睨みつけた。血の気が引くほどの殺気が全身を覆う。
「あ?無自覚小悪魔ですか?はっ、そういうのもう少し大人になってからやってくださいよ。陛下はね、忙しいんですよ。子供のお遊戯に構っている暇なんてないんですよ。……ったく、陛下も可哀想だ」
吐き捨てるように言ったヴァーリの最後の一言は、聞き捨てることができなかった。
(は?だ、誰が……可哀想ですって?!)
心の中でそう呟いた途端、佳蓮の中の何かが豪快に切れた。
ダンスを踊っていた男女もステップを止め、何事かと上座に視線を向ける。不穏な空気に首を傾げた佳蓮だけど、すぐに気付いた。アルビスが立ち上がったのだ。
「構わぬ。続けよ」
退席しようとするアルビスの声音は、いつも通り抑揚がなかった。
長いローブを払いながら歩く動作も、扉へと向かう足取りも、なんの感情も伝わってこなかった。
「あの、ごめんなさいっ。失礼します」
セリオスに断りを入れると佳蓮は勢いよく立ち上がり、アルビスの後を追う。
彼の機嫌を損ねたと慌てたわけではなく、ここから逃げ出す絶好のチャンスだと便乗しただけだ。
会場を出た佳蓮は、ドレスの裾を掴んで小走りで廊下を進む。
シフォンのドレスは軽いけれど、足にまとわりついて歩きにくい。履きなれていないヒールも、グラグラして心許ない。
でもそんなことより、帰り道がわからないことが一番不安だ。
宮殿の間取りなどまったくわからないし、柔らかな曲線を描く窓が等間隔に続くこの廊下は、どこも似たり寄ったり。
今更悔やんでも遅いけれど、行き道でちゃんと目印になるものを覚えておくべきだった。
佳蓮の走る速度がだんだんとゆっくりになり、終いにはとぼとぼといった足取りになる。
「お一人で歩くのは危ないですよ。カレンさま」
背後から聞き覚えのある声が聞こえ、佳蓮は足を止めて振り返った。
「思ってないこと言わないでよ。気持ち悪い」
「気持ち悪い?ひどいこと言いますねぇ」
悪口を言われ苦笑するヴァーリは、佳蓮の元に近づきながら人差し指をくるくる動かす。
「陛下はあっち。あなたの離宮はそっち。カレンさま、貴方様はどちらに行かれます?」
あまりの愚問に、佳蓮の眉間に皺が寄る。
どうしてアルビスの元にいかなければならないのか意味が分からない。佳蓮はさっさと離宮の方へと身体を向ける。ヴァーリにお礼の言葉なんて言うもんか。
そんな気持ちで佳蓮が離宮へと歩き出した途端、ヴァーリに強く腕をつかまれた。次いで、背中に衝撃が走る。壁に押し付けられたのだ。
「あのさぁ、いい加減にしてくれないかな?お嬢さん」
ぞっとするほど低い声と共に、片側の耳元でどんっという強い衝撃音がした。ヴァーリが佳蓮の顔のすぐ横に手を付いたのだ。壁ドンというヤツだ。
壁とヴァーリに挟まれる形になりながら、人生初めての壁ドンがこんな相手だったことに、佳蓮は心の底から落胆した。
今すぐこの黒歴史を消したいと願う佳蓮に、ヴァーリはちっとも気づかない。
「散々陛下を困らせて、焦らして、振り回して。一丁前に、あのお方の気持ちを試してるんですか?何様なんですかね。あなたは」
「試したつもりなんてない。あなたこそ、何様なのよ」
理不尽な言いがかりに、佳蓮も噛みつくように言い返す。
「なんだよ、その言い方」
ヴァーリはこれまで見たこともない冷笑を浮かべて、佳蓮を睨みつけた。血の気が引くほどの殺気が全身を覆う。
「あ?無自覚小悪魔ですか?はっ、そういうのもう少し大人になってからやってくださいよ。陛下はね、忙しいんですよ。子供のお遊戯に構っている暇なんてないんですよ。……ったく、陛下も可哀想だ」
吐き捨てるように言ったヴァーリの最後の一言は、聞き捨てることができなかった。
(は?だ、誰が……可哀想ですって?!)
