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第二部 陛下の命令

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 ティアから見た宰相の第一印象は、ひどく冷たいものだった。

 厳つい顔をしているが、豪放磊落な一面を持つバザロフに比べ、長身で細身の宰相は、ひどく人を寄せ付けない雰囲気を持った男だった。

 年の頃は、バザロフと同じくらい。ただ、長い焦げ茶色の髪をひとまとめにして、身体を動かすのにはおおよそ向かない、ゆったりとした長い上着を着ている。

 けれどその瞳は鋭く、まるで鷹のようであった。

 とはいえ、おっかないという言葉の代名詞になっているバザロフにとったら、宰相は畏怖の念を抱く存在ではなかった。

「珍しいなユザーナ、お前自ら出迎えとは、どうした?ん?」

 バザロフは、にやにやと意地の悪い笑みを浮かべると、宰相ことユザーナの元へ足を向けると膝を折りを覗き込んだ。

 ほぼ同じ身長の人間にそんなことをされれば、煽られたと解釈するのは、ごく当然で。

 途端にユザーナは、神経質そうな細い眉をひそめる。

「……わいわい騒ぐ声が、執務室まで聞こえたからだ」

 え?そうだろうか。

 ティアはユザーナの言葉を聞いて、こっそりそんなことを思った。

 確かに中庭で少々会話はしたけれど、そこまで大声ではなかったし、執務室とやらはそんな薄い壁で、できているのだろうか。

 口には出せないけれど浮かんだ疑問のせいで、知らず知らずのうちにティアの首の角度が傾いてしまう。

「そうか、そうか、そういうことにしといてやろう」
「......」

 ティアの首は傾く一方だけれど、がっはっはと笑うバザロフに対して、ユザーナの首は微動だにしないし、口元はきつく閉まっている。

 ───石像のような人だ。

 そんなふうに思いながらティアはしかめっ面でいるユザーナをぼんやりと見つめる。

 そこで、不意に目があった。

 ユザーナは視線をあからさまに逸らすことはしない。
 けれどティアと、関わりたくないという意志がそこに読み取れ、無意識に一歩引いてしまう。

「落ち着け。宰相殿は別にお前に対して、怒っているわけじゃない」
「……そうでしょうか」

 すぐ横に居るグレンシスからそんな言葉をかけられても、あまり説得力がなくて、気持ち通りの声を出してしまう。

 それはグレンシスに、しっかり伝わってしまったようで、補足のような言葉が降ってきた。

「基本的に身分の上下に関係なく公平に接してくださる方だが……まぁ、ちょっとバザロフ様に対してだけは例外なんだ」
「どうしてですか?」
「若い頃から、反りが合わないらしい」
「……」

 ───なるほど。確かにそのようだ。

 なんてことを、後先考えず口に出すこことはしない。けれど、ティアはもう一度心の中で深くうなずいた。
 
 初対面のティアですら、二人が犬猿の仲だというのを察するくらい、バザロフとユザーナは反りが会わない。
 ただ、付き合いは無駄に長い。所謂、腐れ縁というものだった。

 実はユザーナは、いまでこそ宰相という地位にいるが、25年前の戦争では、バザロフと同様、戦争の最前線で指揮をとっていた。
 バザロフが武将なら、ユザーナは知将という立ち位置で。

 状況に応じた的確な指示と判断で、ユザーナが誰も思いつかないような戦術を練り、それを勇猛果敢なバザロフが実行した。

 その結果、ウィリスタリア国はオルドレイ国のように移し身の術を持つ者がいなくても、損害を最小限に食い止め、勝利へと導いたのだ。

 ただ、一つの目標に向かいバザロフとユザーナが手を組めば最強と称されるけれど、そうでなければ、互いの欠点がなぜか異常に目に付いて、大変仲が悪い。
 
 特に最近は何の関係もない部下の騎士すら怯える程、ギスギスしていたりもする。

 ……という経緯を知らないティアは、対岸の火事的な心境でおっかない男二人のやり取りを眺めていた。けれど、

「ティア、そろそろ行こう」

 一通りユザーナを煽って満足したバザロフは、おもむろにティアに声を掛ける。

 もちろん本来の目的を忘れていないティアは、すぐに頷きバザロフの元へ駆け寄る。

 その時、ユザーナは解読が困難な暗号を読み取ろうとするみたいに目を細め、ティアを見つめていた。

 だがティアは、その視線に気付くことなく、謁見の間へと足を向けた。





 謁見の間というのは、その名の通り、国王陛下が訪問者と会うための部屋。

 なので本来なら、城門から一直線に向かうことができる場所にある。
 逆に言えば、中庭という城の内側からそこへ向かうのは、かなり遠回りになる。

 なら、なぜグレンシスが中庭に向かったのか。

 それはバザロフと落ち合うためではなく、他の理由があったから。

 その理由はあと少しでわかるので、今は触れずに。ちなみにティアは、謁見の間がどこにあるかなど知るわけもなく、何の疑問も抱かず、ただ言われるままに、歩くだけだった。

 回廊を歩く中、騎士や侍女達とすれ違っていたけれど、次第に数を減らしていく。それと同時にピリピリというのは少し違う、独特な緊張感がティアの肌を刺す。

 途中、とある場所で、グレンシスとバザロフは慣れた様子で、城の衛兵に剣を預ける。

 それを淡々と進めたあとは、唾を飲む音すら響いていきそうなほど静かな鏡のように磨き抜かれた廊下を進んでいく。

 ぽてぽてと歩く音に重なるように、カツカツと硬い足音が響いている。

 自分以外の足並みが揃っているのは、グレンシスを含めた3人が城勤めをしているからなのかと、ティアはどうでも良いことを考える。

 それでも足は止まらない。足音は一定のリズムを刻んでいる。

 そして、アジェーリアの部屋より更に豪奢で大きな扉の前で立ち止まった。
 どうやらここが目的地。そしてこの扉の先に国王陛下が居るのだろう。

 緊張というか、物々しい雰囲気に圧倒され、ティアはコクリと喉を鳴らす。

 けれど、すぐに背に温かい手のひらを感じ、その手が誰のものかわかった途端、ティアは微かに笑った。

 予想を超える過保護っぷり。そして、そうしてくれると期待した通りの結果。

 これだから、困るのだ。
 甘やかされれば甘やかされるだけ、際限なく甘受してしまうし、期待してしまう。

 そんなふうにティアが意識をよそに向けた途端、大きな扉がゆっくりと開き、中に入るよう促された。

 バザロフとユザーナが並んで先頭を歩く。
 次いでティア。グレンシスはティアの側近のように後ろを歩く。

 玉座に繋がる、寝転んでも平気なくらいフカフカの通路のような絨毯の上を歩きながら、大きなシャンデリアを見ながら、玉座の奥にある月桂樹と双剣を模った大きな国旗の垂れ幕を見ながら───ティアはしみじみと思った。

 まったくもって望まぬところに来てしまったものだ、と。

 嫌だ嫌だと自己主張をすれば、角が立つ。
 平凡を求めれば、厄介事に巻き込まれる。
 意地を通とおせば、切なくて。とにかくに人の世というのは生きにくい。

 そして、息苦しさが高じると、引きこもりたくなる。

 でも、それすら難しいと悟った時、自分は一体どうしたら良いのだろう。
 どこへ向かいたいのだろう。

 少なくとも、だんだん近づく玉座の元ではないことは確かだ。

 でも、ひたすら身体を動かすことで考えることを放棄してきたティアには、すぐに答えを見付けるのはかなりの難題で。
 目の前に答えがあることに気づかなかいまま、玉座の前で腰を落としていた。 
 
「面を上げよ」

 低く威厳を感じさせる声が謁見の間に響き、ティアは顔を上げた。

 次いで、数段高い場所にある赤いビロードに金糸と銀糸で装飾された玉座に座った人物を見る。

 バザロフ級の大男を想像していたけれど、思いの外、頭に王冠を乗せている壮年の男は小柄だった。
 年も見た目だけの判断だが、バザロフやユザーナより少し若く見える。

 ただ流石にこの国で最も尊いお方をじろじろ見るのは、さすがに不躾だろう。
 引きこもりとはいえ、世間一般の礼儀作法くらいは身に付けているティアはそっと視線を下にする。

 けれど国王陛下は、それを引き留めるように、ゆるりとティアに視線を向け口を開いた。

「お前が噂に聞くティアか?」
「……はい。わたくしがティアです」

 どんな噂だと内心思ったけれど、ティアは素直に頷いた。
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