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第二部 贅沢な10日間

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 ロハン邸の庭は、ウィリスタリア国の気候風土にあった草花や、樹木を散りばめている。

 そして専属の庭師が雨の日も風の日も休むことなく丁寧に、春から秋の枯れゆく季節まで、折々の風景を楽しめるよう整えている。

 特に香り高い四季咲きのバラは庭師のご自慢で、屋敷の主人には事後報告で東屋付きの独立した庭園を勝手に造る始末。
 けれど、見るものを癒し、楽しませているので、特にお咎めはない。

 もちろん、バラ以外にも、今の季節はクレマチスや、プルメリアなど様々な夏の花が花壇の中で可愛らしく咲いており、特に濃いオレンジ色のノウゼンカズラがひときわ目を引いている。

 けれどここはメゾン・プレザンのように、すべてが商品価値として整えらえれたものではない。庭の隅には花の入れ替えの途中のようで、バケツやスコップが置かれたまま。

 その全てをふまえ、ティアが王女を嫁ぎ先の隣国に送り届ける任務の前にこれを見ていたなら、きっと「屋敷の主人に似合わない、随分と可愛らしい庭だ」と嫌みの一つでも呟いていたことだろう。

 そんな部屋と同じく、人の温もりを隠すことはしないその庭を、ティアとグレンシスはゆっくりとした足取りで散策していた。

 ちなみに二人が腕を組んでいたのは、短い間だけ。
 今のグレンシスの腕は、ティアの腰に回っている。




「ティア、足は痛むか?」

 片手にティアの手のひらを掴み、反対の腕はティアの腰に回しているグレンシスは、労わるように問いかけた。

「大丈夫です」

 自分の腰に大きな手を感じているけれど、それはこの手の持ち主が怪我人の介添えの為にそうしているだけ。これは介護の一環だ。

 ……そうティアは、自分に言い聞かせている。

 だからこれ以上、グレンシスに甘えるのは申し訳ないという気持ちで、ティアは答えた。けれど──

「そうか。じゃあ、一人で歩けるか?」
「え?……は、はい」

 突き放すようなグレンシスの問いと口調に、ティアは嫌と言う理由が見つからず、戸惑いながらも頷いた。

 その途端、グレンシスはぱっと両手を離し、なぜかすたすたとティアを置いて歩き始めてしまった。
 
 それから前を歩くグレンシスは一度も振り向かない。
 
 まるで出会ったばかりの頃を思わせるように、ティアの歩調に合わせることなく自分のペースで歩き続ける。

 ───なにか失礼なことを言ってしまったのだろうか。

 ティアは、たちまち不安になった。

 居候の分際で客人を招いたことを、図々しいと思われてしまったからなのだろうか。
 それとも、グレンシスの優しさに甘えすぎて、彼がとうとう、うんざりしてしまったからなのだろうか。

 ティアは一生懸命グレンシスが不機嫌になってしまった理由を考える。

「───……あ」

 気づけば、考え事に没頭していたせいで、ティアの歩調はだいぶ遅くなってしまっていた。

 前を歩くグレンシスはそれに気付くどころか、歩調はより速くなり、距離が離れていく一方だった。

 ───どうしよう。このままだと、置いて行かれる。

 そう思った途端、とてつもなく痛いものがティアの背後から忍び寄った。それは、足の痛みではない。置いていかれる恐怖だった。

 ついさっきまで純粋に庭の花々を綺麗だと目を細めて見ていたはずなのに、急にそれらが色あせていく。

 そして前を歩き続けるグレンシスも、このまま消えて、いなくなってしまいそうだった。

 出合ったばかりの頃、グレンシスはティアの歩調に合わせることなんてしなかった。どんどん先に進んで、ティアが必死に追いかけていた。

 ──……いつからだろう。歩調が合ったのは。

 ティアはふと考える。そして、気付く。

 わけではない。グレンシスが自分の歩調に合わせてくれていたのだ、と。

 きゅっと胸が締め付けられる。
 ティアの足が先ほどより忙しなく動く。そしてグレンシスの背を見つめ、願う。

 どうか、ほんの少しだけで良いから振り向いてください、と。
 
 そして、無意識にこんなことも願ってしまった。
 あなたの心をほんの少しだけ、こちらに向けてください、と。

 ティアが必死に願い続けた結果、まるで祈りが届いたかのように、グレンシスの足がピタリと止まった。
 ただ振り返った顔は予想に反して、とても呆れ顔ていて……どことなく拗ねているようにも見えた。
 
 そして振り返ったグレンシスは、その表情のままティアの元に戻り、不機嫌そうに腕を組んだ。 

「まったく、お前はつくづく甘えるのが苦手なようだな」

 溜息と共に落とされたその言葉は、言うことを聞かない妹を嗜める口調で、ティアの眉間に僅かに皺が寄った。

「……もしかして、わざとやったんですか?」
「ああ。そうだ」

 あっさりとそう言ったグレンシスに、ティアは心の中で意地が悪いとへそを曲げた。

 



 確かにグレンシスはティアに意地の悪いことをした。
 そして彼が、そこそこに呆れていることも間違いではない。

 でも、グレンシスはティアを突き放すつもりなんてこれっぽっちもなかった。むしろ、その逆。

 きちんと向き合うことを始めた今、グレンシスは気付いてしまったのだ。

 ティアがいつも何かに怯えていることに。それゆえに、こちらが歯がゆいと思えるほど謙虚でいることを。

 グレンシスは、静かに膝を付く。

 そして表情を真面目なものに変えて、目の前にいる不貞腐れた少女に向かって問うた。

「お前、これまでずっとそうしてきたのか?」
「え?」

 主語の無い問いに、ティアはきょとんとする。

 グレンシスの眉が僅かに跳ねた。けれど、感情を抑えるように軽く目を閉じる。

 そしてもう一度、でも、よりわかりやすく同じ内容のものを紡ぐ。

「ティア、お前はこれまでずっと、嫌われるのが怖くて、自分のしたいことや、やって欲しいことを言わずにいたのか?と聞いているんだ」
「……」

 ティアは無言でいた。
 答えられないのではない。答えたくなかったから。

 だから、心の奥を見透かすようなグレンシスの視線からそっと逃げる。けれど、逸らした頬に手が伸びる。大きく暖かい手が。

 びくりと身を強張らせたティアに、今度は真冬のスープのような温かい声音が降ってくる。

「それはやめた方が良い」

 これまでずっと上から目線でしかものを言ってこなかったグレンシスにしたら、随分と優しい物言いだった。
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