心の中でそう呟いた途端、佳蓮の中の何かが豪快に切れた。
72
お気に入りに追加
3,074
あなたにおすすめの小説
【完結】烏公爵の後妻〜旦那様は亡き前妻を想い、一生喪に服すらしい〜
七瀬菜々
恋愛
------ウィンターソン公爵の元に嫁ぎなさい。
ある日突然、兄がそう言った。
魔力がなく魔術師にもなれなければ、女というだけで父と同じ医者にもなれないシャロンは『自分にできることは家のためになる結婚をすること』と、日々婚活を頑張っていた。
しかし、表情を作ることが苦手な彼女の婚活はそううまくいくはずも無く…。
そろそろ諦めて修道院にで入ろうかと思っていた矢先、突然にウィンターソン公爵との縁談が持ち上がる。
ウィンターソン公爵といえば、亡き妻エミリアのことが忘れられず、5年間ずっと喪に服したままで有名な男だ。
前妻を今でも愛している公爵は、シャロンに対して予め『自分に愛されないことを受け入れろ』という誓約書を書かせるほどに徹底していた。
これはそんなウィンターソン公爵の後妻シャロンの愛されないはずの結婚の物語である。
※基本的にちょっと残念な夫婦のお話です
一宿一飯の恩義で竜伯爵様に抱かれたら、なぜか監禁されちゃいました!
当麻月菜
恋愛
宮坂 朱音(みやさか あかね)は、電車に跳ねられる寸前に異世界転移した。そして異世界人を保護する役目を担う竜伯爵の元でお世話になることになった。
しかしある日の晩、竜伯爵当主であり、朱音の保護者であり、ひそかに恋心を抱いているデュアロスが瀕死の状態で屋敷に戻ってきた。
彼は強い媚薬を盛られて苦しんでいたのだ。
このまま一晩ナニをしなければ、死んでしまうと知って、朱音は一宿一飯の恩義と、淡い恋心からデュアロスにその身を捧げた。
しかしそこから、なぜだかわからないけれど監禁生活が始まってしまい……。
好きだからこそ身を捧げた異世界女性と、強い覚悟を持って異世界女性を抱いた男が異世界婚をするまでの、しょーもないアレコレですれ違う二人の恋のおはなし。
※いつもコメントありがとうございます!現在、返信が遅れて申し訳ありません(o*。_。)oペコッ 甘口も辛口もどれもありがたく読ませていただいてます(*´ω`*)
※他のサイトにも重複投稿しています。
旦那様に離縁をつきつけたら
cyaru
恋愛
駆け落ち同然で結婚したシャロンとシリウス。
仲の良い夫婦でずっと一緒だと思っていた。
突然現れた子連れの女性、そして腕を組んで歩く2人。
我慢の限界を迎えたシャロンは神殿に離縁の申し込みをした。
※色々と異世界の他に現実に近いモノや妄想の世界をぶっこんでいます。
※設定はかなり他の方の作品とは異なる部分があります。
側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります。
とうや
恋愛
「私はシャーロットを妻にしようと思う。君は側妃になってくれ」
成婚の儀を迎える半年前。王太子セオドアは、15年も婚約者だったエマにそう言った。微笑んだままのエマ・シーグローブ公爵令嬢と、驚きの余り硬直する近衛騎士ケイレブ・シェパード。幼馴染だった3人の関係は、シャーロットという少女によって崩れた。
「側妃、で御座いますか?承知いたしました、ただし条件があります」
********************************************
ATTENTION
********************************************
*世界軸は『側近候補を外されて覚醒したら〜』あたりの、なんちゃってヨーロッパ風。魔法はあるけれど魔王もいないし神様も遠い存在。そんなご都合主義で設定うすうすの世界です。
*いつものような残酷な表現はありませんが、倫理観に難ありで軽い胸糞です。タグを良くご覧ください。
*R-15は保険です。
全てを諦めた令嬢の幸福
セン
恋愛
公爵令嬢シルヴィア・クロヴァンスはその奇異な外見のせいで、家族からも幼い頃からの婚約者からも嫌われていた。そして学園卒業間近、彼女は突然婚約破棄を言い渡された。
諦めてばかりいたシルヴィアが周りに支えられ成長していく物語。
※途中シリアスな話もあります。
5年も苦しんだのだから、もうスッキリ幸せになってもいいですよね?
gacchi
恋愛
13歳の学園入学時から5年、第一王子と婚約しているミレーヌは王子妃教育に疲れていた。好きでもない王子のために苦労する意味ってあるんでしょうか。
そんなミレーヌに王子は新しい恋人を連れて
「婚約解消してくれる?優しいミレーヌなら許してくれるよね?」
もう私、こんな婚約者忘れてスッキリ幸せになってもいいですよね?
3/5 1章完結しました。おまけの後、2章になります。
4/4 完結しました。奨励賞受賞ありがとうございました。
1章が書籍になりました。
侯爵夫人のハズですが、完全に無視されています
猫枕
恋愛
伯爵令嬢のシンディーは学園を卒業と同時にキャッシュ侯爵家に嫁がされた。
しかし婚姻から4年、旦那様に会ったのは一度きり、大きなお屋敷の端っこにある離れに住むように言われ、勝手な外出も禁じられている。
本宅にはシンディーの偽物が奥様と呼ばれて暮らしているらしい。
盛大な結婚式が行われたというがシンディーは出席していないし、今年3才になる息子がいるというが、もちろん産んだ覚えもない。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる